第56話 -合宿最終日・山中ってヤツは-
「よし、じゃあ最初は、コンクール本番を意識して、12分で『風紋』と『オーストラリア民謡変奏曲』を通せるか、やってみようか」
福崎先生がそう言うだけで、部員には緊張が走る。
合宿最終日の合奏練習は、先生のその言葉から始まった。
12分の壁…。
吹奏楽コンクールA部門では、課題曲と自由曲の2曲を演奏するわけだが、合わせて12分以内に収まっていないと、どんないい演奏をしても、失格になってしまう。
かつて全国大会で、客席からブラボーと賛美の声が飛ぶほど完璧な演奏をした高校が、12分を僅か5秒オーバーして失格となった例があり、福崎先生はコンクール直前になるとこの12分を物凄く意識し始める。
そのため去年のコンクールでも、自由曲でフルートとオーボエが目立つハーモニーの部分をバッサリ削ったほどだ。
今年はまだバッサリ作業には手を付けていないが、この先の練習で削られるフレーズが出て来る可能性はあり、その部分を一生懸命練習していた部員はガックリと泣き崩れるということもあった。
もし今年もそういう場面があれば、俺が慰め役を務めねばならない。
出来ればカット作業は無い方がいいのだが…。
結局、最初の演奏は12分52秒も掛かり、自由曲の何処かをカットせざるを得ないことが判明した。
「うーん、次は意識的に早目に回すから、テンポよく付いてきてくれ」
その次の通しでは、12分39秒だった。
「もうちょっと早く行けるか?どうや?」
先生が部員に問い掛けると、大上が
「先生、風紋は唇が限界です」
と反応し、神戸も
「風紋はさっきの速さ以上だと、クラの指が回りません」
と、珍しく反応していた。
「そうか、16分音符が続くもんなぁ…。何処かカットせざるを得んな。ま、だが今日は何処をカットするかは決めずにおこう。明日からの3日間で、自由曲を聴き込んで、先生なりに違和感のない場所をカットするように考えてみるから」
ハイ、とやや元気のない返事が部員から返ってきた。
その後は「風紋」と「オーストラリア民謡変奏曲」の2曲で、先生が気になる個所をそれぞれ繰り返し練習する形になり、午前中の練習は終わった。
なんとなくスッキリとした終わり方ではなかったが、最後に先生はこう言った。
「合宿での練習は、これで終わりじゃけど、初日に比べたらみんな格段に上達しとる。これだけはハッキリと言うとくぞ。みんな、よく頑張ったな。毎日寝不足じゃったと思うが」
疲労感漂う音楽室に、少し笑いが起きた。
「あとは昼飯食べて、片付けて、解散だな。明日から3日間、盆休みだが、練習を再開させた時に、なーんだ元に戻ってるじゃないか、っていうことにはならんように、各自今日の合奏で掴んだイメージを脳内で反復して忘れないようにしてくれ。とりあえず今はこんなところかな。後は上井、頼んだぞ」
福崎先生はそう言い、音楽準備室に戻った。
「あっ、はい。えーと、ではこの後の説明ですが、まずE班の皆さん。楽器を先に片付けて、昼食の準備をお願いします。そしてE班以外の皆さんも、片付けるのが大変なパート、楽器は、早目に片付けに入っても大丈夫です。例えば打楽器とか、打楽器とか、打楽器とかね」
センパイ、打楽器しか言わんし!と赤城が言い、笑いが生まれた。良かった、ちょっとでも楽しい雰囲気に出来て…。
「まあまあ。そんだけ大変なんだってば。皆様のご理解とご協力を、何卒打楽器によろしくお願いいたします」
選挙か!と男子の誰かがヤジを飛ばし、また笑いが起きた。
「そんで、昼食は12時からです。最後の食事なので、終わったら、E班以外の皆さんも、3年1組の教室を元に戻す作業を手伝ってください。3年1組を元に戻したら、今度は男女それぞれの寝室を元に戻します。各自布団をスロープのブルーシートの上に運んで、廊下や隣の教室に出してある机と椅子を元に戻して下さい。その上で、各自荷物を持って、音楽室に集合し、最後は椅子だけ合奏体系になってればいいです。譜面台は、わしらが音楽室を使わん3日間の内に、鉄分がどうにかなっちゃいけんけぇ、仕舞って下さい。この部屋、西日がきついけぇね」
去年は普段の音楽の授業のスタイルにまで戻させられたが、3日間の休み明けに再び音楽室を使うのは吹奏楽部だ。去年は練習再開日に、再び授業スタイルから合奏スタイルに机と椅子を並び直すことになり、余計な負担だと感じた。だから去年の例は止め、合奏体系に椅子を並べてあればよいというように、俺の独断で変えた。細かい変更だから誰も気が付かないだろうけど。
「じゃそういうことで、各自動いて下さい!」
結局E班以外の部員も、楽器の片付けに入ったが、俺は別に止めなかった。
ここで片付けるのを止めさせて、まだだ、あと5分練習しろと言ったところで、それでゴールド金賞になるのならそう言うが、そんなことはないし、せっかくいい雰囲気に戻った音楽室内を再び暗くさせたくなかった。合宿最後の日なのだから…。
逆に、
「楽器を早く片付け終わった方は、E班の昼食準備の手伝いに行って下さーい」
と言うようにした。
俺は打楽器を、田中先輩や広田、宮田とワイワイ言いながら片付け、終わった後は全員が楽器を片付け終わるのを見届けていた。
残る部員も少なくなってきたところへ、不意に前田先輩が現れた。
「あっ、先輩…」
「上井君、今、少しだけいい?」
「はい、少しなら…」
前田先輩に誘導され、音楽室の隅に連れていかれ、そこで言葉を交わした。俺はすっかり前田先輩に嫌われているのではないかと思っていたので、少しホッとしたのも事実だ。
「今朝は…ごめんね、上井君」
驚いたことに、前田先輩が先に謝りの言葉を発した。俺が調子に乗ったのが悪いのに…。
「いっ、いえっ!とんでもない!調子に乗って先輩とキスなんかしようとした俺が全面的に悪いんです!何回も先輩に迷惑を掛けて、本当にすいません!」
「声が大きいよ、上井君。あのね、アタシは大丈夫だから。でもさ…。上井君の気持ちを考えたら、きっとアタシのことを慰めてあげよう、そう思ってくれてのことだったんだろうなって、合奏中に思ってね」
「はい…、確かに前田先輩に元気になってほしいという思いはありました。俺なんかがキスしても状況は変わらないかもしれませんけど、先輩のことを、大事な存在だと思っています、だから励ましたいと伝えたかったのはあります」
「フフッ、やっぱり上井君は優しいなぁ…。そうだ、合宿の閉会式の後、少し時間作れる?」
「あっ、はい。いくらでも…」
去年は緒方中同盟で、村山のお母さんが運転して下さる車が高校まで迎えに来てくれたが、今年は期待薄だろうし、時間はいくらでも作れる。
「じゃ、最後に下駄箱出た所で待ってるね。今日は上井君が遅れてもずっと待ってるから」
「ひゃ、逆にちゃんとしなくちゃ。でも分かりました!下駄箱なら絶対に会えますからね」
「うん。じゃ、先にお昼御飯の部屋に行ってるね」
「はい。俺はもうちょいしたら行きます」
前田先輩は長い髪を翻し、食堂の3年1組へと向かわれた。
(なんの話なんだろ?まさか、まさかの付き合わない?とかだったらどうする?いや~、返事は明日でいいか、とかカッコ付けたりして。どうする、交際の申し込みだったら!)
「…な、アソコに体をクネクネさせてる変な人がおるじゃろ。あの人に大きい声で、部長、昼御飯が出来ましたけどーって、叫んでくるんよ」
「分かりました、センパイ」
1年の女子が、音楽室の隅にいる俺の元にやって来て、
「ブチョーッ!お昼ご飯が出来ましたけどーっ!」
と耳元で叫んだ。
「ワーッ!ななな、なんだ、誰っ?」
「アタシです~」
「若菜かいっ」
俺に近付いて叫んだのはフルートの若菜だった。
「センパイ、そんなクネクネするような人でしたっけ?」
「く、クネクネ?え?そんなことしよった?」
「はいぃ…。緒方中時代からの後輩のアタシは、上井センパイが壊れたのかと心配で心配で…」
「いや、あの…。ティンパニを華麗に叩くにはどうすればいいか…」
「センパイ、無理があります。部長は黙って3年1組へどうぞ。支度は整ってますから」
「はい…」
若菜に冷酷にそう告げられると、その通りに動くしかなかった。
「センパイも疲れとるんじゃろ?中学の時は吹奏楽部で合宿なんてなかったもんね!」
「あったら間違いなく死んでたよ」
珍しく若菜と2人で話しながら歩いているが、まさかさっきの俺への叫びは、若菜が自分で行動を起こしたものとは思えず、黒幕は誰か聞いてみた。
「さっき俺にさ、昼ごはん出来たーって叫んだじゃろ?アレって誰の指示?」
「あー、山中センパイよ」
もっと難攻不落かと思ったが、若菜はあっさりと白状した。
「やっぱりな~。で山中はもうおらんし。若菜に指示だけして、とっとと3年1組に戻ったんかな」
「きっとそうかも。まあアタシも高校の吹奏楽部で、初めて上井センパイに同期の男子がいることにビックリしたというか、良かったな~って思って。その中でも上井センパイと山中センパイとの掛け合いって、メッチャ楽しくて。ああ、上井センパイに、中学の吹奏楽部でも同期の男子がいたら、山中センパイみたいな相方がいたら、もう少しノビノビと活躍されたんじゃないかな、なんて思ったよ」
「まあ…途中入部した時点で、竹吉先生には、貴重な男子の存在になる、とは言われたんよ。俺の前にバリサク吹いてた男子がいたらしいんじゃけど、お父さんの転勤でおらんようになったんじゃって。で、丁度帰宅部でフラフラしとった俺が竹吉先生の目に入って…」
「センパイ、吹奏楽部に途中入部される前は帰宅部じゃったん?初耳だ~」
「まあ、積極的には誰にも広報しとらんけぇね、帰宅部だったとか。もっと遡ると、帰宅部になる前は新聞部におったんよ」
「え?緒方中に、新聞部なんてあったの?これも初耳~」
「そう、あったんよ。俺、最初はそこに入ったんじゃけど、まあ理想と現実の違いを思い知らされて、早々に幽霊部員になってね」
「中学1年生が感じる理想と現実の違いって…いったい何?」
「いや、これを語り始めると、暗い過去を掘り返すことになるけぇ、凄い体力と精神力を必要とするんよ。また今度でもええ?」
「ああっ、はい…。とにかく上井センパイは、中1の時は色々大変で、中2で吹奏楽部に竹吉先生に引っ張られ、そこでも大変だったけど、高校でも大変な目に遭ってるということで…」
「…なんか若菜の言い方だと、わが青春は真っ黒みたいな感じじゃけど」
「まあいいじゃないですか!アタシはちょっと遅れて吹奏楽部に入ったけど、上井センパイはじめ皆さんのお陰で、まるで最初からいたように扱ってもらえてるし、メッチャ楽しい親友も出来たし。何より部活に来るのが楽しいもん」
「ホンマに?」
「ホンマに。ホンマのホンマ」
「嬉しいこと言ってくれるなぁ…。ありがとう、若菜」
「どういたしまして」
若菜は何気なく言ったが、来るのが楽しい部活作りは、俺が部長になる際に一番重要に思ったことだ。だから嬉しく感じたのは、心の底からの本音だった。
「さ、センパイ、最後の挨拶を。お昼はシチューだよ」
「おお、いい匂いがするな~。その前に…山中~」
「おぉ、ウワイモ、元気か?」
「イモは余計じゃっつーの。若菜に何させとるんよ」
「いや、何事も経験を積まないと一流のフルート部員にはなれんよってことで、獅子が子を谷に落とす心境でのぉ」
「何が獅子だよ、俺の鼓膜が破れるかと思ったわ。山中の獅子は、ライオンの方じゃなくて、てんやわんやの方の獅子じゃろ」
「おお、若菜さんナイス!美声をウワイモの耳に響かせたんじゃね」
「渾身のボケをスルーすんなって。美声を通り越して犠牲になったらどうしてくれるんよ」
「大丈夫、鼓膜は再生されるらしいけぇ」
この俺と山中のやり取りを聞きながら、若菜はもちろん、他の部員も笑いをこらえるのに必死のようだったが、俺はボケつつも真面目に山中に文句を言っているつもりだった。
そんなやり取りを止めたのは、福崎先生だった。
「上井、山中、漫才はそろそろ止めて、昼飯にしてくれんか?」
「あ、先生、スイマセン。ただ山中がですね」
「まあまあ、続きは食べてからにしてくれや。まず上井の一言、頼む」
先生も笑いを堪えているようだった。
「えー、では個人的には不本意ですが、最後の昼食を頂きましょう。シチューのお代わり、ある~?」
シチューの所にいた太田が、あるよ~と答えてくれた。
「お代わりもありますんで、最後のご飯、目一杯食べて下さい!では合掌…。頂きまーす」
部員の声が響き渡り、最後の食事が始まった。俺も食事の際の自席に座ったが、その席が山中の隣だ。
だが山中と引き続きバトルしようとは思っていなかった。
「山中、ありがとうな、最後の昼飯を盛り上げてくれて」
「ん?俺はそんな深くまでは考えとらんよ」
「ええんよ。結果的に楽しく終われそうじゃけぇ…」
「それより上井、明後日の朝9時、忘れるなよ」
「ああ、もちろん。でもそろそろ、俺の相手になる秘密の女子を明らかにしてくれてもええんじゃない?」
「いや、当日までやっぱり秘密。その方が盛り上がるじゃろ」
「まさか、本当はいないとかいうオチは…」
「そんなことはないけぇ、安心してくれや。大体言い出したのは広田と太田ってのを忘れんとってくれや」
「そうじゃったな。じゃ、安心して寝坊せんようにするよ」
最後の昼ご飯も終わり、残すは片付けと閉会式になった。
(もうひと頑張りか!)
<次回へ続く>
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