第55話 -合宿最終日・モヤモヤ解決か?-

前田先輩は俺の行動に驚きつつも、やんわりと


「ダメ…。キスって、付き合ってもない男女がしちゃ、いけないよ…」


 と言って俺の要求を、少し仰け反りながら断った。俺はふと、我に返った。何してんだ、俺は。今朝前田先輩を心配させておいて…。


「…そ、そうですよね。ごめんなさい、前田先輩。つい、俺…。なんだか…何してんだろ…」


 俺は前田先輩から手を外し、しばらく自分の暴走を反省していた。

 前田先輩も所在なさげに座っている。自分の行動が、結果的に俺を暴走させてしまったことに、何となく残念そうな雰囲気だった。


「あっ、朝ご飯!たっ、たたた食べに行きましょう、先輩!」


「そっ、そうよね、もう時間だしね!」


互いに辿々しい話し方で、無理矢理話題を変えた。


「でっ、でも、俺と2人で行ったら、ヤバそうだから、先輩、さっ、お先にどうぞ!」


「う、うん…。そうするわ。先に行ってるね…」


 前田先輩が先に立ち上がり、待合室から出た。

 朝日に照らされ、Tシャツの背中には薄いピンクのブラジャーが透けて見えた。


(昨夜は白だったから、シャワーの時に着替えられたんだな…)


 こんな平常心を欠くような状態でも、勝手に背中に透ける下着に目が行く男の本能に、俺は自分自身を嘲笑いたくなったが、一刻も早く冷静に戻り、朝食の教室に行かねば、また上井はどこかに行ったと言って騒がれてしまう。


 一度顔を洗い直し、考え方を落ち着かせてから、俺は3年1組へと向かった。


 既にD班による準備は整っており、福崎先生も到着されていた。


「上井、遅いぞ~。シャワーしながら寝とったんじゃないんか?」


 伊東にそう突っ込まれてしまった。


「いや、朝のシャワーって冷たいけど、朝日を感じられて気持ちいいよ!長居しちゃってすいません。D班のみんなも準備ありがとう。では先生も揃っておられるので、合宿4日目の朝食、頂きましょう、合掌~」


 そう言って薄目で前田先輩を探したら、何事も無かったかのように末田の隣に座っていた。


(さすがだな…。こういう部分で1才の年の差が出るんだろうな…)


 朝食はバターロールに牛乳、コーンサラダというメニューだった。


「ウワイモ、昨夜はあんまり寝てないんじゃろ?」


 いつもの山中の隣に座ってパンを食べ始めたら、山中が声を掛けて来た。山中は俺の失踪騒ぎを知らないはずだが…。


「あっ、ああ…。まあこの3泊、しっかり寝た日が少ないかな?いや、初日は疲れて爆睡したっけ」


「でも睡眠サイクルがメチャクチャじゃろ。夕べは何回か俺、トイレに起きたんじゃけど、いつ見ても上井の布団は誰もおらんかったけぇ、まさか徹夜で誰かの相談に乗っとったんかと思うてさ」


 少なからず俺はドキッとした。

 山中が瀬戸のように、他の誰かに相談したら、もっと大ごとになる所だった。


「昨夜はな…。先生の所におったんよ」


 俺は先生に心の中で謝りながら、アリバイ工作に福崎先生を使わせてもらった。


「先生?」


「絶対秘密じゃけぇ、小声で頼む」


「あっ、ああ…」


「レクの後、音楽室を片付けて、準備室に挨拶に入ったら、まあ飲めって、ビールを注いで下さってな…」


「マジか。ええなぁ…。いや、ホンマはアカンのじゃが、ええのぉ…」


「何杯か頂いて、あーでもない、こーでもないと話しとったら、いつの間にか寝てしもうてさ。先生には迷惑掛けたよ」


「ホンマか?」


「まあな。で、朝起きて、体育館へ直行したんじゃけど、これは俺と先生だけの秘密じゃけぇ、山中に話したんは超特別なんよ。じゃけぇ、誰にも言わんとってくれ、頼む」


「わ、分かった。そうじゃの、校内での飲酒がバレちゃ、先生もお前もヤバいじゃろうし。誰にも言わん。約束するよ」


「助かるよ、山中…」


 アドリブで話を組み立てた俺の体中を、冷や汗と脂汗が流れていく。俺は素直に2年7組で悩みながら寝てしまい、早朝に大村達に発見されたと白状するべきだったのだろうか?


 なんとなく大人になるということは、誰かに隠し事をする出来事が増えていくことなのかな、そう思わずにいられなかった。



 そして朝食も終わり、D班に片付けを依頼した後、俺は男子部屋で少し休憩しないと帰宅するまで体が持たないと思い、男子部屋へ向かおうとした。


 その時、2つ隣のクラスで食事を摂っていた女子バレー部と丁度タイミングが合い、片付けようとする集団とすれ違ったのだが、1年生の女子部員にはある程度俺の顔が判明しているのか、次々とおはようございます!お疲れ様です!と、目を見て挨拶された。


 俺も気圧されながら返事はしたが、笹木部長の教育は行き届いてるな~と感心もした。今は気付かなかったが、瀬戸が片思いしていると思われる矢野さんもいたのかな?

 1年女子の礼儀正しさとは対照的に、俺と面識のある2年女子は上井くーん、おはよー!お疲れー!と大きな声で話し掛けて来る。

 中でもユーモア担当の田中は、また俺に飛び掛かりそうな勢いだったので、後ろで笹木が引き留めていて、まるで猛獣使いのようで思わず笑ってしまった。


「上井君、昨夜はゴメンね、話が長引いちゃって。大丈夫だった?その後の予定とか…。用事があるって言っとったじゃろ?」


 笹木がそう声を掛けてくれた。


「うっ、うん!ご心配なく!」


「そう?じゃ、良かった…。じゃ、またね」


「うん、練習頑張ってー」


 笹木に連れられた田中は、なんでアタシは上井君と話せないの?と文句を言っていたようだが、笹木が、タナピーが喋ると長くなるでしょ!と窘めていた。


(女子バレー部も面白いメンバーだよな…)


 そう思って見送ったら、


「あの、上井君…」


 と再び声を掛けられた。え?女子バレー部はもうみんな行ったはずなのに、誰だ?と思って振り返ると、野口真由美だった。


「あ…野口さん」


「上井君…。お話してもいい?」


「う、うん」


 朝の合奏前に少し休憩したかったが、相手が野口となると、話は別だ。前田先輩とは、最後は綺麗な終わり方ではなかったが、一応昨夜の件について話すことが出来たし。

 昨夜の件で思い残すことがあるとしたら、野口の件だからだ。


「空き教室、入ろっか」


「そうだね」


 丁度真横にあった、3年6組の教室を間借りして、俺と野口は向かい合うように座った。


「まず上井君、昨日は…ごめんね」


 早くも野口は、泣きそうになっている。


「野口さん、泣かないでよ。女の子に朝から泣かれたら…辛いよ」


「でも、アタシさ、この合宿でさ、上井君のこと、沢山、沢山傷付けた。本当にごめんね」


「いや…」


「せっかく仲直りしたのに、昨夜なんてまたアタシがしつこく絡んで、チカと仲直りしろって…。チカが上井君と喋れたって喜んでるのを見たら嬉しくて、上井君の気持ちも考えずに、ごめんね」


「…野口さんの気持ちも分かるよ。夕べは俺も悪かった、ごめんね。結局、神戸さんに対する俺の態度でしょ?傍から見てて歯痒く感じるのは仕方ないよ。ましてや神戸さんとずっとタッグ組んでる野口さんだもん、じれったく感じる方が当たり前だよ」


「でもね、だからってアタシの言い方はキツかったでしょ?だから上井君も一度は声を荒げちゃった…というか、荒げさせちゃったから」


「アレは俺の汚点だよ。女の子相手に、いくらイライラしたからって、怒鳴ったりしちゃいけないのに。俺も謝るから…。これでオシマイにしよう。ね?」


「えっ…いいの?」


「いいんだよ。後は俺が立ち直っていけばいいんだし、神戸さんも少しずつ俺に慣れてくれればいいんだ」


「上井君がそこまで言うなら…。じゃ、一つ目はオシマイってことで、ありがとう、上井君」


「うん。で、もう一つあるの?あ、もしかしたら…」


「…うん。こっちの方がアタシの罪は深いと思う。本当にゴメンね、上井君」


 野口は、更に暗い顔になって、謝罪の言葉を口にした。


「…でも、その約束時間のほんのちょっと前に、あまりスッキリした終わり方をせずに別れてさ、それからそんなに時間も経ってないのに…。俺に会いたくないよね」


 元々は3日目の夜になかなか寝付けなかったら、野口が11時30分に男子と女子の階の間の踊り場で、俺を待ってるから…と声を掛けられたのがこの話の発端だ。


 だがそれ以前に、3日目の夜のレク直後に、野口が俺と神戸の関係が改善されたと聞いて、喜んで俺に声を掛けてくれたのに、何故かその話が不穏な方向へ行ってしまったのが、昨夜の捻じれ現象の原因だ。


「でもね、アタシはもしかしたら上井君が階段に来てくれてるんじゃないかなって思って、ソッと覗いたんだよ」


「え?マジで?」


「うん…。そしたら本当に上井君、踊り場で待っててくれててさ…」


 そう言うと野口は再び涙が溢れてきていた。ハンカチを持っていないのか、Tシャツの裾で涙を拭おうとするので、慌てて俺はハンカチを貸した。


「ゴメンね、ありがと。女がハンカチ持ってないって…嫌にならない?」


「え?俺はそんなことは何とも思わんけど?」


「上井君は優しいね、やっぱり。ちゃんと洗って返すね」


「別に洗うほどじゃないよ。気にせんでもええのに」


 涙を拭いつつ、少し落ち着いたところで、野口は再び話し始めた。


「だからね、アタシ、上井君のおる踊り場に降りようかと思ったの。だけどね、心の中でどうしても引っ掛かりがあってね…」


「そりゃそうだよ。俺も変な話じゃけど、野口さんが来るはずない、って思いながら1時間ほど待ってたんよね。何してんだろ、だよね」


「あのね、もしアタシが昨日の夜、拘りとか捨てて上井君の待つ踊り場に行ったら…。上井君はアタシをどうしたかった?」


「へっ?どうしたいか?なっ、何、その質問…」


「…あんまり女に言わせないでよ。殆ど暗闇の階段の踊り場で、男子と女子が秘密に会うんだよ?…上井君、アタシに手を出す?」


 突拍子もない質問に、俺は思わず怯んでしまった。野口はかなり大胆に踏み込んだことを聞いてきている。


(前田先輩とは真逆だな…)


「おっ、俺は…」


「…うん…」


 俺はどんな答えが一番安心して着地できるか、何度も考えてから答えた。


「その時にならないと分からない」


「…そ、その時?」


「うん。今は明るくてこれから1日始まるよーって時じゃん。そんな時間帯だと、その、女の子をどうこうって、あまり考えにくいというか…」


「…上井君はやっぱり上井君だね」


「え?」


 必死に考えたのに、この答えじゃダメなのか?


「アタシを傷付けないように、一生懸命に選んでくれた言葉だよね。だから上井君らしいって思ったの。同時にね、あの…そういうことになる可能性を否定してないでしょ。上井君の本音を、アタシ向けにオブラートに包んでくれたのかな?」


「うーん…。じゃ、包まずに正直に言うよ。俺だって男じゃけぇ、女子を見たらつい背中やお尻を見ちゃう。でもオクテじゃけぇ、背中やお尻から何かが透けて見えたり、ラインが浮き出てたりってのを見た後、その当事者の女の子と話すことがあると、物凄く罪悪感を感じちゃう。さっきはごめんなさいって。でも物凄く脳裏には焼き付いちゃうよ。その逆もあるのかな、女子が男子の何かを見て、脳裏に焼き付くとか。まあ合宿も3泊4日の缶詰めなんじゃけぇ、これだけの若い男女がおれば、性別問わずムラムラするタイミングがあるかもしれんじゃろうし、ひょっとしたら夜中に1人で発散しとる部員もおるかもしれんよね。個人的に男女2人で…ってのは、あってほしくないけど、勢いでそうなる可能性もゼロではないのかなぁ。なんか何言ってんのか俺自身もよく分かんないけど、そんなとこかな」


「上井君が、そこまで話してくれるとは思わなかった」


 野口は少し照れながら、そうポツリと話した。


「えーっ、喋りすぎた?あちゃ…。控えめにしとけばよかった…」


「でも…。上井君の本音でしょ?合宿とかだと…性の問題って、避けて通るよね、みんな。興味はあるくせに。だから…つい上井君ならアタシをどうした?って聞いてみちゃったけど、多分上井君はね、絶対にアタシに手は出さないと思う」


「そう?」


「うん。上井君、今言ってたけどさ、ブラが透けて見えたり、パンツ?ブルマかもしれんけど、お尻にラインが浮き出てるのが見えたりしたらつい見ちゃうって言ったよね」


「う、うん…」


「女子は大体、ブラが透けてたり、見えてるってのは分かってるから、そんなに罪悪感は感じなくていいと思うよ。ま、お尻は分かんないけど」


「そんなもんなの?」


「そんなもんよー。透けて見えてもいいように、ちゃんとしたブラを選ぶんじゃけぇ、女子は」


「なるほど…」


「フフッ、上井君って、やっぱりオクテなんじゃね」


「えっ…。まぁ、自分でそう認めてはおるけどさ」


「この話しとる間、ずーっと顔が赤かったもん」


「なっ…。うーん、野口さんに1本取られたな、この時間は」


「アハハッ。…でも良かった。アタシ、合宿中に上井君を何度も傷つけちゃったから、本当は上井君に嫌われても仕方ないって思ってたの。でもこうやって喋ってくれる。それだけで嬉しいの、アタシ」


「嫌うだなんて…。今までにそんなことを思ったのは、神戸さんだけ、ただ1人だよ」


「え、やっぱりチカとは絶縁するつもりじゃったん?」


「あれ?なんか誘導尋問っぽいけど…。去年、大村と付き合い始めたのを知った頃は、一番彼女のことを憎んでたからね。この先の人生で一生喋ることは無い、絶縁だ、そう決めてたんよ」


「そうなんじゃね。でも1年経ったら…」


「1年も経つと、腹立つ気持ちを維持し続ける方が難しいね。ハハッ」


「ホントに…。これから1年後、来年の今頃は、上井君とチカはどんな感じなんだろ」


「分かんないよ~。ただ、これだけは言える」


「えっ、何?」


「復縁は…ないよ、きっと」


「…そっか」


「今より話せるようになってても、復縁はないよ。大村を敵に回す度胸は無いし」


「ま、色々複雑な思いが絡まり合うよね、上井君とチカの間だと…。じゃ、新しい恋を探してるか、もしかしたらアタシも分からない新しい彼女がいるかもしれないね、来年の今頃」


「そうならいいけど、うーん…。どうだろうね。自分から告白するのが怖いっていう症状を治さないとね」


「そんな症状、好きで好きで堪らない女の子が出来たら、吹っ飛ぶよ。アタシも応援するけぇ」


「ありがとね。頑張ってみるよ…」


 俺はそれが若本なら、可能性があるかもしれない、と思ってしまった。だが野口は違う角度から、そう上井を励ましているのだった。


 …野口自身のことを、上井に好きになってほしい、そう願っているのを知るのは…、野口ただ一人だった。


<次回へ続く>

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