第53話 -合宿最終夜③失踪-

 夜も遅いので、なるべく足音を立てないようにして、男子階と女子階を繋ぐ階段に、俺は移動した。移動中も、気分は落ち込むばかりだ。


 廊下も階段も非常灯の明かりと月明かりしかなく、足元は見えにくい。

 奥を見ると、まだ男子部屋の明かりは点いていたが、そんなに話し声は聞こえなかった。みんな疲れて寝てしまっているのかもしれない。

 そのまま少し階段を上がってみたが…


(こんな所に野口さんがいる訳ないよな)


 踊り場まで上がったが、やはり誰もいなかった。


(やっぱり、こんな電気を点けなくちゃいられない怖い所に、女子が1人でいる訳ないよ…。野口さんがいるなら、逆に電気が点いてるはずだよな)


 そう思い、合宿3日目の夜は、それまでが楽しかったため、間接的に前田先輩の怒りを感じてから一気に奈落の底に突き落とされたような気持になり、俺は誰もいない階段の踊り場に座り、しばらく頭を整理したら、涙が溢れてきた。

 自分の不甲斐なさ、時間の守れなさ、前田先輩を裏切る形になってしまった背徳感、野口を傷付けた罪悪感が一気に俺を襲う。


(結局今回の合宿は、多くの人に助けてもらっているのに、俺がいい加減だから、最後にこうやってしっぺ返しが来るんだ…。他人に時間を守れとか言いながら、そういう俺はいつも練習時間はギリギリだったし、夜の話し合いの待ち合わせも遅れてばっかり。先生や部員に頑張っていると言われていい気になって、天狗になっていたんだろうな。そんな馬鹿の鼻をへし折るいい機会になったよ…)


 俺はしばらく暗闇の階段の踊り場に座っていたが、誰かに見付かるのも恥ずかしい。かといって泣き腫らした顔で男子部屋に戻るのも抵抗がある。


 色々考えて、俺は自分のクラスに移動した。


 2年7組なら、階数こそ女子の部屋と同じ2階だが、女子の部屋になっている1年1組、2組とは離れている。

 窓際に座ると目立つから、廊下側の席に座ればいい。

 クラスでの数少ない友人、三井の席が廊下側だったので、三井の席を借りて朝までそこで過ごそうと思った。


 椅子を引く時も、音を立てないように椅子を浮かせて移動させてから、座った。


 真っ暗な教室に、月明かりだけが注ぎ込む。時折同じ階の女子部屋から、歓声が聞こえてくるが、何か楽しい話題で盛り上がっているのだろう。その声には前田先輩や野口、神戸の声も入っているのだろうか…。


 ちなみに女子バレー部は3階が部屋に充てられているので、女子バレー部の面々と会う可能性は低い。

 少し安心して俺は机に突っ伏したが、明日の朝、前田先輩や野口に会ったら、どう釈明すべきか。

 逆に向こうから先に、何で時間を守らなかったのだとか、自分勝手だとか、問い詰められる可能性もある。


 無理やり寝ようとしても、次々とどうすればいいんだ?という自責の念が俺を襲い、眠らせようとはしない。


 突っ伏していた顔を上に上げ、暗闇の教室を眺めてみたが、答えが出て来る訳でもなく、後悔の念が押し寄せて来るばかりだ。


(先生に勧められて調子に乗って1杯飲んで、直後に野口さんに捕まって感情的になって…。笹木さんとの話し合いに遅刻して。笹木さんは笑って許してくれたけど、笹木さんと昔話で時間を忘れるほど話し込んで…。結局忙しい自分自身に酔っていい気になって、前田先輩との約束の時間を守らない自分が全部悪いんだ。…こんな悩み、誰に相談出来るってんだよ。最低だ。…消えたいな。消えてしまいたい…)


 俺は考えれば考えるほど、多くの人に迷惑を掛けながら平気な顔して生きているような気がして、罪悪感が増す一方だった。

 三井の机に両手を組んで、その上に顎を載せて考え事をしていたが、後から後から涙が溢れて来る。


(このまま消えたいな…)


(…消えてしまいたい…)


(…消えたい…)


(……)


(……)





「いました!上井センパイ、2年7組にいました!」


(ん…?夢か?呼ばれているような気がする…)


「ホンマに?良かった…。どっか行っちゃったかと思って心配したじゃない…」


(うーん、誰の声?女の人?ここは何処だ?)


 ハッと目を覚ました。


 俺の周りには、若本、前田先輩、野口、大村、瀬戸がいた。外は既に明るくなっていた。


「えっ…。ここは何処?」


「上井…外泊届を出してから他の部屋で寝てくれよ…。ここは2年7組」


 そう言ったのは大村だった。大村もあまり寝ていないのか、目が充血している。大村独特の言い回しで、俺を発見したことに安心してくれたようだ。


「ご、ごめん…なさい…。今、何時?」


「今は、朝の5時半です」


 冷静に瀬戸が答えてくれた。


「俺、ここで寝てたんだ?」


「そうです。昨夜、男子部屋を消灯する時に、上井センパイがまだ戻ってなかったんですけど、いつものことだと思って、そのまま電気を消したんですよ。でも俺、ちょっと明るくなってきた4時半にトイレに起きたら、上井センパイの布団が誰もいないままになってて…」


「そこで俺が起こされてさ」


 大村が言った。


「上井がなかなか寝室に戻らんのはよくあることじゃけど、朝まで帰ってこないなんてどうもおかしい、そう思って、失礼を承知で女子の部屋に上がってみたんよ。もしかしたら万が一で、女子の部屋で寝とる可能性があるんじゃないかと思って」


「そしたら、アタシと目が合ったんですよね」


 若本が反応した。


「最初はビックリして、思わず大声が出そうになったけど、よく聞いたら上井センパイが行方不明だって…」


 そこで若本が少し目を潤ませた。


「で、まずは俺と瀬戸と若本で、上井がいそうな場所を探したんよ。よく上井が捕まる場所、自販機の前とか、シャワー室とか、食堂教室とか、あるいは音楽室とか、その横の階段とか」


「でも見付からなくて…。アタシ、心細くなって、前田先輩を起こしたんです。上井センパイが行方不明なんです…って」


「うん…。アタシ、上井君がいなくなる原因に心当たりがあったから…。すぐ起きて、一緒に探したの。あと野口さんも起こしたよ。よく上井君と話してるから、何か知らないかなと思って」


「ビックリしたよ、アタシ。確かに昨夜、ちょっと余計なことを言っちゃったけど、まさかそれを苦にして…って最悪なことも一瞬頭を過ぎったもん」


 女性3人は涙ぐみながら、俺を探してくれた話を聞いて、やっと全体像がみえてきた。


 俺は昨夜、自分の情けなさがほとほと嫌になって、誰もいない教室にやって来て、考えをまとめようとしたんだった。だが真っ暗な教室では何を考えてもマイナスなことばかりに頭が作用してしまって、多分涙が止まらないまま、いつの間にか寝てしまったんだろう…。


「きっと…アタシがキッカケよね?上井君…」


 前田先輩がそう言ってくれた。


「前田先輩…。いえ、悪いのは俺ですから。ごめんなさい」


「え?上井と前田先輩の間で、何かあったん?」


 大村が不思議そうに聞いてきた。


「簡単に言えば…俺が時間にルーズなのがいかんのじゃ」


「ううん、アタシがもう少し上井君を信じてれば、こんなことにはならなかったのよ」


 俺と前田先輩がお互いに謝り続けているので、大村をはじめとするメンバーは、頭の中が混乱しているようだった。


「あのさ、上井…。前田先輩と、何か約束しとったん?悪いけど、時系列で話してくれよ」


「すまん、訳分らんよね、傍から聞いとったら。順に話すと、実は俺、毎晩9時半に、女子バレー部の部長の笹木さんと、部長同士の意見交換会をやっとったんじゃけど、昨日は諸事情でちょっと遅れたんよ」


「あっ!アタシが、悪いんだね…元はと言えば…」


 野口が発言したが、俺は今はいいからと、手で制した。


「で、その意見交換会の後に、前田先輩に時間を取ってもらって、俺の個人的な相談に乗ってもらう予定じゃったんよ」


「え?上井君…違わない…?」


 上井は前田先輩を庇っていた。だが構わずに上井は喋り続けた。


「大体30分ほどで意見交換会は終わるけぇ、10時過ぎくらいにシャワー室の中の待合所におって頂けますか?って前田先輩にお願いしたのに、俺と女子バレー部の部長との話が終わったのが10時半でさ。猛ダッシュしてシャワー室に向かったけど、前田先輩はいらっしゃらなくて。当たり前だよな、忙しい中、俺なんかのために時間を空けてくれたのに、頼んだ張本人がいつになったらやって来るのやらなんじゃけぇ…。だから前田先輩はきっと呆れて、寝室に戻られたんだと思う」


「う、上井君…。まぁ、昨夜の時点では、上井君の言うとおりになるけど…」


「でも俺、一応11時30分近くまでは、シャワー室の待合所におったんよ。もしかしたら、前田先輩が来て下さるかもしれないって思って。でも11時半に諦めたんじゃ」


「11時半?それはまた何か理由があっての時間?」


 大村が系統立てて、俺の行動を分析している。


「ああ。ある女の子と約束しとった。眠れなかったら、11時半に階段で待ち合わせしようって」


「えっ!…上井君…」


「だけど階段に着いたら真っ暗でさ。それ以前の廊下も真っ暗じゃけど。こんな真っ暗な所に女の子が来るわけないと思ったんじゃけど、もしかしたら眠れない…って言って、やって来るかもしれない。じゃけぇ俺は真っ暗な階段の踊り場で1時間ほどその女の子を待った」


「……」


 野口を横目で見たら、泣いていた。


「でも1時間経っても来ないし、日付も変わったし、無事に眠れたんだろうなと思って、俺も男部屋に戻ろうと思ったんじゃけど…」


「おお、そこら辺が鍵っぽいな」


「ああ。暗闇で1人でポツンとおると、マイナスなことしか考えんというか。前田先輩との約束に遅れた自分に腹が立つし、よく考えたら俺って、この合宿中も誰かと時間を決めて会う約束に、ことごとく遅刻しとるんよ。そんな自分が情けなくなってさ。そんなんじゃけぇ前田先輩に嫌われるのも当たり前じゃと思うたし、このままじゃみんなに時間を守れなんて偉そうなことを言えなくなる。そう思ったら、自分で自分のことをもっと反省せんにゃいけんと思って…」


「それで、男の部屋に戻らず、上井自身のクラス、2年7組に来たの?」


「まあ、ね。で、ずっと考えとったんじゃけど、いつの間にか寝てしもうたみたいで…。皆さんには朝早くから迷惑掛けました。このとおり、許してください」


 俺は5人に深々と頭を下げた。


「いいよ、上井君。頭を上げてよ」


 と野口が涙声で言ってくれ、


「上井君は…誰にでも優しいけぇ、最後は自分が傷付いちゃうんよ。辛い時は無理しなくていいし、教えてね?」


 これは前田先輩の言葉だ、


「センパイは…抱えてるものが多すぎます!少しアタシ達に分けて下さい!」


 これは若本が言った言葉だ。


「うん…。上井はさ、全部自分で抱えちゃうから、逆に行き詰った時に逃げ場がなくなるんだと思う」


 大村が意見をまとめるように、言ってくれた。


「例えば女子バレー部の部長との意見交換会とかさ、上井が時間が厳しかったら、俺とか村山、神戸さんに代わりを頼んでもええ訳じゃし。部長は去年さ、1年7組で一緒だった笹木さんじゃろ?それなら俺だって面識あるし」


「そうだよな。昨日、大村が開いてくれた役員会で、少しは俺もやり方を変えようと思ったんよね。でも昨夜はまあ、なんとかなるじゃろと思ってたのと、内容が個人的過ぎたのとで、自分で終わらせようとしたんよね…」


「まあ個人的な内容は、俺が代わりに…とはいかんけどさ。それでも上井が一晩おらん、っていうだけで、まだ朝の5時台なのにみんなが起きて上井を探してくれる訳だ。それだけ上井は人望があるんよ。羨ましいけど」


 という大村の言葉に、少し笑いが起きた。


「じゃけぇ、昨夜の上井の心境ってのは俺には分かんないけど、自分で自分を追い詰めるようなことは、やめなよ」


 他の4人も頷いた。


「逆に…」


「ん?野口さん、どしたん?」


「アタシ、結構大村君とチカ…神戸さんのことで、上井君を追い詰めてたかもしれない。ごめんね、上井君」


「いや、大丈夫だよ。ありがとう。野口さんこそ、自分で自分を責めちゃいけんよ」


「もう、上井君のそういう優しさが…。ううん、これ以上言わない」


「うん、分かったよ。じゃあ、あの…前田先輩!」


「ん?」


 前田先輩は、俺の方ではなく、俺に背を向けるように立っていた。


「昨日の夜はすいませんでした。間に合わなくて」


「も、もう、いいよ。上井君の気持ち、伝わったから…」


 前田先輩はずっと俺に背中を向けていた。もしかしたら声が涙声だったので、涙が溢れていて、それを俺に見られたくなかったのかもしれない。


「残念なのは、もう合宿が終わるので、夜に前田先輩と2人で会うっていう、スリリングな体験が出来なくなることです」


「んもうっ、上井君ってば、何言ってんの?それぐらい…そんなの…」


 前田先輩はそれ以上、言葉が続かなかった。


 少しずつ時間が経ち、6時を回っていた。何となく他の部員や、女子バレー部の部員も起き出してきたのか、少しずつ校内が賑やかになってきたように感じる。


「あと瀬戸と若本、こんな変な部長で何の見本にも頼りにもならなくて、ごめんな」


「なっ、何を仰るんですか!アタシは部長が上井センパイで良かった、本当にそう思ってます。瀬戸君は?」


「俺だって。上井センパイみたいに、後輩にも親身に対応して下さる先輩は、俺、初めてですから」


「嬉しいこと言ってくれるね!何も出ないけど」


 大村がその場をまとめるように、


「じゃあ、上井失踪事件は無事解決ってことでいいね?」


「失踪?いや、消えようとはしとらんのじゃけど…」


「はい、張本人は黙る!そしてこの件は、今ここにいるメンバーだけの秘密ってことでよろしくです」


 みんな笑いながらハーイとか、分かったよとか、答えてくれた。


「じゃ、最後のラジオ体操に行こうぜー」


 新しい朝が来た。合宿4日目の朝だ。残り半日、頑張らねば…。


<次回へ続く>

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る