第42話 -合宿3日目・付き合ってないってば-
「上井君、本当に前田先輩とキスしとらんの?」
「当たり前じゃん。そんなことしたら、伊東に半殺しにされるってば」
午前の練習の休憩時間に、自販機へコーヒー牛乳を買いに行ったら、丁度末田とバッタリ出会った。若本は末田に、今朝の俺の言い分を説明したようだ。
「前田先輩にも確認したんじゃろ?」
「したわよ。でもさ…。うーん…」
末田はまだ納得がいってないようだった。
「だって深夜に食堂に明かりが点いてたら、誰が何してるのか、興味が湧くのも当たり前じゃん」
「だからって、イコール付き合っとる、キスするなんて、俺の性格考えてみてよ。出来る訳ないって。しかも前田先輩相手だよ?」
「そりゃあ、そうよね…。上井君といえばオクテで有名じゃもんね」
「そ、その言い方は辛いけど…」
そこへ前田先輩と伊東と出河が3人でやって来た。
「おっ、上井!俺の前田先輩に手を出したってのは、噂だけなんじゃろ?」
早速伊東は俺を見付けると、牽制してきた。
「当たり前じゃ!噂だけで伊東が殺気立っとるのに。手を出せる訳、ないじゃろ?」
「よし、了解。でもこれからもこんな噂が流れんように、気を付けること!ええね?」
「ははぁ、伊東様。承知いたしました」
ふと前田先輩を見ると、苦笑いしながら俺を見ていた。
(変なことになっちゃったね)
というような苦笑いの視線を、前田先輩が俺にしてきたので、
(末田のせいですよ~)
と、俺は目で返事したつもりだが、どこまで通じただろうか。
「でも末田さん、俺と前田先輩の噂は、まだサックスの中だけでしか流れとらんのじゃろ?」
「今はね。もし若本さんが、本当でした!って帰ってきたら、部内に大々的に流したかもしれんけど」
「こわっ!とりあえず良かったよ、今回の合宿はどうも俺に関する変な噂が発生してばかりな気がするけぇ…」
とは言ったが、俺自身が発信源となった噂もあることから、この先も慎重に行動しなくてはならない。
同時に今朝若本が漏らした、なんとなく俺に気があるような一言も、気になってしまう。
「じゃ、皆さん、また昼食でお会いしましょう〜」
と言い、俺は自販機の前から立ち去ったのだが、いつの間にかサックスの集団から離れて先回りし、壁の陰に隠れていた前田先輩が、俺に声を掛けてきた。
「上井くーん!」
「わっ!ビックリした~。前田先輩、いつの間にワープされたんですか?」
「みんながアタシと上井君のことで盛り上がってた時。ソッと抜けたんじゃけど、誰も気付かんかったね、上井君も」
「はっ、はい…。さすが先輩は大人だなぁ」
と、サックスの集団から見えなくなった辺りから、徐々に会話をしつつ、ゆっくり音楽室へと向かっていた。
「でもさ、アタシのせいで上井君にまた迷惑掛けちゃって、ゴメンね」
前田先輩は、両手を合わせるようにして、俺に謝ってきた。
「いいえ、とんでもないです!本音は嬉しいくらいですよ。前田先輩と噂になるなんて、光栄です」
「ホントに?」
「ホントです」
お互いに目を合わせ、自然と笑い合った。なんなんだろう、この心地好さは…。
石橋さんに、足の怪我の治療のために病院へ行く際に車に乗せてもらった時のような、年上の女性ならではの優しさに包まれる感覚だ。
恋愛感情とはまた違う、不思議な女性に対する感覚を、学んだ気がする。ひょっとしたらこれは生徒会役員の静間先輩にも通じるかもしれない。
「ところで上井君、夜は結構忙しいのかな?」
「えっ?なんでです?」
「今朝、結構な寝不足の象徴が目の下に出来とったけぇね。メイクで隠してあげようかと思ったくらいよ」
「あー、そうですね。昨夜、前田先輩と別れた後にシャワー室へ行ったんですけど、そこで1年の女子に覗き魔と勘違いされて…」
「え?上井君が覗き魔?」
「そうなんですよ。タイミングが悪くて。シャワー室の前で1時間ほど尋問を受けてました」
「フフッ、1時間だなんて。でもそれも1年生が上井君に親しみを感じてる証拠かもしれないよ?」
「そうですかねぇ…。最初は凄い剣幕で、俺、本当に捕まったら殴られるって思いましたから」
「うーん…。実は本当に覗いたんじゃないの?なーんてね」
「前田センパーイ…」
「冗談よ。でもアタシと別れたのが、もう日付が変わりそうな頃だったもんね。寝るのも遅くなったんじゃない?」
「そうなんですよ。最後に時計を見たのが2時なんですよね。お陰で朝方は眠くて堪りませんでしたけど、今はなんとか頑張れてます」
「そう?なら良かった。今夜さ、上井君を予約したけど、予約時間は何時頃にしとけばいいかな?早目がいい?」
「そうですね、もう話すネタもないとは思うんですけど、女子バレー部の部長との意見交換会が例によって9時半からありますので、その後にしませんか?」
俺は野口が11時半に階段で待ってる、と言ってくれたことが、絶対に無視できない、この合宿最後の夜の用事だと思っていた。笹木と話して、その後野口の待つ階段へ行く間の時間なら、大丈夫だろう。
「じゃあ10時頃かな?」
「そうですね。場所はどうしましょう。昨夜は末田に見付かっちゃって面倒なことになりましたもんね」
「そうだね…。いっそ堂々と、シャワー室の中の待合室とかどう?」
「シャワー室ですか?!」
これまた俺が昨夜、覗き魔と間違われた因縁の場所だ。
だがシャワー室の玄関を上がってすぐの所にある待合室は、逆転の発想で良い場所かもしれない。
恐らくシャワー室に一気に人が来た時用に作られた簡素な作りの待合室だが、畳の小上がりもあり、ドライヤーや扇風機もある。男女の区別なく使えることになっているので、誰に見られても不審がられることは無い。
「じゃあ俺が女子バレー部の部長との話し合いが終わったら、シャワー室へ行けばいいですね。ついでに着替えでも持って」
「そうそう。アタシは一足先に、シャワーを終わらせて、上井君を待ってるから」
わ、またシャワー後の前田先輩と喋れるのか!2日続けてあの色っぽさを間近に見られるなんて、幸せ者だなぁ、俺は。
「じゃあ夜はそんな感じでお願いします」
「アタシこそ。よろしくね」
休憩時間にジュースを飲みに行っただけで、色んな出来事が怒涛のように襲ってきた気がする。
その分、長いこと休憩してしまった。
音楽室に戻ると、広田や宮田が懸命に難しいフレーズを練習している。なんだか申し訳ない気持ちになった。
(さて俺もティンパニの自由曲をもう少ししっかりと練習しないとな)
若菜から昨夜、中学時代に後輩女子から俺がモテていた理由の一つに、練習熱心な所というのがあると聞いたばかりだ。
その原点に戻って、残り少ない合宿での練習を、実のあるものにしなくては…。
マレットを選び、ティンパニの音階を調節し始めたら、広田と宮田が突然俺の方を振り向いた。
「えっ、な、なんでしょう…。お2人揃って俺をガン見だなんて…」
<次回へ続く>
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます