第41話 -合宿3日目・障子に目あり-

「センパイ、ちょっとだけ、いいです?」


「ああ、いいよ」


 食事の片付けが終わり、A班の解散を宣言した後も、俺と話したいという視線を放っていたのは、若本だった。


「どこで話す?ここでもいい?」


「いえ…出来ればあまり他の人に聞かれたくないので…」


「そっか。じゃあ、音楽室の横に階段があるの、知っとる?」


「あ、はい。屋上に通じてるのに開かずの扉になってるという噂の…」


「そうそう。その踊り場に先に行っててくれる?A班の解散は宣言したけど、教室の最終チェックしてから、俺も向かうから」


「分かりました。待ってますね」


 若本はそう言い、先に階段へと向かった。


 なんとなく昨日より元気が無いように感じたのは気のせいだろうか。


 俺は食堂教室3年1組に、忘れ物などないかを確認してから、若本が先に向かった階段へと出向いた。若干元気が無いように見えた若本の様子が気になり、自然と早く歩いていた。


(去年は野口さんとよく利用したよな…。逆に野口さん以外の部員とは使ったことあったっけ?)


 朝食直後だけに、まだ音楽室には誰も来ていない。

 3日目の朝ともなると、9時の練習開始ギリギリまで寝室で休憩している部員も多いのかもしれない。


 いざ階段に着いて踊り場まで上がってみると、若本がチョコンと2段目に座っていた。


「あ、センパイ。来てくれて良かった…。ここに1人でいると、なんか不安になりますね」


「ま、まあ、慣れない場所だとそうかもしれないね」


「センパイは何かの時に使われたりするんです?極秘の相談事とか、1人になりたい時とか…」


「俺は…。そうだね、ある部員の悩みの相談を受けたり、ちょっと色々煮詰まったりした時に1人で考えたい時とか、ここに来るかな」


 遠回りな表現をしたが、嘘ではない。


「アタシは初めて…。大村先輩と神戸先輩が、隠れてチューとかしてそうですね」


「ちょっ、若本!俺の傷を抉らないでくれよ~」


「あはっ、つい調子に乗って…ごめんなさい」


 そういう若本は、何とかして自分自身のテンションを上げようとしているようにも見えた。


しかしこの場所は、大村が去年の文化祭後に正式に神戸に告白し、神戸も告白を受諾した、良くも悪くも俺にとって忘れられない所でもあった。だから若本の発言は、ちょっと胸に刺さる感じがしたのだ。


「ところで、他人に聞かれたら困るような話って、何?昨日は特に何もなかったじゃろ?今朝も普通じゃと思いよったけど、何か身の回りに起きた?」


「あっ、あのですね…。実は…」


 ここまで言いながら、若本は顔を赤くすると、俯いてしまった。一体どうしたというのだろうか。


「どしたん?ここには若本と俺しかおらんのじゃけぇ、気にせずに言ってみ?」


 若本はまだ躊躇していたが、意を決して俺にこう告げた。


「…センパイ、前田先輩とキスしたって、本当ですか?」


「へ?」


 俺は呆気にとられた。

 確かに昨夜、不意打ちで頬にキスされたが、そのことを指しているのだろうか。


「俺が?前田先輩と?まっさかー!そんなことしたら伊東に半殺しにされるし、あんな高根の花のお姉様とキスなんか出来たら、喜びのあまり失神するよ、俺は。誰か他の人と勘違いしとるんじゃない?」


俺は警戒しながら、そう言った。


「でっ、でも、目撃者がいるんです!」


「目撃者だって?」


 俺は嫌な汗がジワリと背中に流れるのを感じた。


「前田先輩、昨日の夜は割と早くシャワーに行かれたのに、全然帰って来られなくて。まあ何処かで誰かと話してるんだろうと思ってたんですけど…」


「う、うん…」


「センパイ、昨日の夜、食堂教室におられましたか?」


「食堂…3年1組に?」


 なんとなく既に外堀は埋まっているような気がした。

 ただ内堀、つまりキスはキスでも、恋人たちがするようなキスではなく、挨拶のような頬へのキスだったことを見間違いして、唇と唇のキスだと勘違いしているような気がした。誰が見掛けたのかはまだ分からないが…。


 ここは事実を淡々と語るしかないだろう。


「若本に隠し事してもしょうがないから事実を言うけど、まず昨夜は食堂教室におったよ」


「やっぱり…そうなんですね」


「でもその後、1年7組に行ったり、また食堂教室に戻ったり、色々飛び回ってたのも事実なんだ」


「そ、そうなんです?」


「うん。隠し事はしないって言ったばかりじゃろ?」


「はっ、はい…」


「で、食堂教室で前田先輩と1vs1で話をしてたのも事実」


「とすると、キスの噂も…」


「それは間違い」


「え?本当ですか?」


「うん。事実しか言わんから。まずさ、若本は誰からその話を聞いたん?」


「あっ、アタシですか?えっと…」


「この場での話は、誰にも言わないから。2人だけの秘密で」


「…う、うーん…。じゃ、本当に秘密でお願いしますね。末田先輩です」


「末田?マジか…。なんでじゃろ?」


「いや、アタシもそこは分かんないですけど、今朝の食事中に隣に末田先輩が来て、言われたんです。『上井君と前田先輩、もしかしたら付き合ってるかもしれん』って」


 末田も早とちりな女子だなぁ…。俺か前田先輩には何も確認しないで、いきなり若本へボールを投げたのか。


「そんなこと言われたら驚くじゃろ。俺も驚いたよ、今」


「はい。で、本当ですか?って反射的に聞いてしまったんです。そしたら、キスしとったけぇ、間違いないって…」


 俺は絶句した。一体どんな角度で俺と前田先輩が話している光景を見たんだ?

 前田先輩が俺の頬にキスした時は、俺は座ったままで、前田先輩が中腰のような感じだったはずだ。

 その体勢で唇と唇が合わさる方が難しいと思うが…。


「正直に言うよ。驚かんとってね」


「はっ、はい…。覚悟を決めました!」


「俺と前田先輩は付き合ってもないし、キスしてたっていう目撃情報も、見間違い!」


「へっ?」


「昨夜はね、俺の個人的な悩みを聞いてもらってたんだ」


 俺は話の内容については少しぼかした。


「女子バレー部からのお願いが結構あって、男の俺じゃ分かんないようなデリケートなこともあるわけでさ。そんな時、同期の女子ってなんだか相談しにくくて、前田先輩を頼ったんよ」


「は、はぁ…」


「多分末田が見たのは、もう相談も終わり際の頃じゃないかな?先輩と俺は向かい合って座っとったけぇ、先輩が先に立ち上がって、俺が続けて立ち上がったら、廊下から見る角度によっては、キスしとるように見えたかもしれんね。前田先輩も背が高いし」


「そしたら末田先輩には、上井センパイと前田先輩の関係は…」


「まーったくの真っ白!って言っといて。俺が言ってもいいけど」


「キスも…」


「してないよ!前田先輩とキスなんか出来たら、俺、死んでもいいよ!その前に伊東に殺されるけど!」


「センパイ、信じても大丈夫ですか?」


「もちろん。前田先輩にパート練習の時に聞いてみなよ。上井と付き合ってるか、キスしたか?って。きっと爆笑されると思うよ」


「…良かったぁ…」


 若本は心底安心した表情を浮かべた。


「ところで朝食の時に末田にその噂を聞いて、俺に確認したいって声掛けるまで、ほんの一瞬の間じゃない?なんという行動力!」


「いっ、いえ。上井センパイだから…。いや、上井センパイのことだから、早く噂が本当かどうか知りたくて。え、なんか日本語変だな、アタシ」


「別に変じゃないよ。でも俺の説明でスッキリした?」


「はい、全部じゃないですけど」


「なんだよ、全部スッキリしたって言ってほしかったな」


「一応、前田先輩にも確認したいと思いまして。その辺りはまたセンパイにご報告します」


「きっと同じことを言うと思うよ、前田先輩も」


「ですよね。曲がったことや隠れたことは嫌いな先輩ですし。センパイ、朝からお騒がせしてスイマセン」


「いいよ、いいよ。疑惑が晴れたんなら。なんかこの合宿、俺の変な噂や疑惑が出ては、俺が火消しに回ってる気がするけぇ、何か仕組んでる奴がおるんかもしれん」


「ハハッ、陰謀論ですか?…でも上井センパイに彼女が、しかも年上の彼女が出来た訳じゃなくて、ホッとしました」


「ホッとしてくれたん?え?まさか若本…」


「あっ、いや、今の発言は聞かなかったことにして下さい!」


「気になる…」


「気にしなーい!じゃあまたね、センパイ」


 若本は最後は元気になって、手を振ってサックスのパート練習の教室へと向かったが…。


 気にするなと言われても、若本の最後の言葉は気になってしまう。

 これまで色々な匂わせを経験してきたが、今のところの俺の本命は若本だからだ。


 その当人から、遂に気になる言葉を聞くことが出来た。

 寝不足も吹っ飛びそうだ。


 なんとなく浮かれた気分で、俺は3日目の合宿をスタートさせることが出来たが、1日は長い。


 今日こそ平穏無事な1日でありますように…


<次回へ続く>

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