第40話 -合宿3日目・朝から…-

「皆さん、おはようございます。今日で合宿3日目!疲れが出てくる頃と思いますが、既に疲労困憊の方もいるかもしれませんね」


 ラジオ体操の後の挨拶で俺はそう話したが、何といっても俺自身が疲労困憊だった。本音では睡眠不足解消のために、午前中は眠りたいくらいだ。昨夜寝たのも2時近かったし…。


「えっと、とりあえず今日の予定ですが、先生、今日も午後合奏に変えられますか?夜はレクリエーションの予定ですし…」


「ああ、そうだな。昨日なかなか良い演奏に仕上がってきたけぇの、もう少し上を目指す合奏をしていこうか」


 福崎先生はそう言い、合宿3日目の午後もパート練習から合奏へと変更になった。


「では皆さん、その予定でいて下さい。午前の練習が終わったら昼食と休憩、休憩後に合奏出来るように準備をお願いします」


 ハイ、と例によって朝だからかまだ元気が無いトーンで返事が返ってきた。俺は構わず、


「それでは今からA班の皆さん、朝食の準備をお願いします。スロープに集まって下さい。昼食はB班、夕食はC班の担当となりますので、皆さんよろしくお願いします。そして今日の夜は、さっき先生も言われましたが、レクリエーションを行います。ま、単純なゲームですけど、先生からは温かなご寄付を頂いたので、1位を目指して頑張って下さい!」


 何故かこの時だけ、ダルい…眠い…という朝の重たいテンションが、急に元気になるのは苦笑を禁じ得なかった。


「おいおい、練習でもそれくらい元気をだしてくれよ」


 先生も苦笑いしながらそう言った。


 実際は福崎先生から、急遽お手元にあった図書券1000円分を頂いたのだが、500円の券を2枚頂いたので、1位が総取りにするか、1位と2位に500円ずつにするかは決めていなかった。


(その辺りはまあ、成り行きでいいじゃろ…。ゲームは2つやるし)


 結局一度だけ開催した役員会議で決めたかった、レクリエーションの内容は、時間切れで俺に一任という形になってしまったが、去年と同じくフルーツバスケットとハンカチ落とし、あるいは椅子取りゲームでいいかな?と思っていた。

 司会進行は去年は須藤先輩が務めていたので、必然的に俺がやることになるだろう。


 去年はまだ会話が出来、俺の片思いもヒートアップしていた伊野沙織と、椅子取りゲームで1つの椅子を取り合い、俺が弾き出されるような演出を勝手にやって、場を盛り上げた自負があるが、当然伊野沙織は当てに出来ないし、今年は喋りで盛り上げなくちゃいけない。


(どんな風に喋れば盛り上がるかなぁ…)


 ボーッと考えつつ食材が届くスロープに向かっていたら、後ろからTシャツを引っ張られた。この引っ張り方は…


「野口さんじゃろ?」


 と振り向いた。


「当たりー!もうこの手は使えないかな?」


 そこには一昨日、溝が出来てしまったものの、昨日涙ながらに仲が悪いままは嫌だと言ってくれ、溝が埋まった野口真由美がいた。


「ねぇねぇ、アタシ、昨夜のことはよく分かんないんじゃけど、上井君、相当な寝不足じゃろ?」


「なんで分かるん?」


「その眼の下のクマ!隠そうとしても隠せないわよ」


「マジで?」


「うん、鏡で見てみなよ」


 野口はそう言うと、ジャージのポケットから手鏡を取り出し、俺に渡してくれた。


「どれどれ…。おおっ、これは保存しときたいクマだね!」


 確かに、自分でも見たことがないほどの目の下のクマがクッキリと分かった。


「じゃろ?2日間でどれだけ眠れたの?」


「いやっ、それでも結構1日目は寝た方。ラジオ体操に寝坊で遅刻しかかったもん。…いや?寝付くまで時間が掛かったなぁ」


「じゃ、昨夜は?何時頃寝れたん?」


 俺と野口はゆっくりとスロープに向かって歩きながら、会話していた。本当に昔に戻ったようで懐かしい感覚だし、溝はすぐ埋まって良かったと思う。


「2時頃かな~」


「ぶち寝不足じゃん。そんな時間まで眠れんかったん?何か心配事とかで…」


「心配事はもう、24時間、365日、ずーっと抱えとるよ。勿論吹奏楽部が一番じゃけど、生徒会の方とかも気になるし。個人的にはそろそろ進路も…」


「…あのね、もし今夜も眠れなかったら、アタシを呼び出して」


 野口は周囲を気にしてか小声でそう言った。


「えっ?呼び出す…って言うても、なかなか難しかろう?いくら部長じゃ言うても、女子の階には入り込めんよ」


 寝室は、男子が1階、女子が2階、食堂は4階と別れている。


「じゃけぇね…。アタシが、上井君が来ても来なくても、2階と1階の階段の何処かに、夜11時半頃からしばらく座っとる。もし眠れんかったら、階段に来て」


「う、うん…。でもさ、奇跡的に睡魔がやって来て、俺がスケジュール通りの11時に寝ちゃったら?」


「いいよ。しばらく待っても上井君が来なかったら、寝たんだなって思って、アタシも女子の部屋に戻るから」


「それじゃ申し訳ないような気がするよ?」


「いいの。アタシが勝手に決めたことじゃけぇ、上井君は気にせんでもええんよ」


「そ、そう…?」


 野口の表情から、この発言の真意を読み取ろうとしたのだが、いつもと変わらない、穏やかな微笑を湛えた顔だったので、真意は掴めなかった。


(何か相談でもあるのかな…)


 その内にスロープの食材置き場に着いた。

 俺と野口以外の1年生は、先に到着していたが、まだ食材が届いてなかった。


「あれ?まだ献立届いてないんじゃ?」


「そうみたいです、先輩」


 瀬戸が答えてくれた。

 場所は同じなので、女子バレー部の1年生らしき部員も集まってきた。


「あっ、瀬戸くーん!おはよっ。吹奏楽、頑張ってる?」


「あ、矢野さん…。おはよ」


「あれ?クラスで見る瀬戸君とは様子が違うじゃん。眠いん?」


「そっ、そう、眠いんよ…」


 瀬戸を見てみると、照れているのか、声を掛けてきた女子バレー部の部員と目を合わせようとせず、若干俯き気味だった。


「こちらは瀬戸君の上司の方?」


 上司?俺のこと?


「うっ、うん。部長の上井先輩だよ」


 さっき瀬戸に話し掛けた時に、矢野と呼ばれていたその女子は俺の方を向くと、


「上井部長、はじめまして!いつも女子バレー部に気を使って頂いて、ありがとうございます!昨夜も2回目のシャワーを許可して下さったり。ウチの2年の先輩方が、いつも吹奏楽部の上井部長のことを話題にしているので、どんな方なんだろうと思っていました。あ、申し遅れてスイマセン、アタシは1年5組で瀬戸君と同じクラスの矢野道子っていいます。よろしくお願いします!」


 と一気に喋り、俺に向かって一礼してくれた。さすが体育系、上下関係がしっかりしている。


「自己紹介までありがとう、矢野さん。こちらこそ女子バレー部の、特に笹木キャプテンにはお世話になっているし、他の2年生にも時には俺をオモチャにして…いや、可愛がってくれとるけぇ、よろしく言っといてね」


「はい!分かりました!ありがとうございます!」


 そこまで俺の方を向いて挨拶してくれた矢野道子と名乗った1年女子は、再び瀬戸の方を向くと、世間話をし始めた。


「上井センパイ、突然でビックリされたんじゃないです?」


 若本が声を掛けてくれた。


「ま、まあね。女バレの2年はいつも俺をネタに何を話しとるんじゃろう…。でもあの子、瀬戸のことが好きなのかな?あるいはその逆なのかな?」


「え、そこまで読んじゃいます?センパイは」


「うん…。瀬戸が異様に照れとるじゃろ?多分クラスとかで、結構あの2人は話したりしとるんじゃろうね。で、俺の想像では瀬戸が先に矢野って子を好きになって、それがなんとなく伝わって、矢野さんも満更じゃないけぇ、親しく話しとる…」


「…というセンパイの読みだと、2人は両思いじゃないですか!」


「うん、こう思ったのには伏線があるんよね」


「伏線…ですか?」


「うん。合宿最初の日の昼食の準備がこのメンバーじゃったじゃろ?その時も女子バレー部と顔を合わせたんじゃけど、今みたいに朝早いからジャージを穿いてるって状態じゃなくて、午前の練習を終えて汗だくの体操服姿じゃったんよ。で、2年生は部長の笹木さんだけが来てて、あとは1年生部員が食事の準備に集められてて、その中の1人を見た時に、瀬戸が物凄い照れたんよね。で、顔を合わせないようにしとってさ。今思えばその時に、あの矢野さんを見付けて、汗だくの体操服姿なもんじゃけぇ、瀬戸には目の保養じゃなくて、毒じゃったんじゃろうな、とね」


「ふむふむ。まあ、ただでさえブラは透けちゃいますからね~。アタシはそんなに気にはしてないんですけど」


「若本は気にならんの?」


「はい、みんな一緒ですし。アタシ、そんな派手なものは持ってないし。特に女子バレー部なんかだと、逆に透けて見えて当たり前じゃないですかね」


「うん、前に笹木さんや他の2年生の部員と話した時、そんなこと言ってたよ。イチイチ気にしてられないって」


「やっぱり体育系は、度胸が据わってますね~。流石だわ」


 その様子を眺めていたら、やっと食材が届けられた。


「お待たせしました~。ごめんなさいね、遅くなっちゃって」


 と、食材配達の業者さんが言いながら、スロープまでメニューを届けてくれた。


「おっ、おむすびじゃ!ラッキー!」


 と俺が思わず言うと、


「あぁ、そう言って頂けると、私らも作った甲斐がありますよ。多目に作ったんで、ちょっと遅くなりましたけど、おむすびとお味噌汁が、今朝のご飯です。どうぞ」


 そう返してくれた。


 吹奏楽部は台車を2つ持ってきて、1つはおむすびの入った箱を積み、もう一つはみそ汁の入った寸胴鍋を積んだ。女子は食器や道具の入った箱を、それぞれ運んでくれた。


「瀬戸ー。みそ汁の台車、運べる?」


「えっ?あっ、はいっ!」


 瀬戸を見ると、結果的に矢野と沢山話すことが出来たからか、充実した顔をしていた。

 女子バレー部は先にもう運び始めていた。


「さっきの子、瀬戸のことが好きなんじゃないん?」


 俺はちょっと鎌をかけてみた。


「えっ、そ、そんなこと、ない、と思います」


「でも瀬戸は真面目じゃし、クラスでもモテるんじゃないん?」


 2人して重い台車をゆっくり運びながら、そう話し掛けてみた。


「いや、モテないですよ、俺は」


「うーん、今の発言は違和感ありまくりじゃのぉ。俺がモテないのとは次元が違う謙遜の仕方、そう見えた」


「上井先輩には敵わないです、勘弁して下さい…。またあの子については、いずれ上井先輩にだけお話ししますから」


「まあ、そういう経験って青春の輝きだよ。俺は傷付きまくってるから、もう輝くのは額だけじゃけど」


「ぷっ、上井先輩って、チョコチョコとそんなダジャレというかギャグを挟んでこられますよね。そんな先輩の話術を真似してみたいですよ、俺」


「いや~、俺の真似は止めた方がいいと思うよ。女子からモテなくなるけぇ」


「何でですか!先輩は俺らの代の女子からも高評価ですから…。自信持って下さいよ」


「いや、俺はモテない!この先、女子から告白されることは無いと、ここに誓ってもいいよ!」


「何をモテない自慢してるんですか、上井先輩は。もうお皿は並べたんですけど、おむすびはどうします?事前に2個ずつくらい置いといて、まだ欲しい人は順番に…って感じにしますか?」


 既に瀬戸と俺は3年1組の食堂教室に着いていたが、なかなか会話を止めないので、若本が声を掛けてくれた。急に現実に帰ってきた感じだ。


「そうだねー。全部で何個あるのかな?」


「3箱ありますよね。1箱に多分30個くらいあると思うんで、流石に最初に1人3個は配れないと思います」


「じゃあ若本の提案してくれた方法でいこうか。空腹の部員が外で待っとるし」


 ここからは手分けして、おむすびを2個ずつ更に置いて回った。7人で一斉にやると、あっという間だ。みそ汁はセルフサービスでいくことにした。


「お待たせ~。A班の朝食はおむすびだよ」


 野口が廊下で待っていた部員に声を掛けると、部員が一斉に教室の中に入り、みそ汁の香りにも影響を受け、いい顔になってきた。先生も割と早めに来られたので、早々に朝食前の一言を言うことにした。


「改めまして、おはようございます!今日は和食の朝になりました。おむすびは若干の余裕があります。2個じゃ足らん方は、早い者勝ちで3個目をゲットして下さい。では、頂きましょう。合掌〜」


 食事もあっという間に終わり、締めの言葉を述べた後に片付けをしていたら、肩を叩かれた。


「はいっ?」


 そこにいたのは前田先輩だった。


「上井君、おはよっ」


「お、おはようございます」


 俺は昨夜の突然の頬へのキスを思い出し、ポッと顔が赤くなってしまった。


「あ、上井君、顔が赤いよ?」


「あの…」


「分かってるよ。ウブなんだから、上井君は」


 前田先輩は爽やかな笑顔でそう言った。


「夕べはありがとうね。部屋に戻って、何か言われなかったか?」


「だっ、大丈夫です。先輩こそ、大丈夫でしたか?」


「アタシも大丈夫よ。上井君と話して、改めて上井君について知ったこともあったし」


「俺の過去なんかつまらんかったんじゃないかと…」


「そんなこと、ないよ。一生懸命頑張る上井君のルーツが垣間見えたもん」


「でも昨日は結局、俺のことばかり話しちゃって、先輩のお話を聞けなかったなと、反省してるんですよ」


「ホント?」


 前田先輩は仄かに照れつつ、言った。


「じゃ、じゃあ…。あまり昼に話せる内容じゃないけぇ、上井君が空いてたら、夜にまた話させてもらってもいい?」


「あっ、はい、分かりました。時間作りますよ」


「良かった。じゃ、何時に何処でとかは、また後でね」


「はーい、了解です」


 俺が前田先輩と話してる内に、片付けは殆ど終わっていた。

 洗い物は味噌汁の入っていた寸胴鍋と茶碗だけだから、手早く終わったようだ。


「すいません、皆さん。あっという間に片付けてもらって…。食事の準備の為のA班の仕事は、これが最後になりますね。ありがとうございました。ではちょっと休憩して、午前のパート練習のために力を蓄えて下さい!」


 俺は解散を宣言したが、その場から動かず、俺に話し掛けたそうにしている視線を感じた。


「ん?どしたん?」


<次回へ続く>

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