第37話 -合宿2日目・秘密のキス-

 慌てて3年1組に駆け付けると、やはり前田先輩が先に到着していた。消したはずの電気が点いていたからだ


「はぁ…、先輩、また遅くなっちゃってスイマセン」


 俺は謝りながら教室に入った。


「もう、上井君ったら。女子バレー部のキャプテンと恋に落ちて戻ってこないんじゃないかと思ったじゃん」


 と前田先輩は、多少の苦笑いで、出迎えてくれた。


「いや、コッチが追い掛けても、アッチはそんな気はないと思いますよ」


「そうかな?分かんないよ、女心なんて。それは上井君も嫌というほど味わってきたんでしょ?」


「そ、それはそうですけど…」


 そう話す前田先輩の姿は、シャワーを浴びた後とあって、さっきよりも断然色っぽい。少し髪の毛が濡れたままなのも、男心をくすぐる。

 何より体操服の下に透けて見えるブラジャーが、さっきとは違って薄いブルーの柄になっているのが、色々な妄想を生んでしまう。


「上井君、立ってないで座りなよ。なんで立ったままなの?」


「いや、先輩を待たせた罰ゲームとして…」


「フフッ、相変わらず面白いね~上井君は。だから女子から密かな人気があるんだね」


「人気?そんなの、ないですよ~」


 俺は否定しながら、前田先輩と向かい合うように席に座った。


「アタシの言い方が悪かったかな…。去年の部長に比べて、上井君は圧倒的支持がある。これならどう?」


「うっ、うむむ…。本当です?」


 と言ってはみたが、内心はメチャクチャ嬉しかった。特に3年生世代からそう聞かされたことが嬉しさに拍車を掛けていた。


「去年の今頃さ、上井君達は須藤部長をどう思ってた?」


「去年の今頃…合宿の頃ですか?」


「うん、そうそう」


 去年の合宿で、俺は大上とシャワーを浴びに行った時、大上から部活に対する不満を初めて聞き、そのどれもが頷けるものだったことを思い出していた。


「うーん…」


「アタシ相手に隠さなくてもいいでしょ?どうだったかな?」


「そうですね、徐々に不満が溜まってた気がします」


「でしょ?そんな後輩達の雰囲気は分かったし、大体アタシら同期が、部長を信じてなかった…というか、苦手にしとったけぇね」


 逆に言えば、俺も一つ上の先輩達は個々ではいい人が多いが、横の繋がりがないな、と常に思っていた。


「はい、先輩方は、楽しくて明るい人が多いんですけど、まとまって動く時には団結力に欠ける…って失礼な言い方ですけど、そう思ってました」


「やっぱり上井君ぐらいになると、しっかり部内の様子、雰囲気を把握してるよね。その通りよ。須藤前部長のスタンドプレーが目立ってて、それがみんなのやる気を引き起こすものならいいんじゃけど、どうも空回りしててさ。逆にウチラのやる気を削ぐというか…ね。なんとなく分かる?」


「分かります。定演の前とか…」


「あったよね、定演の前!勝手に役割決められてた事とか」


「今更なんですけど、その定演の準備が始まった頃から、大上や山中が俺に部長になれって毎日のようにけしかけてきて…。でも俺、元々は中学でも部長をしてたので、高校ではやりたくなかったし、俺がやっても誰も付いてこないって思ってたんです。最後は説得に負けて立候補したんですけど」


「そうだったんだ?突然部長選挙になった時、確かに中学でも部長をやってたって言ってたね。でも上井君はその時の経験が…」


「あまりいい思い出が無かったんですよ。俺、中2で吹奏楽部に入った、外様みたいな感じでしたから」


「えっ、そうなの?それはアタシは初耳だわ。途中入部なんだね。でも途中入部で部長になるなんて、よっぽど中学の時、人望があったんじゃない?」


「人望なんてないですよ。俺が同期で唯一の男子だったからです」


 今更だが、俺が中学の吹奏楽部で部長をやらされたのは一番の原因はそれだろうと思っていた。


「…そうなの?んー、なんか今夜は上井君のルーツを探るような夜になりそうね」


 前田先輩はクスッと笑いながら言った。


「ハハッ、大したルーツなんて、ないですよ」


「じゃあ、ただ1人の男子ということで、無理やり部長にさせられたようなものなの?」


「それが大きいと思いますよ。一応形上は、上級生の推薦と顧問の推薦が一致したことになってますけど…」


「ふーん…。じゃあ上井君が部長に指名された時は、やっぱり驚いた?」


「はい、驚きましたけど、その前から内々に顧問の先生から、予告されていたんですよ。もしかしたらお前、部長になるかもしれないぞ、って」


「そうなんだね。きっとその顧問の先生は、少しずつそうやって外堀を埋めてたのかもしれないね」


「でしょうね~、今思えば」


「でも上井君は、1年生の時は何してたの?帰宅部?」


「後半は帰宅部でした」


「後半?気になる言い方だなぁ。前半、中学に入ってすぐの頃は?」


「…暗黒時代です」


「ますますお姉さんをヤキモキさせちゃうじゃない。何か、部活には入ってたの?」


「い、一応…」


「あまりその時代のことは、思い出したくない過去なのかな?上井君には」


「ハッキリ言えば、そうですね…」


 俺は新聞部で逆セクハラに遭っていた、中1の前半を思い出していた。もしかしたら俺が女性をどこかで怖いと感じるのも、遠因にこの時の体験があるからかもしれない。


「じゃ、あまり詳しく聞くのはやめとくね。変なトラウマが蘇っちゃったら大変じゃけぇ」


「わ、ホッとしました。流石前田先輩、優しいなぁ」


「フフッ、褒めても何も出ないわよ」


「いえ、何かを要求しようなんて、思ってないですよ。コンクールに出ていただけるだけで、俺はサックスの人数が足りて、めっちゃ嬉しかったですから」


「そうよね…。下駄箱でアタシを待ち伏せてたもんね、テナーが足りないんです!って。6月下旬だったっけ?」


「そうですね、文化祭の後に1年の打楽器が一気にいなくなってから…でしたから」


 蒸し暑い日だったのを覚えている。前田先輩が下校しようとしていた所へ、俺が復帰を懇願したら、勘違いした前田先輩の友達が俺のことを彼氏?と問い掛けていたな…。


「でもさ、そうやって上井君は何か大変な時、自分から動くじゃない?それでいて、ミーティングとかでは大変そうな素振りを見せないし、冗談言ってムード良くしてるし。だからアタシは、今年は去年と違って、部長の人気が高いよ、って言ったんだ」


「あ、ありがとうございます…。照れますね、先輩に言われると」


「でも事実だもん。悪いけど須藤君は、部長になりたいって野望が、1年の時から剥き出しでね。いざ部長になったら、なんかカッコ付けててみんなの意見はあまり聞かないし。だから上井君は真逆なんだよ、須藤部長とは」


「真逆?そうですか?」


「1年の時から部長になりたいって野望を剥き出しにしてた?」


「いやっ、全然…」


「ミーティングの時とか、カッコ付けて喋ってやるとか思ったことある?」


「そんな、滅相もない。カッコ付けるようなキャラじゃないですよ、俺は。そんなことするくらいなら、挨拶する時、ワザと頭を机にぶつけたり、滑ってコケたりして笑いを取りに行くタイプですよ」


「アハハッ、だからいいんだよ、上井君は。アタシが1年の時の若本部長…若本さんのお兄さんは、物凄い真面目で、部活の雰囲気はガチガチだったの。部内恋愛も禁止って言われててね。だから今の3年生が横の繋がりに欠けるって言われるのは、もしかしたらそんな影響があるのかもしれないわ」


「部内恋愛禁止?明治か大正か戦前か?って思っちゃいますね」


「それを受けての須藤部長は、部内恋愛はしてもいいですって言ってたんよ。でもそれは須藤君が彼女を部内で作りたいから…っていうのが見え見えでね。だから白けてたなぁ」


 俺は須藤部長が野口真由美を口説こうとしていたのを思い出した。もしかしたら、『後輩にモテる俺』っていうのを演出したかったのかもしれないな。

 若本先輩の真面目さも分かる気がする。若本妹の話では、女子の体操服は男子にとって性的興奮を惹起させるから、ブルマは廃止させると言っているらしいし。


 …俺は大反対だが…


「だからね、アタシ達の代にしてみたら、上井君みたいな庶民的な部長って、理想だったのよ。アタシが先に卒業するのが残念なくらいだもん」


「そうですか?でも生徒会役員になった時、結構反発喰らいましたし…」


「あったねぇ…。最初はアタシが頭に来てさ、ミーティングで思わず上井君の援護射撃したけど、2回目は上井君が自分で対処したんでしょ?凄いね、よく頑張ったね。アタシ、一旦引退してた時だから詳しく知らなくてね」


「まあ形としては、俺がミーティングの時に、生徒会役員と部長の兼務を快く思ってない方は、陰でじゃなく、今ここで意見を言ってくれ、って言って。あとは福崎先生が助けて下さったんですけど」


「その2回目は、陰口言ってたの、誰か分かってた?」


「分かってました。だから他の部員も心配してくれて…」


「フルートの水田でしょ?」


「え?先輩、なんで分かるんですか?」


「1回目も水田が主導してたから」


「そうだったんですか。水田先輩、俺のことが嫌いなんでしょうね、きっと」


「いや、上井君個人を嫌いというよりもね、水田はね…。何て言えばいいのかな、出る杭を打つタイプ?よく言えば真面目、悪く言えば融通が利かない性格なんだよね」


「前田先輩が言われると、説得力があります」


「仮に生徒会役員との兼務を、上井君や山中君じゃなくて、例えに出して悪いけど神戸さんや、大村君が引き受けてたとしても、陰で悪口言ってたと思うよ。だから上井君のことを嫌いっていうんじゃなくて、例外みたいな扱いを受ける部員を妬む、そんな感じかな。上手く言えないけど」


「…先輩は、水田先輩とは何処かで一緒だったんですか?」


「1年の時、同じクラスだったの」


「はぁ、なるほど。だから水田先輩の性格も分かるという…」


「1年の時ってアタシ達は若本部長だったから、みんなそんなに個性を発揮してなくて、水田も別に問題起こしたりしなかったんよ。須藤君が部長になってから、なんかイライラし出して、フルートの同期も腫れ物に触るような感じじゃなかったかなって思うわ」


「なんか、ガキ大将みたいな感じですね」


「そうかもね、ある意味では」


「だから俺みたいな異分子は、腹が立つって訳ですかね」


「上井君は異分子じゃないって」


「でも、それまでの吹奏楽部の色を、今年度、俺らの代でかなり変えてるのかもしれないと思うと、責任感じますよ」


「アタシは、良い方向に変わってると思うから、上井君を支持するよ」


「あっ、ありがとうございます…」


 俺は何故か照れてしまい、顔を赤くしてしまった。


「だから1年生や2年生で上井君に反発してる子は、少なくとも女子にはいないよ。ま、男子は分かんないけど…」


「そのお言葉だけで頑張れちゃいますよ。男子もそんなに俺を避けてる部員はいないと思いますし」


「だから自信を持ってね」


「ありがとうございます…。ところで元々、前田先輩と2人で話そうっていうキッカケって、なんでしたっけ?」


「フフッ、ヒ・ミ・ツ」


 前田先輩は満足そうにそう微笑むと、不意に立ち上がって俺に近付き、俺の頬にキスしてきた。


「えーっ、せっ、先輩!いいんですか?先輩の大事な唇を、まだシャワーも浴びてない俺の頬になんて…」


 俺は今日最大級の赤い顔になり、二の句を告げないでいた。


「いいのよ。だけどここまで。これ以上は…ダメ」


 前田先輩は、指でバツ印を女性らしく可愛く作ると、


「じゃ、上井君、シャワー浴びておいで。アタシは…女子の部屋に戻るね。また明日ね」


 と言って、3年1組を出ていかれた。


(何なんだ、今のホッペへのキスは…。頬だけ熱いや…)


 俺には、何か深い意味が込められた頬へのキスのようにしか、思えなかった。


<次回へ続く>

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