第36話 -合宿2日目・夜の話し合い-

「上井君、こんなこと言っても、アタシを軽蔑しない?」


 前田先輩は何度も俺に念を押した。


「軽蔑…そんなこと、しないですよ?」


「じゃあ勇気をだして、上井君だけに言うね。アタシ、男の子のね、汗臭い感じとか、好きなんだ…」


 前田先輩は少し照れていた。


「なーんだ、それくらい。軽蔑なんか全然しませんよ」


「そう?本当に?良かった〜」


「俺、もっと変態みたいなことを言われるのかと、身構えてましたよ」


「変態?えっ、どんなこと?」


「え?いや、その…。逆に言えないですよぉ」


 俺は前田先輩の逆襲に遭い、却って自爆してしまった。


「興味あるなぁ。上井君は、アタシが何を言うと思ってたのか」


 困った。ストレートに言うと、絶対に変態とか言われるに決まってる。

 前田先輩は、俺が何を考えていたのか知りたくてたまらない、という表情だ。


「あの、俺のことも軽蔑しないでくれますか?」


「軽蔑?今更…1年半の付き合いじゃない。上井君が何を言っても受け止めるよ。軽蔑なんかしないよ?」


「本当ですか?」


「本当よ。安心して。さ、アタシが何を言うと思ってたの?教えて?」


 俺はそれでもちょっと躊躇したが、思い切って言ってみた。


「もしかしたら前田先輩は、男子の体操服姿を見て…あの…足の付け根辺りを見て、女子にはない、男子しか持ってないモノの品定めをしてるんじゃないかと…ご、ごめんなさい!」


 前田先輩は最初はキョトンとしていたが、意味を理解し、爆笑していた。


「アハハッ!上井君、凄い表現するね!」


「いや、こんなのストレートに言えないですよ、女の人には」


 俺は俯き気味に恥ずかしさを堪えて、そう言った。


「あー、笑わせてもらっちゃったわ。上井君の勇気に免じて言うわ。…ゼロじゃないよ、上井君が言ったこと」


「ゼ、ゼロじゃない?ってことは…」


「やっぱりさ、目立つ男子っているのよね。殆どは分かんないんだけど、何故か短パンが小さいのか、女子の体操服姿を見て喜んでるのか、時々存在感をアピールしてる男の子はいるよ。そんな時はやっぱりさ、つい見ちゃうよね」


 前田先輩は笑いながら教えてくれた。


「へぇ、そうなんですね〜。なんか、安心しました」


「安心って?」


「女子も、ちょっとエッチな目で男子の体操服姿を見ることがあるんだな、って」


「そりゃあ、お年頃の女だもん。お互いに気になる所はあるはずよね」


「そ、そうですね」


「男子が女子の胸の大きさをどうのこうの言ってるのと同じよ。女子だって男子のあの部分の大きさは、気になるよ。だからお互い様、だね」


 前田先輩はあっさりと答えてくれた。ここが前田先輩の尊敬する所だ。一歩間違えれば、何見てるのよ変態!とか、この場の空気が悪くなったかもしれない。

 俺は前田先輩の度量の広さに感謝した。


 去年、狭い楽器収納庫の中で前田先輩とすれ違う時、思わず俺の肘が前田先輩の胸に当たったことがあった。

 でもその時も、ワザとじゃないからと、笑って許してくれた。

 優しい姉御肌の先輩、俺はそう思ってこれまで接してきたつもりだった。


 同時に夜という時間が、前田先輩を大胆にさせているのかもしれない、とも思った。


 元々前田先輩と今夜2人で話すことになったのも、前田先輩が何となく恋愛面で悩みを持っているようで、誰かに相談したいけど適任がいない…と思ったら俺がいた、そんな昼の合奏後のやり取りが出発点だった。


 だがまだ肝心の論点には遠い所にいる。そう感じた。


 余談を話している内に、笹木主将との定例意見交換会の時間が迫ってきた。9時半から1年7組で、が約束だった。

 そのことを前田先輩に切り出して、ちょっとだけ抜けることは可能だろうか…。


「あの、前田先輩…」


「ん?なに?」


「実はですね、9時半から女子バレー部の部長との定例意見交換会があるんです、俺…」


「え?そうなんだ?もう9時半になっちゃうよ」


「まだ前田先輩とのお話は、これからじゃないですか…。今はまだ富士山の一合目辺りみたいな。で、もし良かったら、ほんの少し待っててもらえませんか…実に自分勝手なお願いですけど」


「それは大切な話し合いなんでしょ?仕方ないよね。いいよ、アタシは時間があるから…。じゃあさ、上井君がその話し合いに行ってる間に、アタシ、シャワー浴びてくるよ」


「なるほど!それはナイスな時間の使い方ですね!」


「で、どっちが先になるかは分かんないけど、先に終わった方が、引き続きここで待ってるようにしようか?」


「ありがとうございます。もし俺が遅くなったら、多分汗臭いままですので、先輩の好きな臭いかもしれません」


「ハハッ、なーに言ってんの。ま、とにかくそうしようか。じゃあ上井君はその話し合いに行っておいで。アタシは着替えを取りに行ってから、シャワー浴びてくるわ」


「はい、すいません。じゃあまた後ほど…」


 一旦、俺と前田先輩は別れ、3年1組の電気も消してから、俺は1年7組へと駆け降りた。


 時間は9時半を少し回ったところだった。


 1年生のクラスには久々に来るが、7組だけ電気が点いていた。


(笹木さん、先に来とるなぁ。また俺の遅刻じゃぁ…)


「ごめーん、笹木さん!遅くなって…」


 予想通り、笹木恵が先に来ていた。


「上井くーん、約15分の遅刻かな?忙しかったの?」


「ちょっとね。話とか捕まって…。じゃけぇ、まだシャワー浴びとらんのよ」


「え、シャワーまだなん?アタシはてっきりブラス男子のシャワーが混んでて遅れとるんかな?って思っとったけぇ…。アタシはご覧の通りよ、ハハッ」


 一応、夜の女子シャワーはブラスとの決まりがあるので、そこには夜練で汗ビッショリの笹木恵がいた。

 体操服からは今朝透けて見えたのとは違うブラジャーが、色柄までクッキリと透けて見えていたが、女子バレー部、特に俺と同学年の2年生部員は、イチイチ透けたのなんだのは気にしてないことが分かっているので、俺も変な意味だが安心して、目を逸らさずに話すことが出来る。


「汗だくやね、やっぱり」


「夜は特にそうなんよ。害虫が入ってくるけぇ、体育館の窓は最小限しか開けんのよ。もうサウナよ、サウナ」


「確かにウチラも窓は極力閉めるけど、体を激しく動かす訳じゃないし…」


「それでね、実は上井君にお願いがあるの」


 笹木は両手を合わせて話した。


「ん?なんじゃろ」


 俺も大体予想は付いたが…。


「正式に、女子バレー部に、ブラスの女子の後でええから、2度目のシャワーの時間をくれない?」


「やっぱり?」


「えっ、上井君、やっぱりって?」


「実はさ、ウチの1年の女子から、女子バレー部のみんなに、ウチラの後にシャワー室を使ってもらってもいいって意見が出たんよ」


「え?マジで?」


「マジで。昨日、笹木さんと1年の女の子が、恐縮しながらウチラの女子のシャワー時間後でいいから、シャワー借りたいって言ってきたじゃろ?アレを覚えとったみたいでさ」


「へ、へぇ…。嬉しいやら恥ずかしいやらじゃけど。じゃ、昨日ちょっと顔を見たブラスの女の子が、そう言ってくれたん?」


「そうなんよ。昨日、シャワーから最後に2人出てきたじゃろ?あの片方…あ、提案したのは神田ですっ!と、女子バレー部のキャプテンに必ず言っといて下さい!って言ってたから、言っとくね。神田っていうクラリネットの1年生部員から、夜の練習後に言われたんよ」


「アハハッ!自己アピールが凄い子だね。昨日の夜にシャワー室前で見掛けた2人の女の子って、どっちの子も元気そうだったけどさ」


「うん、元気だよ〜。ある意味、元気な後輩から、元気をもらえてる部分もあるよ、俺には」


「そうね、個性的な後輩がいると、逆に元気をもらえたり、その子の前ではちょっと砕けた姿を見せたり」


「女子バレー部も、1年生で個性的な子とかいる?」


「うん。練習熱心な子、ユーモアセンス抜群の子、色々いるよ。アタシの代を考えてみてよ。個性的な女子の軍団でしょ?」


「慥かにね。吹奏楽部も…そうだよな」


 俺は改めて同期の女子を1人ずつ頭に浮かべていた。男子は今更考えるまでもなく、個性は掴みきっているが、女子もユーモアが通じる女子もいれば、真面目一本槍の女子もいる。

 勿論、俺が話せない、壁を感じる女子もいる訳だが…。


「上井君、チカちゃんとは話せるようになった?」


「えっ、突然、なんで?」


 俺は動揺してしまった。


「実はね、今日なんじゃけど、昼食後の休憩の時に、自販機の前でチカちゃんと会ったのよ」


「へ、へぇ…」


「お互いの練習環境とか話したけど、やっぱりアタシが気になって、上井君とは合宿に入って、何か話せた?って聞いたの。だけど、あんまりいい返事じゃなかったけぇ…」


 昼ご飯の後と言うと、俺は若本に連行されて、忘れ物事件の真偽を確認されていた頃だろう。


「んー、なかなかね…。こればかりは長期的視点に立って万全の体制を整えた心理状態にならないと」


「何を政治家みたいなこと言ってんのよ。まあアタシも上井君の心の傷は分かっとるけど…。そろそろ、どう?チカちゃんもそんなに上井君を刺激するようなことはしてないんじゃない?」


「うーん…。確かにね。最後に傷付けられてから1年経つし。その間には笹木さんにも迷惑掛けたけど、百人一首で少しだけ普通の会話は出来たんよね」


「そうそう!あの日、たまたまチカちゃんの誕生日ってことで、上井君がおめでとうって、チカちゃんに言ってたじゃない。チカちゃんも思わぬ上井君の言葉にウルッと来てたし…。アタシはあのまま雪融けしていくって確信したんじゃけどなぁ…」


「タイミングがね、タイミング…。どうしても大村と一緒におる時が多いじゃろ。そんな時は声を掛けられないんだ、やっぱり。大村と2人でいても平気で会話が出来るようになるのが、これからの目標かな」


「大村君か…。まあ、傍から見ててもさ、かなり強引にチカちゃんを口説き落としたって感じはするしね。となると、チカちゃん本人より、大村君の存在が、上井君にとっては大きいのかな?大村君とは話せるの?確か副部長だったよね?」


「大村とは話せるんよ。男同士ってのもあるし。結構部活上の悩みとかも最近は相談しとるしね」


「じゃあ、大村君とチカちゃんが2人でいても…」


「それはまた違うんだ。今や校内名物にもなりつつあるやろ?あの2人」


「ハハッ…。確かに否定できないね」


「何というか、上手く言えないけど、その辺りが引っ掛かるんだよね。神戸さん1人でいる時と、大村と2人でいる時じゃ、彼女の性格も対応も違うというか…。その逆もまた真なり、ってね」


「そうなんだね。上井君とチカちゃんが、普通に話せる日は遠いのかぁ」


「ま、高校にいる内にはなんとかしたいとは思ってるよ」


「まだまだ先が長いじゃん!アタシ達、高校生活の半分も終わってないんよ?勿体ないって…。せっかく同じ高校に通えて、仲直り出きるチャンスがあるのにさ」


「そもそも俺は仲直りなんかしたくない!」


「えっ?…そっ、そうなの?」


 一瞬、その場の空気が固まるのが分かった。


「…って言ったら、驚く?」


「何よ、こんな話の時に驚かさないでよぉ、んもう」


「でも多分、違う高校に行ってたら、仲直りしたいなんて全く思わんじゃろうね。今も神戸さんに対しては、『あんな女!』って憎んでると思うよ。それが何の運命か同じ高校、同じ部活、しかも去年は同じクラスになったもんじゃけぇ、嫌でも意識しなきゃいけなくなった。それが吉と出るか凶と出るか…」


「上井君の心の傷…青春の傷痕って訳じゃね、チカちゃんとの喜怒哀楽が」


「うーん、中3で付き合っとった半年を含めると、確かにあの人との間では喜怒哀楽の全部を味わったよ。その中でも『怒哀』が大半じゃけどさ」


「…そっか」


「ま、まあ…。でもこうやって笹木さんと、部活の悩み、プライベートの悩みとか話してる時にも、もしかしたら大村と神戸の2人で夜空を見たりして楽しんでるのかなと思うと、胸がグサグサ来るよ」


「うん、分かったよ。ごめんね、アタシが仲直りしたら?って聞くことで、上井君の傷を深くしてたら…」


「傷はこれ以上深くはならんけぇ、大丈夫」


「ホント?」


「本当だよ、と言いたいね。よっぽどのことがない限り、俺はあの人との間でどん底を味わったから、これ以上沈むことは無いと思うよ。これ以上沈むとしたら…」


「沈むとしたら…?」


「…こんなこと言うのはよくないけど、あの2人が一線超えた時かな」


「一線かぁ。でもチカちゃんが許さないでしょ?」


「一応、末永先生の前でもそう誓ってたけどね。でもそんな決意、いつまで続くやら…」


 ふと気が付いて時計を見てみたら、10時半近かった。


「笹木さん、ごめん、えらく長い時間話し合い…とはもはや言えない内容になっちゃったけど、遅くなっちゃった」


「え?あっ、ホンマじゃ。女バレの2年に疑われるわ~」


「疑われる?何を?」


「上井君と話し合いじゃなくて、本当はデートしてるんでしょ、って言われたのよ、さっき」


「ハハッ、笹木さんとデート出来るなら、嬉しいけどね」


「アタシもよ」


「えっ?」


「なーんてね。じゃ、また明日ね。シャワーの件、ありがと!」


 そう言って笹木は1年7組を駆け出して行った。

 俺は俺で3年1組に前田先輩を待たせているだろうと想像し、教室の電気を消して慌てて3年1組へと戻った。


(なんか笹木さんまで匂わせるような言葉を残してったなぁ…。ま、冗談だろうけど)


<次回へ続く>

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