第35話 -合宿2日目・夜は女性を変える-
「じゃ、これで今日の練習は終わりにするか。先生が思ってる以上に、今日はみんなの息が合って、いい演奏じゃったのぉ。今日指摘した部分を直して、本番もこの調子でいければ、まずまずの成績が取れるんじゃないか?この調子で、明日も頑張ろう。じゃ、部長、一応締めの言葉と今後の予定を説明してくれ」
「はい、分かりました」
先生はそう言って、音楽準備室へと戻った。
時にして、練習終了予定時刻より10分早い、8時50分に合奏が終わった。
今日は昼も夜も合奏の出来が、先生の求める現時点のレベルに達していたのか、なかなかいい雰囲気で合奏を終えることが出来た。
合奏の終わり方が良くないと、その後の部内の雰囲気にも影響を及ぼすので、今日はいい感じでこの後の夜を過ごせそうだ。
去年、大村と神戸が夜の合奏に揃って遅刻した時は、合奏中も合奏後も雰囲気が最悪だった。
そんなことも覚えているので、先生が機嫌よく合奏を終えると、ホッとする。
「えっと、それでは今日の練習はこれで終わりになります。昨日も言いましたが、夜9時以降は地域との協定で音を鳴らしたりしてはいけませんので、楽器は片付けて下さい。で、お待たせしましたが、シャワー解禁です。でも一気にシャワー室へ雪崩れ込むと、特に女子の方は大混雑すると思うので、また女子の中で調整して下さいね。男子はまあ、適当で…ええよな?」
みんな楽器を片付けながら、フフッと笑いが零れた。うん、実にいい雰囲気だ。
「そして明日の朝ですが、まずラジオ体操からスタートです。今朝の俺みたいに遅刻しないように!遅刻したら、グランド5周ですよ」
「あれ?そしたら上井センパイ、今朝は罰ゲームしてないんじゃないですか?」
トランペットの1年、赤城が聞いてきた。
「けっ、今朝は、ラジオ体操の歌の途中で間に合ったから、ええんよ」
「えーっ、でもラジオ体操の番組は始まってましたよぉ」
「ま、まあまあ。あの、グランド5周の罰は、ラジオ体操第一が始まった時に、体育館にいない人を対象にします!」
わー、上井センパイ、ずるーいとかザワザワし出したが、大上が助け舟を出してくれた。
「そこまで厳密に番組が始まるまでに集まってなくちゃとか言ったら、今朝俺が見取った限りじゃ、グランド5周の罰を受けにゃいけんのは、1年にも結構おるはずじゃがの~」
途端に騒めきが収まった。大上には何度も助けられている。今回も感謝だ…。
「はい、グランド5周についてはいいですか?ま、もっと明確な基準を打ち出しておけばよかったですね、スイマセン。ラジオ体操第一が始まる迄に、体育館に来ておくこと、こう決めておきましょう。そして明日の朝の食事当番は、一周しましたので、A班担当になります。私と一緒に初日にカレーを作った皆さん、明日の朝、よろしくお願いしますね。ラジオ体操の後、そのままスロープに行きますので、そのつもりでいて下さい。何か質問はありますか?」
1人の手が上がった。クラリネットの1年、神田だった。
「センパイ、今夜も女子バレー部の方が、2度目のシャワーに来られる可能性ってあります?」
「あー、そういえば昨日は2度目のシャワーに、女子バレー部の子達が来とったね。もし来たらどうするか?ってことかな」
「そうです。アタシ達が夜のシャワーを指定されてるのに、女子バレー部の子達がまた来たら、どうすればいいのかなって」
「うん…。確かにそうだね。でも向こうのキャプテンに話はしてあるから、ウチラの邪魔はせんと思うよ。もし途中で来たら、追い返しちゃえ!」
その発言に笑いも起きたが、神田は続けて言った。
「でもあの子達、夕方にシャワーを浴びてても、夜も練習して、結局また汗だくになっちゃってるじゃないですか。だから可哀想だな、って思うんです。センパイ、向こうのキャプテンに話して、2回目もいいけど、時間はアタシ達の後で、10時…は早いかな、10時半位から2回目OKって、公式的に認めてあげてもいいと思いまして」
「そっか、神田も優しいなぁ」
「ヘヘッ、センパイに褒められちゃった」
神田は照れていたが、俺は後で笹木主将との意見交換の場で言ってみようと思った。
「向こうのキャプテンとは合宿中も定期的に話をしとるけぇ、言っておくよ。喜ぶと思うよ」
ついさっき近藤が言っていた、下着を着替えて、汗だくの下着を手洗いして干してる…という現実を聞いてしまったのもあり、女子バレー部のシャワー問題は切実だと思ったのもあった。
「うわ、嬉しいです。その時は、1年の神田が提案した!って、強調して下さいね、センパイ!」
音楽室を笑いが包む。今日は本当にいい雰囲気で夜の練習まで進むことが出来た。
…問題はこの後だ。
まず食堂教室3年1組で、前田先輩と話をする予定になっている。
その後、9時半から1年7組で、女子バレー部主将、笹木と定期意見交換会を行う予定になっている。
前田先輩との話がスムーズにいけばよいが、長引いたらどうしよう…という心配も少しあった。
前田先輩を遠目に眺めたら、ふと俺の視線を感じたのか目が合い、ウインクされてしまった。
そのウインクは、深い意味が込められているように思った。
一応俺も軽く頷き、分かってますよ、と返事したつもりだが…。
「じゃあ片付け終わった方から、寝室に移動して、適宜シャワーを浴びるなり、休憩するなりして下さい。全員音楽室から出たら、鍵を閉めますので」
ハーイと声が上がり、1人、また1人と音楽室から出て行った。
最後に出たのは、チューバの村西だった。
全員出たのを確認し、音楽室の鍵を閉め、音楽準備室で寝泊まりしている福崎先生に渡す。これが合宿中の夜の最後の仕事だ。
「失礼しまーす」
音楽準備室のドアをノックし、中へ入ると、既に1本飲んでおられる先生が赤い顔で
「おぉ、上井、お疲れさん!」
と声を掛けてくれた。
「先生、鍵はここに置いておきますね…。今日は合奏の出来が良かったですか?」
「ああ。なんかな、急に昨日と今日で上達したような感じがしてのぉ」
「だからですね。先生が上機嫌で合奏を終えられたので、ホッとしてたんです」
「そうか。まあお前も悩みが多いみたいじゃけぇの、俺がお前の負担にならんように…とは思っとったんじゃ」
「せっ、先生、俺に悩みが多いだなんて、なんで分かるんです?」
「お前の様子を見てりゃ、すぐ分かるぞ。部員達には気付かれんようにしとるみたいじゃけど、俺の目は誤魔化せんよ」
「いや~、その…」
「まあ部長として合宿を引っ張っていくのは大変じゃと思うよ、俺も。お前も去年と今年で立ち位置が違って、初めて分かったこともあると思うんじゃ」
「そうですね…。去年は文句ばっかり言ってました」
俺は苦笑いするしかなかった。
「その文句を改善に結び付けれればいいんじゃが、なかなか難しいじゃろ」
「ですね。どうしても全員が納得する形っていうのは、難しいです」
「まあでもこの合宿が終わったら、お前は一皮剥けると思うぞ」
「そうですか?」
「約40人を3泊4日引率する、担任の先生みたいなもんじゃけぇの。まあこんな言い方をしたら上井は重荷に感じるかもしれんが、全日程の半分終わったじゃないか。明日と明後日、気楽にいけよ」
「はい…。ありがとうございます」
「どうだ、秘密の一杯、飲んでくか?」
先生は俺にビールを注いでくれようとした。先生が俺を認めてくれたみたいで嬉しくて、昨日に続いて飲んでみたい気持ちは山々だったが、今日はすぐこの後に前田先輩、笹木主将との会談が控えている。
「先生のお気持ちを明日の夜まで取っておいてもいいですか?」
「ん?この後、まだ何かあるのか?」
「はい、実は…。女子バレー部のキャプテンとの意見交換会があるもんで」
俺は前田先輩との密会は伏せて、そう言った。
「そうか。相手が男子ならともかく、女子バレー部なら、酒の匂いさせてちゃ嫌われるな、ハハハッ。よし、明日は最後の夜じゃ、今日の分もサービスしてやるよ。女子バレー部のキャプテンによろしく言っといてくれ」
「はい、すいません。では失礼します、お休みなさい」
「おぉ、お休み。暗いけぇ、足元気を付けろよ」
「はい、分かりました」
俺は音楽準備室を辞すると、すぐに3年1組へ向かった。
近付くと、電気が点いているのが分かった。
焦って駆け付けると、前田先輩が窓際の席に座って待っていてくれた。
「上井君、遅―い。10分遅刻だよ」
前田先輩は少しホッペを膨らませて、言った。
(わ、これぞ女の子って感じ…。可愛いな、前田先輩…)
「すいません、福崎先生に捕まっちゃいまして…」
「先生に?…じゃ、しょうがないね。もしかしたら先生、酔っ払ってなかった?」
「…酔ってました」
「やっぱり~。ま、先生の合宿中の楽しみじゃけぇ、仕方ないけどね」
「大人はいいですよね。アルコールっていう捌け口があって」
「そうだよね。でも大人になっても飲めない人もいるしね」
「そうなんですか?」
「体質的に受け付けない人が、10人に1人いるんだって。アタシはまだ試したことないから分かんないけど、すぐ顔に出そうな気がするな。上井君は試したことある?」
「実は何度か…」
「すごーい!何度かっていうと、体質的にNGってことはなさそうじゃね」
「はい。日本酒を初めて飲まされた時、風邪薬のシロップみたいで甘くて美味い!って思いました」
「アハハッ、それは将来、飲兵衛確実じゃん。頼むけぇ、アルコール絡みで事件とか起こさんとってね」
ニコニコしながら前田先輩がそう言った。
「気を付けますよ~。って、飲んだ自分がどうなるのか、分かんないですけど」
「そんな冷静に言わないでよ。なんか、アタシが襲われそうじゃん」
「いやいや、そんなことはしません!いくら前田先輩がお奇麗だからって、卑怯な手は使いませんから!」
「アハハッ、アタシには真正面から攻めるってこと?まあ後でゆっくり聞くとして、それより上井君、立ってないで座りなよ」
「いいですか?先輩の隣に座っても…」
「当たり前じゃない。バリサク吹いてた時はアタシの真横にいたのに」
「そうですよね…。早くも懐かしくなってますよ」
俺はそう言いながら、前田先輩の隣の席に座った。
「先輩、シャワーは…」
「まだよ。上井君とお話しする約束してたしね」
「すいません、待たせちゃって。早くシャワー浴びてスッキリしたいですよね」
「ま、まぁ…ね」
「今年も先輩は水着を持って来られたって仰ってましたよね。昨日も水着を着て、シャワーを浴びられたんですか?」
「ん?上井君、エッチな意味で聞いてる?」
「えっ?いや、まさか、その…」
「面白いね、上井君は。すぐ顔に出るけぇ」
その通り、俺は顔が真っ赤になっていた。
「先輩には敵わないなぁ~。降参しますよ」
「いいよ、男の子なら少しくらいエッチでも。でしょ?」
「そ、そうです?」
「うん。高校生にもなってさ、異性に興味が全くありません!って方が変だと思うしね」
「というと、先輩も男子のことを…」
「アハハッ、そんなエッチな目でずっと見てはいないよ。でも…」
「でも?」
「うーん…。こんなこと言うと、アタシのイメージ崩れるかな?」
前田先輩は少し頬を赤らめながら、俺のことを見た。
(え?何なんだ?今日の前田先輩はいつもと違う…。クールビューティーじゃない、素の前田先輩なのかな)
俺は少し心拍数が上がるのが分かった。
<次回へ続く>
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