第33話 -合宿2日目・前田先輩の悩み-

(前田先輩のこんな姿、見たことないよ…。どうすれば良いんだ?)


 俺は右肩に顔を乗せて、少し落ち着いた雰囲気になった前田先輩を横目に眺めつつ、動揺を隠せないでいた。


 夕飯まで、そんなに間がない。

 最初に俺が合掌の一言を言わねばならないし…。

 かと言って前田先輩を突き飛ばす訳にもいかない。


 あまりにも俺が食堂室、3年1組に行かなかったら、あらぬ噂を立てられてしまうだろうし。


「前田先輩…」


「ん?なに?上井君」


「俺、前田先輩のこんな姿見たの初めてで、どう接して上げたらいいのかよく分かんないんです。経験不足もありますし…」


「アタシだって、みんなが思うほど、恋愛経験は…ないんだよ」


「もし、もし良かったら、夜の合奏後に、また先輩と続きをお話しするってのはダメですか?」


「夜の合奏後…?」


 前田先輩は俺の右肩から顔を上げ、俺の目を見つめた。


「はい。夕飯後でもいいんですけど…」


「…夕飯後は、上井君も忙しいでしょ?夜の合奏後が良いかな、アタシは」


「じゃあ、夜の合奏後で、先輩とサシでお話しましょう。って、そんな堅苦しい話じゃないように、気軽に話せたら嬉しいです」


「分かったよ。上井君とはこれまで、1vs1で話すこともあったけどさ、冗談とかが多かったよね。あとは上井君の悩みを聞いたり」


「そうです、ね」


「今夜は…対等に話そうね。上井君を年下、後輩としてじゃなくて、1人の男子として話すから。色々と、ね」


「はい、了解です」


「ほら、まだ言葉が硬いよ」


「えっ、でも、いきなり前田先輩に親しげには話し掛けられないですよ」


「ハハッ、それもそうだね。まあ、そんなにアタシをお姉さん!みたいに思わずに、ね。今夜だけは…」


「前田先輩…」


「じゃ、アタシ先に食堂室に行ってるわ。上井君はちょっと後から来たほうが良いかも」


「はい、そうします」


「じゃあまたね」


 前田先輩は立ち上がると、食堂室へ向かって歩いて行った。


 今の十数分で起きたことが、俺には夢の中の出来事のように感じられた。


 元々は、俺を心配して前田先輩が声を掛けてくれたのに、いつの間にか前田先輩が抱えている悩みを、俺が励ますような展開になってしまった。


「ふぅ…」


 とりあえず俺も、食堂室、3年1組へと向かった。

 到着したら、既に殆ど完成していて、着席していない部員の方が少なかった。


「山中、ありがとう」


「あ、ウワイモ、遅かったのぉ。何しとったんや」


「ちょっとある部員の悩みを聞いとってね」


「そうか。まあ準備はスムーズにいったよ」


「あのさ、あの…」


「伊野さんのことか?」


 山中は小声で切り出してくれた。


「ああ。雰囲気的にはどんなじゃった?」


「いや、別に?お前が、伊野さんが話せるメンバーをE班に固めてくれたから、そこそこ会話も聞こえたし」


「そっか…。なら良かった」


「お前、それが一番気になってたんじゃろ」


「ま、まあね」


「太田が一番話し掛けとったかな?上井と伊野さんの関係を知っとるけぇな」


「太田さんが?ありがたいよ…。またよろしく言っといて」


「お前が直に言えばええじゃん」


「ええんか?」


「当たり前じゃ。俺は副部長夫妻みたいに、彼女が他の男子と話したら嫉妬するような男じゃないけぇ」


「ハハッ、じゃあ後でお礼しとくよ」


 そんな会話をしていたら、福崎先生も来られたので、最初の掛け声の時間になった。一応確認したら、前田先輩も田中先輩と並んで座っていた。


 とりあえず一安心だ。


「皆さん、お疲れ様です。2日目の夕飯ですね。メニューは…ハヤシライスとミカンですね。ハヤシはお代わりの余裕はあるのかな?」


 山中が、何人分かはあるよ、と答えてくれた。


「ま、お代わりしたい腹減ってる人は早い者勝ちってことで…。では夜の合奏に向けて、栄養を摂りましょう。頂きまーす」


 一斉に声が上がり、みんな食べ始めた。


 俺の席は、今回も山中が確保してくれていた。


「ウワイモ、お疲れ」


「イモは余計じゃ…でも山中のお陰でE班が回ったから、助かったよ」


「いやいや。でもさ、上井は合宿に集中出来てるか?」


「ん?というと?」


「昨日もちょっとした苦情じゃないけど、あまり練習に身が入らん感じじゃったろう?今日も何かよう分からんが、変なトラブルに午前中巻き込まれて。今も誰かの悩みの相談に乗っ取ったんじゃろ?」


「まあ、な。でも部長の宿命じゃろ、それは。俺が相談するに値する人物だと思ってくれとるだけで逆に感謝だよ」


「そっか。それならええけど…」


 山中は一呼吸置いて、


「あまり自分を殺さなくてもええと思うよ。お前だって部長である前に、一部員だし、一人の人間じゃけぇの」


「あっ、ああ…。ありがとうな」


 最近は山中が、村山に代わって俺の親友的存在になっている。

 村山とも会話はするのだが、何となく以前のような親友ならではの、あうんの呼吸が通じなくなってきているように思うことが多い。前にも感じたが、溝があるように思うのだ。


 食堂室全体を見渡すと、ハヤシライス効果か、みんなペースが速く、殆どが食べ終わっていた。


「えーっと、皆さん、速いっすね!」


 そりゃあ腹減っとったけぇの、という声が聞こえた。女子も、ほぼ全員食べ終わったようだ。


「じゃあちょっと早いけど、夕飯は終わりにします。先生、夜の合奏も、早く始めましょうか?」


 俺が半分冗談で福崎先生にそう尋ねたら、えーっ、という地鳴りが聞こえた。


「ハハッ、俺がどうこう言う前に、抵抗されてしもうたな。夜の合奏は、予定通り7時半から。夜は自由曲を通すから、そのつもりでいてくれよ」


 はい、と散発的に声が上がった。


「はい、では夕飯を終わります。せーの、ご馳走さまでした!」


 全員で合掌し、皿を洗い場へと持っていく。その途中で俺はクラリネットの2年の太田を捕まえて、ありがとう、と言った。


「どしたんね、上井君。アタシ、上井君のために何かしたっけ?」


 太田は皿洗いしながら、応じてくれた。


「いや、伊野さんの話し相手になってくれて…」


「なんね、そんなこと?いつもクラで話しよるけぇ、その延長みたいなもんよ。上井君が心配するようなことじゃないって」


「そう?」


「うん。まあ、上井君とサオちゃんのデリケートな関係は知っとるけぇ、E班の準備の時は上井君はどういう態度に出るのかな?とは思うとったけど」


「わ、少しでも気にさせちゃって、悪かったね」


「ううん。アタシがE班になったのは、と考えたら、上井君の意図が読めたけぇ。山中君もサオちゃんに出来るだけ話し掛けよったよ」


「重ね重ね2人には感謝するよ…」


「早くサオちゃんが、上井君と普通に話せるようになればええね」


「…うん。ま、それは課題として」


「その前に上井君は、チカちゃんとの和解が先かな?」


「うむむ…」


「アタシが見る限り、そんなに高い壁はないと思うよ。上井君とチカちゃんの間には」


「うーん…」


「後は我慢比べだね!」


「我慢比べ?」


「そう。どっちが先に、張りっぱなしの意地を諦めるか…。アタシは、チカちゃんはもう、白旗上げてると思うけどね」


「そうかなぁ…」


「さてと、お皿も洗い終わったし。上井君、大変じゃあ思うけど、あと2日、よろしくね」


 太田はそう言って、洗った皿を運んでいき、他のE班のメンバーもスロープの踊り場へと道具を運んでいった。


 俺は本来なら、3年1組の教室を消灯し、男子の寝室で休憩を取るべきなのだが、さっきの、これまで見たことのない前田先輩の様子を考えると、足が寝室に向かず、電気を消した状態の3年1組で、しばらく1人になって考えてみたかった。


 まだ時間は6時半、外は明るい。

 俺は窓側の一席に座り、少しずつ沈んでいく太陽に照らされながら、前田先輩の心中を読み取ろうとしていた。


(話の流れもあったとは言っても、俺の肩に顔を乗せるなんて大胆なこと、なかなか出来ないよ?いくら俺が前田先輩の年下だといっても…)


 考えれば考えるほど、謎が増えていく。最初、前田先輩は俺に恋愛感情はない、と断言していたが、途中で俺のことを好きになっちゃう…とも言っていた。


(分からん…)


 万が一前田先輩に好意を持たれたとしたら、それはそれで光栄なことだとは思う。

 個人的には吹奏楽部は勿論のこと、この高校で一番の美人じゃないかと思っているからだ。

 そんな天上人からほんの気の迷いであっても、俺に恋愛感情を一瞬持ってくれたなら、とてつもない自信になる。


 そんな事を考えて、夜の合奏後にどんな話をすればいいのか頭を悩ませていると、教室の電気を消していたこともあって、誰かが入ってきても分からなかった。


「…上井君?」


「えっ?だ、誰です?」

 

<次回へ続く>

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