第32話 -合宿2日目・夕飯前の恋愛トレーニング-

 ひたすらコンクール課題曲の『風紋』を合わせ続けた合奏が一段落着いたのは、5時半だった。


 2時頃から合奏を始め、約3時間半ぶっ続けたので、夕飯の準備を始める時間で合奏も終わりとなったのだ。


「じゃあ昼の合奏はこれで終わるけど、夜も合奏するから、夕飯食べて体力付けとけよ〜」


 と福崎先生は、合奏の終わり際にしては割りと機嫌良く、足取り軽く音楽準備室へと戻って行かれた。


 合奏の出来上がりに満足されたのか?


 俺は一応譜面通りには叩けたものの、前に先生から言われた、余裕を見せるようなカッコ付けた叩き方には程遠く、一度だけ先生から、もっと上井は目立ってやる!くらいの姿勢で叩けと、指摘されてしまった。


 部員の方はというと、暑さのせいか、かなり疲労が見えていた。

 その中でE班は夕飯の準備に取り掛からねばならない。

 放送部が事前にタイマーでセットした、夕飯の準備を促すアナウンスが校内に流れていた。


「えっと、皆さん、合奏お疲れ様でした。暑いですね!どうせなら今シャワーを浴びたい方もいるんじゃないかと思いますが、女子は今の時間は女子バレー部の時間なので、我慢して下さい」


 なんとなく女子部員の、見えないブーイングが襲ってくるような気がした。


「男子はシャワー浴びてもええんじゃけど…。女子が我慢しとるけぇ、一緒に夜の合奏後まで我慢しましょう!…ダメですか?」


 そう言ったら大上が返してくれた。


「おう、男子も女子の時間まで我慢しようや。男だけ先にシャワー浴びても、夜の合奏でどうせまた汗かくんじゃけぇ」


 大上が部員が揃っている場で発言するのは珍しいからか、誰も異論を挟む者はいなかった。


「大上、ありがとう。では合奏から引き続きで申し訳ありませんが、E班の皆さん、夕飯の準備をお願いします。E班以外の皆さんは、6時まで暫時休憩して下さい」


 E班の7名は、気怠そうに夕食が届いているスロープの踊り場へと少しずつ向かっていた。


 E班が、俺が編成に一番悩んだ班だ。


 伊野沙織をリーダーに据えつつ、サポートリーダーとして山中を事実上のトップにしたような感じだ。


 山中は誰とでも仲良く出来るので、伊野沙織が話せそうな部員を抜擢しなくてはならなかったが、そういう部員は先にA~D班に組み込んでいたりして、何度もパズルの入れ替えを行うことになった。


 結果的にクラリネットのメンバーが過半数になってしまったが、仕方ないだろう…。


 いつもは俺も各班の食事準備開始時間に食堂教室へ向かい、サポートするのだが、山中がいてくれる安心感からか、あるいは伊野沙織を避けたい精神からなのか分からないが、食堂教室3年1組へ向かう気持ちにならなかった。

 その代わりにティンパニの叩き方について、部で毎月買っているバンドジャーナルという雑誌を引っ張り出し、課題曲クリニックというページを読んで、研究していた。


「上井君、珍しいね。食堂に行かないの?」


 俺が打楽器に移籍してから殆ど話をしていない、サックスの前田先輩が久しぶりに話し掛けてくれた。

 音楽室内を見渡すと、みんな疲れていたはずなのに、とっとと寝室か食堂へと移動したようで、いつの間にか殆ど部員がいなくなっていた。


「あれ?みんないつの間に消えたんだろ?」


「上井君、みんなが移動する音も聞こえないほど、本を夢中で読んでたの?」


「あ、いや、そんなに熱心に読んでた訳でもないんですけどね。考え事してたので…」


「ふーん…。上井君、また何か悩んでるの?」


「えっ」


「当りでしょ?昨日と今日の上井君見てたら、練習以外の所で、物凄い疲れてるように見えるからさ」


 久しぶりに前田先輩と話したが、ずっと俺のことを気にしてくれていたのだろうか。


「いや、その…。些細なことなんですけどね。部員には悩んでる所は気付かれないようにする!ってのがモットーなのに、バレちゃいましたか」


「バレバレだよ。特に昨日なんかはね。みんな心配してたもの。開会式ではいつもの上井君だったけど、練習中とか、元気が急になくなっててさ。まさか体調が悪いんじゃない?って、末田とか心配しとったよ」


「あ、昨日は…。そんなにモロバレだったんですね、すいません。ほんのちょっとした事が切っ掛けだったんですけど…。同期が沢山心配してくれまして。昨日については、モットーが出来てませんでした」


 昨日は、野口に俺の部の運営の方法を批判されて落ち込んでしまったのが、一日中まとわりついたから仕方ない。


「誰かに何か言われたん?ほら、春先にウチラの代が、上井君が生徒会の仕事で部活になかなか出てこれない時、ワザとらしく陰口叩いてたじゃろ?その時の上井君の落ち込み方にチョット似とったけぇ…」


 前田先輩はそれまで立っていたのだが、その言葉を発した後、俺の横に座ってくれた。


「先輩、ありがとうございます。サックスを離れても前田先輩に心配してもらえるなんて、嬉しいです」


「そりゃあ、アタシらの一つ下の代で、一番アタシが気になる部員が上井君だもの」


「えっ?先輩…」


「あ、勘違いしないようにね。恋愛感情とは別だから」


「でっ、ですよね、焦った~」


 俺はほんの一瞬、苦笑いを浮かべた。


「前田先輩には、とても素敵な彼氏さんがいらっしゃると思ってますから。俺は出来損ないの弟みたいなもんだと思いますから」


 前田先輩はちょっと上を見た後、言った。


「アタシに彼氏はいないよ」


「え?」


「高校で、彼氏ほしいなって思ってたけど、上手くいかないもんだよね、恋って…」


「先輩…?」


 まさか前田先輩からそんな話が聞けるとは思わなかった。

 これまでも俺の失恋体験を聞いてくれては、親身になってくれたり、彼氏の有無を尋ねたらはぐらかされたりと、結構恋愛経験豊富なイメージだったからだ。


「上井君、ビックリしてる?もしかして」


「そ、そりゃあ…。前田先輩は恋愛経験豊富だと思ってました」


「やっぱりそう見える?見た目と中身は違うのよ」


 前田先輩はちょっと照れながら、そう言った。


「でも、男の人から告白されたことはありますよね?」


「まあ、告白は、ね…」


「それじゃ、俺と違ってやっぱりモテるじゃないですかぁ」


「でも…。アタシが求めてる理想の男子じゃなかったって言ったら、上井君は怒る?」


「えっ…」


 俺は固まってしまった。

 恋をしたい、彼女がほしい、俺を好きになってくれるならどんな女子でもいい、とまで広言してはいたが、前田先輩に面と向かってそう言われると、確かに俺の好みに合わない女子から告白されても受けるのか?という禅問答が始まってしまう。


 吹奏楽部の同期の女子とは一部を除いて仲良くさせてもらっている…と思っていたが、それでも何となく避けがちな、苦手な同期女子もいるのは確かだった。仮にその女子から告白されたら?


「うーん…」


「上井君、悩んでます!こんな質問されたのは初めてなのでしょう、きっと!」


 前田先輩がお茶目に横でそう言った。


「はい、俺に告白してくれるんなら、どんな女子でもOKと思ってました。でも前田先輩に質問されてよくよく考えたら、俺にも好みのタイプというか、こんな女の子がいいっていう希望があります。去年、辛い失恋を体験したからこそ、慎重になってて、誰でもいいって訳じゃないように思ってることに、今更ながら気付きました」


「でしょ?なんか上井君らしい言い回しじゃけど、自分が異性に求めてる譲れない部分って、誰にでもあると思うんだ」


「そうですね…」


 俺は改めて、自分の好みのタイプを考えていた。初カノの神戸千賀子、去年玉砕した伊野沙織、そして中学時代に片思いしていた女子を思い出すと、優しくて明るくて活発な女子、髪型はショートカット、体型はスレンダーな方で、胸の大きさは他の男子が言うほど気にしていない。というより、あまり胸が大きくない女子を好きになっている傾向がある。


「どう?上井君」


「やっぱり、俺にも理想の女の子像はありますね…。俺自身に魅力がないからフラれ続けてるのに」


「上井君、また自虐入ってる。ダメだよ、自分のことも好きにならなきゃ」


「あ、すいません…。でも恋愛運が無くて、ちょっと女性恐怖症気味な自分っていうのは、なかなか拭いきれないですね、ハハッ…」


「上井君、絶対に上井君のことを好きな女の子っているはずよ」


「そうですか?」


 俺はそれが若本ならいいなと、ふと思った。女子バレー部の笹木主将まで、そう言っていたし。


 …大体、若本が俺にチョッカイ掛けてきたり、かと思えば心配してくれたり、そんな行動は好意がないと出来ないだろう…


「そうならいいんですけどね。ところで前田先輩は告白された時、その男子は好みでは無かったんですね?」


「うん…。こんな言い方を自分からするのは嫌なんだけど、アタシって綺麗で優しいイメージを持たれてるんだ。3年の男子からは…」


「いや、先輩は実際にお綺麗ですし、俺達に優しくて、理想の先輩ですよ?」


「ありがとうね、上井君。でもさ、それはアタシの外見から感じる印象でしょ?本当のアタシって…下ネタとか好きなオッサンみたいな女って言ったら、どう思う?」


「うぐっ。…俺は、前田先輩とずっと一緒に練習してきて、前田先輩の人となりは把握してるつもりです。俺が生徒会役員との兼務で悩んでた時も助けて下さった、義侠心溢れる…姐御肌的な女性、だから綺麗で優しいだけじゃない面も沢山あるって知ってます。先輩が下ネタを本当に好きなのかは分からないですけど、仮に本当に下ネタ好きでも、俺は大丈夫です」


「上井君は優しいね。ありがとう」


 前田先輩はそう言うと、少し手で目頭を押さえた。


(先輩、泣かしちゃったのかな?ヤバいな…)


「アタシにね、これまで告白してくれた男の子って、アタシの外見だけを見て告白してきてるんだ。アタシは、本当のアタシのことを理解してくれる男の子じゃないと付き合えないし、その点を告白された時に相手の男の子に質問したら、みんな何故かごめんなさいって言って告白を白紙にして逃げちゃうの。アタシが重い女なのかもしれないけど…」


「で、でも、先輩の気持ち、俺はよく分かりますよ」


「上井君ったら。お姉さんを困らせないで」


「え?困らせるって?」


「…上井君のことを好きになっちゃうじゃん」


「へ?今、な、なんておっしゃいました?」


「優しい上井君、お姉さんを困らせないで…」


 前田先輩はそう言うと、誰もいない音楽室で、俺の右肩に顔を乗せてきた。


「えぇっ!?」


「夕ご飯前に、ほんのちょっとだけ…。上井君に癒やされたい気持ち。許してね…」


 まさか、前田先輩が俺に寄りかかるなんて…。

 俺は加速する脈拍を前田先輩に気付かれないようにするだけで精一杯だった…。


(どうしよう…。どうしたらいいんだ?誰かに見られたりしたら…)


<次回へ続く>

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