第31話 -合宿2日目・午後-
「宮田さん、少しは落ち着いた?」
「あ、上井センパイ…」
音楽室へ向かうと、先に宮田京子が来ていて、1人でポツンと譜面を見ていた。
だが俺の顔を見るなり、ウルウルと目に涙が溢れそうになっていた。
「ちょっと待った!宮田さんが何故泣くの?もう泣かんでもええのに」
「だって、だって…。アタシがセンパイの昨日の本当の悩みを知らなかったとはいえ、広田センパイが秘密にしようって決めた話を勝手に広めちゃって…」
「その話なら、もう終わったことだよ!みんな、なーんだそんなことかって感じだったじゃろ?」
「…うん…いや、ハイ」
「わざわざ言い換えなくても良いよ。今まで通り、気楽に接してよ。じゃないと、俺が泣いちゃうよ」
と言って、泣き真似をしてみせた。宮田も零れそうな涙をハンカチで拭き取ると、やっと少し笑顔になってくれた。
「センパイって、優しいんですね」
「そう、やらしいよ〜。だからシャワー浴びる時は俺が近くにいないか、確認してから…」
「んもう、何をワザとボケてるんですか。男子がヤラシイのは当たり前じゃけど。…そんなボケる所が、センパイの優しさだな〜。ね、センパイ」
「いや、まあ、その…」
宮田に全て言われてしまい、返せなくなってしまった所に、タイミングよく広田が来てくれた。
「あれっ、上井君早いね?京子ちゃんも」
「まあなんとなくね。広田さんも早いんじゃないん?まだ1時を回ったばっかりだよ?」
「アタシは…。やっぱり京子ちゃんがちょっと心配だったから。でも今、上井君と雰囲気良く話せてたみたいだから、安心したの」
「広田センパイまで…。アタシはいいパートで、いい先輩方に恵まれました!1年が一気にいなくなった時は不安だったけど、頑張ってきて良かった…」
又も宮田が目を潤ませ始めたので、俺はワザとヨシヨシと、軽く頭を撫でた。
「センパイ、そんなことされたら余計に感激しちゃう…」
「あれ?上井君も何時の間にか女心を掴むテクを覚えたんじゃねぇ、エライ!アタシがヨシヨシってしてあげよっか」
絶妙な広田の突っ込みだった。
「女心なんて掴めんよ〜。宮田さんにしたのは慰めだし。第一、俺がそんな器用な男なら、彼女がいてもええと思うんじゃけど、どう?」
「…おらんよね」
「はい、広田さん!低音でボソッと呟くように言わない!」
そんなやり取りをしていると、宮田も再び笑顔に戻った。良かった…。
そこへ田中先輩も加わり、みんな仲がええね〜、アタシも打楽器を安心して引退出来るねと言ってくれた。
「でも田中先輩、二学期になっても、たまに顔出してくださいよ。広田さんと宮田さんは安心じゃけど、俺は即席栽培野郎ですから」
「即席って、まあそうかもしれんけどさ」
田中先輩は少し笑いながら応えてくれた。
「上井君もさ、打楽器に移って来てからの様子を見てるけど、ようやっとると思うよ~。ティンパニのロールはこなせるようになったし、音階も掴めるようになったじゃろ。それに男子が1人でもおってくれると、打楽器って安心なんだよね」
「そうです?」
「そうだよ。ティンパニがまさにそうだもん。大きな太鼓を4つ運ぶのも大変だし、他にも大きな楽器は沢山あるしね。あとティンパニは実際に叩くのも、女子だと大変なんだよ。激しいリズムの時は、スカートがまとわり付くのが鬱陶しかったりするから」
「なるほど…」
確かに、右に左に激しくティンパニを叩くフレーズの時は、スカートだと邪魔だろうな。初心者の俺でも、容易に想像が付いた。
「あと、ドラムね。上井君もいつかドラム叩けるようになってほしいのよ。来年の定演とかで」
「ドラムですか!マジですか!」
俄かに俺は目が輝いた。実は最近のベストテン系番組では、バンドが増えているのもあり、その曲を見聞きしていたら、ドラムを叩けたらカッコイイな、と思っていたからだ。
「ドラムは分かるよね?あれさ、右足と左足が別々の動きをするから、叩く時はちょっと足を広げる格好になるんよ。それは女子には、ましてやスカートではちょっと恥ずかしいんよ」
「更になるほど!です。確かにそうですね」
「じゃけぇ上井君、この先もサックスには戻らんとってね」
まあこれは半分冗談、半分本気よ〜と言いながら、田中先輩は自分のペースで練習の準備をし始めた。
「上井君、田中先輩に期待されとるじゃん!サックスには戻れんね、これじゃ。アタシもホルンには戻れなさそうじゃけど」
広田が苦笑いしながらそう話し掛けてきた。俺も答えた。
「まあ、人数を考えたら、戻れる訳ないよね。9月以降は俺と広田さん、宮田さんの3人でこなしていかにゃあいけんし。まず体育祭があって…」
「上井センパイ、先の話は止めときません?なんか、大丈夫なはずなのに寂しくなっちゃうから…」
宮田がそう言った。
「そ、そうじゃね!今はコンクールでゴールド金賞を狙わなきゃ!」
「お、心意気がええのぉ、部長」
「え?あっ、先生」
福崎先生が隣の音楽準備室から入ってこられたのだった。合宿に入ってから、パート練習の時間は管楽器の指導に回っておられ、打楽器はまだ個別には診てもらえていなかった。
「ところで上井、今朝ちょっと言ったんじゃが、午後は合奏に変えてもええか?」
「あ、はい…。俺は構いませんが…」
今朝、ラジオ体操の後に俺が今日の予定を説明していた際、不意に福崎先生が俺の喋りを引き取るように合奏に変えるかもしれん、と言われたのを思い出した。
(そうだ、あの時、いつも予定を変更する時は、事前に俺に聞いてから部員向けに話す先生が、俺には何も言わずに突然予定変更するかもと言って、ちょっと動揺したんだ…)
大したことでもないが、俺はほんの少し引っ掛かっていたのだった。
「じゃあ合奏に変更するから、上井、音楽準備室から放送で話してくれるか?」
「はい、分かりました」
校内の放送は基本的に放送室から行うのだが、放送室が閉まっている時に備えて、各専門科目の教科準備室から、内線電話を利用して簡易校内放送が出来るようになっていた。
前に美術準備室から末永先生が神戸千賀子を呼び出したことがあったが、その時もこの方法だった。
俺は受話器を取り、校内一斉放送の番号を押して、喋り始めた。
『吹奏楽部の皆さんに連絡いたします。午後の練習はパート練習ではなく、合奏に変更となりましたので、音楽室に集合して下さい。繰り返します、吹奏楽部の皆さん…』
人前で喋る訳ではないのに、異様に緊張しながら喋り終わった。
「上井、ありがとう」
福崎先生にそう言われたので、俺は今朝感じた引っ掛かりを、軽く先生に聞いてみた。
「先生、今朝の話なんですが…」
「ん?今朝か?昼間の、お前が着替えを忘れたとか何とかじゃなくて?」
先生にまで茶化されてしまったが、部員全員の前で発言した以上、公式的には一泊分の着替えを忘れたことで押し通さねばならない。本当は忘れてなんかいないが…。
「もし着替えを買って来たいんなら、夕飯の後にでもちょっと外出していいぞ」
「あー、先生、その件はもう大丈夫です、ハハッ…」
「そうか?お前、結構汗かきだろう?大丈夫か?」
「大丈夫です、心ある同期が助けてくれましたので…」
「そうか、それならいいが、何か困ったことがあれば、言ってくれよ」
「はい…」
なんでこんな変な汗をかかなきゃいけないんだ。それより今朝の違和感だ。
「ところで先生、今からの練習を合奏に変えるって、今朝の体操の後にも言われましたけど」
「ああ、今朝はお前に先に話しておかなくて、悪かったな」
あっさり解決してしまった。
「お前、体操に遅刻ギリギリだったじゃろう?じゃけぇ、お前に予定を変更したいって言うタイミングを外してしもうてな」
「あ、俺の寝坊が原因でしたか!わ、スイマセン」
何ということもない、俺が寝坊して遅刻したから、先生は俺に声を掛けるタイミングを失っただけだった。
「まあ俺はラジオ体操の遅刻とかは気にしてない。俺が気にするのは、練習時間を守ってくれるかどうかだからな」
「そ、そうですよね」
「ラジオ体操は、お前達に一任してるってところだな、これまでも」
何となく習慣的にラジオ体操もプログラムに組み込んではいるが、先生にしてみたら義務ではない、と感じておられるみたいだ。
だからといって、このことを部員に明らかにしようとは思わなかったし、遅刻したらグランド5周というペナルティというのもそのまま続けようと思った。
…俺が俺にペナルティを科さないよう、寝坊には気を付けなくては…
「じゃあ先生、合奏の準備をしますので…」
「おお、悪いな。一応昼は風紋に絞って合わせるつもりじゃ。打楽器のみんなにも先に伝えておいてくれ」
「分かりました、ありがとうございます」
風紋か…。
最初に聴いた時は、バリサクで出る予定だったから、やっぱり今回もバリサクは目立たんなぁ、と思ったりしていた。
それが打楽器に移籍したことでティンパニで出ることになり、何度も風紋を聴くたびに、ティンパニが目立つ場面が多いことに怯んでしまう。
特に初めのスローテンポな部分からアップテンポに変調する部分は、ティンパニが重要だ。
更に曲の締めもティンパニがないと締まらないような構成になっている。
コンクールまでよく考えたら残り2週間だ。
俺にティンパニの大役が務まるのか?
俄に不安になってしまう。
音楽室に戻り、徐々にパート練習から戻ってくる部員を眺めつつも、俺は既に色々書き込んで見にくくなっているティンパニの譜面を読み込んでいた。その前に打楽器のみんなに、今から風紋やるんだって、と伝えてはおいた。
「上井、お疲れ」
譜面を見ていた俺に声を掛けてきたのは、大村だった。
「あぁ、大村。大村もお疲れさん」
「上井、昼飯の時に言ってた話、今更じゃけど、嘘なんじゃろ?」
大村は小声で、周りに聞こえないようにそう言ってきた。
「大村にもバレた?」
「当たり前じゃろ。昨日、お前の悩みを聞いとるんじゃけぇ。それがなんで今日になったら着替えを忘れたせいで昨日は元気がなかったとか、変な話になるのか、全然意味不明じゃん」
「そうだよな、神戸さんと一緒に…ある女子から粗探しされて突っ込まれて…って悩みを聞いてもらったもんな」
「じゃけぇ、あんな話をした上井の本心は何なのか、ちょっと知りたくてさ」
「本心?そんな大したもんじゃないよ」
「そうか?まあ、神戸さんはなんとなく…クラの1年女子が午前の休憩後、上井の変な噂を聞いたみたいで喜んどるって、頭の中が?マークだらけになったとは言ってたよ。で、何かあったの?って聞いても教えてくれんかったらしい」
「ふーん…」
ということは、パンツを忘れたというネタは、1年生の女子の中だけで盛り上がっていたのか?2年、3年が昼飯前の俺の言葉に、『何言ってんだ?』ってなるのも不思議じゃないな。
「なんとなく今の大村の話で、かなり救われたよ、ありがとう」
「へ?俺は全貌が分からんけぇ、スッキリしとらんのじゃけど」
「まあ詳しくは後ででも話すよ。そろそろ合奏始まりそうじゃし」
「あ、ああ…。じゃ、また後で」
大村はホルンの自席へと戻った。昨日の俺の悩みが、今日になって着替えを忘れていたことに変貌したことが、腑に落ちないようだ。
その辺りは今日の噂だけに絞って誰かを庇ってるんだろ?と察してくれた山中と、噂を拡大させたクラリネットの1年女子のリーダーを彼女に持つ大村の違いかもしれない…。
「全部のパート、揃ったかな?」
福崎先生が音楽準備室から出てこられた。俺が見る限り、ほぼ揃っているようだ。
「はい、大丈夫のようです」
俺が答えた。
「じゃ、合奏始めるか。『風紋』、まず1回通してみよう」
音楽室に緊張が走る。先生がタクトを上げ、合奏が始まった。
(何処まで食い込めるかな…)
俺はティンパニのマレットを手に、譜面を目で追いながら、ティンパニの出番を待ち構えた。
<次回へ続く>
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