第30話 -合宿2日目・動揺-
合宿2日目の昼食時間を迎えた。
俺は結局どの時間も、各班の準備開始に合わせて食堂に充てられている3年1組に出向いている。
一応野口に指摘された感情的なシコリは取れたが、A班からE班までの5班が、一通り一回は食事の準備をスムーズに行えているのかを確認したいからだ。
(一番の難敵はE班だけどな…。どうしようかな、今日の夕飯…)
D班が準備する昼食を確認する前から、伊野沙織をリーダーに指名したE班にどう接しようか、叉も悩んでいる俺がいる。
そんな心配を減らすために、山中にE班に入ってもらったのだから、山中に話し掛ければ良いと思いつつ…伊野沙織から逃げていてもダメじゃないかと思う俺もいる。
(あと6時間、じっくり考えるか…)
食堂の3年1組に着いたら、賑やかな声が聞こえてきた。
村山と伊東という、異色の組み合わせが功を奏したようだ。
伊東に憧れている…と俺が感じた1年の女子を配置したのも良かったかもしれない。と思っのだが…
「村山、どんな感じ?」
「おっ、上井。お前、何かネタになるようなことをしたんか?」
「へ?」
何のことだ?と辺りを見回すと、食事の準備をしていたクラリネットの1年の女子、村井佳代が俺の顔を見て照れながら話し掛けてきた。
「上井センパイ、もしパンツが足りなくなったら、アタシもお兄ちゃんのを持ってきますから。アタシのは貸せませんけど、安心して下さいね!」
そう言うと、キャッと言いながら女子の集団…と言っても4人だが…へ戻っていった。
俺が呆然としていると、後ろから伊東が
「上井はええのぉ、女の子にパンツの心配されるなんて」
と茶化すように話し掛けてきた。
どうやら休憩時間に、宮田がクラリネットの1年生の女子に、同期の広田が苦肉の策で編み出した俺の架空の悩みを、面白可笑しく話したのが、拡大しているようだ。
広田は宮田に真実を話しておくとは言っていたが、時既に遅し、なのかもしれない。俺は深く溜息を付かざるを得なかった。
トロンボーンの1年生男子、布浦まで、
「先輩、羨ましいです」
なんてボソッと喋り掛けてきた。この話の何処が羨ましく思えるんだ?
俺が混乱している内に、徐々に部員が集まり始めた。
当然、俺の架空の悩みは、
『事件!上井部長、着替えのパンツを忘れる!』
として、特に1年の女子の間に、あっという間に拡散されていた。
俺が部屋の前方で様子を見ていたら、2年、3年はともかく、1年の女子は一度は俺の顔を見てから、何故か真っ赤な顔をして席に着いていた。
(何なんだ、これは。昼飯の号令の前に、何か釈明しなきゃいけないのか?)
そこへ宮田と広田が揃って現れ、宮田がさっきとは打って変わった神妙な表情で、俺に謝ってきた。
「上井センパイ、ごめんなさい…。アタシ、センパイがパンツを忘れるなんて、こんな面白い事件はないと思って、つい休憩の時に会った、クラの女の子達に話しちゃったんです。広田先輩にも3人の秘密って言われてたのに…」
泣きそうな顔で宮田が俺にそう言ってくる。広田も
「アタシから京子ちゃんには、上井君の昨日の元気の無さについては、本当のことを説明したけぇ、許してあげて。元はアタシが悪いんじゃけぇ…」
と言ってくれた。
ネタがネタだけに、複雑な気持ちではあったが、せっかくの昼食時間、宮田京子を悲しい気持ちのまま、広田史子を責任を感じさせたまま過ごさせるのは、本意ではない。
「宮田さんさえ分かってくれたらええよ。後はここまで1年女子が盛り上がってしもうとるもん、なかなか火消しは出来んし…」
「センパイ、許して下さい…」
「許すも何もないよ。宮田さんはいつもの通り、元気で明るい宮田さんに戻ってね。広田さんも…頼んだよ」
2人はキョトンとしていたが、とりあえず俺はそう言って、食事の席へと着かせた。
福崎先生もやって来られ、俺に合図をくれたので、俺は昼食前の号令を始めることにした。
意を決して話そうとすると、俺が何を話すのかと雰囲気が浮ついているのを、肌身に感じる。さてと、どうまとめようか…
「えー、皆さん、合宿2日目の昼となりました。まだ半分も日程を消化してませんが、何やら1年生の女子の皆さん、昨日俺がちょっと元気がなかった時がありまして…そのことは皆さんに失礼しました、なんですが、そのことで、それに関する面白い話が出回ってるようですね?」
当然1年女子は、ザワザワしている。まだこの展開を知らない2年、3年は、何のこと?とキョトンとしている。
「えっと、皆さんに安心して昼ご飯を食べてもらうために説明します。私は部長だというのに、なんとですね、あろうことか、着替えを合宿の3泊4日分じゃなくて、何故か2泊3日分しか持ってこなかったんです!」
1年の女子は、やっぱり!という表情をしつつも、あれ?なんか出回ってる話と違う?という表情になっていた。
2年と3年は、ふーん、という表情をしていた。そこは学年の違いだろうか。
「そういう話を練習の休憩時間にしていたら、何故か私が、なんとパンツを!パンツを3泊4日分丸々忘れて、昨日時々元気がなかったというように、変化して伝わっていったみたいです。それが今、主に1年の女子のみんなの間で伝わっていると思います。安心してください、足りないのは1泊分だけです。こんなのはシャワールームで洗えば良いんです。すぐ乾きますから」
教室内を笑いが覆った。
「今から昼飯じゃいうのに、何を上井は言い出すんじゃと思われるかもしれませんが、多分今しかちゃんと事実を言うチャンスがないと思って、言わせていただきました。俺は元気ですから。じゃ、こんな話を何時までもしていたらメシが不味くなりますので、食べましょう!合掌!」
教室内は変わらずザワザワしていて、なーんだという声も聞こえたが、変な噂の真相が分かったみたいな、なんとなく落ち着いたような雰囲気にも見えた。
チラッと広田、宮田の2人を見たら、広田とは目が合い、ウインクしながら両手を合わせてくれていた。
宮田は顔を両手で覆っていたのでどんな状態かは分からなかったが、安心してくれたのではないだろうか?
とりあえず俺も男子の輪の中に入り昼食を取ったが、こういう時に状況をすぐ察してくれる山中が、俺の隣の席から肩をポンポンと叩いてくれた。
「上井、お疲れ。本当は別に忘れ物なんかしとらんのじゃろ?」
と、小声でそっと話し掛けてくれた。
「うっ、なんで分かった?」
「昨日のお前の落ち込みっぷりを知っとるから。忘れ物くらいであんなに落ち込まんじゃろ?それにそんな忘れ物を仮にしたとしても、そんな恥ずかしい忘れ物なら、お前は誰にも言わんじゃろ?パー練の合間でも。だから、噂の出元の人間を守ってるんじゃないか?ってね。お前が守りたい部員も、まあ想像はすぐ付いたけどな」
「見抜かれとるなぁ…」
「でもまあ、なんとなく部長も完璧じゃないんだ、みたいな感じで、雰囲気がホンワカしたから、あれはあれでええんじゃないんか?」
互いに昼ご飯の牛丼を食べながら、会話を交わした。
(山中…いい奴と知り合えて良かったよ、ありがとう)
一方、中学からの親友のはずの村山は、全く我関せずで、1年の男子と喋っていた。そこに何となく、溝が出来ているような気がした。
そして昼食も終わり、号令を掛けた後、D班の片付けをボーッと眺めていたら、若本が声を掛けてきた。
「センパイ、ちょっとだけいい?」
「ん?どしたん?」
「ここじゃ他の人に聞こえるから、ちょっと離れたところで…」
そう言うと若本は、俺を教室棟の3階と2階の踊り場まで連れてきた。
「えらい遠くまで連行されたけど、何?」
「…アタシ、お昼ご飯の時のセンパイの前説?アレを聞いてね、なんてセンパイって優しいんだろうって思ったんだ」
「…優しい?」
「アタシ、昨日センパイが落ち込んでた理由を知ってるから、なんで今日になって突然、センパイが着替えを忘れたせいで昨日落ち込んでたとかいう噂が出回ったのか、不思議に思ったの」
「うん…」
「そしたらね、上手く言えないけど、誰かを庇ってるんじゃないかなって思ったの。そう考えたら、全部腑に落ちるんだ」
「…そうか…。鋭いのは1人だけじゃなかったかぁ」
「え?他にも誰かから、本当は違うんでしょ!って言われたの?センパイ…」
「うん。まあ若本なら喋っても良いかな。山中だよ」
「山中センパイかぁ…。やっぱり山中センパイって、鋭いですね」
「そうだね。俺がこの高校に入って、山中と出会えたのは最大の喜びかもしれないよ」
「生徒会も一緒だから、かな?」
「それはあるよ、間違いなく」
「アタシの予想で、誰を庇ってるのかは大体予想が付くけど…。言わないでおくね」
「うん、多分若本の予想は当たってると思う」
「だからセンパイ、忘れ物なんかしてないでしょ?」
若本はちょっと意地悪っぽい、小悪魔的な感じで俺を見た。
その表情を見ていたら、どうしても若本に対する恋愛感情が湧いてくる。
「忘れ物なんか、するわけないよ。万が一着替えを忘れたとしても、昨日みたいに落ち込んだりはしないよ。それこそ隙をみてコンビニに買いに行くじゃろうね」
「やっぱりね。まあアタシももし万が一、本当にセンパイがパンツを忘れたんなら、ブルマー貸してあげてもいいかな?なんて、噂が出回ってた時に、ほんの少し考えたけど」
「ブ、ブルマー?」
思わず、若本から再び発せられたブルマーという単語に俺は動揺し、顔が赤くなってしまった。
「冗談よ、センパイ!いくら上井センパイでも、男の人にブルマー貸すわけないじゃん。照れちゃってるんだから。そんなセンパイ、可愛いよ!じゃあ午後の練習、頑張ろうね!」
若本は俺をからかってから、スタスタと階段を降りて行った。2階が女子の部屋なので、女子の部屋へ戻ったのだろうが、俺は踊り場に取り残され、若本という娘悪魔に翻弄されたような気分だった。
だがもしかしたら若本なりに、俺を元気付けようとしてくれたのかもしれないな、そう思えてきた。
昨日は昨日で精神的に落ち込み、今日は今日で意味不明な噂を流され、昼食後にD班の片付けをボーッと眺めていた俺が、疲れて見えたのかもしれない。
(若本、ありがとう)
だが若本が俺に話し掛けてくれる度に、俺の中で若本の存在が大きくなっていく。
押さえようとしても、若本のことを好きになっていく自分がいる。
(こんな気持ち、どうすれば良いんだ…)
俺は男子部屋には戻らず、そのまま音楽室へと向かった。
<次回へ続く>
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