第28話 -合宿2日目・涙-

 俺は野口真由美に連れられて、以前よく話をしていた屋上に通じる階段の踊り場にやって来た。


 と言っても、昨日の朝もここで野口と喋り、今回の合宿での俺のやり方に異議を申し立てられたのだが…。


 そのせいか俺はかなり緊張していた。


(更に何か言われるのかな…)


 ちょっとテンションが戻ってきていた俺は、再び緊張していた。


 まずは2人して階段に並んで座ったが、すぐに野口が踊り場へと降りると、正座して土下座せんばかりの勢いで話し始めた。


「上井君、ごめんなさい!」


「ちょっ、ちょっと野口さん…?あの…」


 あまりの急展開に、続く言葉が出てこなかった。


「上井君、昨日1日全然元気がなかったでしょ?誰かが問い掛けても上の空だったり、夜も早々に寝ちゃったって聞いたし。アタシが昨日、上井君に合宿の気になる点を指摘しちゃったせいだよね?」


「あっ、いや…そんなことは…」


「ううん、お前のせいで、って言ってもらえた方が、アタシはよっぽど楽になるの。吹奏楽部の部長で、太陽のような存在の上井君が落ち込んで月になっちゃって、それがアタシが原因だったら、どれだけでも謝るから」


「謝るなんて…そんな…いいよ」


「いや、謝りたいの。上井君は部長として日頃から自分を犠牲にして頑張ってるのに、アタシが重箱の隅を突くような嫌味なことを言っちゃって、そのせいで昨日は上井君の気持ちが落ち込んでたでしょ?部の運営にまで影響が出たら…。アタシ、部活を辞めなくちゃいけないもん」


 今にも野口は泣き出さんばかりの勢いで喋り続けた。


「ちょっと待って、なんで退部の話になるの?」


「だって、上井君に反抗して空気を乱したから…」


「いやいや、俺はもう退部する部員なんていてほしくないし。今いる部員全員、みんなで仲良くして頑張ってコンクールで金賞取りたいし、春の定演も頑張りたいし」


「…その未来図に、アタシは入る資格はあるの?」


 野口は少し気持ちを落ち着かせてから聞いてきた。


「当たり前じゃん!野口さんとは、築いてきた友情があると信じとるよ。確かに昨日は不意を突かれた形で動揺して、元気が出なかったよ。落ち込みもした。それは認めるけど、野口さんをそのせいで恨むなんてことはしないし、これからはもっと事前の話し合いとか、役員でしなくちゃな、って反省材料をもらったと思ってるから」


「…本当に?」


 涙ぐみながら、野口が聞いてきた。


「うん。俺は臆病者じゃけど…。じゃけぇ、みんなの前ではワザと明るく振舞って、敵を作らないようにしとるだけなんよ」


「えっ…?」


 野口は何か衝撃を受けたような顔をした。


「本当の自分のことなんか、誰にも話したことはないけぇね。確かに自分は明るいこと、楽しいことが好きじゃけど、それはどうせ自分なんか…っていう、心の奥底の自分を出さないようにしとるからなんよ」


「そんな…」


「その前に、そんな所に正座してたら足が痛くなっちゃうよ。隣に座りなよ」


「あ、うん…。ありがと。ごめんね、実はちょっと痺れ始めてたの」


 野口はヨロヨロと立ち上がり、俺の横に座り直した。


「野口さんだって、心の奥の本音の自分とか、いるんじゃない?」


「アタシ?アタシは…そうね、でも思っても口に出さない。口に出したらアタシの周りは敵ばかりになっちゃうから」


 野口はやっと泣き顔から少し笑顔になって、そう言った。


「やっと笑ってくれたね。とりあえず、野口さんと俺が昨日のことを引き摺らないように…」


 俺は右手を差し出した。野口も右手で呼応してくれ、握手が成立した。


「これで元通りね」


「ん?仲直りじゃなくて?」


「うん。仲直りって、不仲だった時期を含めるものだと思うの。アタシは上井君と仲違いした昨日という日を、含めたくないから」


「野口語録じゃね」


「え?何それ」


「野口さんって、独特な考え方するじゃろ?他の女の子と違って。だからそう名付けたんじゃけど」


「ふふっ、それを言ったら上井君だって、上井語録が出来るわよ」


「え?俺の発した言葉なんか、その場しのぎのオヤジギャグとかで特に意味はないと思うけど?」


「ううん、ミーティングの時とか、その日の雰囲気を指して、結構いいこと言ってるもん」


「そうかなぁ…」


「ま、自分じゃ分かんないよね、なかなか」


「うん、分からん!」


「そこ、胸張って言うところじゃないから!」


 しばらく2人で笑い合った。野口真由美とは2年生になってから疎遠になっていたが、やっぱり直接話すと、男女間に友情は成り立つという思いが強くなる。


 ふと俺は思った。俺は俺自身でも気付かない本音では、神戸千賀子とも、このような男女の壁を超えた友人関係を築きたいと、いつの間にか思っているのではないか?だから朝食の時も、何か一言声を掛けてみたいと思い付いたのではないだろうか。


「でもさ、上井君。アタシやっぱり気になるんだ、どうせ自分なんか…っていう、上井君の心の奥の思いが」


「その点?うーん…。やっぱり恋愛体験が大きいね。今俺って、物凄い恋愛恐怖症なんよね。それは神戸さんにフラれた後の展開が一つと、絶対の自信があった伊野さんにフラれてそれから全然話してくれないのが一つ。失恋したこと自体もじゃけど、失恋した後の出来事で、たった2人にフラれただけだけど、20人分くらい失恋したような痛い目に合ってるようなことが影響しとるんよ」


「うんうん…」


「じゃけぇ、恋愛恐怖症って自虐してるけど、本当はどうせ自分なんか好きになってくれる女の子なんてこの先もいない、現れない、そう思ってるよ。それが、どうせ自分なんか…って思うようになったキッカケかな」


「なっ、何を言い出すの?」


 野口は目を真ん丸にして驚くように言った。


「実際、同期の男子を見てもさ、俺以外の5人って高校に入ってから今までに一度は彼女が出来たり、告白されたり、前向きな恋愛系イベントが発生しとるんよね。じゃけど俺は一度もそんなことに巡り合ったことがないし、後ろ向きなことしか経験してないし」


「そ、それは上井君の被害妄想じゃない?絶対上井君を好きな女の子って、いるよ!必ず」


「ありがとう。…そんな慰めを何回受けたかなぁ…。女の子の友達…というか話せる女子は多いけど、それ以上発展せんのよね」


「…それって変な例えじゃけど、アタシみたいな女子?」


「そうやね、確かに。友達としては話せるけど」


「そっかー…。やっぱり上井君だって、モテたいよね。こんなに頑張っとるんじゃけぇ」


「モテたいというか、1人でいいんだ。1人でいいから、俺のことを好きって言ってくれる女の子がいてほしい、かな」


「それならきっと…」


「何処かにいる?聞いたことある?ないじゃろ。おらんよ、そんな女の子は」


 俺は唯一恋心が芽生えている若本を脳裏に浮かべつつ、そう言った。


「上井君がチカとサオちゃんから受けた傷って、相当深いんじゃね…」


「フラれた後がね。次々彼氏を作り続けたり、ガン無視されたり。じゃあもう女子なんて俺のことを好きになんてなってくれるはずがないって思っちゃうよ。今はせめて卒業までに、この傷痕を治したい。彼女はそりゃあほしいけど、俺から動くことはないよ。フラれるのが怖いし、どうせ…ってのが先に働いちゃうから」


 ふと野口を見たら、笑顔に戻っていたはずなのに大粒の涙を浮かべていた。


「ちょっと野口さん!泣かないでよ」


「だって…だってさ、上井君って思いやりがあって優しくて、率先してじゃないかもしれないけど生徒会の役員もして、部長もして吹奏楽部のためにこんなに頑張ってるのに。いっつもみんなのために自分を犠牲にして頑張ってるのに。上井君の魅力に気付かないなんて、ウチの女子は目が節穴だよ…」


 泣きながらそう言う野口を見ると、ふと心がグラッと来そうになってしまった。でも俺は直感的に野口に告白して恋人関係になっても、絶対上手くいかないと思っている。既に友人としての関係が出来上がってしまっているからだ。

 これがもし、昨年の須藤部長からの告白を拒否するための偽カップルを演じていた時なら、そのまま恋人になれたのかもしれない。

 だがあの頃はまだ、神戸千賀子に付けられた傷が全く癒えておらず、傷が癒えるどころか大村との件もあって更に傷が深まっていた。

 タイミングが良くなかったのだ…。


「…ありがとね。野口さんからそう言ってもらえるだけで、頑張れるよ。泣かないで、そろそろパート練習の時間だし。戻ろうよ」


「うっ、うん…」


「明日の朝食はウチらA班じゃけぇ、またよろしくね」


「うんっ」


「じゃ、俺はすぐ隣が練習場所じゃけぇ…。野口さんは…クラは今日はどこになってるのかな」


「生物学教室よ。じゃ、アタシ、先に行くね。ありがとう、上井君。そして、頑張って、上井君」


「よし、頑張るよ!じゃあね」


 俺は涙を拭いて走り去っていく野口真由美を眺めていた。


 眺めつつ、今朝笹木さんから言われた、若本は俺のことを好きなはず、という言葉が脳内をリフレインしていた。


 もしそうなら勿論嬉しいのだが。

 その言葉が、吹奏楽部ではない、女子バレー部の親友から言われたことが、妙に俺に信憑性を抱かせている。


 と思いつつも俺には確かめる勇気は、今は無かった。でも…


(ふう、とりあえず昨日よりはマシな一日のスタートが切れるかな…)


 俺も立ち上がり、音楽室へと向かった。


<次回へ続く>

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