第25話 -合宿2日目・朝-

 合宿1日目は、肉体よりも精神的に疲労困憊になった。


 最後の最後に、女子バレー部の主将で同じ中学出身の笹木さんと悩みを話し合ったりして、ちょっと気が軽くなったが、男子部屋に戻った後、まだまだ元気な1年生に


「明日の朝、体育館に6時半集合だぞ〜」


 と言うのが精一杯で、即寝落ちしてしまった。


 そう言った俺が、後輩の出河に


「上井先輩!もう6時半ですよ!」


 と、体を揺らして起こされているのだから、こんな滑稽なことはない。


「え?マジで?」


「マジですって。みんなもう体育館、行ってますよ」


「うわっ、寝坊した!」


 俺は飛び起きた。


「先輩、昨夜も早々に寝られたのに、どうしたんですか?」


「ちょっとな、昨日色々ありすぎて疲れてさ…。というか、誰か起こしてくれよ〜」


「いや、あまりに先輩がグッスリと寝ておられたので、何だか起こすのが忍びなく…」


「いや、そんなとこで憐れみの令を発布しなくてもええって」


「ともかく先輩、最初から疲れてちゃ、もたないッスよ」


 体育館へ小走りで向かいながら、出河とそんな会話を交わしていた。

 嗚呼、後輩に心配させてしまった…。

 今日は昨日よりもちゃんとしないとな。


 体育館に着いたら、女子バレー部と吹奏楽部が揃っていて、眠そうな顔でラジオ体操の歌を歌っていた。何とか体操本番には間に合ったが…


「あっ、上井センパーイ、寝坊です!」


 俺が体育館に入った途端、若本に見付かり、からかわれるように言われてしまった。

 それが静寂を破る声だったもんだから、吹奏楽部員は勿論、女子バレー部の部員も何だ?と、俺の方をチラ見してくる。


(くー、部長が2日目もこんなんじゃなぁ…)


『ラジオ体操第一!』


 ラジオから元気な声が聞こえてくる。夏休みはプロレスのように全国巡業しているので、子供達の元気な声がラジオ越しに聞こえてくる。

 合宿ではラジオ体操は恒例行事だが、去年も同期の策略で遅刻しそうになったことがあったよな…。


 そう考えると1年、あっという間だった。


 コンクールでは銀賞、直後に伊野さんにフラれ、体育祭では若本に初遭遇、俺の中学の後輩も体育祭に来てくれて、合格したら俺に告白すると宣言してくれたが残念な結果だったようだし。

 その後に生徒会役員にならされ、アンコンで大村夫妻のイチャイチャぶりを見せ付けられ、百人一首で神戸さんと1年ぶりに会話し、定演を経て俺が部長になったものの先輩方の陰口問題、それが収まったら1年生の大量退部…


 何なんだ、あまり心底楽しかったな、笑ったな、ということは少ないじゃないか。


 だけど吹奏楽の魅力は俺を虜にしてしまっている。

 何とか今年のコンクールではゴールド金賞を取りたいし…。


 学校行事では体育祭の直後に修学旅行がある。

 この2大イベントで、またカップルが沢山出来るんだろうな…。

 女子に無縁の俺は、仲の良い男子軍で固まるとするか…。


「上井、おい、起きてるか?」


「へっ?」


 福崎先生の声だった。


「もうラジオ体操、終わったぞ。みんな、お前の指示を待ってるぞ」


「あ、あれ?あっ、ごめん、みんな…」


「上井先輩、寝すぎて逆にボーッとなってませんか?」


 1年生の瀬戸がそう言うと、吹奏楽部の輪が笑いに包まれた。

 だがその中で、野口真由美だけは視線を下に向けていたのだけは気になったが…。


「はい、スイマセン。では朝からの予定、プリントにも大まかに書いてますけど、今日の朝食の準備は…C班ですね。スロープの踊り場に、多分もう一式朝食が届いてると思いますので、この後すぐ準備に取り掛かって下さい」


 C班は神戸リーダーの班だ。大上をサポートに頼んでいる。


「えーっと、こ、神戸さん、よろしく…。大上もサポート頼むね」


「はーい、上井君。分かったよ」


 大上は言葉を発せず頷くだけだったが、神戸は俺の目を見据えて、返事してくれた。


 あれ?なんだ、この懐かしい感覚…。


 彼女が俺のことを、部長とか、おの〜とかではなく、いわゆる「くん」付けで呼んでくれたのは、いつ以来?


 もしかしたら中3まで遡らなくちゃいけないかもしれない。


 ひょっとして昨日俺が野口の一言でペースが狂ってしまったのと、何か関係あるのか?


 神戸&野口会談なんてのがあって、何か決めたりしたのだろうか…なんて、考え過ぎだよな、うん。


「一応朝食は7時半から、朝の練習は9時スタートです。C班以外の方は、7時半まで寛いでもいいし、C班を手伝ってもいいし、自由です。朝食後も9時まで自由ではありますが、みんな江田島合宿で叩き込まれた、10分前行動を思い出して下さいね」


 アチコチから散発的にハーイと声が聞こえる。反対側で笹木さんが今日の予定を女子バレー部の部員に説明して、部員が揃ってハイッ!と返事しているのとは対象的だ。


「では一応解散します。C班の皆さんは準備をお願いします」


 時間的に7時前だが、部員のみんなを見送っていると、瀬戸が女子バレー部の方を意識的に見ているのが分かった。


(そう言えば昨日の昼、同じクラスの女子がいるって言ってたな…。もしかしたら声を掛けたかったのかな?)


 結局そのまま瀬戸は行ってしまったが、もし気になる女の子がいるなら、手助けしてやらねば…。


「だーれだっ!?」


 突然、俺の目を後ろから塞ぐ者がいた。

 いつの間にか背後に何者かが忍び寄っていたようだ。

 完全に虚をつかれてしまったが、ありがたいことに男子ではなく女子だということは分かった。


 …悲しい男の性で、背中に当たる膨らみが、俺の目を隠した張本人の性別を明らかにしていたのだった。


 だが俺も何度か野口や若本といった後輩女子に、背後からいたずらで目隠しされたことはあったが、胸が当たることは無かった。


 それが今回は明らかに胸が背中に当たっている。

 俺の中には、そんな場合の免疫がない。

 目隠ししているのが誰かより、ちょっと女子には見付かりたくない体の反応が起きていた。


 しかし吹奏楽部員は解散したし、誰だ?

 何となく聞き覚えがある声なんだが…。


「もー、タナピーは獲物を見付けた、みたいに遊ばないの!」


 ん?今のは笹木さんの声だ。とすると女子バレー部の誰かかな?でもタナピーとか呼んでたから、近藤妙子ではなさそうだ。


「あ、あの〜、貴女は女子バレー部の2年生ですね?」


「分かる〜?」


「キャプテンがタナピーなんて呼んでいるという事は、結構ユーモアのある女子バレー部の女の子…。田中さんじゃろ!」


「いや〜、やっぱりバレるかぁ」


 俺の視界が開けた。同時に田中さんは俺の背後から離れたが、意外と胸があるのに驚いた。


「上井君、ごめんね〜、ウチの田中が…」


「え?キャプテン酷ーい!アタシが上井君に会えるのはいつ?って聞いたら、ラジオ体操では一緒になるから、その時目隠しでもして驚かせちゃえば?ってけしかけたのに」


「そうだっけ?」


 笹木さんは苦笑いしながら言った。


「だってタナピー、本当に上井君に仕掛けるなんて思わんもん。よく実行したね」


「いや、俺も何となく田中さんかなとは思ったんよ。お久しぶりじゃね、田中さん」


 田中さんが離れてくれたことで、俺の熱い部分は鎮静化していった。危なかった…。


「上井君、酷ーい!」


「え?」


「先月クラスマッチで会ってるじゃん。あの熱い試合、忘れたのぉ?」


「あっ、そんな時代もあったね、アハハ…」


 この体育館で行われた、1学期末のクラスマッチのバレーボールを、俺と静間先輩、角田先輩、そして今、笹木キャプテンと並んでクスクス笑っている近藤さんで運営したのだった。


 そう言えば確かに、お笑い担当の部分しか見てなかった田中さんが、バレーボールの試合では格好良かったのを思い出した。

 無理だと思うような相手クラスからのアタックに喰らいついたり、的確な指示を出してブロックさせて防御したり。


「でもさ、田中さんの相方は山中じゃなかったっけ?」


「山中君?なーんかさ、噂では同じ吹奏楽部内に彼女がいるらしいじゃない?上井君、知っとる?」


「…う、あっ、その〜」


「図星なんじゃね!」


 俺は冷や汗と脂汗が同時に流れた。なんで山中と太田さんが付き合ったことで、俺が問い詰められなくちゃならんのじゃ。


「タナピー、もう上井君を苛めるのはやめなよ。上井君、どうしたらいいか分かんなくて困ってるよ」


 近藤さんがそう助け舟を出してくれた。感謝!


「い、苛めてなんか、ないってばぁ。上井君と親しい関係を築くための第一歩なのに」


 それが背後からの目隠しと、意外にボリュームのある胸の背中への押し付けか…。

 とりあえず女子に対する免疫が平均以下の俺には、あのまま田中さんの胸を押し付けられていたら、かなりヤバかったのは間違いない。


「上井君、吹奏楽部の朝食の準備に行かなきゃいけないでしょ?」


 さすが笹木キャプテン、俺が移動しやすい空気を作ってくれた。


「あ、そうそう…。一応部長じゃけぇ、いつも最初に挨拶せんにゃならんのよ」


「そうなん?じゃ、仕方ないね。アタシはいつでもOKよ、上井君」


 田中さんはそう言うと、他の女子バレー部2年生と共に、教室棟へ戻っていった。

 近藤さんの様子が気になったが、何となく田中さんの突飛な行動に戸惑っているように見えた。


(田中さんの意図は何なんだ?)


 結局よく分からないまま、とりあえず食堂教室の3年1組へと俺は急いだ。


 吹奏楽部員はもう誰もいないと思っていたが…。


 俺と女子バレー部のやり取りを見ていた女子がいたことに気付いたのは、しばらく後のことになる…。


<次回へ続く>

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