第24話 -神戸Side5-
サオちゃんこと伊野沙織を探すのは、そんなに難しくなかった。もうクラリネットのパート練習に割り当てられた生物教室へ、いち早く戻っていたからだ。
「サオちゃん、早いね」
「あっ、神戸さん」
「ね、ちょっとだけ、2人だけの話、いいかな?」
「うん、いいけど、なんで?」
「まあそれは話の中で…」
と言ってアタシはサオちゃんを廊下に呼び出し、生物教室から少し離れた場所に陣取った。
「暑いよね、今年の夏も」
サオちゃんは、めったに自ら話を切り出すタイプじゃない。だからアタシから切り出さなきゃ…。
「そうだね。でも暑すぎるのは嫌だけど、適度に暑くないと、夏って気がしないもんね」
アタシもサオちゃんも、体操服にジャージパンツというスタイル。高校指定の服装のままなのは、それこそ上井君とアタシ達くらいかも?
あとはみんな、下はともかく、上は自由なTシャツを着てる子が殆どだもの。
「あのね、いきなり聞くけど、サオちゃんはさ、今回の合宿の食事班割り振り、どう思う?」
「あ、5班になったのとか?あと、アタシもリーダーにならなきゃいけないとか?」
「そうそう、そこなの。上井君…部長はさ、事前に配ったプリントで、何となくこうなるよってのを匂わせていたけど、詳しく分かったのは今日、音楽室に来てからじゃない?正直に言って、上井君とサオちゃんって…関係が…その…E班のリーダーとか…勝手に…」
アタシは言い淀んでしまった。でも上井君とサオちゃんの関係性については、サオちゃんの方から進んで話してくれた。
「アタシ、確かに上井君とは話せてないよ。神戸さんも知ってるよね?アタシが…去年のコンクールの後に上井君から告白されたのとか、アタシが断っちゃったこととか」
「う、うん」
これまでサオちゃんと話すことはあっても、何となくお互いに上井君について話すことは、避けていた気がする。
二人共、上井君をフッた女同士だから…。
それが、サオちゃんの方から上井君について、初めて口を開いてくれた気がする。
「アタシは、上井君って、凄い男の子だと思うよ」
「す、凄い?」
「うん。吹奏楽部の部長をやって、生徒会の役員もやって、色んな問題が起きても率先して対処してるから…」
この1年間、話してないと言いつつ、ちゃんと見てる所は見てるんだ…。視界に入れないようにしてる訳じゃないんだね。
でもアタシが一番驚いたのは、上井君と目が合いそうになったのに、プイッと横を向いた時。
あれは吹奏楽部…じゃなくて、そう、ついこの前のクラスマッチ!
生徒会役員の立場でバレーボールの担当だった上井君が、審判に試合開始の合図を送った時、サオちゃんと目が合いそうになったのよね。
その時、思いっ切りワザと?って思うくらいに視線を逸らしてたんだ。
アタシはサオちゃんのクラスと3位決定戦の試合する羽目になってたから分かったけど、アレは上井君にはショックだったんじゃないかな…。
でもなんでそんなに上井君を避けるの?って思ってたから、サオちゃんから返ってきた言葉は意外だったな…。
「そんな感じで思ってるんだね。で、でもさ、サオちゃん、上井君を徹底的に避けてない?ちょっと嫌味な言い方だったらごめんね」
「…アタシは上井君に告白された時は、本当は嬉しかったんだ。でもね、カップルになると、いつか終わりが来るかもしれないじゃない?アタシは上井君と、中学校の時は殆ど話したことが無かったけど、高校の吹奏楽部で初めて一緒に帰ったりするようになって、凄く楽しかったの。でもカップルになると、逆に楽しいお話とか出来なくなるんじゃないかって思っちゃったの。その瞬間、お友達のままでいましょう、そう答えちゃったのね…」
サオちゃんは一気に心の奥に溜まっていたかもしれない、誰にも言えなかった気持ちを話してくれた。
「そうだったんだね。でも…」
「そう、上井君と話せてない、つい視線を逸らせちゃうのは、アタシも分かってるよ。直接話さなくなってもう1年くらいかな…。去年のコンクールからだからね」
サオちゃんは俯き気味にそう言った。アタシは何回か目撃した、サオちゃんが上井君を避けている場面を思い出して、尋ねてみた。
「実はアタシね、サオちゃんが上井君と目が合いそうになったりした時、目線を合わせないように顔を逸らしたり、廊下でUターンしたり、そんな場面を何度も見掛けてるんだ…。そんな時って、サオちゃんはどんな心境なの?」
サオちゃんはちょっと考えるような仕草を見せてから、こう答えた。
「アタシは上井君の心を傷付けちゃった。お友達のままでいようって言って、告白をお断りして、上井君も受け入れてくれたのに、全然話したりしないだけじゃなくて、上井君と顔を合わせないようにしたり、声掛けられても無視したり。…最初はね、せっかくアタシみたいな女を好きって言ってくれたのに、お断りしちゃってごめんなさい、そんな思いで、ワザとアタシの視界に上井君を入れないようにしていたの。だけどそれがいつの間にか当たり前になっちゃってね。上井君には本当に悪いなとは思ってる。だけど、本当に上井君と話せなくなっちゃった…」
最初は遠慮していたけど、それが当たり前になってしまった、サオちゃんはそう言いたかったんだろうな。
「だからこれだけ…1年?話さなかったら、話し掛けるのも、話し掛けられるのも…怖いの…」
「怖い?上井君が?」
「…うん。アタシのことなんか、友達でいようって約束も守らない女だって思ってると思うの」
サオちゃんが上井君のことを、怖いと思ってるなんて、初めて聞いたわ。だから…
「…アタシも上井君には酷いことをしたよ。それも一つや二つじゃないもの。生涯絶交されても仕方ないくらいのことを…。でもね、サオちゃん。上井君って、照れ屋さんなの。だから言いたいこともグッと飲み込んで堪えちゃう。アタシは上井君に酷いことをしたから、その見返りにずーっと無視されたけど、でも…でもね…」
アタシは何故か涙が出てきた。
中2の時に緒方中吹奏楽部で上井君に出会ってから、今までの事が、サーッと脳裏に流れたの。
上井君はいつも優しかった。
アタシが北村先輩に髪の毛のことでからかわれた時も、先生に素早く伝えてくれて、山神のケイちゃん経由で大丈夫?って心配してくれた。
3年生の夏休み前の林間学校で、松下のユンちゃんのスニーカーが川の流れに巻き込まれて流されちゃった時、上井君は女の子が裸足じゃいけんって言って、自分のスニーカーをユンちゃんに貸して、そういう自分は林間学校の間ずーっと裸足でいたんだよね。
付き合ってる時も、どう見たって部活の運営で悩んでるのに、アタシには心配させないように、2人でいる時はいつも無理して笑顔だったよね。
山神のケイちゃんのお陰で、元気がない上井君に手紙を書いたけど、その時初めて上井君の本音を聞けた気がしたよ。
結局アタシが、上井君からの誕生日プレゼントに付いてた手紙の中身に、アタシの気持ちなんて分かってくれてないってキレちゃって、別れる決意をしたんだけど…。
「…上井君はね、いつも真っ直ぐで、一生懸命なんだけど、不器用な面があるの。だから、母性本能をくすぐられる感覚になるんだ」
「う、うん。アタシも分かるよ…」
「じゃあサオちゃん、そろそろ上井君と話せるように、なれない?」
「う、うん…。話してみたいけど…。なんか…」
「まだサオちゃんの中には、上井君に対するモヤモヤがある?」
「あのね、同じ中学校だし、去年は告白されるまでは楽しくお話出来てたし、上井君は優しい男の子だってのは、分かってるの。分かってるんだけど…上手く言えないけど…」
「そっか…。でも、ちょっとホッとしたよ。上井君を嫌ってる訳じゃないんだね」
「…うん」
「でも一つ聞かせて?一学期のクラスマッチの時、アタシのクラスとサオちゃんのクラスがバレーボールで3位決定戦したじゃない?その時、上井君が生徒会本部席にいて、サオちゃんの方を見てたの。そしたらサオちゃんは上井君の視線に気付いたのか、プイッと顔を背けた時があったのね…。アタシ何故かその場面が印象強くてさ。上井君と本当に目も合わせたくないんだって思ったの。でも、本当は違うのかな?」
「あ、神戸さん、よく見てるね。あの時はね…それまでと同じで目が合うのが恥ずかしいのと、も一つ恥ずかしい事が起きててね」
「え?恥ずかしい事って?」
「あの…アタシ、ブルマから下着がはみ出てたの」
「あっ…。はみパンしちゃってたんだ!?」
「友達がこっそり教えてくれたんだけど、上井君と目が合いそうになったのが、まだブルマを直してない時だったから…。余計に恥ずかしかったの」
「そうなんだ!男子には分からない恥ずかしさだもんね」
「でしょ?はみパンなんか上井君に見られちゃったら、だらしない女の子って思われちゃうもの。だから余計に目を逸らしたのが、神戸さんからは何時もよりキツく見えたのかな」
「確かにね…。アタシもブルマの時はいつも気を付けてるけど、気を付けててもいつの間にか…ってこと、あるもんね」
「でしょ?これがね、上井君じゃなくて知らない男子だったら、そんなに誤解を生むほど焦って顔を背けたりはしなかったと思うの。…やっぱり上井君のことを意識してるから、そうしちゃうんだろうね」
「うん、サオちゃんの気持ちは大体分かったよ。上井君のことを無視してるのは、意識してることの裏返しでしょ?一言でいうと」
「うっ、うん…。だから、悪意はないの。ただアタシに勇気がないだけ。だから、長い目で見ててほしい、かな」
「分かったよ!でもサオちゃんの気持ち、上井君に伝えるのは…」
「絶対ダメ!これは、神戸さんだから話したんだ。お願い、上井君には秘密でね」
「うっ、うん。アタシだけ…?」
「そう、大村君にも、村山君にも…。クラの他の女の子にも秘密にしといて。ね、お願い!」
そう言われたら、秘密は守らなくちゃ…。
でも、サオちゃんが上井君を嫌ってる訳じゃないのが分かって、良かったわ。
これからもサオちゃんと上井君が直接話せるようになるには、時間が掛かると思う。
でも、二人を大丈夫かな…と不安な目で見なくても大丈夫ってことが分かったから、とりあえずはヨシとしたいけど。
…本当は上井君にも伝えたいな…
「じゃ、練習しよっか!」
「うん、そうしよう」
クラリネットの練習を、アタシとサオちゃんは再開させた。
(上井君、とりあえず安心してね…って、アタシが言えた義理じゃないけど…)
その頃、上井は昼寝しすぎて、打楽器のメンバーが上井を探していたのだった。
<次回へ続く>
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