第19話 -合宿1日目9・笹木との夜-
今時、こんな古典的な方法に引っ掛かるなんて…と、頬を刺された左側を振り返ったら、そこにいたのは笹木恵だった。
「あれっ?笹木さん、女子バレー部はシャワー終わったんじゃないの?」
てっきり吹奏楽部の女子にやられたと思っていた俺は面食らってしまい、何するんだよ!というセリフがすっ飛んだ。
「ごめーん、上井君。シャワーの後も、お互いにじゃけど夜の練習もあるじゃろ?アタシ汗かきじゃけぇ、やっぱ夕方よりも全部終わった夜にシャワー浴びなきゃダメだわ。でも上井君との取り決めで、今は吹奏楽部の女の子のシャワータイムじゃない?だから上井君に許可をもらって、シャワー室に空きがあれば、アタシと同じで、どうしてももう一回シャワーを浴びたい部員を交代で入らせたいの」
そう頼み込む笹木さんの後ろには、数人の女子が並んでいた。顔が分からなかったので、1年生の女子だろう。
「なるほどね…。って言っても、女子のシャワールームの様子は流石に俺も部長じゃ言うても分からんけぇ、中の女子の誰かが出てくるか、笹木さんが特攻してくれるか…」
「アタシが特攻しちゃ、ダメでしょ。吹奏楽部との協定に違反するもん」
「そ、そんなに深く考えんでも…」
「いややっぱり、男の子と女の子は違うからさ。中に吹奏楽部の女子がいて、アタシが突然入ってきたら、なんですか!って衝突しちゃうじゃない。そんなのは避けたいのよね」
「ふむふむ、一理あるね。じゃ、俺は全然構わんから、俺の許可はまずOKということになって、後は空室があるかどうかだね?」
「うん、そうね。誰か入ってるかな?」
「10時前じゃけぇね。ウチの女子が約25人で、シャワー室って女子も6部屋?」
「いや、8部屋だよ」
「なんだろ、その微妙な2部屋の差は。じゃ、回転が上手くいってれば空きが出ててもおかしくないのかな…。ちょっと待ってみようか」
「うん、ゴメンね」
笹木さんは両手を合わせて俺に頼み込む仕草を見せた。
「オーバーだよ、笹木さん、そんなことせんでもええのに。あ、ウチの女子が2人出てきたから、聞いてみるよ」
1年生の赤城と神田の2人が出てきた。2人とも元気でポジティブな性格が似ているから、部内でも友人関係を築けてるんだろうな。
「赤城さーん」
「へっ?あーっ、上井先輩!なんですか、女の時間にシャワー室に来ちゃって。ダメですよ~覗きなんかしちゃ。そんなことしたら部長に言い付けますよ!」
「…あの、部長は俺なんじゃけど…」
「あっ、そうじゃった!アタシ何言ってんだろ、恥ずかしーっ」
大体、シャワールームだって男女別々になっているのだ。赤城は照れてしまったので、神田に話を振ってみた。
「今さ、女子のシャワールームって、空いとる?」
「空いてますよ~。多分、アタシらが一番遅いんじゃないかな?みんな冷たくてもええからって、先を争って夜練の後にシャワーに行きましたからね。それが何か?」
「いや、女子バレー部の皆さんが、ウチらとの取り決めで、シャワーは夕方から夜練までって決めてたじゃろ?じゃけど夜の練習した後、やっぱり汗をかくから、もう一回シャワーを浴びさせてほしいって、お願いされたんよ」
「えーっ、大変ですね!やっぱスポーツ系は汗かきますね。別に空いてれば堂々と入ってもらって良いんじゃないですか?どうですか、先輩」
と神田は屈託なく言ってくれた。
「どう?笹木さん」
「ありがとう、恩に着るわ!でも吹奏楽部女子の時間じゃけぇ、一気に入るわけにはいかないと思うし、2人ずつ浴びるようにしようか。確か待合室みたいな所があったから、そこでシャワー浴びたい人は待機して、終わったら順番にまた入っていけばいいね」
女子バレー部の1年生が、ハイッ!と大きな声で返事した。笹木さんはキャプテンらしく、シャワーを浴びたがっていた、列に並んでいた1年生を2人ずつペアにして、シャワー室へと誘導し、残った部員は待機室で待つように指示していた。
赤城と神田は、帰ってもいいですか?という表情で俺を見ていたので、帰っていいよ、と言ってあげた。
「笹木さんは?」
「アタシは最後でいいの。こんなところでキャプテンだからって先に入らせろ、なーんていうのは、個人的に好かんけぇ」
「男前じゃねぇ、笹木キャプテン!」
「女だってば。いつもスカートで登校しとるじゃん。アタシのブルマ姿だってさんざん見とるクセに~」
「いやいや、誉め言葉だって」
「そう?なんかアタシをからかってやろう、みたいな気持ちが見えたけどな~」
俺と笹木さんは待機室に入らず、外で話し続けた。もしかしたら俺の知らない1年生女子と同じ空間にしないようにという、笹木さんの配慮かもしれない。
「ところで上井君とこは、今日一日どうだった?無事だった?」
「いや…。部長として切り盛りする側になると、大変だったよ」
良かったのは開会式だけだ。その直後に野口さんにアレもコレもと欠点を指摘されると、俺は一気に自信を失ってしまい、全く練習に身が入らなくなってしまった。
幸い、迷惑をかける形になったみんなには、説明して分かってもらえたのだが…。
今も気持ちがスッキリしないのは、野口さんとの関係が微妙な関係になってしまったからだろう。
「だよね~。アタシもよ」
「え?女子バレー部なんて、上手く回ってるな~って思ってたけど」
「全然。女だけの世界だと、1年生の時は良くても、2年生になると…ね」
「そ、そうなんじゃ…」
「今日さ、上井君とはこれで2回目かな?出会ったのが。もっとも今のは待ち伏せてたけど」
「石川ひとみかいっ!」
「突っ込んでくれて嬉しい~!…アタシ、こんな楽しい会話を久しくしてないのよ」
「えっ?」
笹木さんが言うには、2年生になって夏の県大会後に役員改選をした際、すんなり笹木さんに主将の座が移譲された訳ではなかったらしい。
3年生の先輩が贔屓する2年生がいて、誰を主将にするかで揉めたらしく、最後は多数決で笹木さんになったのだが、それを認めたくない3年生が、色々介入してくるらしい。
人数としては少ないが、精神的に参ってしまうのは、俺自身も春先に3年生から陰口を言われていたからよく分かる。
「まあ、3年生が受験とかで忙しくなったら、そんな暇もなくなるだろうし。元々今の2年生は仲良しだったから…」
「もしかしたら、それで昼ご飯の時も…?いくら何でも2年生が笹木さんだけっておかしいと思うたけど」
「…そうなの。今日上井君に会った1回目がね…」
笹木さんは本当なら、俺たちみたいに2年の部員と1年の部員で半々になるようにして、食事班をルーティンで考えていたらしい。
それが合宿に陣中見舞だと言って訪れた3年生の横やりで、1年生と主将は全部の食事の準備に関わること、それ以外の2年生部員はどうしても手が足りない時だけ手伝うことに変えられてしまったのだという。
「笹木さん…」
「ね、結構陰険でしょ。アタシ、そんな女独特みたいな世界を、主将になったら変えられると思ってたのに、まさか引退した3年生が院政を敷いてくるなんてね…」
当然、笹木さん以外の2年生は、3年生の目が怖いから、3年生が目を光らせている間は3年生に従わなくちゃ、何を言われたりやられたりするか、分かったもんじゃない。
笹木さんを支持してくれた3年生もいるのだが、今日は反笹木派の3年が先に乗り込んできているのを見て、挨拶だけして帰ってしまったそうだ。
「堪らんよ…。それって辛すぎる」
「今は3年生が帰ったから、2年生も昼間はごめんね、って言ってくれるんだけど…。でも明日以降もこんなことで神経使うのは嫌だよ、もう。アタシ達は普通なのに、3年生が勝手に派閥作ってアタシらを混乱させるんじゃけぇ…」
「だよね。分かるよ、その気持ち。3年生に振り回されるのって、腹立つよね…」
「上井君も何か3年生と、トラブったの?」
「自分は今の合宿じゃなくて、春先に、なんじゃけどね」
俺は春先に、部長になってから3年生に2週間陰口を言われ続けたことを笹木さんに喋った。吹奏楽部外者に話したのは、初めてかもしれない。
「ホンマに…。辛かったじゃろ?」
「うん、まあね。その時は部長職だけじゃなくて、吹奏楽部自体も辞めようと思って、退部届まで書いて先生に提出してから、全員の集まる場で3年生に戦いを挑んだんだ」
「戦い?」
「うん。ま、大袈裟な言い方じゃけどね。俺に陰口を言ってる部員は、陰じゃなく、今ここで堂々と文句を言ってくれって、宣戦布告みたいな感じで」
「へぇーっ。やるじゃん、上井君」
「そしたら誰も手を挙げないんだよね。俺は誰が陰口言ってるか分かってたから、よっぽど3年生の先輩らの名前を言おうかと思ったけど、それは止めて、この話し合い以降も陰口が聞こえるようなら、こちらにも考えがあります…みたいに締めたんだったかな?最後は先生が登場してくれて、二度と上井にこんなもの書かせるようなことするなって言いながら、俺が出した退部届をみんなの目の前で真っ二つに引き裂いてね」
「あの音楽の先生が…。ふーん、カッコいいね。上井君も先生も」
そんな話をしていたら、女子バレー部の1年女子で1組目のシャワーを浴びた生徒が、お先に失礼します!と笹木さんに向かって挨拶しながら、教室棟へ戻っていった。
「あと何組かな…まだ4人待ってるね。上井君、あの4人がシャワー浴びるまで、アタシに付き合ってくれる?」
「ああ、そりゃもちろん。『部長はつらいよコンビ』だったっけ?タッグチームを組んどるんじゃけぇ」
「アハハッ、そうだったね、コンビ名決めてたんだった!」
やっぱり笹木さん…に限らず、誰でも笑顔が似合う。笹木さんには、今ここで俺と喋ることで、少しでも気が楽になってもらえれば、という思いがあった。
「それで上井君は、なんとか部活を上手く立て直したと」
「いや、その後も沈没の繰り返しだよ。今日も朝方、ちょっとしたことで合宿の運営上のミスを指摘されて、それ以来なんか気持ちが上昇せんのよ」
「そうなん?吹奏楽部こそ、和気藹々と楽しく合宿してるように見えるけど」
「まあ、みんなはね。自分は朝方チクッと刺された言葉がどうしても抜けなくて…」
「傷は小さいけど、なかなか治らないの?」
「うん…。今まで友達以上恋人未満…まで言ったらおかしいけど、割となんでも話せて、相談に乗ってくれる女子の同期がおったんよ」
「うんうん」
「でもその子が今朝、この合宿の改革案は俺が勝手に改造したんでしょ?誰かに相談したり、根回ししたりしたの?ってきつく言われてね」
「うーん…。そっかぁ…」
「まさかその女子からそんな言い方されるとは全然思ってなかったけぇ、事前調整をしなかったのは自分の責任だけど、今までフランクに接してきた同期の女子だけに、なんかね…」
「うん…。上井君は上井君なりに合宿を去年とは変えたいって思って、いろいろ考えたんだもんね?だから時期が重なるからって、アタシとも時間とか部屋とか調整してくれたし。それが上手く伝わらなかったんだね」
「そうなるよね、結果的に。事前に配った合宿の案内のプリントにはちゃんと書いたんだよ。去年の合宿との変更点って」
「それで分かってくれた部員と、ちゃんと事前に根回ししてないじゃない!って思う女の子がいたということね」
「ハハッ、そうなるね」
「女って厄介だなぁ…。アタシもこんな性格だからさ、男なら良かったのにって思う時があるよ」
「そう?男なんて面倒だよ、体育も週に4回もあるし」
「それは上井君が体育苦手だからでしょ。アタシは体育好きじゃけぇ。今の週2回しか体育がないのは男女差別じゃ!って思うとるくらいじゃけぇね」
ここまで話をしたところで、女子バレー部のシャワー希望の1年生は、全員教室等に戻っていた。
「みんな戻ったし…。アタシもシャワーしようかな」
「俺も…。なんか、男女別々のシャワールームだけど、ほぼ同時に笹木さんと入るなんて、妙な気持ちだよ」
「あっ、上井くーん、エッチな想像したでしょ?」
「え?想像まではしてなかったけど…そう言われたら意識しちゃうじゃん」
「あれ?そんなもんなの?アタシの方が先走っちゃった。アハハ…」
何やら妙な雰囲気になってしまった。
「ま、まあ、入ろうよ。もしかしたら帰りも同じくらいになるかもしれないし、ならないかもしれない。同じタイミングになったら、また何か話しながら帰ろうよ」
「そうだね…。上井君、ありがとう」
「ど、どうしたん?急に」
「上井君と話してると、胸のモヤモヤが晴れていくんよ。ねぇ、明日も明後日も、『部長はつらいよコンビ』の定例会、しない?その日一日のモヤモヤを吐き出すの」
「いいね、それ。じゃ毎晩シャワールーム前で待ち合わせ?」
「いや、それじゃ吹奏楽部の女の子達に見付かって、余計な詮索されちゃうでしょ、上井君が。だから…1年7組の教室にしない?勝手に許可も取らずに言ってるけど」
「1年7組?なんでまた」
「アタシと上井君の共通項だから」
「あっ、そうか…。1年の時は7組で一緒だったもんね」
「ヒッドーイ、もう忘れてる!」
「ウッカリだよ、ウッカリ…。じゃ、夜練後に1年7組って感じがいい?それともシャワーの後がいい?」
「夜練後、すぐにしない?シャワー待ってたら、時間がハッキリ分かんないから…」
「そうだね。じゃあそうしよう。夜練後、部長同士の合宿に関する意見交換会として集まってまーすって言えばいいしね」
「さすが上手いこと考えるね。じゃ、明日からも…よろしくね、吹奏楽部の部長さん!」
「こちらこそ、女子バレー部のキャプテン!」
そう話しながら、シャワールームへと入った。
(結構長いこと笹木さんと話したよな…。誰かに見られてなきゃいいけど)
果たして上井の心配は杞憂で終わるのだろうか…。
<次回へ続く>
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