第18話 -合宿1日目8・若本との夜-

「えー、合宿1日目、夜の合奏もお疲れ様でした。1日目の主なスケジュールは終了です。あとは今から女子はシャワータイム、男子もまだの方はシャワー浴びて下さい。スケジュール表の通り、完全消灯は夜11時、明日の朝は6時半から体育館で、同時に合宿している部と一緒に…といっても女子バレー部だけですが、ラジオ体操を行います。寝坊して参加しなかった場合は、グランド5周!」


 予想通り、えーっ、という声が上がった。


「はい、落ち着いて。なんで、えーっとか出るかな?ちゃんと寝て、ちゃんと起きれば良いだけだよ?」


 俺はわざとらしくそう言った。


「先輩、合宿期間中に、しし座流星群が来るんです。こんなチャンスないから、見てみたいなぁ」


 神田がそう言った。


「うん、見るのはいいよ。但し、翌朝ちゃんと起きること!」


「それが厳しいのに…グスン」


 神田は泣き真似をしていた。


「あと、明日の朝食は、放送部による準備呼び出しはないので、7時頃にスロープの踊り場に、C班の皆さんは集まって下さい。その後7時半から朝食です。他に何か質問は無いですか?」


 ザワザワしているが、とりあえず質問はなさそうだ。


「では解散しまーす。緊急事態とかあったら、俺か先生に知らせて下さい」


 その俺の声を機に、部員は音楽室から出て行った。若本は音楽室を出る際、俺に目で合図をしていった。


(先輩、9時半にね)


(了解)


 一通り部員が音楽室を後にするのを確認し、それから俺も男子部屋に戻ろうとしたら、福崎先生に呼ばれた。


(なんだろう…)


 今日1日の部活の、反省とかだろうか。


「はい、先生。なんでしょうか」


「上井、合宿1日目、お疲れだったな。まあ一杯くらいなら大丈夫だろ?」


 先生は音楽準備室の冷蔵庫からビール瓶を取り出すと、俺にコップを持たせ、一杯注いでくれた。


「ええっ、いいんですか?」


「ああ、合宿初日の部長を労う恒例行事みたいなもんじゃ。もちろん、他の部員、ましてや先生方には秘密だぞ」


「ですよね。じゃあ、こっそりと…」


 俺と先生は、乾杯した。


 俺は中3の正月の初詣で、アルコールを経験していたので、少しだけなら大丈夫だろうと思った。それに福崎先生公認である。少しずつビールを胃に流し込んでいった。


「うわーっ、美味いですね!大人が居酒屋で飲む気持ちが分かります」


「だろう?お前、今日1日なんだか大変そうだったからな。でも前に言った通り、そんなに1人で背負い込むなよ。部員はお前が優しいからって、何でもお前に無茶なことまで言ってくる。大変な時は俺もおるんじゃけぇ、遠慮なく相談してくれよ」


 先生は流石というべきか、俺が藻掻いていたのを見破っていた。


「先生には敵いませんね。実は合宿の食事班編成をちょっと去年とは変えてみたんですが、その事で事前の根回しがなってない!って同期の女子に怒られまして…」


「何となく察しはつくよ、そんな事を言う部員は」


「そうですか?…でもまあ班編成を上手く変更出来たって自画自賛してたら、シャワーじゃないですけど、冷水ぶっかけられた、そんな感じでした」


「まあ事前の根回しとかも大切な時もあるさ。でも今回の班編成は、事前に当日発表って書いてあったじゃろ」


「まあ逃げの為に、それこそ事前に手を打ったつもりですけど」


「ははっ、じゃあいいじゃないか。とにかく気にするな。お前が不安定だと、部の雰囲気もなんか落ち着かんし。元気出してくれよ」


「はい、ありがとうございます」


 先生は俺に2杯目を勧めてくれたが、9時半に若本と約束しているので、体よく断り、音楽準備室を辞した。


(フゥ…でも冷えたビールの一口目って、あんなに美味いのか)


 ちょっとだけ大人の世界を覗いたような気がした。


 本当なら俺もシャワーを浴びてから、若本に向かい合うつもりだったが、先生公認とはいえ飲酒してしまった後に、冷水シャワーを浴びたら死ぬかもしれない。

 シャワーは諦め、顔だけ洗って、食堂教室へ行った。


 食堂教室は、まだ真っ暗だ。若本もまだ来ていないのだろう。電気を点けて中で待機した。


(早く来すぎたかな。でもコップ一杯とはいえ、初めて飲んだビールは効くなぁ…)


 頬杖をついて若本を待っている内に、先に俺にやってきたのは睡魔だった。


(…上井センパイ、疲れちゃったんだね。いつも他の人の為に自分を犠牲にして、大変だよね。ゆっくり休んでね)


 ふとそんな囁きが聞こえ、ハッと目を覚ました。


(今のは若本の声?)


 時計を見たら9:45で、約束していた時間を過ぎていた。20分程寝てしまっていたようだ。

 改めて周りを見回したら、真正面に若本の顔が見えた。


「あっ、若本…」


「おはよっ、センパイ!」


「もしかしたら、俺が寝てて、起きるのをずっと待ってた?」


「うん」


「その間に、何か俺に囁かなかった?」


「いや?別に?先輩、夢でも見たんじゃない?」


 若本はちょっとだけ嘘を吐いた。


「そうなのかな…。とりあえずゴメンね、不覚にも寝てしまって」


「ううん、大丈夫だよ。真冬の教室なら強制的に起こすけど」


「ああ、そうやね…。シャワーは終わった?」


「うん!アタシ、吹奏楽部の女子で1番目だったんよ〜。だから冷水の洗礼は受けたけど、全身スッキリ!先輩は…まだシャワーを浴びるまもなく、この部屋で力尽きてたみたいだけど…」


 確かに若本を見ると、シャワーの後、直ぐここへ来たようだ。髪の毛もまだ乾いておらず、着替えた衣類らしき物が入っているバッグも一緒だった。


(ひょっとしたらあのバッグの中には、脱いだばかりの…)


 悲しい男の性が発動しそうになってしまい、慌てて頭を振って無理やり煩悩を追い出した


「かもね。合奏後にちょっと先生と話があって、終わったら時間的に微妙じゃったけぇ、食堂教室で若本を待ってよう、って思ったんよ」


「そしたらアタシより先に睡魔に襲われたと…」


「そうそう」


「どんだけ疲れちゃったんです、先輩は」


「いや、仕方ないよ。もうちょい俺が器用な生き方出来れば、今までの出来事なんかも半分位は悩まなくて済んだかもしれないしね…」


「うーん、でもアタシみたいな年下から見ると、不器用でも一生懸命頑張ってる先輩のほうが、魅力的かな?」


 若本はそう言い、少し首を傾げた。俺は女子のこのポーズに弱い…。直視出来なかったので、別の角度から話し始めた。


「若本ってさ、彼氏がいたことはある?」


「おっ、先輩、大胆に直球攻めですか?」


「まあ今夜、何で若本と待ちあわせたのかを考えてたら、その辺りも聞いてみたいな、と思ってさ」


「な、なんか先輩、大胆かも。2人で話しましょうってのも、元々、今日せっかく合宿初日だというのに元気のない先輩を励ましてあげようって思ったのが、始まりだったのに」


 若本は戸惑っていた。


「まあいいじゃん。話の取っ掛かりに…」


「うーん…。きっと想像付くと思うけど、アタシはまだ彼氏なんていたことないよ」


「いや、想像付くなんて言っちゃダメだよ。好きな男子くらいはいたんじゃろ?」


「ま、まぁ、それくらいはいたけど…」


「そうだよね、いてもおかしくないよな。告白とかはしたの?」


「いや、卒業して別々の高校に行って、ジ・エンドですよ。って、アタシの過去なんて面白くも何ともないよぉ、センパイ!」


「ハハッ、そんなことはないよ。1人1人、好きな異性がいたら、それだけのドキュメントがあると思うから」


「うーん…。そんなもの?」


 若本は少し照れながら答えた。


「そんなものだよ。俺だって…副部長Kさんとの紆余曲折は大河ドラマ級だろうと思ってるし」


「そうかぁ。でもセンパイにとってK先輩って、どんな存在?」


「どんな存在かって?」


「うん。中3の終わり頃にフラレちゃって、でもその後も高校、部活、クラスまで一緒になるなんて予想外でしょ?今、K先輩に対してはどんな気持ちなのかなぁって…。あ、女子としての率直な質問で、そんな深い意味ではないけど…」


「そうだね…」


 俺自身、今のところはまだフラレた傷が完治したとは言えない。

 もうフラレて1年半も経つのに何を言ってるんだと自分自身でも思うが、それだけフラレた後に神戸から受けた傷は多数あり、それぞれが深い傷痕となって残っているのであった。


「知り合い以上、友達未満、かな」


「えっ、先輩、何その表現。友達以上恋人未満なら聞いたことがあるけど、友達未満って…」


「若本にはどこまで話したっけな…。一応、会話は出来るようにはなったんだよ」


「…うん、知ってる…」


「でもプライベートな話とかは全然してないんだ。部活の業務上の話ばっかり」


「……」


「そんな変な拘り捨ててさ、昨日何時に寝た?とか、どんなテレビ見た?とか話せばいいのにね」


「……」


「ガキじゃろ、男って。神戸さん…女の子はとっとと俺との思い出なんか捨てて、前へ進んでるのに、俺は未だに1年半前の事を引き摺ってる。そのことをちゃんと精算してない内に、神戸さんに負けてたまるかと思って、勢いで伊野さんに告白したら玉砕して…これももう1年近く経つよなぁ、去年のコンクールの時じゃけぇ」


「…先輩は、優しいんです。優しすぎ」


「え?ヤラシイの間違いじゃろ?」


「こんな真剣な話してるのに、そんなことは言わないって、先輩」


「…ゴメン、茶化しちゃって」


「先輩…怒りますよ」


「悪かったよ…。でも失恋相手と話が出来ない男の、どこが優しいの?」


「それは…あの…アタシも上手く言えないけど…」


「見方によっちゃあ、冷たい男だよ」


「冷たくなんか、ないもん。先輩がフッた訳じゃないんだし…。それに…」


「…ありがとう、若本。励ましてくれとるんじゃろ?今日の俺がなんか不安定だったのを見て。誰かから嫌なことを言われたんだって思って。でも、後輩に心配されるようになっちゃあ、先輩として失格だよ。だから、今日不安定だった件は今日で忘れる」


「え…?」


「実は最初は、同期の誰から嫌味っぽく合宿の食事班のことをネチネチと言われて思わず落ち込んで…って、若本に暴露してスッキリしようかと思ってたんだ。だけど部長がそんなことしたら、ダメだよね」


「……」


「一致団結が合宿の目標でもあるんじゃけぇ。特定の名前を出したら、若本は嫌でもその2年生を穿った見方してしまうやろ。そしたら全体の雰囲気は何とか楽しい方向で来てるのに、蟻の一穴で崩壊しちゃうかもしれん。若本に心配させた俺も悪かった。でも若本の気持ちは嬉しかったよ」


「先輩…」


「ん?」


「アタシはこの場で、とてつもなく先輩との間に大きな差を感じました。先輩はみんなの為に自分を犠牲に出来る、素敵な先輩です。アタシは…追い付けないな、先輩に…」


「そんな、大袈裟だよ。現に若本が目撃したように、広田さんに暗い顔して相談したり、失恋相手に話も出来ない、弱い人間なんだよ、俺は」


「そんなの、逆に人間だから当たり前です。フラレた相手に平気で話し掛けられることなんか、出来ないってば、先輩。弱くないよ?先輩は…。いつも自分を犠牲にして、部を引っ張ってくれる、素敵な先輩だよ…」


 若本はそう言って、ちょっと目頭を押さえた。そんな若本に、叉も俺はキュンとしてしまった。


「どしたん、泣かせるようなこと、言うてしもうたっけ」


「いっ、いやっ、目にゴミが入っただけ…だもん」


「ハハッ、じゃあゴミを取ったら、2人だけのミニ会議も終わろうか?」


「…うん。先輩と話せて良かった。いつも上辺の会話しかしてないから、先輩の本音とか分からないし。パートが別れてから、先輩が遠い存在になった気がして、寂しかったんだよ、アタシ…」


 若本は必死に喋っていたが、俺とは目を合わせようとしなかった。もしかしたら目が合ったら、泣いてしまうと思っての事だろうか。


「遠い存在なんかじゃないよ。高校の行き帰りに偶然一緒になったりするじゃん。これからもたまに一緒になったら、楽しく話そうよ」


「うっ、うん。先輩、アタシと話して、元気出た?余計に嫌な気持ちになった?」


「元気が出たよ。ありがとう、若本」


「良かった…」


 やっと若本は俺の目を見て、そう言った。


「あんまり俺と2人でおると、変に勘繰られない?大丈夫?」


「その辺は何とでもなりますって。合宿だもん」


「じゃ、俺もシャワー浴びたいし、この場はお開きとしようか」


「うん…。アタシが先に出るから、先輩はちょっと後に出てね。じゃ、お休み、センパイ」


 若本はそう言うと椅子から立ち上がり、バッグを持って、食堂教室を出た。ふとその背中に透けて見えたブラジャーのラインが、白ではなくピンクだったような気がして、思わず確かめたくなってしまったが、何とか自制した。


(さて、遅くなったけどシャワー浴びるとするか…)


 俺は男子部屋へ行き、布団の上のカバンから着替えを持ち出すと、シャワー室へ向かった。

 男子部屋では既に寝ている部員もいたが、1年生は誰もいなかった。何処かで女子と一緒に、流星でも探しているのだろうか。


 同期の誰かとシャワーへ行こうかと思ったが、先生や若本と話していたらタイミングがズレたか、同期は既にシャワーを終え、トランプや花札で遊んでいた。


「シャワー行ってくるけぇ、よろしく」


 誰となくそう声を掛けたら、それこそ誰かよく分からなかったが、上井まだだったんか?はよ行って来いや、と返してくれた。


 シャワー室の入口に着いたら、後ろから肩を叩かれた。


(誰だ?)


 と思ってその方向を向いたら、見事に俺の左頬に人差し指が刺さった。


「上井くーん、こんなのに引っ掛かるようじゃ、ダメじゃん。隙あり過ぎだよっ」


「あっ…」


<次回へ続く>

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