第12話 -合宿1日目2・AM-
男子部屋に荷物を置きに行こうと音楽室を出た途端に俺を呼び止めたのは、なんとなく久々に言葉を交わす感のある野口さんだった。音楽室にクラリネットを取りに来たタイミングだったのだろう。丁度いい所で俺を見付けた、という感じだった。
「野口さん?どしたん?」
「ごめん、忙しいのに」
「ううん、大丈夫。どうする?例の場所ででも話す?」
「そうね…。そうしよっか」
例の場所…閉鎖されている屋上へと上がれる階段の踊り場で、去年は野口さんとよく話をしたものだ。
2年生になってから、俺が忙しくなったこともあって、野口さんと話す機会も激減していた。だから声を掛けられた時は新鮮だった。
「さてと…とりあえず上井君、合宿開催に漕ぎつけられて、良かったね。お疲れ様」
「うっ、うん…」
なんとなくだが俺はこの時、野口さんからいつもの陽気な雰囲気、明るいムードが感じられなかった。
「食事班を5つにするとか、くじ引きを止めるとか、女子のシャワー時間をバレー部の部長と話し合うとか、須藤先輩には出来ない改革だと思うよ」
「…去年の合宿で思ったことで、俺の権限で変えられるものは変えていこうと思ってね」
「でも、他の役員には事前には言わなかったんでしょ?」
「えっ、あっ、ああ…うん…」
なんで知ってるんだ?
「さっきの説明の時は、誰も何も言わなかったけど、さっき女子の寝室に荷物置きに行った時、チカやサオちゃんはちょっと戸惑ってたよ。怒ってるってほどじゃないけど」
「…なんだろ。あ、俺が役員5人を、5班に一人ずつ振り分けたこと?」
「そう。この前役員会議やったんだってね。なんでその時に教えてくれんかったんじゃろうって言ってたよ」
「2人とも?」
「これはチカだけじゃけど、サオちゃんも同じじゃないかな。今まで仕事とか特に指示されてなかったのに、突然開会式でいつの間にか決められてた食事班のリーダーを務めろって言われても、戸惑うしかないんじゃないかな。サポートに大上君や山中君を付けるとは言うものの、そのサポート役の2人にも事前に何にも言ってないんでしょ?」
「…うん」
確かに言われる通りだ。合宿の食事班については全部俺が勝手に決めたと言われたら、その通りですとしか言いようがない。
「大村君とか村山君、大上君や山中君は、上井君の気持ちをある程度分かってるから、逆の意味で何も言わずに受け入れてるっぽいけど、女子2人に根回ししてないのは、不味かったんじゃないかな」
「…そう、だね…」
野口さんの指摘を受けるまでは、食事班についてはいい改善が出来たと思っていたが、確かに俺が勝手に決めて、勝手に進めてしまった。こういうことこそ、役員会議で話し合うべき事柄なんだろうな…。
だがしかし、今から神戸、伊野の両女子に、俺がどの面下げて謝ればいいのか。全く見当も付かない。
というか、神戸千賀子はまだしも、伊野沙織は俺と喋ってくれるのか?
俺はすっかり悩み、自分勝手さが嫌になり、頭を抱えてしまった。
「ごめん、上井君。凄い責めちゃう形になって。合宿初日でテンション上げたい時だよね。でも…上井君、頑張ってくれてるけど、独裁者にはならないでね」
「独裁者…。うん…。去年、一番須藤先輩に対して思ってたことなのに…。結局部長をやるってことは、そうなっちゃうのかな。自分がやりたいこと、変えたいことはイチイチ部員の意見を聞かずに、勝手に変えちゃう。みんなの意見を聞いて…っていう改革を目指してたのに…。あーあ、いつの間にこんな嫌な人間になったんだろう…」
「上井君…。アタシも言い過ぎた。ごめんね。上井君がチカやサオちゃんに、話し掛けにくいのを知っとって…。合宿が始まったばかりなのに、嫌な気持にさせちゃってごめんね」
「いや、野口さんは悪くないよ。俺の不手際だから。ありがとう。こういう指摘をちゃんとしてくれるのが、本当の友達だよね」
「…上井君、こんなこと言ってるけど、アタシはいつも応援してるからね。合宿の準備も業者さんや女子バレー部との交渉とかで大変だったのに、勝手なこと言ってごめんね」
「いや…ありがとう、野口さん。…クラリネット、取りに来たんだよね?パー練、頑張ってね」
「うん、ありがと。あっ、そういえばアタシはA班じゃったね。上井君と一緒だよね。お昼ご飯の準備、頑張ろう?」
「うん…」
「じゃ、じゃあアタシ先に行くね」
「分かったよ、じゃあ…」
野口さんは先に音楽室へ向かって階段を降りて行った。
俺は一気に部の運営が不安になり、合宿期間中の責任を取れるのか、怖気づいてしまい、しばし階段の踊り場でこれから3泊4日も過ごせるのか、苦悩してしまった。
(みんな何も言わないだけで、俺のやり方に反発してる部員もいるだろうな…。いや、そういう部員のほうが多いかも…はぁ…)
悩んでも結論は出ない。
やっとこさ荷物を持って男子部屋に向かうと、校内のアチコチから、楽器の音が早速聴こえてきた。
(楽器の練習も、ちゃんとやってくれてるのかな)
男子部屋には、先に置かれた荷物が既に鎮座していた。去年より今年の方が人数が多いので、更に狭くなるかもしれない。
荷物を置いていない部分は、廊下側に1人分しかなかったので、そこへ俺の荷物を置き、再び音楽室へと戻り始めた。
一気に意気消沈してしまった俺は足取りも重く、ゆっくりと音楽室を目指していた。
(あれ?上井先輩だよね?アレは…。何があったの?さっきの開会式とは別人みたい…)
「上井センパーイ!」
「無理無理、聞こえないよ、1階から4階へは」
音楽室に通ずる渡り廊下を足取り重く歩いてた俺を、校内の廊下でパート練習していた後輩が見掛けたようだ。俺を呼ぶ声も、男子の聞こえないよという声も聞こえていたが、反応する気力がなかった。
やっとのことで音楽室に辿り着いた。
「センパーイ、遅すぎ!どこで道草してたんです?」
宮田さんが明るく突っ込んでくれた。
だが広田さんはなんとなく遅くなった事情を察知しているのか、何も聞かれなかった。
「んーっとね、渡り廊下とかの草を食ってた」
ダメだ、上手く返せない…。
「んもー、何を訳分かんないこと言ってるんですかぁ。とりあえず先輩のティンパニーも出しましたから、思い切り練習して下さいね」
「あ…、重いのにありがとうね」
俺はティンパニー4台の前に立ち、まず「風紋」の最初のキーにペダルを合わせつつも、最初は基礎打ちを始めた。
打楽器の場合、パート練習と言っても管楽器の演奏があってこその打楽器なので、パートだけで曲を通しても雰囲気が掴めないので、個人練習に等しい。
これまでの練習で、やっと「風紋」は最後まで通して叩けるようになったが、先生に言われたのは、もっと叩く時、カッコ付けたらどうだ?というものだった。
オーバーリアクションで叩くと、観客席からは上手そうに見えるから、というのが理由だったが、まだオーバーリアクションで叩く余裕は無かった。俺の場合、自由曲の「オーストラリア民謡変奏組曲」も、通して叩けるようになってからの話だろう。
そんな演奏方法や、野口さんに指摘された「独裁者…」という言葉がどうしても心に重く圧し掛かり、基礎打ちの台をボーッとドラムスティックで叩いていたら、流石に広田さんが心配してくれ、
「上井君、ちょっと休憩せん?」
と声を掛けてくれた。
「広田さん、ありがとう。でもまだ基礎打ち始めたばっかりじゃけど」
「何を言いよるんね、基礎打ちは1時間もやらんでええよ。もう上井君はある程度レベルは上がっとるんじゃけぇ」
「あ、ホンマじゃ」
時計を見たら、11時を回っていた。10時頃に音楽室に戻って基礎打ちを始めたので、確かに1時間ほどボーッとして延々と基礎打ちの台を叩いていたのだ。
「ジュースでも飲みに行こうよ」
と、夏休み中も稼働している売店前の自販機へと誘ってくれた。
「上井君、何飲む?」
「え、いいよ。自分で出すよ」
「まあまあ、アタシが男子に奢ってあげるなんて滅多にないんじゃけぇ、好きなのを選びんさいや」
「いいの?ホンマに?」
俺は広田さんの言葉に甘え、缶コーヒーを頼んだ。広田さんは女子ならではの苺の乳酸菌飲料を買っていた。
「ありがとう、広田さん」
「たまには…ね」
「でも広田さんと2人でおると、大上が怒らん?」
「大丈夫よ。アタシと大上君は、大村夫婦とは違うけぇね」
そう言うと少し緊張した空気が和んだ気がした。
「ね、上井君…。話したくないことなら無理して聞かんけど、もしアタシでよければ、少しでも辛い気持ちを吐き出してよ。上井君が部内で一番苦しんどる。打楽器で一緒になってから、初めて上井君が、実はとても苦しんでるってことが、分かったの」
「広田さん…。ありがとう。でも、悟られるようじゃ、俺もまだダメだね」
俺は苦笑いしながら返した。若本も俺が1人で悩んでるのを知ってると言って、なんとなく声援をくれたし、バレてるのかな?
「うん。バレバレだよ。特に今日なんて、合宿の開会式でみんなのテンションを上げようって頑張ってたのに、荷物を男子部屋に置きに行ってからなかなか返ってこんなぁ…って思ってたら、ゲッソリした顔で戻って来るんじゃもん。他にもさ、アタシの家ってすぐそこじゃん。音楽室からも見えるのね。だから逆に家から音楽室も見えるんじゃけど、ミーティングも終わって、部活は終わっとるはずなのに、アタシが家に帰ってからお風呂に入って、ドライヤーで髪を乾かしとっても、たまに音楽室の電気が点いとる時があるんよね。上井君、みんなが帰った後に、1人で色々と悩んだり考え事したりしよるんじゃない?」
「あ、バレバレだ…。そっか、広田さんの家はすぐそこじゃもんね。隠しようがないよね」
「やっぱりそうなんじゃろ?上井君は1人で背負いすぎよ…。せっかく打楽器で一緒になったんじゃけぇ、アタシともっと話そうよ。アタシは春の部長選挙で、上井君に1票入れた部員なんじゃけぇ…」
「あっ、そうなん?大村じゃなくて?」
「大村君は…ホルンの上達は早かったけど、神戸さんとあまりにベッタリしすぎじゃん。じゃけぇ、部長にはちょっと…って思って」
「ははっ、でも結局副部長に大村夫妻が収まっちゃったけどね」
「副作用よね。じゃけぇ、上井君もやりにくいじゃろ?」
「正直に言うと、YESになっちゃう。役員5人の中で女子2人は、俺が
フラれた相手じゃけぇね…」
「え?何それ。アタシは初耳だよ」
「広田さんはまだ知らなかったっけ」
俺は中3時代の出来事から今に至るまで、女子2人との関係を手短にまとめて広田さんに話した。
「うわっ…。キツいよ、それは。逆にさ、よく耐えてるね?じゃあ大村夫婦とかいってるけど、上井君には許せないじゃろ?」
「いや…。アイツらが付き合いだして、もう1年以上は経ってるから、たった半年で愛想つかされてフラれた俺より、神戸…さんは大村と相性が合うんじゃろ。最初は毎日イチャイチャしとるのを見て沸騰しとったけど、今は大村とは普通に話すようになったし、たまに部長の仕事を代わりに頼んどるしね」
「でも神戸さんとは?」
「…事務的な会話が精一杯かな」
「うーん、なんとか会話が不可能という状態じゃ、ないんじゃね。じゃ、伊野さんとは?」
「全くのガン無視。あ、俺がじゃなくて、伊野さんが俺のことを、っていう意味ね」
「そっかぁ…。もしかしたら今朝元気なく戻ってきたのって、その女子2人の影響もあるの?」
「当たらずと言えども遠からじ…かな?」
「何、その微妙な表現」
「…これは秘密にしといてね」
「うん、当たり前よ」
「荷物を置きに行った時に、野口さんとすれ違って、その曰く付きの女子2人が、勝手に俺が食事班を決めてリーダーにしたことに戸惑ってるって言われて…。他にも俺は部長になってから周りに相談せずに勝手に何でも決めてる、もっと役員同士で話し合えば?って言われたんよ」
俺は今朝の事を思い出し、俯きながら言った。
「へぇ…。それで落ち込んどったんじゃね」
「まあ、ね。情けないよね、言われたことは確かに正論じゃけぇ」
「でもさ、アタシが思うに、上井君が変えてきたことって、全部去年の須藤先輩のやり方を見て、変えたい、みんなのために変えたいって思ってのことでしょ?だからアタシは、そんなに部長がまた勝手にルールを変えて!みたいに思ったことはないよ。まあ役員同士の話し合いはよく分からんけぇ、そこは黙っとくけど。食事班を5つにしたのとか、メンバーを各パートから偏りなく、しかも人間関係まで考慮して編成するなんて、素直に上井君凄い!と思ったもん」
ここで広田さんはイチゴジュースを飲んで一息入れ、話を続けた。
「班編成もくじ引きだとさ、同じパートに偏ったりとか、あんまり一緒の班になりたくない人と一緒になったりってこともあるじゃん。だから他の役員への根回しとかは別として、そんなに上井君が責任を感じて落ち込まんでもええと思うよ。1年生なんかは、上井君のやり方をみて、また来年の合宿を準備していくようになると思うし。野口さんの言うことに過剰に反応せんでもええよ。さっき女子の部屋に荷物置きに行った時も、誰も部長は勝手なことしてとか言ってなかったし。それよりも5班っていうのはええね、上井君はよう考えとる…って、アタシとか太田ちゃんとかは話しとったんよ」
「ありがとう、ありがとう…広田さん」
俺はかなり感激していた。
「じゃけぇこれを機にさ、アタシにも何かあったら、話してよ。残念ながら上井君の彼女にはなれんけど…」
「そりゃあ、大上様から略奪なんて、俺にも出来ないよ」
「アハハッ、大上君じゃなくて、大上様になっちゃってる。うん、大上君も神戸さんのサポートに付く予定だよね?C班じゃったけぇ、明日の朝かな、初めての業務は。後で大上君に、上井君の思いを伝えとくよ。でもきっと彼も上井君支持だから、分かってると思うけどね。とにかく明るく!楽しく!合宿を乗り切ろうね」
「うん、ありがとう!元気が出てきたよ」
「上井君、A班だよね?もしかしたらもうそろそろ呼び出し放送かもね?」
「そうじゃね…って、なんか聞こえてきたよ」
去年と同じく、放送部が事前に録音し、各部が合宿を行う日の、昼食の30分前と夕食の30分前に自動で流れる設定をしてある案内放送が聞こえてきた。
『校内合宿をしている各部へ連絡です。食事が届きましたので、準備をお願いします。繰り返します…』
「じゃ、上井君、行ってらっしゃい。アタシは一旦音楽室に戻るわ」
「うん、ありがとう、広田さん」
「色々と…気を付けてね」
広田さんの意味深なセリフは、野口さんもA班にいるからだろう…。
さて、食事班の初陣を切るとするか…。初日の午前中だけでこんなに疲れるとは思わなかったが…。
<次回へ続く>
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