夏合宿編

第10話 -合宿スタート-

 8月9日(日)、いよいよ吹奏楽部の夏休み合宿が始まる日が来た。


 俺は合宿が9時集合になっているので、その前に黒板やホワイトボードに必要な事項を書き込むために、8時には高校の音楽室に着くように、家を出た。去年は村山、松下、伊野という緒方中メンバーで合わせてタクシーに乗って来たな…。

 だが今年は緒方中メンバーからは、女子の後輩を合わせても誰からも時間合わせて行こうや、という話はなかった。


(もう、そんな馴れ合う年じゃないのかもな…)


 8時少し前に高校に着き、職員室に寄って音楽室の鍵を借りようとしたら、もう持って行った生徒がいると言われた。


「えっ?もう吹奏楽部員が来てますか?」


「うん、ついさっきだけどね。女の子だったよ」


 と、既に職員室に来ていた野球部顧問の一条先生に言われた。


「そっ、そうですか、分かりました。スイマセン」


 俺は誰だ?と首を傾げながら職員室を後にしようとした。


「ああ、上井君!」


「はい?」


 職員室を後にしようとした俺を、一条先生が呼び止めた。


「遅くなったけど、7月の野球部の試合の応援、ありがとう」


「あっ、いえいえ…」


「来年こそは最低2回は応援に来てもらえるよう、頑張るよ」


「そ、そうですね…」


「吹奏楽部は今日から合宿みたいじゃのぉ」


「はい、そうなんです」


「今月末にあるって福崎先生に聞いたんじゃけど、吹奏楽コンクール、野球部でお返しに応援に行ければ良かったんじゃが…悪いな、秋の大会の練習で行けなくて」


「いえいえ、他の機会ででも…」


「是非頑張って、いい結果を出してくれよ」


「はい、頑張ります。ありがとうございます」


 と言って、俺は職員室を辞し、音楽室に向かった。


(俺より先に来た女子部員って、誰だ?)


 一条先生からの言葉よりも、早く来たという女子部員が気になった。それが神戸、伊野辺りではないとは思いながらも、そうではないことを祈りつつ、俺は音楽室に入った。


「おはよう〜」


「あれっ、上井先輩じゃないですか!なんてお早いんですか?」


 そこにいたのは、若本だった。


「若本?それはこっちのセリフだってば。どしたん、こんなに早く。ビックリしたよ〜。職員室に鍵を取りに行ったら、女の子がもう音楽室の鍵は持って行ったって一条先生に聞いたから、誰が俺より早く来てるんだ?って思ってさ。どうしてまたこんなに早く来たん?」


「いえ、そんなに深い意味はないんですけど…。何だか早起きしちゃったんで。合宿だからか昨日もなかなか寝れなかったんですよぉ」


「遠足前の小学生かい!でも俺も去年は高校で泊まるって、どんなんかな…ってちょっとワクワクしとったけぇ、若本の気持ち、分かるよ」


「やっぱり先輩も、遠足の前日みたいになった?」


「でも前日はグッスリとよく寝たよ」


「んもー先輩ったら…。話合わせてくれてもいいじゃん!」


 若本はそう言うと、久しぶりの分け目チョップを髪の分け目に当ててきた。


「あっ、不意打ちじゃ!やられた…」


「フフッ、先輩、油断大敵です…」


「若本、お主も腕を上げたよのぅ…って、こんな事してる場合じゃなかった!黒板とホワイトボードに色々書かんにゃならんのじゃ」


「あわわっ、先輩は部長のお仕事があるんですねっ!スイマセン。何か手伝えることがあったら、言って下さいね」


「ありがとう。…そしたらさ、黒板に、派手に『今日からコンクール対策合宿!』って描いてよ。その下に、プリントにも書いてあるけど、スケジュールを追記してくれたら嬉しいな」


「分かりました!任せて下さいね」


 若本は結構楽しそうに、黒板に色々と描き始めた。割と好きな仕事なのかもしれない。


 俺はホワイトボードに、去年の反省も踏まえて、食事チームの班分けを書き始めた。

 去年は合宿の開会式でクジを引いて、AからDまでの4班が作られたが、2つの点で俺は部長権限で事前に5つの班に分けることにした。


 一つは、4班の体勢だと、食事の準備が2回で済む班と、3回しなくてはならない班に分かれてしまい、回数に不公平が生じることだった。


 もう一つは、去年はラッキーだと思ったクジ引きが、もしかしたら相性の悪い部員同士が同じ班になるかもしれないと思ったことだ。


 去年はクジ引きで、俺は偶々その時に好きだった伊野沙織と同じ班になり、食事の準備中に包丁で指を切った時なんかは、絶対に好意が無いと出来ないような処置をしてもらったのを思い出す。


 ただ他の班を見ていたら、人間関係があまり良くない者同士が同じ班になるなど、クジ引きの良くない点も分かった。

 俺自身、神戸千賀子、伊野沙織と一緒の班になるのは避けたかった。


 そこで俺は、自分が分かっている範囲で人間関係の把握に努め、あまり仲が良くなさそうな者同士は同じ班にしないように、また4班から5班体勢に変えることで、計10回ある食事の準備が各班2回ずつで終わり、公平になるようにした。


 幹部役員が5人いるので、この5人を各班のリーダーに据えようと思っているが、副部長の神戸と会計の伊野は、女子ということもあるので、幹部以外の男子、山中と大上を充てることにした。


「先輩、そのA班からE班って、なんです?」


 黒板アートを手掛けている若本が、不思議そうに尋ねてきた。


「ああこれはね、プリントにも書いたと思うけど、合宿中の食事の準備を担当する班分けなんよ」


「はぁ、なるほど」


「去年はクジ引きだったんじゃけど、相性の良くない者同士が同じ班にならんようにと思うてね。俺の分かる範囲で、そこそこ仲良しの部員で固めたんよ」


「それは良いですね!もしかしたら先輩が苦手な2人の女子の先輩と一緒にならなくて済みますしねっ」


「ちょっ…。それは…否定せんけど…」


 若本を侮ってはいけなかった。俺の下心を読まれてしまっていた。


「先輩はA班ですか。大体各班が7人くらいなんですね…。アタシは…あっ、アタシもA班だ!上井先輩、もしかしたら、ワザとです?」


 そう、俺はどうしても気になる小悪魔、若本を同じ班に組み入れていた。思い切り私情を挟んでいると言われても否定出来ない。だがそうだとも言えず…


「偶々だよ。でも俺と同じ班になってもらう部員はさ、やっぱり俺が話しやすい部員で固めたいじゃん?」


「なるほど…。じゃあA班は、上井先輩の気が置けない仲間達ってことですね!嬉しいな、部長に選抜されたんですもん」


 と言って若本は、俺に対してニコッと笑顔を向けてくれた。


(なんだろ、一つ一つの仕草が、キュンと来るんだよな…)


 少しずつ俺の心の中の若本の存在が、大きくなってくる。


「先輩、なかなか1年生の人間関係も、把握してますねっ」


 若本はそういうと、俺に対して頬を突いてきた。


(こんなところが小悪魔なんだよ…。ったく、人の気も知らないで…)


 とはいえ、照れてる場合にもいかない。


「じゃろ?相性が悪そうな、普段喋ってなさそうな者は、別にしたんよ」


「うん…。フルートのこの子とクラのこの子は、絶対に一緒にしちゃダメ。先輩、よく見てるね!」


「やっぱり?4月からさ、殆ど会話してないな、この2人…って思ってね」


「アタシが思うに、木管同士、金管同士だとなんだかバチバチと来るのかな?って。木管、金管という枠を超えてると、先輩や同期を含めて、そんなにバチバチしてないし、中立の上井先輩はこれまた中立の打楽器に移られたから、余計に全体が見えてるのかな?って」


「それもあるかもなぁ。あとは、ミーティングの時の席の座り方、これが毎日の何よりの参考だよ」


「ああ、それ鉄板だ!アタシも上井先輩のA班で良かった~。リーダー格は、B班は大村先輩、C班は…神戸先輩に大上先輩か。D班は村山先輩、E班は…伊野先輩に山中先輩。なるほど、練りましたねぇ、先輩」


「じゃろ?これには2年生の人間関係もあるけぇ、結構苦しんだんよ」


「ウチの伊東先輩は?あ、D班だ。これも先輩の頭を悩ませた案件?」


「伊東は誰とでも上手くやるけぇ、どこでもいいかな?と思ったんじゃけど、村山が喋れる部員って意外に少ないけぇ、明らかに1年女子で伊東に憧れてる子を充てて、ミックスしたんよ」


「いや~、部長ってそこまで人間関係を把握してるんだぁ…。でもアタシのA班は、上井先輩にアタシ、フルートの桧山、クラの野口先輩に瀬戸君、ボーンの橋本さん、ペットの赤城さんの7人なんだ…。先輩、悩んだ?」


「…ちょっとね。最初は出河も入れようかと思ったんじゃけど、若本と2人サックスから取ると、バランスが悪いと思って、大村のB班に回したんよ」


「あっ、なんかこのA班の1年生…。幹部候補生だったりして?」


「ドキッ」


 俺はワザと声に出した。


「でもクラの瀬戸君は、アタシも来年、上井先輩の後を継ぐ人材だと思うな。だから先輩、抜擢したんでしょ?」


「若本、今からすぐに幹部になるか?凄い読みだなぁ」


「出河君を外したのは、瀬戸君と出河君があんまり喋る間柄じゃないのもあるでしょ?」


「いや、参った」


「で、先輩は瀬戸君の方を幹部候補として考えていると…」


「若本、お兄様の後を継いで、俺と部長を代わらんか?」


「何言ってるんですか。アタシには上井先輩みたいなユーモアも、陰で悩む度量もないもん」


「…知ってんの?」


「うん…。アタシが上井先輩より先に帰る最後の人間でも、音楽室はずーっと電気が点いてるから、そんな時は先輩が悩む案件がある時だよな…って、気付いてたよ」


「そうだ若本、俺の秘書になってよ!」


「なーに言ってんすか!アタシは先輩の直系の、可愛い妹ですもん」


 若本はそう言って、俺の肩を押した。


(だから…。その一つ一つが、小悪魔なんだよ…)


 そんなやり取りを若本としていたら、俄かに廊下がガヤガヤとしてきた。


「あ、他の部員さんも来ましたね」


 時計を見たら、8時半を回っていた。若本が描いた黒板アートも、なかなか綺麗に仕上がっていた。


「じゃ、いよいよ合宿始まるけぇ、よろしくな、若本」


「了解!上井先輩!」


 さて今年の合宿はどんな出来事が起き、最終日を迎えるのだろうか…。


<次回へ続く>

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