第4話 -抜糸前-

 1学期のクラスマッチで、右足の脛に深い傷を負った俺は、外科で4針縫う羽目に陥ってから、1週間が過ぎた。


 病院からは1週間経ったら、怪我の具合を見せに来なさいと言われていたのだが、病院がある場所がJRで一駅分の距離があり、前回初診で訪れた時も、偶然帰りの列車で遭遇した2つ年上の先輩、石橋幸美さんに何から何までお世話してもらってやっと病院に辿り着いたのだった。


 そのため、最初は石橋さんに迷惑を掛けることに繋がるので、何とかして1人で病院に行こうかと思っていた。


 病院からの帰りに、次に病院に行く時も送迎して上げるから、連絡してね、と石橋さんに言われてはいたものの、やっぱり甘えちゃいけない…と思ったのもある。


 しかし地図を調べて病院の場所を確認したら、俺の最寄りの玖波駅から大竹駅まで列車に乗り、大竹駅で降りた後は改札の反対側へ大回りして、国道2号線を結構歩かねばならない所だった。


 自力で行けなくもないが、往復するだけでかなりの時間を要する。

 午前中に診察を済ませ、午後から部活に出ようと思っている俺には、ちょっと厳しかった。


 なので一度だけ石橋さんのお宅に連絡だけしてみて、もし石橋さんがおられて、時間があるよと言われたら、甘えさせてもらおう、もし無理なら部活を遅刻すると誰かに電話してから病院に行こう、そう決めて俺は、前に聞いた石橋さんのお宅の電話番号へと電話した。


 まず電話の呼び出し音が鳴る。これだけで緊張が増す。やっぱり異性の家に電話するのは、年上年下同学年と無関係で、寿命を消耗する行為だ…。


 8回鳴らして誰も出なかったら受話器を置こうと思っていたら、7回目で石橋家の何方かが電話に出てくれた。


 その瞬間、緊張はマックスに達するが、何か喋らねばならない。


「あっ、あのっ、おはようございます!ワタシ、西廿日高校の2年生の上井純一と申します!朝からお騒がせして申し訳ありません!大変失礼ですが、幸美様いらっしゃいますでしょうか?」


 心臓をバクバク言わせながら、必死に頭の中で思い描いていたセリフを喋りまくった。すると、受話器の向こうから、笑いを堪えている声が聞こえてきた。


(ん?笑われてる?なんで?)


 俺は困惑したが、すぐにその答えは分かった。


「上井君、おはよっ。アタシだよ、幸美だよ」


「あぁっ、石橋さん!よかった~」


「もう、プロポーズされるんじゃないかって思うくらい、ガチガチな喋り方なんじゃもん、笑いそうになっちゃったよ」


「だっ、だって、異性のお宅へ電話するなんて、どれだけの勇気を必要とするか…」


「まあね。それはアタシも分かるよ。で、どうしたの?もしかしたら、病院かな?」


「はっ、はい!実は今日が、先週病院に行ってから一週間目なんです。病院の先生から、一週間経ったらまた怪我の様子を見せに来なさいと言われてまして、最初は石橋さんにそんなに迷惑掛けられないと思いましてですね、1人で行こうと思ったんですけど、調べれば調べるほど1人で行く気が失せてしまうと申しますか…そこで万一石橋さんに、今から上井を乗せて病院に行ってやってもいいよというお時間が少しでもあったら…」


「キャハハッ!もう上井君ったら、直接会ってる時以上に、滅茶苦茶緊張してるでしょ?もはや敬語なのか何なのか分かんないよ。アタシ相手にそんなに固い言葉使わなくていいのに」


「いや、でも、ですね、石橋さんの予定も聞かずに貴重な時間をお貸し願えないかという、突然の勝手きわまる電話なので…」


「上井君、今、汗だくでしょ?」


「えっ、何で分かるんですか?もしかして石橋家にはテレビ電話が?」


 確かに俺は、もうTシャツを着替えたくなるほど汗をかいていた。


「アハハッ、まさか。でも変わらないね、上井君。その誠実な人柄、相手を気遣う優しさ。いつまでも変わらずにいてね」


「はっ、はい!ありがとうございます!そっ、それでですね、石橋さん、今日の午前中って、お時間大丈夫でしょうか?」


「うん、暇してるよー。夜のバイトまで何もないよ。だから電話も出れたし。どうすればいい?上井君のお家に行けばいいかな?」


「わーっ、大変助かります!是非よろしくお願いします!」


「分かったよ。上井君のお家は先週行ったから覚えてるし。じゃ、アタシも準備してから出るから、一応30分後位を目途に待っててね」


「ありがとうございます!どうぞわが家への道中、お気を付けて…」


「フフッ、ありがと。じゃあまた後でね。バイバイ」


「はいっ、失礼します!」


 受話器をそっと置くと、再び汗が大量に出てきた。


(石橋さん、30分って言ってたな…シャワー…はちょっと時間足らないか。せめて着替えるか)


 俺は汗だくになったTシャツ、短パンに、パンツまで汗で気持ち悪かったので、全部総取り替えし、そのまま部活に行けるよう制服に着替え、母に病院代をせがんで、石橋さんの到着を待った。


「足の怪我の具合の確認かい?」


 母が聞いてきた。


「うん。病院の場所がなかなか面倒くさい場所だから、免許証持ってる先輩に、送迎をお願いしたんだ」


「あら、そんな面倒なことを引き受けてくれる先輩がいるの?お母さん、ご挨拶しなくていいの?」


「あーっ、そんなのはいいから、いいから」


「今から病院なんでしょ?帰って来た時に、お茶でも…」


「いや、そんなのは俺がやっとくから!」


「そう?そこまでアンタが必死になるところを見ると、先輩って言うのは女性の方?」


「あっ、いや、その…」


「まあ深くは聞かないけど。失礼のないようにね」


「う、うん…」


 丁度そのタイミングで、チャイムが鳴った。


「いい?母さん、玄関に来て顔を見ようなんてしなくていいからね」


「はいはい、気を付けて行ってらっしゃいね」


 俺はそっと玄関のドアを開けた。


「上井君、こんにちは。おはようかな?」


 そこには、笑顔が可愛い石橋さんが、先週とは違うTシャツと、ベージュ色のタイトスカートという装いで、軽く手を振ってくれた。


「ありがとうございます、石橋さん!」


 俺は荷物を持って、そっと外へでた。


「上井君、もう制服姿なんだ?」


「はい、病院の後はすぐ部活に行こうと思いまして…」


「頑張ってるね、上井君。さ、助手席へどうぞ」


「すいません、お邪魔します」


 石橋さんの車に一週間ぶりに乗せてもらうと、先週よりも車内が良い香りに包まれ、後部座席にいるぬいぐるみも増えているような気がした。


(女の子って感じだなぁ)


 石橋さんも運転席に座るため、ドアを開けて乗り込もうとする。どうしても悲しい男の性が発動してしまい、石橋さんのタイトスカートのヒップラインをつい見てしまう。


(あっ!ラッキー♪)


 石橋さんのタイトスカートはベージュ色だったので、運転席に座ろうとした時、パンツのラインがくっきりと分かってしまったのだ。しかもベージュだから薄っすら透けていて、何となくパンツの柄っぽいものまで分かるような気がする。


 しかしそのパンツのラインを見て喜んだ直後、俺はいけないことをした…と、いつも自責の念に駆られる。

 だったら最初から見なきゃいいのに、男ってアホな生き物だとつくづく思う。


「ん?どうしたの、上井君?」


 挙動不審な俺を見て、石橋さんが声を掛けてくる。


「いえっ、なっ、なんでもないですよ、ハハハ…」


「一週間ぶりに会って、なんかアタシ、変わったかな?」


「いや、石橋さんはやっぱり可愛いな、なんて」


「またぁ。上井君、口ばっかり上手くなってない?騙されないよ〜」


「いえ、本当にそう思ってますので…」


「その割にアタシの目を見てくれてないじゃん。怪しいな~。まあいいか、病院に行かなきゃね」


「そうですね、その為に石橋さんに無理を承知でお願いしたんでした。すいません、よろしくお願いします」


「はーい、出発するね」


 石橋さんがアクセルを踏んだ。


 どうしてもタイトスカートから伸びる太腿に目が行きそうな欲望を、俺は景色を見ることで必死に押さえた。


「上井君、この一週間で怪我は治ったって実感はある?」


 石橋さんはごく普通に話し掛けてくれる。俺が石橋さんの女性ならではのセクシーな部分を意識し過ぎているだけなのだ。

 男って悲しいなぁ…。


「そ、そうですね…。なんか怖いもんで、あまり見てなくて」


「分かる、分かるよ〜。怪我したら、嫌でも目に付く部分だと毎日見ちゃうけど、上井君は右足の脹脛だもんね。見ないようにって意識すれば、見ないで済むもんね」


「石橋さん、今までに大きな怪我でもされたんですか?」


「アタシは中学の時にね。柄にもなく陸上部に入ってたんだ」


「へぇ。じゃ俺が帰宅部だった中1の時、グランドを眺めながら帰ってましたけど、陸上部の練習をしてる石橋さんを見てた可能性がありますね」


「そうよね。それでアタシは、走り幅跳びとか高跳びとか、そういう方面の選手だったの。ある日幅跳びの練習してたらね、着地点の砂場に、割れた瓶が混ざっててね…」


「わあーっ!他人様の怪我の話は怖いです!大体大筋は分かりましたので、も、もう良いですよ」


「そう?アタシは平気だけど…」


「そんなもんですよ。自分の怪我の話は、いくらでも知り合いに話すし、自慢話みたいな感じですけど、他人様の怪我の話って、カッターで指を切っただけでも背中がゾクゾクしちゃうんです」


「確かにそうかもね。アタシもその時の足の怪我は誰にでも話すけど、上井君の今治療中の怪我は、聞いてて背中がヒヤッとするものね」


 そんな会話をしている内に車は夏休みとはいえ平日の朝なので、順調に病院に着いた。


「到着〜。上井君、1人で降りれるかな?」


「はい、大丈夫です」


「アタシはどうしようか?車で待ってようか?」


「えっ、暑くないですか?石橋さん、車の中で暑さで死んじゃいます!」


 よくニュースで、猛暑の中、車の中に取り残された人が熱射病で亡くなっていた、というのを聞く。診察にはどうしたって1時間は掛かるだろう。エアコンを入れたままだとしても、無駄なガソリンを使わせてしまう。


「アタシはまだ死なないし、死にたくないよ〜。やっぱり上井君に付き添って上げるね」


 石橋さんも俺と一緒に病院の中へ入ってくれた。受付で診察券を出すと、


「ああ、右足の脹脛を4針縫った上井君ね。ちょっと待ってて下さいね」


 と言われた。足の怪我を縫うなんて珍しいから、覚えられていたのだろうか?


 とりあえず石橋さんと並んで、診察を待つことにした。


「やっぱり上井君と中へ入って良かった!涼しいね」


「でしょ?俺、車に戻ったら石橋さんが猛暑でグッタリしてたなんて、絶対に嫌ですから」


 他愛もない世間話をしつつ診察を待っていたら、診察室から「上井さーん、上井純一さーん」と呼ばれ、看護婦さんが顔を出してくれた。


「はい、上井さん、こちらへどうぞ。お姉さんも一緒に入られる?」


「え?お姉さん?」


 俺は石橋さんと顔を見合わせた。


<次回へ続く>

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