第3話 -夏の始まりに…-

 夏休みが始まり、夏の練習も本格的に始まった。

 まだ前半は午前中だけなので、朝はゆっくり出来るが、合宿とお盆以降は大変だろう。


 それ以前に俺は打楽器にもっと馴染まねばならない。

 同期の広田さん、後輩の宮田さんとは上手く話せるようになったが、肝心の技術はまだまだだからだ。


 3年の先輩の計らいで、ティンパニー専属にさせてもらえたのはいいが、それだけに早く4台あるティンパニーの音域を覚え、ペダルをどこまで踏み込めばいいかとか、更に言えば何本かあるマレットを曲中に使い分ける必要があるのかまで、自分で考えねばならなかった。


 毎日ウォークマンで登下校中に、コンクールの課題曲「風紋」と自由曲「オーストラリア民謡変奏組曲」を聴いているので、曲のイメージは掴めてきたが、実際に叩くとなると、やっぱり難しい…。


 今日もウォークマンでコンクールの曲を聴きながら、練習開始時間に合わせて高校へと向かっていたら、不意に声を掛けられた。


「先輩!上井先輩!」


 その声に振り向くと、若本だった。宮島口駅近くに家があるとは言え、最近は以前に増して声を掛けてくれる。


「ああ若本、お疲れさん。暑いねー」


「先輩、あの…この前はスイマセン…」


「え?」


「先輩の心の傷も考えず、アタシの同じクラスの森川を押し付けるような事を言っちゃって…」


「いや、別に若本は悪くないよ。森川さんって女の子が、俺の事が気になるって言ってるよ、って教えてくれただけなんだから。俺が古傷引き摺ってる方が悪いんだよ」


「そう…です?」


「うん。だって俺が神戸さんにフラレたのなんて、いつだ?って話だよ。中3の3学期だよ。そんな傷を引き摺って、まだ神戸さんとちゃんと話せないって、部長としても男としてもおかしいじゃろ?」


「でも先輩はただフラレただけじゃなくて、その後に酷い目に遭われてるから…」


「…そこまで思ってくれる?」


「だって、神戸先輩は上井先輩をフッた後、色々とありすぎて中略しちゃうけど、最終的には大村先輩と付き合ってる訳でしょ?先輩はなんでその2人を副部長にしちゃったの?辛い状況になるのは分かってるのに」


「そっか、若本もじゃけど、1年生は今の幹部役員5人が決まった経緯は知らんもんね」


「そうそう。入学式の次の日に、アタシ達に部活の説明して下さったのは須藤先輩って3年の先輩でしたけど、実際音楽室に来たら、上井先輩が部長だって言われて、え?って思ったのを覚えてるから…」


 若本の疑問も最もだ。

 俺も入部した時、説明会では若本のお兄さんが説明会で話して下さったが、実際に音楽室に行ったら、須藤先輩が部長として出迎えて下さり、え?と思ったのを覚えている。


「入学式の後に、役員改選があるんだよ」


「入学式の、後に…?」


「うん。そこで部長の立候補を募って、もし立候補がいなかったら、新2年生の中で話し合って決めるんじゃけど、ウチらの代は立候補が3人出たんだ。それで選挙になっちゃってね」


「3人も?じゃあ上井先輩の他に、2人立候補がいたということに…」


「そうなんよ。その2人ってのが、大村と村山」


「へぇ…。で、上井先輩が部長ということは…」


「一応、俺に投票してくれた方が多かったってことでね」


「なるほど。すると、副部長に大村先輩、会計に村山先輩がいるってのは…」


「選挙に出たからには、役員として処遇せんにゃ、ダメじゃろ?」


「村山先輩と大村先輩は分かります。でも各々のパートナーが、先輩には辛い女子の先輩じゃない?大村先輩もやりにくいと思うし…。なんで?」


「それぞれの役員は、2名選ぶことになっててね。もう1人誰でもやりやすい同期生を選んでくれ、って大村と村山に話をしたら、大村は神戸さん、村山は伊野さんを選んで、各自受け入れたってことだよ」


「ふーん…。先輩は地獄の船出だったんだね」


「ハハッ、地獄って…。でも4月は地獄だったかもなぁ」


「アタシは入りたてでまだよく分かってなかったけど、先輩、上級生から陰口言われて落ち込んでた事件とかあったじゃない?」


「あったね。あの時点で心は折れかかってたよ」


「そんなに追い詰められてたの?先輩は…」


「うん。春先は生徒会も生徒総会で忙しくて、部活もハローふじおかの春祭りで忙しいし、俺は新入部員を把握しきれてないし、毎日必死だったんよ。そんな所にまさか3年生が聞こえるように悪口言ってるのはね…。もう部長は辞めよう、吹奏楽部も辞めようって、就任2週間で思ってたんだ」


「そこまで…」


「でも辞めなくて良かったよ。こうやって若本っていう、俺のことを恋愛面まで心配してくれる可愛い後輩が出来たんじゃけぇね」


「そ、そんな、先輩に可愛い後輩なんて言われたら、アタシなんて可愛くないのに勿体ないよ」


 若本は俄かに顔を赤くしていた。


「他にもさ、途中から入ってきたフルートの若菜さん。同じ中学校だったから、高校ではスポーツ系の部活に入ってみたけど合わなくて、上井先輩が部長なら安心だって、吹奏楽部に入ってくれた時も嬉しかったし。やっぱり部活って、いいよね」


「ホントですね…。コンクールまで1ヶ月くらいだけど、こんないい雰囲気の吹奏楽部で、良かった!今のみんなで、ゴールド金賞、取りたい!」


 俺は福崎先生に打楽器崩壊のピンチの際に言われた、これからが本当のお前の見せ場だ、という言葉を思い返していた。


「アタシ、実は廿日高校とどっちにしようか、最初はちょっと迷ってたの。これは先輩に初めて話すよね?」


「え?そうなん?初めて聞くよ、その話は」


「アタシ、お兄ちゃんがこの高校に行ってるから、吹奏楽部に入ったら絶対にお兄ちゃんと比較される…っていう勝手な思い込みがあって。この辺りで一番高級なバリサクがあるこの高校でバリサク吹きたい!って思ってたけど、去年体育祭を見に行った時に、上井先輩が吹いておられるのを見て、それこそ先輩の言葉を借りちゃうけど、心が折れそうになったの」


「なんで?俺なんかのバリサク演奏で心が折れるの?」


「だって先輩、すごい楽しそうに吹いてたし、バリサクを持ってる姿がすごい似合ってて…。これじゃこの高校に入って吹奏楽部に入部しても、バリサクは吹けないなと思って。あと、余談だけど、ブルマの色がエンジってのもちょっと引っ掛かって…アハハ」


「そっか。じゃあ若本の決意が揺らいだのは、去年の体育祭を見学してから、なんじゃね」


「です、です。それでアタシ、廿日高校にしようかな?と一時期思ってたの。お兄ちゃんの話を聞いてると、いつも廿日高校は吹奏楽コンクールで金賞獲るけど、ウチはなかなか追い付けない…って言ってて。じゃあ中学の時に味わえなかったゴールド金賞を獲れるなら、廿日高校にしようかなって…。去年の秋頃は思ってたの」


「でも、ウチに来てくれたね」


「うん。アタシの中学の時の先輩で、廿日高校に進学した先輩から聞いたら、吹奏楽部に入ってはいるけど、あんまり楽しくないって聞いたの。コンクール金賞が絶対命題だから練習しててもつまんないよって」


 ふと山神恵子の言葉が頭をよぎった。


(コンクール金賞至上主義だから練習もつまらない…)


 だがその言葉は若本には言わずに、若本の話を聞き続けた。


「アタシは高校でも吹奏楽は続けたいけど、コンクールで金賞を獲るために個性を捨てるのか、それともチャレンジャーとしていつかは金賞を獲れる方にするか。凄い迷ったんだよ、先輩…」


「そうなんじゃね。でも進路決定するにあたって、そこまで真剣に考えることって、絶対に無駄じゃないよ。これからの人生でもね」


「ありがとう、先輩。結局アタシはね、お兄ちゃんと比較されようが、この辺りで一番の高級バリサクを吹けなかろうが、個性を殺されるより、新設校でまだこれから伸びしろがある西廿日高校に決めたんだ」


「若本の高校受験にあたっての青春ストーリーだね。いや、感動したよ。そこまでの決意で入部してくれたんじゃね」


「そうですよ~。で入ってみたら、やっぱり最初はバリサクは上井先輩の担当だったけど、幸か不幸かコンクールでバリサクを吹けることになって…。でも先輩には不本意な形だよね?アタシが喜んじゃいけないって、いつも自分に言い聞かせながら、先輩から受け継いだバリサクを吹いてるよ」


「不本意…のような、そうでもないような、そんな気持ちだよ」


「え?」


「不本意だったのは、下克上みたいな形で打楽器の1年生が謀反を起こして、文化祭の直後に宮田さんに全部押し付けて一気に退部したこと」


「あぁ…、ですね。アタシも少しは顔を覚えてるから、選択授業で顔見たりしたら、いつも睨んでるよ」


「そこまでせんでもいいけどさ。それで打楽器が3年の先輩と宮田さん1人になってしもうてさ、これはどうしたもんか…って悩んで、髪の毛も10本ほど抜けたけど」


「髪の毛10本?数えたんですか先輩は!」


「で、部長が動く方が手っ取り早いと思って、先生に移籍を願い出たんよ。そうすれば若本も念願のバリサクを吹けるようになる、俺は新しい環境で頑張ってみよう、そしていつかはドラムも叩いてみたい、そう思って移籍したけぇ、移籍自体は不本意じゃないんよ。まあ慣れとらんけぇ、なかなか見るのとやるのとでは大違いってのを実感しとるけどね」


 若本と喋りながら登校すると、1人で猛暑の中を歩くよりも、やっぱり楽しい。その内高校に到着したが、部活を始める前のモチベーションが違ってくる。


「さて、今日も部活頑張ろうか!」


「うん!先輩、今日も貴重な話、色々教えてくれて、ありがとう」


「おぉ、そうなんよ。1年生の中で、これだけ色んなことを話してるのは、若本だけじゃけぇね。でも他の1年には内緒だよ」


「はいっ!了解ですっ」


 俺と若本は笑いながら、音楽室へ向かった。さあ夏休み3日目、頑張るか!


<次回へ続く>

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