第2話 -若本の深慮遠謀-

「先輩、足は大丈夫です?」


 若本と何故か2人で帰ることになった、野球部の応援の帰り道、まずは若本が俺の足の怪我を心配してくれた。


「うん、多分ね。最初は登下校にタクシーを使ってたけど、今日は歩いて来れたよ」


「アタシは確か、バレーの試合をしに体育館へ行った時に、先輩の右足が包帯でグルグル巻きになってたのを見たのが初めてで、包帯にも血が滲んでたんですよ。ジャージでも穿けば良いのに…って思ったなぁ」


「あんな暑い所で、ジャージなんて穿けないよ。女子はブルマが恥ずかしいだろうから、皆んな試合以外ではジャージ穿いてたけど」


「そっか、アタシはクラスマッチで先輩に、ブルマ姿を披露してしまったんですね!」


「そうそう。鮮烈なエンジのブルマ…」


「もーっ、恥ずかしいんですから、思い出させないで下さいよ!」


「でもブルマ姿を見たのは若本だけじゃないけぇ、安心してよ」


「どういう安心なんですか、一体」


「でもエンジ色のブルマには免疫があるとか言ってなかったっけ?気のせい?」


「あ、それは兄の体育祭とか見に来てたから、入学して初めて見る子よりは免疫はあるってだけで…。実際に着用する時は、話は別ですよぉ」


「そんなもんなんだね、ふーん…」


「もう、意味深なんじゃけぇ、先輩は」


「いや、別に意味なんてないよ。元々このブルマ話は若本が出発点じゃん」


「えっ、そうでしたっけ?……そうでした。アハハッ、まあ若気の至りってことで」


 しばらくはそのまま無言で歩いていたが、突然若本が質問をしてきた。


「あの〜上井先輩、質問です」


「おぉっ、なんの質問?合宿に付いてかな?」


「いえ、あのですね…。先輩、今好きな女の子っていますか?」


「へっ?」


 あまりに唐突な質問に面食らってしまった。


「どしたんね、若本から恋愛の話が出るとは思わんかったぁ」


「アタシだって女の子ですもん。恋愛の話は大好物ですよ」


「そうか。普段しないだけで、内に秘めたる情熱があるんじゃね?」


「まっ、まあ…」


 若本は少し照れながら返してきた。その様子が俺には新鮮で、又もや心の奥がキュンとなった。他の女子と話していても、こうはならない。俺自身、不思議でならなかった。


(俺は若本が一番、波長が合うのか?)


 近藤さん、笹木さん、石橋さん、野口さんといった女子とも話はするのだが、心がキュンとなるのは若本だけだった。


「あの…先輩?頭の中が固まっちゃいました?」


「えっ、あ、ごめん…」


「先輩、今更アタシの前で照れなくてもいいじゃないですか」


「先に照れてたのは若本じゃん」


「いや、そんなこと、ない…と思うけどな…」


 何となくお互いに照れたような状態になってしまったところで、若本がコンビニを見付け、アイス買ってきますね、と店内に入って行った。


 俺は若本を待ちながら、改めて若本が今日、俺と一緒に帰りたがった意味を探していた。

 アイスを奢ります、なんていうのは、恐らく口実なだけだと思うのだ。

 かと言って、好きな女の子がいるか?等と突然聞いてくるとは予想外だった。


(ひょっとして…?)


 若本が俺の事を好きなのだろうか?いや、まさかな…。


 程なくしてコンビニからアイスを2つ手にした若本が出て来た。


「先輩、お待たせしました。ソフトクリームで良かったですか?」


「うん、何でもいいよ。ありがとう」


「暑いから溶けるのも速いです。どっか座って食べちゃいますか?」


 近くに、団地向けの小さな公園があるのは知っていたので、そこのベンチに並んで座って、ソフトクリームを食べ始めた。


「わぁ、美味いね!生き返るよ〜。ありがとう、若本」


「いえいえ、これぐらい…」


 だが暑いだけに、あっという間に溶け始め、最後は溶けたクリームが、どうしても指にくっ付いてしまった。

 俺も若本も互いに気にせず、溶けたクリームを指で舐めて、あとはハンカチで拭い取った。


「美味かったぁ。暑いから、一服の清涼剤だね」


「良かったです〜。先輩に喜んでもらえて」


「ごちそうさま。さて、若本の本音を聞こうかな?」


「ほっ、本音?」


「さっき途中まで言い掛けたよね。俺に好きな女の子がいるか?って」


「あっ、そのことですよね、エヘヘ…」


「最初に言っちゃうと、いないよ」


「そうなんですね…。前に先輩から聞きましたけど、失恋された傷が治ってなくて、好きな女の子も出来ないとか、ですか?」


 若本の言う通りなのだが、若本からそう言われると、何故か他の人から言われるよりも心が痛い。


「うん…。いつまでも昔のことを引き摺ってる、情けない男じゃろ?俺って…」


「いや、引き摺るのは仕方ないよ、先輩。同じ部活に失恋相手がいるんだもんね、先輩は…」


「ホンマにね。2人もおるって、何なんだ?って思うよ」


「じゃあ先輩は、恋愛はもう懲り懲り?」


「…うーん…」


 何となく気になる後輩から直にそう言われると、全否定するのも今後を考えたら良くない選択肢だと思った。


「懲り懲りではないけど、ちょっと臆病にはなってるかな」


「そうなんだ…」


 若本は俺のその答えを聞いて、しばらく考え込む素振りを見せた。

 俺は若本がどんな言葉を返してくるか、真剣に耳をそばだてた。俺自身は心の中では、屈託なく話し掛けてくれる若本が気になる存在ではあるが、神戸、伊野と2連敗を喫していることから、どうしても女子に対して、恋愛に対して積極的になれない現状に、我ながらもどかしい気持ちの状態は変わらないが…。


「あのね、先輩…」


 若本は下を向きながら話し始めた。


「んっ?な、なに…?」


「先輩に好きな女の子はいないし、恋愛からは一歩引いてるっていうのを聞いた上で、一つお伝えしたいことがあるの。だから今日、アイスを奢らせてもらって、一緒に帰ってもらったんですけどね」


「うん。なんでもいいから、とりあえず聞くよ」


 俺はてっきり若本からの告白かと思って身構えた。もしそうなら、遠慮なく受けるつもりだ。だが若本の話は違っていた。


「実はね、先輩。アタシと同じクラスの女の子が、上井先輩のことが気になるって言ってるの!」


「え?」


 若本からの告白ではなかった。

 これまでもよく聞いてきたのと同じパターンの、知り合いが俺のことを気に入ってるらしい…という話だった。


「若本と同じクラスの…友達の女の子?」


「そうなの!」


「ふーん、そうなんだ…」


「あっ、あれ?先輩、あまり嬉しくない?」


「うーん…。正直に言うとね、誰かが俺の事を好きらしいとか、気になってるって話は、実はよく聞かされるんだ。でもその先に進もうにも何の情報もないから、その手の話は半分信じてない…いや、殆ど信じてないのが、現実なんだ」


「先輩…。失礼ながら、本当に恋愛に対して醒めてるというか、女性不信?みたいな感じなんだね…」


「フラレ方が…いや、俺の場合、フラレた後の方が酷い目に遭っとるけぇ、女の子を好きになって告白するとかいう行動が、怖いんだ。だから、誰も好きにならないようにって、自分に言い聞かせとるんよ」


 俺は率直にそう言った。神戸千賀子にフラレた後に受けた数々の傷、伊野沙織にフラレた後のガン無視、たった2回の失恋体験だが、俺にとっては10回分くらいのダメージだ。その7割は、神戸千賀子から受けたダメージだと言ってもいいだろう。


「でも先輩、今までの噂話?って、結局その相手の正体が分からないから、動きようもない、そんな展開ばかりでしょ?」


「まあ、ね。ウチのクラスの女の子が〜とか、同じ中学の同級生が〜とか。で、ソイツは誰やねん?って話ばっかりだよ。だからそんな話は幻だと思ってる。俺がモテるわけなんかないんじゃけぇ」


「せっ、先輩…。重傷ね…。右足のお怪我もだけど、恋愛メンタルも治療しなくちゃ」


「でも結婚願望はあるんだよなぁ。相手がいれば、だけど…」


「そんな先輩の傷を癒せるかな…。アタシがさっき言い掛けた話ですけど、アタシの友達が先輩のことが素敵!って言ってるんだよ」


「そのお友達って、実在する人?両足、ちゃんとある?」


「アハハッ、当たり前じゃない、先輩!そこまで疑らなくてもいいのに…」


「ではその奇特な女の子の名前を10秒以内に述べよ!」


「面白いなぁ、先輩は。アタシのクラスの友達で、森川優子って女の子です」


「実在したんじゃね…。モリカワさん?」


「はい。先輩のことは、文化祭の吹奏楽部ステージで見て、気になる!って思ったそうで。まだ文化祭の時は、先輩、バリサクだったじゃない?」


「そうやね。今の所、最後のバリサクになるかもしれんステージだね」


「最後かどうかは神のみぞ知るってことで…。で、バリサクはステージの一番前じゃないですか。丁度ステージに向かって右側から1年生、2年生って並んで座った時に、一番先輩が近くに見えたんだって」


「ふーん…」


「でね、先輩?バリサクって大きくて吹くのが大変そうでしょ?」


「一般的にはそう思われるだろうね。チェッカーズの尚之がバリサク吹いてくれりゃあ、少しは認知度も上がると思うけどな」


「チェッカーズでバリサクはないよ、先輩」


「無いかな〜、やっぱり」


「で、森川は、一番近くで見えた上井先輩が、バリサクを華麗に吹くのを見て、カッコいい!って思ったんだって!」


「その…森川さん?どうして俺の名前とか学年が分かったの?」


「ププッ、先輩、アタシと同じクラスって言ってるじゃない!」


「あ、そうか。何言ってんだ、俺は」


「そんなちょっと抜けてるお茶目な先輩も楽しいな。もちろん、アタシが教えたから、だよ」


「でもさ、まだ好きだとか、付き合いたいとか、そんなとこまでは聞いとらんじゃろ?」


「まっ、まあ…。好きかどうかまでは…」


「若本のご厚意には感謝するよ。少しでも俺の拗れた部分をどうにかしようとしてくれたんだもんね」


「…はい」


「もしさ、この先、その森川さんって子が、俺に告白したいとか、若本に相談したりするようになったら、改めて教えてよ。それまでは心に仕舞っておくから」


「…先輩から森川に話し掛けるとか…どう?」


「んなこと出来ないよ〜。『君が俺のことが気になる森川さんかい?』なんて、顔も何も分からないのに、話せないよ」


「そっかぁ。少しは先輩の気持ちが和らぐかな?って思ったけど、もう少し森川が真剣にならないと、先輩の心には響かない、ってことだよね?」


「いや、そこまで大袈裟じゃないけど…」


「とにかく、今度森川に会えるのは2学期になっちゃうから、2学期が始まった時に、上井先輩がまだ気になる?って聞くことから始めるね」


 そう言うと若本は公園のベンチから立ち上がった。


「ん?若本、先に帰る?」


「うーん…。先輩とお喋りするのは好きだけど、今はその雰囲気じゃないかなって…」


「そう、だね。この後歩きながら何を話すんだ?だもんな…」


「だからアタシ、先に行くね、先輩!早く元気にな〜れ」


 若本はそう言って、俺に手を振って一足先に帰った。


 取り残された感じの俺は、しばらく時間を空けた方が良いだろうと思い、ベンチに座ったまま、謎の森川さんという女の子がどんな女の子なのか空想していた。


(でもこのパターンで、話が上手くいった試しがないんじゃけぇ、気にするまでもないか…。俺も帰るとするか)


 真夏の昼下り、汗だくになるのを覚悟で俺もベンチから立ち上がり、家路に着いた。

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