第8章 夏休み'87-高2-
夏休み前半戦
第1話 -野球部は1回戦負け-
「皆さん、暑い中お疲れ様でした!予想通り…と言ったら、最後に挨拶に来てくれた野球部に申し訳ないけど、応援に行くのは一回だけで終わりました。でも去年は5回コールドだったけど、今年は7回コールドだったので、少しは強くなったのかな?」
バスの車内に笑いが起きる。
今日は広島市民球場へ、甲子園出場を賭けた野球部の広島県大会の1回戦の応援の日だった。
土曜日の時点では何だか面倒くさいという雰囲気だった部員も、カープの本拠地に入るや一気にテンションが上がり、練習時以上の盛り上がりになった。
その応援も虚しく野球部は敗退したのだが、帰りのバスは妙なハイテンション状態が続いていて、俺がバスガイドさん用の背もたれに寄っかかり、マイクで色々話していても、ちょっとした言葉に反応してイェーイ!とか言って盛り上がっている。
その様子を眺めていたら、初めて野球部の応援に行った1年生がはしゃいでいて、どちらかというと2年生は疲れた風に見えた。
(去年は帰り、野口さんと並んで座ったよな。全員寝てしまって、野口さんに伊野さんのことを相談していたような記憶があるな…。1年って速いな)
「えーっと、疲れた皆さんも寝てしまう前に、重要なプリントを配ります。明日からの夏休みの練習日程と、合宿案内です。ただ配るのは今ですが、バスの中で読むとバス酔いすると思うので、高校に着いてからじっくり読んで下さい。ては前から回しまーす」
俺は土曜日に居残りして作ったプリントを大体半分程に分け、バスの座席の両側へと回した。今日は来ていない3年生の分は別に保管してあるので、不足する筈はない。
最後尾の列を占拠していた主に1年生の男子軍団へプリントか回ったら、やはり上井先輩!余りました!と大きな声が聞こえた。声からして、瀬戸の声だった。
「余った?もらってない方はいないですかね?…いないようなので、悪いけど瀬戸、高校まで持っとってくれる?」
はーい、分かりましたと声が聞こえた。
「えーと、繰り返しお伝えします。バス酔いしない自信がある人だけ、プリントを見てもいいですけど、ちょっとでも危ないかな?という方は、高校に着いてからプリントを見るようにして下さい。で、高校に着いてから楽器を音楽室に戻した後、しばらく俺は残りますので、質問とかあったらその時にお願いします。いいですか?」
ポツリポツリと、は~いという返事が聞こえてくる。
「えっと、皆さんにバス酔いしないように言ってますが、バスの走行中に後ろを向いて喋るのも、結構気持ち悪くなるものですねぇ。という訳で、俺は今から高校に着くまで、一切喋りませんので…うぅ…後はよろしく」
と言って、俺は青ざめた顔でそのままバスガイドさんが座る補助席のような椅子に座り、やっと前を向いて一息付いた。
アチコチから、大丈夫?とか、先輩大丈夫ですか?という声が聞こえてくる。ありがたいことだ…。
元々車にも弱いクセに、走行中に後ろ向きで喋ったりするもんじゃなかった。出発前に喋れば良かった…。
不幸中の幸いだったのは、帰りはそんなに渋滞に遭わず、スムーズに高校まで着いたことだ。今朝はいくら一学期の修了式だと言っても、社会は関係なく動いていて、月曜の朝ということもあり渋滞が酷かった。
逆に言うと、若干バス酔い状態のまま、俺は高校に着いてしまった。
「村山~、ちょっとちょっと」
「お?どしたんや、顔色が悪いぞ?」
「バス酔いしてしもうた。まだ気持ち悪いんよ。悪いけど、楽器を音楽室に戻す陣頭指揮取ってくれん?」
「小学生かよ!分かった分かった、お前はちょっと水でも飲んで、ゆっくりと音楽室へ来てくれや」
楽器運びの仕事とかを任せるのは、大村よりも村山の方が適任だった。打楽器のバスドラムを筆頭に、大きな楽器を男子で分担して運ぶ手筈を整えてくれていた。
そんな中、正面玄関に座って肩で呼吸しながらバス酔いを醒まそうとしていたら、ふとバリサクのケースを持ったまま若本がやって来た。
「上井先輩、大丈夫ですか?先週は足の怪我、今日はバス酔い、先輩はなんか呪われてますね」
「心配してくれてありがとう。でも呪われてはないと思うけどなぁ。呪うほど俺のことを憎んでる人なんかおると思う?」
「うーん…。辞めてった1年生ですかね…」
「冗談はヨシコさんだよ~。俺は彼らが辞めたからって、去る者は追わずに徹したんじゃけぇ…」
「ホントに冗談ですよ。気にしないで下さいね、先輩!」
と若本は、俺に分け目チョップをカマして来た。不意を突かれたので避けきれず、見事に俺の頭髪の分け目に若本の手刀が振り下ろされてしまった。
「先輩、アタシの分け目チョップを避けられないとは…。アタシが腕を上げたのか、先輩がバス酔いでヘトヘトだからか…」
「俺がまだ酔ってるからだよ…うぅ…」
「なんか…先輩が可哀想に思えちゃいます…。そうだ、今日一緒に帰りませんか?アタシの家の前まで」
「なんか良いことあるの…?」
「途中でアイスを奢ります!日頃の感謝を込めて!出血大サービスです!」
「嬉しいけど、そしたら俺はしばらく音楽室に残って、夏休みのプリントの質問を受けなきゃいけんから、遅くなっちゃうよ?無理せんでもいいよ?」
「いいんです。アタシも先輩に聞きたいことあるしぃ」
「そっ、そう?若本がいいんなら、断る理由もないし…。じゃ、お言葉に甘えようかな?」
「わーい、先輩がアタシの提案に乗ってくれた!何気に初めてじゃないですか?」
「そう?まだ3ヶ月ちょいだもん、何か提案してくれたっけ?」
「…まあそんな細かいことはいいんです。アタシ、先に行ってますね。先輩はゆっくりと来て下さい」
「うん、ごめんね」
俺は若本を見送ると、一息入れてからバスの運転手さんと福崎先生が会話している所にお邪魔し、運転手さんに礼を言い、先生には一応しばらく残りますが今日は自由解散にしたいと思います、と告げた。
「おぉ、今日は今からコンクールの練習するって言ったら、暴動が起きるじゃろうし。大体、俺も疲れたしな、ハハッ」
「はい、じゃあ先生にもお渡ししたプリントの通り、明日の午後から本格的なコンクール用の練習スタートということで良いですか?」
「ああ、ええよ。お前、あのプリント、土曜日に残って仕上げたんか?」
「はっ、はい…。間違いとかあったらまた言って下さい」
「いや、去年の須藤の作ったプリントよりもお前の作ったものの方が、親しみやすくていいなと思ったんよ。この女子のシャワー時間の注意書きの横の『男子は覗かないように!』っていう看板のイラストはいいな。文字だけだとしっかり読まれない時もあるから、イラストとか入れるセンスはやっぱり上井ならではじゃのぉ」
「いえ…そんな大したことではないですよ、先生」
「でもこういう上井のちょっとした努力の積み重ねが、後輩達に受け継がれていけばいいよな。とにかくプリントは今の所、直す所は無かったよ」
「先生のお墨付きを頂けると、安心です。ありがとうございます。俺、プリント…というか、夏休みの日程について質問を受けます〜って言ってしまったので、音楽室に行って、しばらく待機してます」
「おお、よろしく頼むぞ。俺はやっぱり年かな、疲れたけぇ、音楽室まで行かずに帰るかもしれんが、明日からちゃんとやるからな」
「はい、分かりました」
と、俺が音楽室に向かおうとしたら、先生はバス酔いは治ったか?と、声を掛けて下さった。はい、一応…と答え、再び音楽室へ向かった。
「お疲れ様、皆んな残っとる?」
「あっ、上井先輩じゃ!バス酔い、治りました?」
出河がでかい声で出迎えてくれた。見た限り、結構残っているようだ。
「まあまあね。って言うか、酔った人って他におらん?」
誰も手を挙げなかった。えーっ、絶対にいると思うけどなぁ…。
「まあいいや、とりあえず今日は解散です。明日から、コンクールに向けて本気練習始まりますんで、今日は早目に帰って早目に寝る!これに限ります。毎日暑いしね〜。という訳で、さっきもバスで言いましたが、夏休みの予定のプリントに関する質問があれば、しばらく俺は残ってますんで、なんでも聞きに来て下さい。特に何もなければ、帰ってもいいですよ」
しばらくザワザワしていたが、明らかに疲労具合が1年生より2年生の方が濃かったのもあってか、2年生が先に帰っていく。
山中や伊東もお疲れ様〜と言いながら、先に帰っていく。
村山は俺の側に来て、
「もうバス酔いは大丈夫なんか?」
「ああ、大丈夫だよ」
「…ったく、しっかりしてくれや。お先に」
「…お疲れ様」
俺は何となく村山の言葉に違和感を覚えた。さっきも楽器搬入の指揮を頼んだら、バス酔いだなんて小学生か!と言って、何となくイラッとさせられたのだが…。
「センパーイ!あの、質問いいですか?」
クラの1年生、神田が聞いてきた。他にも1年生が結構残っていたので、聞きたいことがあるのだろう。
「うん、何?」
「合宿なんですけど…」
「合宿ね。どがいなこと?」
「何処で寝るんですか?」
なるほど、確かに明記していなかった。
「寝る所はね、普段は各クラスになってる教室だよ」
「教室ですか!えー、男子が覗きに来たりしませんか?」
「えっとね、去年と同じなら、男子は1階の教室、女子は2階の教室になるはず。男女で別れるんよ」
「そうなんですね。それはそれで寂しいような…」
「どっちやねん!まあ3泊するし、夜は11時までフリーだし、その辺は上手くやってねってことだよ」
「なるほど…。分かりました!ありがとうございます!」
まずは神田が納得してくれた。
「先輩!体調は大丈夫ですか?シンバルお疲れ様でした!一つ聞かせて下さいね」
次は宮田さんが質問してきた。
「宮田さんもお疲れ様!暑かったやろ?」
「ですね~。でも貴重な経験になりました。それで先輩、合宿のシャワーなんですけど…」
「はいはい、シャワーね」
「夜9時までは入れないんですか?」
「これはね、去年の反省を基にして、同時期に合宿する女子バレー部のキャプテンと話し合って決めたんだ」
「去年の反省…?」
「去年の合宿ではね、昼の練習が6時で終わって、夜の練習は7時半からになってて、シャワーはその間に入ってもいいし、夜の練習後の9時以降に入ってもいいってなってたんよ。そしたら早目にシャワーに入った女子が、スポーツ系の部活の女子とぶつかって、夜の練習に間に合わなかったり、9時以降にシャワーに入った女子も、また女子バレー部とぶつかって、長いこと待たされたり渋滞したりしたんよね」
「他の部活も同時に合宿するんですか?」
「そうなんよ。去年は同時に女子バレー部と、バスケ部が合宿してたけど、今年はウチと同時期なのは女子バレー部だけなんよね、どうやら。じゃけぇ、シャワーの時間を譲り合おうってなって、ウチらは夜の練習後にすることにして、女子バレー部には夕方6時からの時間に入ってもらうことで合意したんよ」
「そうなんですね。先輩、顔が広いですね!女子バレー部のキャプテンと打ち合わせ出来るなんて」
「ハハッ、偶々女バレのキャプテンが、中学の時に同じクラスだった友達じゃけぇ、話しやすかったんよ」
「でも凄いです。去年の反省を改善れてるなんて。さすが上井先輩!」
「いや、褒めても何も出んよ?」
「えーっ、何も出ないんですか?…って冗談ですけど」
「だからその時間で、分散してシャワーに入ってもらえたら、と思っとるんよ。また2年の女子にも聞いてみてね」
「はーい、分かりました」
宮田さんの質問が終わり、もうないかな?と思ったらもう1人質問者がいた。
「先輩!赤城が質問したいです!」
トランペットの赤城さんだった。
「はいはい、なんじゃろ?」
「あのですね、合宿時の服装は自由、但し登下校の際は制服ってあるんですが、これって、合宿中は何着てもOKってことですか?」
「ああ、自由って書くと逆に戸惑うかな。もちろん、赤城さんが言った通りだよ。まあ去年なんかはズボン代わりに学校ジャージのアンダーを履いて、上は好きなTシャツを着てるパターンが多かったけど、下もジャージじゃなくてなんでもええよ」
「わっ、そうなんですか?じゃ、短パンとかでも?」
「うん、いいよ。長いけぇ、楽に過ごせる服装でいいよ」
「分かりました!ありがとうございます!」
流石にそろそろ質問も出尽くしたかな?
「もしもう質問もないとか、なんか聞きたいけど今は上手く纏まらないとかあれば、合宿までいつでも聞いてくれて大丈夫じゃけぇね」
はーい、と声が上がり、1年生も三々五々帰宅し始めた。
最後まで残ったのは予告通り、若本だった。
「先輩、お疲れ様でした!プリント配って疑問点を質問してもいいよって、もしかしたら上井先輩が始められたことですか?」
「えっ?まあ、一応そうなるかな…」
「ですよね。ウチの兄が部長してた時は、こんな凝ったプリントじゃなかったし、多分ウチの兄は、先輩みたくフレンドリーじゃないから、なるべく喋りたくない派なんですよ。実はアタシ、去年のプリントも兄経由で入手したんですけど、兄が作ったものをそのまま日付だけ変えただけのものだったので、今年のプリントを見て軽くショック?ショックは変かな、上井先輩が色々考えられたんだなって思って…」
「まあ、1回見たら即カバンの底、みたいなプリントにはしたくなかったんよね。で、イラスト入れたり、女子のシャワータイムの横に男子は覗くなとか書いたり…」
「うーん、やっぱり先輩って、部長になるべくしてなったのかな、他の幹部役員の方だと、そんな細かい所までは手が回らないんじゃないかと…」
「若本、ホンマに褒め過ぎだって。何も出てこないよ?」
「いいんですよ。今日はアタシが先輩にアイスを奢るんですから」
「本当の話なん?」
「もちろんです!さ、先輩、帰りましょう」
なんだか若本のペースに巻き込まれてしまっているが、俺はその言葉をキッカケに帰ることにした。
果たして若本は、どうして俺にアイスを奢るなんて言うのだろうか?
<次回へ続く>
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます