第36話 -クラスマッチ後-

「あっ、上井君、こっちこっち」


 一足早く体育館に行っていた近藤さんが手招きする。体育館の中は、午前中にクラスマッチの熱戦が行われていたとは思えないほど、すっかり各スポーツ系部活の活動の場に様変わりしていた。


「午前中とは全然違うね」


「アタシ達にしたら、この風景の方が日常なんよね。もうすっかり、夏休みの終わりにある新人戦モードになってるよ。ウチも他の部も」


「夏休みの終わりに大会があるのは、吹奏楽部と一緒だね。俺たちもコンクールがあるけぇ」


「だよね?だから校内で合宿までするんだよね、お互いに」


「うん。去年は初めてじゃったけぇ、感想しか言えんかったけど、去年思ったことを今年の夏は改善したいし。それは笹木さんとの約束なんよね」


「だから軽く打ち合わせして、調整したいってメグ…キャプテンは上井君と話したがったのね」


「そういうことになるかな」


 と、近藤さんと話していたら、笹木さんが奥から現れた。


「上井君、ごめんね、怪我しとるのにわざわざ呼んでしもうて」


「いやいや、松葉杖使う訳じゃないけぇ、大丈夫」


「アタシが音楽室に行ってもええんじゃけど、なんかちょっと…ね」


「分かるよ。どっかで待ち合わせるか、俺が訪問する方が話しやすいもんね」


「じゃあ、どこで話そうか?」


「そうじゃね、狭くて暗いけど、ステージの横の道具置き場でもいい?」


「どこでもいいよ」


「じゃ、そこで…。タエちゃん、ちょっと練習外すけど、よろしくね」


「あっ、メグってば。上井君の前ではタエちゃん呼びは…」


「ごめーん!忘れとった!ま、初めてじゃないけぇ、ええじゃん」


「んもー、メグ!貸し一つだからね!」


 近藤さんは照れた顔をしていた。何故にそんなに俺の前でタエちゃんと呼ばれるのを照れるのだろうか


「キャハハッ、タエちゃん可愛いんじゃけぇ。上井君、こっちへ来てね」


「う、うん」


 笹木さんに連れられるようにして、ステージ横の道具置き場へと向かった。


「ここは涼しいね」


「そうなんよ。練習で暑くてたまらん時は、ここが避難場所なんよ」


 陽が当たらないからか、意外と道具置き場は涼しかった。


「今で練習中に、水飲んでもええようになったん?」


「あー、アタシが去年言ってたよね。表向きは禁止じゃけど、顧問の先生がいない時はOKにしたよ。アタシの権限で」


「お、流石メグキャプテン!改革の1つかな?」


「…タエちゃんが、上井君の前でタエちゃんと呼ばないでって言った意味が何となく分かるわ。まさか上井君からメグ呼びされるなんて」


 笹木さんは照れていた。中3からの付き合いだが、こんな照れた顔は初めて見たような気がする。


「ごめん、突然そんな呼び方したけぇ、驚いた?」


「そ、そりゃあね。初めてじゃん、上井君がアタシをメグって呼ぶのは。あー、アタシも女の子なんだなって、ちょっとドキドキしちゃったわ」


「そんな部分に秘密があるのかなぁ」


「なに?秘密って」


「近藤さんが俺の前で、タエちゃんって呼ばないでって言ってるじゃん」


「言ってるよね、確かに」


「近藤さんに、妙に女の子だってことを意識させちゃうのかな?と思って」


「…あのね…。うーん、実は深い理由があるの」


「なっ?深い理由?」


「気になる?」


「そりゃあ、もちろん」


「でも、今は黙っとくね」


「えーっ、なんで!」


「合宿の時にでも、コッソリ教えてあげるよ」


「うーん、豪華ディナーを目の前に、待てって言われてるペットみたいな気持ち…」


「アハハッ、上井君らしいわ。なんか、なかなか本題に入らないけど、そろそろ合宿でのお互いの部活の協力とか、決めようよ」


「そうだね、俺も月曜日の野球部の応援の練習があるけぇ、今日は部活には行かなきゃいけんし」


「野球部の応援かぁ、いいなぁ。青春って感じだよね」


「いや〜、でも暑いし、かと言ってウチの野球部は弱いし…複雑かな?誰もが、応援に行くのは1回きりって思ってるのがこれまたオカシイんじゃけどね」


「去年ってどうだったっけ?」


「5回コールド負け」


「う、うーん、もう少し粘ってほしい…よね」


「じゃね。せめて9回までは行ってほしいよ」


「ホンマに。…って、すぐ脱線しちゃうね、ウチらは」


「それだけ長い付き合いじゃもん。気心知れとる女子は少ないから、笹木さんの存在はありがたいんよ、俺」


「ウチだって、こう見えて男子の知り合いなんて少ないけぇ、上井君は頼りにしとるんよ。今回の合宿の調整の打ち合わせとかも、ブラスの他の男子が部長だったら申し入れも出来んし」


「そう?笹木さんは結構男女問わず交友範囲が広いと思うけどな~」


「まあ、ちょっと話す程度なら広いかもね。でも上井君みたいに、中3からの秘密を知ってる男子なんておらんもん」


「秘密って、また大袈裟な…」


「どうなん?その後、チカちゃんとはスムーズに話せるようになった?」


 笹木さんと同じクラスだった1年の時、末永先生の策により百人一首大会に俺、笹木、神戸の3人で出場し、笹木さんのお陰もあって1年ぶりに神戸千賀子と会話を交わした後、関係は改善したのか?ということだが…


「一時的に事務的な会話は交わすようになったんじゃけど、ちょっと個人的に許し難い件があって、また鎖国しとるんよ。進歩せんよね、俺も」


「そうなん?アタシはあの百人一首ですっかり和解したと思うとったけぇ…。まだ仲直りしとらんの?」


「仲直りねぇ…。大村と別れたら仲直りするかも」


「それは行き過ぎでしょ」


「分かってるよ。分かってるんだけど…。意固地だよね、俺も」


 思わず溜息を吐いてしまった。


「上井君の閉じた心をもう一度こじ開けるのは、大変ってことだね」


「嫌な男だよね。だからモテないんだろうなぁ」


「ま、まあまあ。ネガティブになっちゃってるよ、上井君!合宿の打ち合わせ、しようよ!」


「そうじゃったね、ごめんごめん」


 その後は、お互いの女子のシャワー時間の割り当てや、食堂での準備などで協力できる時は協力すること等を話し合った。


「じゃあブラスの女子の皆さんによろしく伝えてね。シャワーはちょっと遅くなっちゃうけど、その代わり女子バレー部と入り乱れることはないよって」


「うん、分かったよ。また何か出てきたら、夏休み中は基本的に平日は毎日出てきとるけぇ、連絡してもらってもいいし」


「お互いにね」


「じゃ、部活行ってくるよ。女子バレー部の皆さんにもよろしくね」


「うん。タエちゃんには特によろしく言っとくわ」


「またまた~」


 肝心の近藤さんというと、1年生の指導にかかりっきりで、バレーボールに真摯に取り組んでいる姿を遠くから見れるだけだった。


(うわっ、長いこと道具置き場におったから、体育館内の暑さが効くなぁ)


 俺は噴き出した汗を拭きながら、音楽室へと向かった。


(今日は流石にサボる部員は少ないじゃろう…)


 ゆっくりと歩いていると、楽器の音も聞こえてきた。


「遅くなってごめんなさーい」


 と俺が音楽室に入ると、中にいた若本がいち早く反応してくれた。


「上井センパーイ!部活に出てこれてよかったです!今日もなかなかお出でにならないので、もしかしたら怪我が悪化したのかなって心配してたんですよ」


 本気で俺が部活に現れたのを喜んでくれているみたいだ。又も俺の心がキュンとなる…。


「心配させちゃった?山中に遅れる理由言っといたのになぁ」


「山中先輩なら、とっとと金管の部屋に行っちゃいました」


「まあ…いいか。ちょっと遅れたのは、外務大臣しとったからなんよ。だから怪我じゃないんよ」


「ガイムダイジン?なんです?」


「まあそのうち分かるよ。さて今日は結構みんな出席しとるよね?」


「そうですね…。流石に月曜日が応援の本番ですもんね。まあバリサクは低音をボンボン鳴らすだけなんで楽と言えば楽ですけど」


「金管の方が大変じゃけぇね。山中もそれで焦って金管部屋に行ったんかな?」


「そうかもしれませんね」


「さてと打楽器の皆さんは…」


「さっき宮田さんと広田先輩で話してるのは見たんですけど…。どこに行ったのかな?」


 打楽器収納庫は開いていて、中からスネアとバスドラムとシンバルは取り出してあったが、肝心の2人がいなかった。


(まあいいか、俺がバスドラムってのは分かってるから)


 そう思って打楽器の練習スペースへ行き、バスドラムの叩き方を教則本を見てから真似していたら、広田さんと宮田さんが戻ってきた。


「あーっ、上井君!怪我は大丈夫なん?」


 広田さんが最初に声を掛けてくれた。


「うん、激しいことをしなきゃ大丈夫だよ」


「そうなん?良かった~。実はね、宮田さんと話しとって、上井君が怪我で大変なら、2人で何とかしようって言っとったところなんよ」


「2人で?えーっ、無理じゃない?」


「今さ、スネアとシンバルとバスドラがあるけど、この中から1つ外すとしたらバスドラだねって言ってたの。で、アタシと宮田さんでスネアとシンバルを、交代でやろうかって言ってたんよ」


「そんな気を遣わせちゃって、ごめんね」


「でも上井先輩が元気な顔を見せてくれて、良かったです!打楽器に来た途端に怪我するとか、打楽器って呪われてるんじゃないかと思って、アタシ、神社にお参りに行こうかと思ってたんですよ~」


 宮田さんが明るく話し掛けてくれる。ちなみに3年の先輩お2人は、コンクールに専念して頂くということで、野球部の応援は元々欠席としていた。


「神社?厄払いなら俺自身がやっといた方がいいかもしれんけどね」


「でも上井先輩が大丈夫なら、バスドラムも復活ですね」


「そうじゃね…。ねぇ上井君、バスドラム担当になってもらっとったけど、シンバルに変わってって言ったら、怒る?」


 唐突に広田さんがそう言った。


「いや…?流石にスネアは無理じゃけど、シンバルならええよ」


「ホンマ?良かった~。実はあの猛暑の中、シンバルをやるのって、結構キツイんよね。か弱いアタシ達じゃちょっと無理かなって…」


「え?なんだって?力強いアタシ達がどうしたって?」


「上井君、もう一回言わなきゃ分からないようなのでもう一度…」


「い、いや、十分に分かっとります!乙女にシンバル持たす訳にはいかんけぇ、俺がやらせて頂きます!」


「やっと意思疎通出来たみたいね、良かった良かった」


 広田さんのユーモアなのかどうなのか分からない一言は、まだ打楽器に慣れてない身としては結構ゾゾッと来るものだった。


「じゃあシンバルの譜面はこれね。って言っても、大した譜面じゃないけど。シンバルを鳴らす所にペケがしてあるけぇ、そこでシンバルを盛大に鳴らしてくれればええよ」


「分かったよ~。一度は合奏するのかな…」


「上井君、福崎先生と予定とか話しとらんの?」


「いや、この3日間はちょっと色々大変過ぎたけぇ、福崎先生の顔も見てないんよ」


「上井先輩、昨日は怪我の治療で早退されましたもんね」


 宮田さんがフォローしてくれた。


「そっか、それと生徒会役員だったよね、上井君は。忙しいもんね。そういえば確かアタシのクラスをバレーボールで勝たせてくれんかったんよね…」


 広田さんが呟くように言った。


「あーっ、負けたクラスの部員からは必ず言われるんよ。もう勘弁して~」


「冗談よ、冗談!音楽準備室に電気が点いたけぇ、もしかしたら福崎先生来られたんじゃないん?上井君、行ってみれば?」


「あ、ホンマじゃ。ちょっと先生と話してくるね」


「行ってらっしゃーい」


 広田さんと宮田さんの2人が送り出してくれた。


「失礼します、福崎先生…」


「おお、上井。久しぶりになってしもうたのぉ。元気か?」


「はい、上半身は元気なんですが下半身が…」


「なんか気になる言い方じゃのぉ。何かあったんか?」


「クラスマッチのサッカーの試合で、女子にモテようと思って普段やらないことをしたら、右の脛に深い傷を負ってしまって、4針縫ったんですよ」


「縫った?なんや、そんな大変な怪我しとったんか。で、野球部の応援とか、大丈夫なんか?」


「はい、別に激しい動きさえしなければ大丈夫です」


「そうか、それなら良かったけど…。お前、モテようとか思うなよ、慣れない場面で」


「はっ、今回の件で痛感しました」


「お前だってモテない訳じゃないと、俺は聞いとるぞ?」


「えっ?なんですか先生、その気になる話は」


「まあ又聞きの又聞きじゃけぇ、気にすんな。でも、そんなに自分をモテないと言って卑下するのもよくないぞってことだよ」


「はっ、はぁ…」


 俺は先生の言う情報が、気にするなと言われても気になった。もしかしたら部内の女子の誰かが俺のことを…?


「とりあえず4時から、応援曲を一通り通しとこう。合奏の体系組んでくれるか?」


「はい、分かりました…」


 先生の謎の情報が気になる俺は、不思議な顔をしていたことだろう…。とりあえず金管部屋に4時から合奏と伝えに行くか…。


<次回へ続く>

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