第33話 -喜怒哀楽-

 俺の右足の部分麻酔が覚め、それなりの痛みを感じるようになってから、会計を済ませて、石橋さんの手を借りながら駐車場へと向かっていたが、石橋さんは俺の質問に対してどうやって答えようか迷っているようだった。


「弟…」


「えっ?」


 石橋さんは唐突にそう言った。


「上井君は、弟みたいな存在かな。さっき看護婦さんにお姉さんって言われたからじゃないけど、お付き合いしてる訳じゃないから彼氏ではないし、単なる知り合いかっていうのも、ちょっと寂しいし。今の段階では、上井君は可愛くてほっとけない弟かな?」


(弟か…。ま、そうだよな…)


 ちょっとだけ落ち込みながら石橋さんの車に着くと、まず助手席側のドアを開けてくれ、俺を先に座らせてくれた。

 そして石橋さんの車の右側にいた高級車はいなくなっていたので、運転手側のドアを石橋さんは遠慮なく開けて、今度は楽々と乗り込んだ。


(ラッキーセクシーも一回きりか~)


「じゃあ、お家までお送りするね」


 石橋さんはエンジンをかけ、車を出発させた。


「あの、石橋さん…」


「ん?なーに?」


「石橋さんは今、彼氏とかおられるんですか?」


 俺が弟なんだったら、逆に遠慮なく踏み込んで聞けるだろう、そう思って聞いてみた。


「それがね、いないんだ。前に話した2号でもいい事件の後、なんか男の人と付き合うのが怖くなっちゃってね…」


「男が怖い、ですか…。俺も女の人が苦手なので、ちょっと似てますね」


「上井君、女の子が苦手なの?」


「はい…。女の子というか、恋愛が怖いんですね、きっと」


「上井君、神戸さんって女の子だっけ、その子にフラレた後遺症がまだ残ってるの?」


「いえ、実は…この事はまだ石橋さんには言ってないですよね」


 俺はその後、同じ吹奏楽部の伊野沙織にフラレたこと、フラレた後は一切目も合わせてくれないことを、石橋さんに話した。


「…フラレちゃったの?」


「はい。だからもう女の子を好きになることが怖いんです」


「そっかぁ…」


 石橋さんは考え込むような表情になった。だが、こう言った。


「アタシも男の子が苦手、上井君も女の子が怖い、似た者同士だね…」


 そして笑顔を見せてくれたが、ちょっと無理しているのが分かった。


「石橋さん、あと少ししか一緒にいられないですけど、これからも俺、石橋さんのことをお姉ちゃんとしてお友達…は変だな、とにかく仲良くさせてもらってもいいですか?」


「うん!もちろんだよ。後で、電話番号、交換しようね」


 そして俺のアパート前に着き、お互いに電話番号を書いたメモを渡し合った。


「じゃあ、またね。可愛い弟くん。早く怪我が治りますように」


 そう言って助手席から降りた俺の頭を撫でてくれた。


「石橋さん…」


「そうだ、来週また病院に行かなきゃいけないでしょ?」


「あ、そうですね」


「病院に行く日、またお姉ちゃんが送迎してあげるから、日が決まったら電話してね」


「本当に良いんですか?迷惑じゃないですか?」


「迷惑なわけないじゃん」


「電話するタイミングとか、ありますか?何時だとお父様が出られるとか…」


「基本的にウチは、父は最初に電話に出ない人だから…。そんなに上井君は緊張しないでもいいと思うよ。アタシかお母さんが出るパターンが殆どだからね」


「分かりました。でもバイトに行っておられる時もありますよね?」


「そうそう、バイトはね、夜7時から10時まで、小さな塾の先生してるんだ。だから、可能なら夕方か、10時半以降がいいかな?」


「わぁ、石橋さん、塾の先生ですか!スゲェ!」


「凄くないよ~。自分の得意だった科目を教えてるだけだから」


「何が得意だったんですか?」


「一応、英語だよ。今の短大も、英文学科なんだ」


「凄いや!来年、俺の受験勉強の時もよろしくお願いします」


「アハハッ、分かったよ!じゃあ、後ろから車も来てるから、行くね。またね、バイバイ」


「あっ、はい!ありがとうございました!」


 石橋さんの車が、玖波駅の方へと向かって発車していった。


(なんか、彼氏じゃないって言われたのは寂しかったけど、次の病院の時も送迎してくれるって、デートの予約したみたいだなぁ…)


 俺は今日一日の嫌な出来事も今だけは忘れて、石橋さんの年上女性ならではの優しさに浸りたかった。


「ただいま~」


「お帰り、純一。怪我はどうだった?」


 母が心配そうに出迎えてくれた。


「うーん、まあ全治1週間くらいかなぁ。初めて部分麻酔して、4針ほど縫われたよ。風呂は包帯外して、ラップで怪我したところを巻いて、シャワーだけにしとけって言われた」


「そうなのね。ちょっと大きい怪我になっちゃったね」


「仕方ないよ、自業自得」


「そう?無理しないのよ。あ、さっき、村山君から電話があったよ。帰ったら掛け直させるって言っといたから、電話しなさい」


「村山?うん、分かった」


 最近、村山とは距離感を感じていたが、何の電話だろうか。もし今日部活に来て、俺の怪我のことを知らされて心配して掛けてくれたのなら、友人の意気に感じるのだが…。


 村山は男だから、女子と電話する時のように自分の部屋まで電話機のコードを引っ張っていく必要もなく、その場でそのまま村山家へ電話した。


「もしもし、村山です!」


(この元気な女の子の声は、末っ子ちゃんだな?)


「もしもし、僕は上井と言います。健一お兄ちゃんはいますか?」


「うん、いますよー。ケンイチおにーちゃーん!ウワイくんからだよー!」


 末っ子ちゃんは確か今年小学5年生のはずだ。元気だな…。こんな無邪気な時期が俺にもあったはずなんだけどな…。


「はい、健一です」


「ああ、俺。電話もらったらしくて。悪いね」


「おお、怪我はどうよ?部活に行ったら治療のために早退したって、出河とか瀬戸とか若本から聞いたけぇ、ちょっと心配になってよ」


 良かった、村山は部活に出たんだな…。


「今、病院から帰ったところなんじゃけど、一番酷い部分は4針縫われたよ」


「マジか!どしたんや、クラスマッチでか?」


「そうそう。サッカーでスライディングしたら、普段そんなことせん奴がカッコ付けたことするなっていう天の戒めかのぉ、脛に3本の縦傷が出来てしもうてさ。両サイドの怪我は軽かったけぇ、保健室の応急措置でもう出血は止まっとったんじゃけど、真ん中の傷が保健室で巻いてもらった包帯を病院で外したら、まだ血が止まってなかったんよね。で、縫う羽目になったと…」


「他人のそういう話って、聞いとるだけで背中がゾゾッとするなぁ」


「まあ全治1週間ってとこじゃろ。来週また傷を見せに来てくれって言われたけぇ」


「でもそんなんじゃ、明日の試合も出れんのんじゃないか?」


「元々俺なんか大した戦力じゃないけぇ、大丈夫じゃって。それより生徒会の仕事と、野球部の応援とかに影響あるかどうか、見極めなきゃね」


「というと?」


「野球部の応援で、バスドラム叩く予定だったんよ。足で踏ん張らにゃいかんけぇ、力が入るかな?ってこと」


「ふーん…。俺が代わってやってもいいんじゃけど…」


「村山はトランペットじゃろ?トランペットが1人でもおらんようになったら拙いって。最悪、座りながらでも置き方を工夫すりゃ叩けるじゃろうて、そこは考えてみるよ」


「そうか?ま、お前が思ったより前向きで良かったよ。後輩らが結構心配しとったけぇ、一体どんな怪我したんじゃ?と思ってさ」


「ありがとうね。ところで確認じゃけど、今日の部活、副部長コンビは来とった?」


「それがどっちも来んかった。お前がおらん時のための副部長なのにな。まあアイツらの場合、どっちか片方だけが部活に来てもう片方が来ないってことはないけぇね。じゃけぇ、今日のミーティングは俺がやる羽目になってよ~。いつもお前がやっとるようにやろうと思ったけど、慣れとらんけぇ難しかったわ」


 やっぱりタクシーから見かけたカップルは大村と神戸だった。8割の確信が10割になった。


「うーん…。前にさ、合宿に向けて役員で一度話し合いしたいって言ったやろ?」


「ああ。覚えとるよ」


「内容はレクリエーションについて、だったけど、ちょっと一つ内密で議題を追加してもいいか?」


「内密?なんや、物騒やな…。また何かお前を悩ますようなことが起きたんか?」


「まあこの悩みは俺が部長になった日から、ずーっとくっ付いてる悩みでもあるんじゃけどな。…大村と神戸を副部長から解任させたいんじゃ」


「…えっ?マジか?なんで?」


「ああ。実は今日、怪我しとったけぇ、先に帰らしてもらう時に、タクシーを使ったんよ。長いこと暑い中歩けんと思うて。そしたら途中で、カップルを追い抜いたんじゃけど、明らかに大村と神戸じゃった。お前ら部活に出んと何しよるんじゃって、その場で怒鳴り付けたくなった」


「ちょい待てや。落ち着け、上井。お前の気持ちは分かるけど、コンクール直前でそんな部内に不協和音を作り出すようなことしてええんか?」


「俺はもう、そこまで頭の中が沸騰しとるってことよ。今日だって村山が言ってくれた通り、俺が不測の事態で部活に出れずに早退したのに、部長不在時に代理を務めるべき副部長が、誰にも何も言わず、のうのうと早退しよった。何か用事があって、誰かに言付けとりゃ別じゃが、そうじゃない。俺はむしろ村山と大村で役を交代してもらった方がええと思った。そういう話を5人でやりたいんよ」


「いやいや、ちょっと落ち着け。お前の気持ちはよく分かる。分かるけど、プライベートな怒りが混ざっとらんか?ここはお前のこれまでの恨み辛みとは別に、副部長が勝手に早退したこと一点だけで考えるべきじゃろ」


「いや、このまま放置したら、他の部員に示しがつかん。真面目に出て来とる1年生に申し訳ないくらいじゃ」


「…お前の意思も堅いのぉ。まあお前が一度決めたことはやり通す主義じゃ言うのは、これまでの付き合いでよう分かっとるけぇ、気持ちは痛いほど分かる。けど、今はそんなことをやる時期じゃないと、俺は思う」


「まあ俺もこんな性格じゃけぇ、損をしてばっかりじゃけど、やっぱり上に立つ者は下の見本にならんにゃダメなんよ。アイツらは副部長であると同時に、それぞれのパートリーダーでもあるんじゃけぇ」


「よし、上井、明日の朝よ、久々に時間合わせて列車に乗って、登校しながら続きを話そうや。多分今この電話だけじゃ、お互いの意見が平行線じゃと思う。お前は多分、生徒会の関係で早目に行かにゃいけんのじゃろ?俺がその列車に合わすから」


「そうか?じゃあとりあえず今夜はここまでにして…。俺は昨日と今朝は、玖波を6:36に出る呉行に乗っとるんよ。じゃけぇ大竹はマイナス5分してくれりゃあ…」


「早いなぁ、生徒会は。お疲れじゃの、上井」


「ならされたもんは仕方ないからね」


「じゃ俺も大竹6:30頃の、一番前の車両に乗るけぇ。また続きを話そうや」


「そうしよう。ちなみに最後に付け加えとくと…」


「最後に?」


「俺が怪我で病院に行くから早退するって部活に報告しに行った時、伊野さんがおったんよ。その時来とった役員は伊野さんだけじゃったけぇ、頑張って話し掛けてみたけど、見事にスルーされたよ」


「それもお前の尽きない悩みの一つだよな…。どうすりゃお前と話すようになってくれるんじゃろうか」


「なんというか…。5人の役員体制で、信頼できるのが村山だけって、俺はどっかで道を間違えたんかなぁ…」


「んなことないって。まあまあ、そこらも明日話そうや」


「だね。早う寝んと明日起きれんし。とりあえずありがとうな、村山」


「おお、こちらこそ。じゃまたな」


 受話器を置き、改めて考えたが、俺の副部長更迭の意思は翻らないと意を強くした。


「純一、ご飯冷めちゃうよ。早く食べな」


 電話の内容も聞かなかったふりをしてくれる母に感謝しつつ、俺は明日村山に告げる内容を考えていた。


<次回へ続く>

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