第32話 -不思議な因縁-

「えっと、この踏切を渡ったら左へお願いします」


「分かったよ〜」


 俺は帰りの列車の中で偶然出逢った、2年先輩の石橋さんの車に乗っていた。


 クラスマッチのサッカーで右足に深い怪我をしたため、保健室での応急措置だけではなかなか治らないだろうということで、病院へ行くため早退していた。

 その途中で石橋さんに出会い、事情を話したら車で送ってもらうことになったのだ。


 石橋さんは初心者だからと謙遜しておられたが、逆に運転は慎重で、安心出来た。


 だがどうしても黒のタイトスカートを履いておられるので、太ももが結構見える。

 曲り角とか、クラッチを踏む時とか、つい俺の目が勝手に石橋さんの太ももを見てしまっては、自分にダメ出しして目線を戻すということを繰り返していた。


「あ、この電柱の先で左へお願いします。その後は道なりに進んで、一番手前のアパートの3つ目の階段でお願いします」


「OK。分かりやすい説明、助かるよ〜」


 石橋さんの車は俺のアパートの階段で停車した。


「じゃ、すいません、保険証取って来ますね」


「うん、待ってるよ〜」


 俺は急いで…と行きたいところだが、段々と右足が痛くなっていたので、なかなか急げなかった。


 保険証を母に聞いて貸してもらい、今から病院に行く、と言ったら、そんな怪我してどう行くのかと聞かれた。

 なので、たまたま吹奏楽部の先輩が車で送迎してくれることになったのだと言ったら、そりゃ挨拶しなくちゃというので、まさか石橋さんを俺の母に会わせる訳にはいかないと思い、頑として断り、慌てて石橋さんの車に乗るべく階段を降りた。


「すいません、石橋さん、お待たせしました」


「ううん、大丈夫よ。じゃ、外科?病院に行こうか」


「はい…。実は石橋さん…」


「ん?どうしたの?」


「俺、ここら辺の外科を知らないんですよ…。国立病院しか知らないんですけど、石橋さん、どっかいい外科知りませんか?」


 俺は幸か不幸か、大竹市に引っ越してきてからこれまで病院を使った事が無かったので、外科はおろか内科も個人病院は知らなかった。

 近くに国立病院はあるのだが、こんな怪我程度で行くのは何だか憚られるし、それに夕方だともう終わっているかもしれない。


「そうだね…。どうしても玖波付近にはないから、大竹の町中まで行かないといけんね」


「そうですか、やっぱり…」


「いいよ、アタシが送ってあげるよ」


「え、大竹の町中まで送って頂けるんですか?なんか…石橋さんに申し訳ないです」


「ううん、電車の中で上井君に久々に会えたのも何かの縁だもん。バイトの時間まではお付き合いしてあげるよ」


「それだと石橋さん、夕飯やお風呂が…」


「そんなのどうにでもなるよ。夕飯もお風呂も、バイトの後にすればいいだけだもん」


「逆に俺に出会ってしまったがために、こんな面倒な事をお願いすることになってしまって、本当にすいません」


「上井君は変わってないね~」


「えっ?」


「相手の事を思う優しさ。母性本能をくすぐられちゃうよ」


「母性本能?!」


 思わぬ言葉を投げかけられ、正直車の中で動揺してしまった。


(母性本能って、女性が赤ちゃんを産んだら芽生えるものじゃないのか?我が子が可愛くて可愛くて、守ってやりたいってのが、母性本能じゃないのか?)


 石橋さんはどのような視点で俺のことを見ているのだろうか…。


 その内、国道2号線沿いの外科を見付け、石橋さんもここだった、合ってた~と言いながら駐車場に入って、狭い枠にうまく車を停めていた。


「石橋さん、運転が上手いです!」


「お世辞なんか言わなくていいよぉ。酔わなかった?大丈夫?」


「はい、全然」


「じゃあアタシが先に降りて、助手席のドアを開けるから、待っててね」


「はい」


 俺は先に降りようとする石橋さんを眺めていた。


 悲しき男の性で、ついTシャツに浮き出るブラジャーのラインを目で追ってしまう。今回はそれに加えて、タイトスカートという装いなので、降りる時には結構キツいのか、スカート生地にパンツのラインまで浮き上がっているのが見えてしまった。


(ダメだって、自分!石橋さんをそういう目で見るな!)


 だが本能というのは恐ろしい。石橋さんが降車するのに悪戦苦闘しているというのに、セクシーな部分に目が勝手に行ってしまう…。


 やっとのことで石橋さんが車から降り、助手席側へ回って、俺を下ろしてくれた。


「すっ、すいません。俺、自分で降りればいいのに…」


「いいんだよ。上井君、足を怪我してるんだから。気にしないでね」


 石橋さんが降車に手間取ったのは、運転席の真横に高級車がいたからだった。

 そして俺を下ろしてくれる時に若干前屈みになると、今度はTシャツの襟の隙間から、ブラジャーに包まれた石橋さんの胸の谷間が一瞬見えてしまった。


(わっ!いいモノが…ってだから自分、いい加減にしないと…)


 でも一瞬見えた胸の谷間は、とても柔らかそうで、大きすぎず小さすぎず、俺好みの胸だなと思った。


(だ・か・ら!煩悩はどっか行けって)


 外科の入り口に行くのに、肩まで貸してくれようとしている石橋さんに超失礼じゃないか…。

 でもさっきは背中からのブラジャーのライン、今は胸の谷間、そしてスカートに浮かび上がったパンツのライン…。

 何気に石橋さんの下着上下のライン全て確認をしてしまった、俺は。


 そんなスケベな目で見ていたというのに、石橋さんは歩ける?大丈夫?と、心配して声を掛けてくれる。


「歩くのは大丈夫です。ただ心がちょっと痛いです」


「上井君、心が痛いって、どうしたの?クラスマッチとか吹奏楽部とか、もしかして好きな子とか出来て、その事で胸が痛いの?」


 嗚呼、情けない高2男子だ…。俺の悲しい男の性を抑えきれなかったことを、学校生活での悩みがあるんじゃないかと思ってくれる石橋さん。もし現役女子高生なら、告白しちゃいますよ!


「ところで石橋さん、さっき『ここだった、合ってた』って、外科の駐車場に入る時に言われましたよね?これまで、ここに来られたことがあるんですか?」


「実はね、そうなの」


 俺は初診受付の手続きをしながら聞いていた。受付が終わり、お名前呼ばれるまで座って待ってて下さいと言われたので、石橋さんを誘い、並んで待合室の椅子に座った。


「アタシ、高校では帰宅部だったけど、緒方中の時はテニス部だったんだよ」


「えっ、そうなんですか?」


「だからしょっちゅう怪我とかしててね。この病院にお世話になってたの。懐かしいな」


 だとしたら、石橋さんが3年生の時に、伊野沙織が1年生としてテニス部に入ってきた筈だ。覚えてたりしないだろうか。


「あの、石橋さん…」


「ん?」


「3年生の時に、1年の伊野沙織って女の子が女子テニス部に入ってきませんでしたか?」


「アタシが3年生になった年に?」


「そうです。要は俺と同じ学年の女子なんですけど」


「えーっ、どうだったかな…中学を卒業して何年も経つから、ハッキリとは覚えてないかも…」


 と言いながらも、一生懸命思い出そうとしてくれていた。


「ウワイさ〜ん、中へどうぞ」


 看護婦さんが、俺の名前を呼んだ。


「上井君、呼ばれたね。上井君が治療中に、思い出すようにするね」


「あっ、そんな、絶対に思い出してって訳じゃないから、いいですよ。とりあえず行ってきます」


 俺は診察室に入った。とりあえず経緯を先生に話し、包帯を剥がしてみたら、自分でもゲッと思うような状態になっていた。


「これはもう少し早く来てほしかったなぁ。保健室でとりあえず消毒してだけでしょ?傷が深い部分もあるから、本当はグランドの砂とか完全に取り去って、縫いたいくらいな所もあるよ」


「せ、先生、そんな酷い怪我だったんですね」


「だってここ、まだ出血が止まってないでしょ?」


「わ、本当だ…」


 俺は先生に指摘された箇所を見たら、確かにまだ出血が止まっていなかった。


「どうしようか、残ってる細かい砂とかを洗浄液で綺麗にしてから、縫うかい?それともガムテープみたいな強力絆創膏にするかい?」


「縫うなんて…ちょっと怖いです」


「縫う方が早く治るんだけどな〜。強力絆創膏だと時間がかかるし、剥がす時にスネ毛も一緒に抜けるから、凄い痛いんだよ」


「何にしろ痛いんですね。よし、思い切って縫います」


「分かったよ。その方が絶対に治りは早いから。じゃあこの部屋の反対側の部屋へ行って、待っててくれるかな?」


「分かりました」


 俺は診察室を出て、反対側の部屋へ向かう前に、椅子に座って待っている石橋さんに


「傷口を縫うことになりました。ちょっと時間掛かりそうですけど、石橋さん、大丈夫ですか?」


 と告げた。


「うん。待ってるよ。でも縫うほど大変な怪我だったんだね…」


「そのようです…。変にカッコ付けるのは止めなくちゃ、ですね、ハハッ」


 別室で俺は右足に部分麻酔の注射を打ち、感覚が無くなってから、残っていた砂や小石を傷口から取り出して消毒し、先生が縫い始めた。


「なかなかこんな場面見れんよ。でも見たくないだろうから、横でも向いてちょっと待っとってね」


「はい…」


 麻酔のお陰で、何か右足の脛に当たってるな、程度しか分からなかったが、やっぱり直視は出来なかった。


「はい、終わったよ。次は来週の中頃、傷口を見せに来てね」


 右足の脛を見ると、一応傷口を隠す目的で、新たな包帯が巻かれていた。


「先生、ありがとうございます。風呂はどがいなもんでしょう?」


「そうだね、しばらくは傷口が塞がるまで我慢…と言いたいところだけど、毎日暑いしね。包帯を取ってから傷口にラップでも巻いて、シャワーだけにしたらいいね」


「はい…分かりました。ありがとうございます」


 先生は部屋を出たが、右足に麻酔がかかっていて、麻酔が覚めるまでにはしばらく時間が掛かるということから、看護婦さんが俺を車いすに乗せてくれ、待合室へと連れて行ってくれた。


「上井君!く、車いすって…」


 本を読みながら待っていてくれた石橋さんが、俺が車いす姿で現れたのでビックリされていた。


「あ、貴女はこの方のお姉さん?今ね、右足に麻酔がかかってるから、歩けないのよ。麻酔が覚めるまで、30分ほどだと思うんだけど、それまでちょっと待てるかな?」


「あっ、はい。分かりました。麻酔が覚めたとかって、何かで分かるものですか?」


「そうね…。30分ほどしたら、麻酔で眠らせている傷口が疼きだすと思うから、痛みが戻ってきたら覚めてきたと思えばいいかな。じゃお姉さんに頼んじゃって悪いけど、麻酔が覚めたような感じになったら、教えてね」


 看護婦さんはそう言って、次の患者さんの対応に向かった。


「石橋さん、すいません…。バイト、間に合いますか?」


「う、うん。今何時?まだ5時前でしょ?バイトは7時からだから、5時半に上井君の麻酔が覚めて、ご自宅にお送りして…。間に合うよ。大丈夫」


「本当に厄介な時に電車の中で出会ってしまってごめんなさい。いつか、お礼させて下さいね、石橋さん」


「そんなの、いいんだよ。だって私はお姉ちゃんらしいから…フフッ」


「あっ、看護婦さんが言ってましたね…。でも石橋さんと俺って、どんな関係なんですかね?先輩と後輩だけど、初めての出会い方が不思議で、その後の生徒会役員で入れ替わりっていうのも不思議なご縁で」


「まぁ、アタシは上井君のことはね…」


 と石橋さんはここで言葉に詰まってしまった。俺はどんな言葉が続くのか、固唾を飲んで石橋さんを見ていた。


(まさか、恋人じゃないし…なんて答えが返ってくるんだろ)


「上井君のことはね…」


<次回へ続く>

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