第31話 -引き摺る遺恨-
生徒会室を出てゆっくり歩き、音楽室に着いた。
「上井先輩、足は大丈夫ですか?」
と、何人か部員が来ている中、体育館で俺の包帯姿を見た出河が声を掛けてくれたが、
「生徒会室で話しとったら、やっぱり今は保健室で応急処置しただけじゃけぇ、ちゃんと病院で診てもらった方がいいって言われてさ。ごめんじゃけど、病院行こうと思って、早退させてもらおうと思って」
「その方がいいですよ。部活は来た者でちゃんと練習なりしておきますから」
「助かるよ。コンクールの曲もじゃけど、野球部の応援の曲もやっといてね」
「分かりました!」
「という事を、他の役員にも言いたいんじゃけどね。最後のミーティングや鍵閉めを頼みたくて。副部長か村山は来とるかな?」
そう言いつつ他の役員が来ていないか、見回してみたが、どうもいなさそうだ。
出河も
「今来てる幹部の方は…会計の伊野先輩だけみたいですね」
「そ、そうなんやね…」
なんだ?大村、神戸、村山は来てないのか?まあ昨日も来てなかったが…。
寄りによって一番話せない伊野さんしか来てないとは…。
でも仕方ない、伊野さんに頼むしかないか…。
俺は音楽室の片隅でクラリネットの準備をしている伊野さんに近付き、声を掛けようとした。
「あの、伊野さん…」
だが伊野さんは俺の声が聞こえるかどうかというタイミングで椅子から立ち上がり、楽器収納庫へ何かを取りに行く風情で、目の前から消えてしまった。
(なんだよ、まだ俺を無視するのか…)
足も痛くて自由が効かないので、俺はそのままUターンして出河に、大村か村山が来たら、上井は右足の怪我で帰ったからミーティングと鍵閉めを頼んだ、と伝えてくれ、どっちも来なかったらミーティングはやらんでもいいから、誰か鍵だけ閉めて職員室へ持って行ってくれ、と頼んだ。
「分かりました。神戸先輩や伊野先輩じゃ、ダメですか?」
「うーん、出来たら男子がええからね。女子だけだったら、言わんでもええよ」
「了解です。じゃ、気を付けて病院に行って下さい。後は何とかしますんで」
「頼むね、出河」
それだけ言って、俺は下駄箱へと向かった。
時間的に知り合いもおらず、足の痛みも増してきたので、1人だと割高なのだがタクシーを呼んで帰ることにした。
売店まで戻り、テレホンカードを使って公衆電話からタクシーを呼んだが、明らかに面倒くさそうな態度だったのでちょっとイラッとしてしまった。
だが、宮島口まで30分歩く自信は無かったので、仕方ない。
しばらく校門でタクシーを待っていると、無愛想な電話のオッサンとは違う、爽やかなオジさん運転士のタクシーが到着した。
「はい、お待たせ〜。上井君でよいかな?」
「あ、はい。俺です。宮島口駅までお願いします」
「1人かな?」
「はい、誰もファンがいないもんで…」
「ファンかぁ、アッハッハ!それを言ったらオジさんだって誰もいねえよ。まあ乗りなよ」
「はい、お願いします」
タクシーは俺を乗せて、出発した。
「ところでこんな早い時間にお宅の高校生さんから呼ばれるのって珍しいんじゃけど、何かあったんかい?」
「はい、今はクラスマッチってのをやってるんですけど、俺はサッカーの試合に出てたんです。で、いつもモテないもんですから、ちょっとカッコいい場面を…なんて欲張って、相手のドリブルをスライディングで阻止したんです。そしたら慣れないことするから、右足の脛をザックリ切っちゃって…」
「うわぁ、こういう話って、聞いてるだけで背筋がゾワゾワするもんだな。今はどうなの?応急処置しただけかい?」
「そうなんです。別にこれでもいいじゃろ、って思ってたんですが、包帯姿を見た人みんなが、ちゃんと病院に行った方がいいって言われるので、じゃ早退して病院に行こうかな、ってことで…」
「そうだね、下手して悪化すると、大変なことになるからね」
と、運転手さんと会話をしていたら、左側に何となく見慣れた2人組がいた。
(あれ?大村に神戸じゃないか!何勝手に帰ってんだよ、コイツら!副部長だろうが!)
勿論タクシーの方が圧倒的に早いので、あっという間に抜き去ったのだが、俺の中の瞬間湯沸かし器が沸騰するのは秒の問題だった。
最近、神戸に対しては以前の怒りもなく、野口さんの仲介もあって、そろそろ普通に話し掛けてみようかな…と思っていたが、とんでもなかった。
こんな無責任な奴等に副部長をやらせていた俺の責任だ。
役員会で副部長を交代させるか…。
「お兄さん、急に無口になりよって、なんか変なもんでも見たんかい?」
「あ、すいません、ちょっと個人的に許せない人間がいたので…」
「それは何かい、今日お兄さんの足を怪我させた相手かな?」
「いえいえ、こんなのはアクシデントですから、怒りませんよ。ちょっとソイツらについて話し出すと宮島口を通り過ぎて大野か大竹まで行っちゃうんで、止めときます」
「そっかー。オジさん的にはその方が儲かるけぇ、嬉しいけどな。なーんてな。アッハッハ!」
その内宮島口駅前に着いた。
「お兄さん、大丈夫かい?荷物とか持てるか?」
「はい、足なんで、大丈夫です」
「じゃまあ、気を付けてな。あと、許せない人間なんてのは、無視に限るよ、無視!気にもしないことが一番だよ」
「あっ、はい…。ありがとうございます」
俺はタクシー料金740円を払い、タクシーから降りた。
今は列車が15分間隔で走っているので、ひょっとしたら大村、神戸と出会う可能性があるかもしれないと思った。
ただ今奴等に出会ったら、どんな暴言を吐いてしまうか、どんな行動をしてしまうか自分でも予想が付かなかったので、2人に会わないように早目に改札を通り、ホームで列車を待っていた。
(あとは村山か…。アイツもどこで何してんだか…)
苛々しながら列車を待っていたら、意外にタイミングが良かったのか、さほど待たずに岩国行きが来た。
いつもは一番後ろの4両目に乗るのだが、今日は玖波駅の改札に近い3両目の前側に乗った。
すると、
「もしかしたら上井君?上井君じゃない?」
と、声を掛けられた。
最近よく電車の中で声を掛けられるな〜と思って、声がする方を見たら、座席に座っている女性が目に見えた。
「えっと…。もしかして私に声を掛けて頂いたのは…」
「あー、上井君だね、やっぱり。でもアタシのことは卒業したら忘れちゃったかな?」
俺は必死に座席に座っている女性の顔から、名前を絞り出していた。
「あっ、思い出しました!すいません、石橋先輩…、いや、石橋さん!」
石橋さんとは、上井の2年上の先輩だ。去年の体育祭で3年生のフォークダンスで出会い、その後生徒会役員の交代式でも出会ったことから、親しく話させてもらい、同じ中学校卒業ということも分かり、また何処かで会えたらいいですね…と言って、卒業式でお送りしたのだ。それ以来の再会となる。
「やっと思い出してくれたね。玖波まででしょ?座りなよ、上井君」
と、石橋さんはお出でお出でと手招きしてくれた。俺は石橋さんの向かい側に座らせてもらった。
石橋さんは白いTシャツに黒のタイトスカートという出で立ちだった。
「すいません、なかなか思い出せなくて…」
「ちょっと寂しかったかな?」
「わー、申し訳ありません!」
「いいよ、名前思い出してくれたもん。上井君は今帰りなの?」
「本当なら部活なんですけど、実は右足に大怪我しちゃいまして…」
俺は少し制服のズボンの裾を上げ、包帯の端っこを見せた。
「なんか、包帯が見えるよ?」
「そうなんです。俺、サッカーに出てたんですが、カッコ付けて相手チームのドリブルをスライディングして阻止したんです。だけど慣れないことをするもんですから、脛にちょっと深い傷を負っちゃいまして、保健室で応急措置だけしてもらって、病院に行って来ようという次第なんです」
「うわぁ、痛そう…」
「自分の怪我を話すと、本人は大丈夫でも、聞かされた方は痛いですよね。まあ俺は元気は元気なので、そんな心配しなくても大丈夫ですよ」
「でも、でも…。上井君って、去年の冬のクラスマッチでもサッカーで痛い思いをしてなかった?」
「あー、ボールが顎に当たって、失神したヤツですね。石橋さんは現場におられましたっけ?」
「もう生徒会役員は引退してたけど、そういう話って伝わってくるんだよね。ましてやその頃、アタシは上井君と知り合ったばかりじゃない?だから凄い心配したんだよ」
「そうだったんですか、すいません」
「でも上井君を見てたら、可愛い弟みたいで、ほっとけないんだよね」
「弟ですか?」
「アタシと初めて話した時、酷い失恋を思い出す…って言ってたよね」
「はい…。アレはフォークダンスの曲のせいで…」
「アタシはね、松田聖子の天使のウィンク」
「へ?」
「へ、じゃないよ〜。アタシも変な同級生に一目惚れして、2号でもいいって言われて、それでも彼といれるなら…って話したの、覚えてる?」
「はい、覚えてますよ。確か捕まったんですよね?そいつ」
「アタシが、2号でいいなんていう夢から覚めた時にヒットしてたのが、天使のウィンクなんだ」
「なるほど…」
「だから天使のウィンクを聴くと、アタシは悲しい思い出が蘇るの」
「その時期だったんですね。そしてしばらくしたら、事件が起きるんですね」
「そうなのよね。上井君はその頃って…」
「中2から中3に上がる頃です」
「あ〜、なんか人生で一番青春って時期だね!」
「そうですかね?」
「上井君も分かるよ、きっと。まだ高校受験の心配はそんなにしないでいいし、誰が好きとかそんな話で盛り上がれるし…」
「ま、まあ確かにそうでしたね…」
俺は薄っすら片思いしていた山神恵子に本格的に失恋し、クラス替えもあって神戸千賀子に思いを馳せるようになった頃だ。そう思うと、お互いに好きで付き合うことになったのに、今はフラレた結果、相容れない存在になっていることが、青春の傷痕のように思えてならない。
「そう言えばアタシが中3になった時、新1年生に横浜から転校生が来る!って話題になってたんだけど…。それってもしかして上井君?」
「えっ?ご存知でしたか?」
「やっぱり!たまたま思い付いた勘なんだけどね、上井君って広島弁を喋っとるけど、たまに不自然な時があるんよ。標準語っぽい喋りというか…。それでそう思ったの」
「わぁ、石橋さん、凄い観察力です!帽子被ってないけど、脱帽します」
「アハハッ、そんなちょっとしたユーモアも上井君らしいよね。あ、もう玖波に着いちゃう…。上井君は一旦お家に帰って、保険証持って外科へ…かな?」
「そうですね、家まで歩くのがたいぎぃですけど」
「…もし良かったら、まだ初心者マーク付いてるけど、アタシの車で送ってあげようか?」
「げっ、何ということを!そんな恐れ多いこと、頼めませんよ!」
「またまたぁ。歩くのが辛いんでしょ?アタシは玖波駅まで車で来て、駐車場に停めて短大に通ってるんだ。だから上井君のお家まで行って、保険証を持ってくるのを待って、病院まで連れてって上げるよ」
「そ、そんな、石橋さんをタクシー代わりに使うなんて、申し訳ないですよ。助手席だって、彼氏とか乗られたりするんじゃないですか?」
「アタシに彼氏はいないよ。安心して…ってのも変だけど、気にせずに乗ってね」
その内列車は玖波駅に着いた。
俺と石橋さんは2人同時に降りたが、やはり俺の右足は痛みが増していて、ちょっとビッコを引くかんじになってしまう。
「ほら上井君、歩くのも大変そうじゃない。送ってあげるから、ね」
「先輩、ご用事とかあったんじゃないんですか?結構早い時間ですし」
玖波駅の時計で、今は午後4時を回ったところだった。
「ううん、今日は元々、こんな感じなの。夜にバイトはあるけど、一回家に帰って、お風呂と夕ご飯食べてからバイトに行ってるんだよ。だから全然気にしないでね」
それでも俺は女性に運転させて自宅やら病院やら送らせることが申し訳なく感じていた。
「でも…」
「はい、なんにも気にせず、この車に乗ってね」
軽自動車だが、女の子らしい可愛い装飾や、ぬいぐるみが何体か乗っていた。
「本当に、本当にすいません。じゃあ、お願いします!」
「やっと素直になったね。じゃ、怪我してる上井君からどうぞ」
と石橋さんは助手席のドアを開けてくれ、俺が座るとドアを閉めてくれた。
(なんか、石橋さんとドライブデートするみたいだ…)
俺は妙に鼓動が早くなった。
<次回へ続く>
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