第16話 -若本の存在-

 俺は、最後の手段として考えていた、自分自身の打楽器への移籍を先生に伝えた。


「はい、サックスはコンクールなら俺1人抜けても4人います。今はテナーを吹いてる若本が、本当はバリサクを吹きたいという希望を持って入部してきたのを俺は覚えてますから、若本にとっていい機会だと思うんです。あと沖村先輩と前田先輩も非常時には呼んで、と言ってくれていますので、若本がテナーからバリサクへ移る分、テナーが減りますので、一度前田先輩に相談しに行こうと思っています」


「本当にいいのか?お前、バリサクが吹きたいって入部してきたのに。あの時の上井の目の輝き、俺は忘れられんよ。それでも…」


「はい、昨日からずっと考えてました。打楽器がいなくなったというのが部員に分かるのは、期末の後だと思います。というか、期末テスト後のミーティングで説明します。その時、部長の俺が責任取って先に動いてないと、部員も動かないと思うんです。まず俺が動けば、もしかしたら他にも打楽器へ移ってもいいという部員が出るかもしれませんし。俺も鍵盤系はすぐには無理だと思いますけど、家でドラムの真似事とかはしてましたから、打楽器独特のリズム感とかは何とかなるかな?と思ってます。大物のティンパニーとかバスドラム、それとトライアングルとかカスタネットとかの小物系とかから始めて、慣れれば、いずれはもっと貢献できると思いますし」


「そうか…。そこまで考えてくれたんか。助かるよ。ありがとう、上井」


 ちょっと俺は照れてしまった。


「いえ、ちゃんと部員とのコミュニケーションを取ってなかった俺の責任です。それで先生、俺を1人加えても、打楽器はもう1人くらいは必要ですよね、コンクールの曲や、コンクール後を考えると」


「そうだなぁ…。コンクールも今の曲だと、上井を加えて打楽器4人でも厳しいな。仮にお前がコンクール後もそのまま打楽器に残ってくれたとしても、3年の2人はいなくなるから、お前と1年生の宮田の2人だけになってしまう。体育祭なんかでも、スネア、シンバル、バスドラと最低3人は必要だしな。せめてもう1人、ほしいけどな…」


「とりあえず期末明けのミーティングで、呼びかけてみようと思ってます。中学時代に打楽器で、今は管楽器の部員がいないか。いれば是非助けてほしい、と」


「そうか。じゃあ頼むな」


「はい。まずは宮田さんに話をして、打楽器に移籍して、基礎から練習します。バリサクは若本に話して、譲ります。まあどちらも朝練か昼練に来てくれていれば、なんですけど」


「色々お前なりに考えてくれたんだな、ありがとう」


「いえ、俺のせいですから…」


「だから上井、お前は自分を責めるな。自分を責めたところで、どうにもならないぞ。明るく前向きに、が今年のスローガンだろ?部長は率先して明るく前向きにいてくれよ」


「あっ、はい…失礼しました。じゃちょっと音楽室を覗いてきます」


 俺はそう言って音楽準備室を辞し、昼練中の音楽室に入った。

 昨日コンクールの曲を放課後に決め、宮田から5人分の退部届を受け取ってしばらく悩んでから24時間も経っていないのに、物凄く久しぶりの音楽室に感じる。


 何人か昼練に来ていたが、宮田は来ていなかった。元々打楽器は朝や昼のちょっとした時間で練習できるようなものでもないので、来ていないのも仕方ない。


 だが若本は来ていて、早速風紋の譜面を見ながら、テナーサックスの練習をしていた。


「練習熱心じゃね、若本さん!」


「あ、上井先輩、お疲れ様です!」


「ところで若本さん、バリサク吹きたい?」


「え?唐突ですね~。もちろん吹きたいですけど、それは先輩が成仏されてからでいいですよ」


「南無南無…って、おい!」


 久しぶりにこんな会話が出来ることが嬉しかったが、俺は表情を変えて…


「実はさ、真面目な話なんだけど、俺、先生と話し合って、打楽器に移籍することになったんよ」


「えっ?先輩が打楽器に?ええーっ?なんでですか?」


 この件についてはまだあまりオープンにしたくなかったので、若本を音楽室の外へ誘った。すぐ近くの、屋上へ通じる階段だ。


「実は今、打楽器は事実上1年生の宮田さん1人になったんよ」


「はい?え?な、なんですって?」


「昨日、打楽器の1年生5人が退部届を出してきてさ。拒否は出来ないから仕方なく受け取ったけど、残る打楽器は1年の宮田さんと3年の先輩2人になってしもうたんよ。これは期末テスト明けにみんなに明らかにするけど、今は秘密にしといてね」


「ホントですか?なんと言うことが起きてしまったんですか…。でも昨日はコンクールの曲決めやって、普通にミーティングして終わりましたよね?アタシも普通に帰りましたけど、その後にその、クーデターみたいなことが起きたんですか?」


「そうなんよ。打楽器の1年生5人分の退部届を預かってるといって、宮田さんが俺に相談に来てさ」


「そうなんだ…。宮田さんは、みんなが帰るのを待って、先輩に相談を?」


「うん…。深刻そうな顔でね。まさかとは思ったけど」


「うわぁ…。宮田さんも大変ですけど、宮田さんは残るんです?」


「うん。アタシは絶対に辞めません!って言ってくれたから、信じてるよ」


「そうなんですね。それは良かったけど、でも宮田さんと3年の先輩だけじゃ、コンクールも難しそう…」


「じゃろ。その辺りは部長として責任を感じないわけにはいかないんだ。だからコンクールまで日は少ないけど、先生にも話して、打楽器に移ることにしたんよ」


「そういう訳でしたか…。でもそれはそれでサックスが寂しくなりますね…」


 若本は本気で寂しそうな顔をしてくれた。


「大丈夫、大丈夫!俺は退部する訳じゃないし。だから、移籍して空いたバリサクの穴を、若本さんに埋めてほしいんよ」


「そういうことだったんですね」


 若本は複雑な表情をしていたが、やっぱりバリトンサックスがコンクールで吹けるということは嬉しかったようだ。


「じゃあ先輩が吹いていたバリトンサックス、今日から吹かせてもらっていいんですか?」


「うん、もちろん。逆に俺は今日から宮田さんの弟子になって…って、まだ宮田さんには伝えとらんけど、基礎打ちから習っていくよ」


「…先輩」


 若本が突然小さな声で囁いた。


「ん?な、なに?」


「マウスピースやリード越しに、アタシと先輩、間接キスしたことになりますよ…」


 俺は一気に顔が真っ赤になった。


「ちょっ、なっ、なにを…」


「わーい、やっぱり先輩をイジると楽しいな♪冗談ですよ。今言ったことは忘れてくださーい」


 若本のこんな小悪魔的なところが、俺の心に明かりを灯す。


(なんだ、この気持ちは?)


 去年、伊野沙織にフラれてから女性不信に陥っていた俺を、若本なら変えてくれるかもしれない、と一瞬思ってしまった。


 伊野さんは実際会計の仕事をやってくれてはいるが、会計の面で俺が話をするのは村山だけで、伊野本人は相変わらず俺と目も合わせようとしない。


 松下曰く、せっかく親しく喋れるようになったにも関わらずフッてしまった罪悪感から喋れないだけだとのことだが、果たしてそうなのだろうか?


「…先輩?」


「あ、ごめん。変な世界に飛んどった」


「変な世界?何を想像してるんですか?」


「いや、なんでもないよ、なんでも…」


「ホントかなぁ。上井先輩って真面目な顔して突然面白いこと言うし」


「ま、まあとりあえず、今日から若本さんはバリサク吹いてもらっていいからね。今はもう時間がないけぇ、明日の朝練からでも…」


「分かりました!経緯はともかく、バリサクを吹けることを素直に喜びたいと思います。他のサックスの方にはどう言えばいいですか?」


「そこは俺の仕事じゃけぇ、気にせんでいいよ。テナーは若本さんが抜けるから、その分前田先輩に復帰をお願いしようと思ってるけど、それ以外は配置は変わらんじゃろ」


「そうですね」


「だから、後の調整は任せてくれればいいよ」


「はい、分かりました。あの、上井先輩…」


「ん?」


「大変なことばかり起きますけど、アタシは上井先輩がいつも笑顔で頑張っておられる姿を尊敬してます」


「尊敬だなんて、俺はそんな大したことしてないし…。むしろ俺は貧乏神だよ」


「そんなこと、ないですよ!確かに辞めてった1年生はいますけど、アタシは上井先輩が部長だから、辞めようなんて思ったことないですもん」


「ありがとう」


「じゃあ、先輩を元気にするために…。目を瞑って下さい!」


「えっ?何するの?」


 俺が目を瞑ると、髪の毛のやや7:3気味の分け目に、チョップが当たった。


「痛い!ことは全然ない…。なんじゃ今の」


「分け目チョップです。えへへ、これで元気出して下さいね。もう時間がないので、テナー片付けに行きます〜。じゃ先輩、また会う日まで〜」


 若本はお茶目なことをして、音楽室へと向かった。


(明るいなぁ…。去年の体育祭で宣戦布告された時はちょっと怖い性格かと思ってたけど…)


 何となく良い気持ちになり、俺はクラスへと戻った。


(次は前田先輩の説得だな…)


<次回へ続く>

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