第13話 -松下との別れ-
「上井君と2人で帰るのも、今日で当分オサラバになるかもね」
松下が、今にも雨が降り出しそうな空を見上げながら言った。
「うーん…。そうなるじゃろうね。来週は1日だけ部活があって、その次の日から期末の部活禁止週間になるけぇ…」
「そう言えば期末テストがあるんだよね…」
「松下さんは、期末は免除になるん?」
「どうなんだろ?期末は…6月30日からだよね。アタシ、7月1日に成田まで移動して、2日の飛行機でアメリカへ行くんだ」
「じゃあ…免除じゃない?よく分らんけど。ところで単純にアメリカとしか聞いてないし、部員にも言わんかったけど、アメリカも広いじゃろ。具体的にはどの辺に行くん?」
「んっとね、カリフォルニア州のサンディエゴってとこ」
「…分からん。帰ったら地図で調べてみるよ」
「一応西海岸で、アメリカでも南の方になるよ。そこで1年間、ホストファミリーのお宅でホームステイさせてもらうの。アッチの高校は8月末始まりで、6月に終わりってのが1年間のプログラムらしいから、早めに来て慣れておく必要があるんだって」
「ふ、ふーん…」
日本国から出ようと思ったこともない俺には、不思議な単語が次々飛び出てくる話だった。大体留学と言っても、飛行機が大の苦手な俺には、一生無縁な話だろうな。
「でも本当は…不安だよ、アタシも。アタシのせいで吹奏楽部が混乱するのは本意じゃないし。それにいくら英語が好きじゃ言うても、現地で助けてくれる人がいるのかいないのか…」
「でも決断したんじゃろ?」
「うん」
「それは素直に凄いと思うよ。俺には絶対出来ん事じゃけぇ…応援しとるよ」
「ありがとね。それと打楽器の今後じゃけど…」
「うんうん、どうなった?」
「一応アタシが春から次を託すのはこの子って、直感で決めてた子がいるの」
「誰?」
「宮田京子っていう子で、中学の時はバスケ部だったけど、高校で吹奏楽をやってみたいと思って入ってくれたんよ。6人おる1年生の中で、一番吸収が早いし、なんとなくリーダーシップも持ってるように感じたんよね。で、宮田さんに大変かもしれんけど、打楽器のリーダーになってくれる?って頼んだら、最初はアタシなんか…って言ってたけど、最後は納得してくれたから」
「宮田さんか、なるほどね。なんとなくじゃけど、良い人選な気はするよ。じゃあ来週からは、宮田さんに話をすればええんじゃね」
「そう。後輩の女の子じゃけぇ、丁寧に話すんよ、上井君」
「まあそこは気を付けるよ。あと3年生の2人とか、他の1年生とかはどう?」
「3年の先輩だけは、アタシから早めに言っておいたから、コンクールまで出てくれるって」
「それは助かる…」
「でも他の1年生は、男子も女子も、暖簾に腕押しっていうの?反応が薄いけぇ、なんか大丈夫かな…ってちょっと不安なんよ」
「うーん、1年生への声掛けとか、気を付けんといかんね。もしかしたら、なんで宮田さんがリーダーになるのよ!って思ってるメンバーがいるかもしれんし」
「まあそういうライバル心が、プラスになればええんじゃけどね」
「とにかく期末明けは打楽器に目を配るように気を付けるよ。俺もクラスマッチが入ってくると、また生徒会の仕事が忙しくなってくるし、その時は副部長コンビにも色々頼まんにゃいけんじゃろうしね」
と、一応打楽器の今後について確認すると、松下から聞いてきた。
「そういえばアタシ、サオちゃんと上井君の関係修復ばかり気にしてたけど、チカちゃんとは話せるようになった?」
「うーん…。気楽にプライベートな話をするまではまだ、ってとこかな。事務的な会話はするんじゃけど」
「事務的?例えばどんな?」
「…音楽室の鍵お願い、とか…うーんと…」
「あんまり思い付かん?」
「そ、そうじゃね」
「もっと喋りたい?」
「うーん…」
俺は自分の中で、神戸千賀子に対する気持ちが変わってきていることに気付かされた。
去年は惨めなフラレ方を喫し、その後も傷口を抉られるような出来事が続いたことから、神戸千賀子に対しては怒りの感情しかなかったが、百人一首大会の辺りで一年ぶりに会話をしたら、ずっと無視して怒っているのもバカらしくなってきていたのだ。
かと言って今更親友のように仲良く付き合えるかというと、それは無理だと思うし、逆にそうなりたいか?というと、そこまででもない。
日常の挨拶を交わし、時に部活の運営で必要最低限のことさえ話せれば、それで十分だ。
言わば「無」に近い感情なんだろうな、と自覚した。
「別に今更…って部分が多いのかも。今は部長と副部長って役を担ってるけど、必要なことは大村に喋れば済むし…。神戸さんは大村とこのまま仲良く付き合って、結婚まで行けばいいんじゃないかな?俺は未練はもうないし、去年の今頃みたいな、顔も見たくないって訳でもないし。クラスが2年生になって別れてから、彼女に対してはアレコレ思うことが無くなった…というか、忙しくなったのもあるのかな」
「ふーん…。でも、友達として新たな関係を、とも思わないの?」
「無理して友達になりたいって訳ではないかも」
「そうなのね…。何だかアタシとしては寂しい」
「えっ?」
何故松下は寂しい等と言ったのだろうか。
「上井君は無理して友達にならんでもいいって言うけど、アタシはなんか、無理してるように思えるのよ」
「俺が?」
「そう。アタシにはね、上井君が無理して、チカちゃんとは何でも無い、単なる同じ部活の同期生なだけ、偶々部長と副部長になっただけ、そう思い込むことで昔の辛い思い出を消そうとしてるようにしか見えないって思った」
「……」
俺は女子ならではの、松下視点での意見に、色々と唸らされた。
そうなのか?
過去を思い出したくないから、神戸とはもう何でもない単なる知り合い、と思おうとしてるのか?
「上井君には言って無かったけど…。アタシ、大竹駅で何回かチカちゃんと話したことがあってね」
「う、うん」
「彼女は中3の冬に上井君を傷付けたことに、物凄い贖罪意識を持ってるの」
「ショクザイイシキ?」
「あ、ごめんね、要は後悔してるのよ」
「ま、まさかぁ」
俺の心が俄にザワザワする。
「でも、チカちゃんからは口止めされてるんだ」
「もし事実だとしたら…少しは俺の事を意識してくれてたってことだよね」
「そうだよ。ちょっと意識してるどころか、かなり…」
「完全無視を貫いてた去年の俺って、面倒な奴だっただろうね、神戸さんにしたら」
「あくまでもアタシの感想だけど…。チカちゃんにしたら、自分がフッた相手と同じ高校、同じ吹奏楽部になるのは想定してたと思うの。でもまさか同じクラスになるとは、思ってなかったと思うのよ。それは上井君も同じでしょ」
「そりゃあ、ね。ビックリしたもん。まさか!って」
今でも入学式前にクラス分けの貼り紙を見たショックは忘れられない。
「でもまさかの同じクラスになることで、チカちゃんは初めて、上井君に酷いことをしたって思うようになったんだと思うよ。もしクラスが違ってたら、部活だけで会う関係になるから、絶対にお互い避け続けたと思う」
「そうかも…」
同じクラスだからこそ、末永先生は俺と神戸さんの関係を心配し、百人一首大会を利用して、関係修復に尽力してくれたのだ。
もし違うクラスだったらそんな機会もなく、もしかしたら大村とも出会わず、俺は今も神戸ガン無視を続行し、副部長は2名とも俺が指名していただろう。
そう考えると、色々な事が運命の糸のように絡み合っているようにすら思えてくる。
最初は腹が立って仕方なかった、元カノと同じクラスになるというクラス分けも、運命的な意味があるものだったのかもしれない。
「アタシは上井君とサオちゃんの関係修復、上井君とチカちゃんのちゃんとした仲直りを見届けてからアメリカに行きたかったよ」
「それだけ思ってくれてただけで、ありがたい話だよ、俺には」
「だって上井君とは、中2からずっと一緒じゃん」
「あっ、そうか!中2の時も同じクラスだったよね」
「思い出した?だからアタシは勝手に、友人というよりはもう少し上井君との絆は太いかな?って思ってたからさ。中3の時には5日間だけ好きになったし」
「そ、それは…。他の誰も知らないんだよね?」
「うん。誰にも言ってないよ。サオちゃんにすらね」
「ふう、でも中2から一緒かぁ…。山神さんとか覚えとる?」
「ケイちゃんでしょ。モテモテだったよね、男子から」
「確か廿日高校に行ったから、電車で会っても良いんだけど、一度も会ったことがないんよね」
「アタシも無いな…。忙しい部活に入ったりしとるんかね?」
「去年のコンクールで、廿日高校の出場者名簿には名前がなかったんよ。武田さんの名前はあったけど」
「じゃあ高校では吹奏楽はやってないんだね」
「消息不明ってことなのかな。それも寂しいけどね」
俺は今名前が出た山神さんという、中2で俺や松下と同じクラスで、同じ吹奏楽部だった女子に、一時期恋していたことがあり、また山神さんからも好かれていたことがあった。
だが肝心なタイミングが合わず、両思いにはなれなかった残念な思い出があった。
この事は誰にも言ったことがない、俺と山神さんだけの秘密になっている…はずである。
色々話していると宮島口駅に着いた。
「この風景もあと10日ほどじゃけぇ、目に焼き付けときんさいね」
「上井君は結構、思い出を大切にするタイプよね」
「そうかも…」
「今でもチカちゃんと付き合ってた時の事とか、意外に覚えてるんじゃない?」
「…よー分かるね。さすが14歳からの付き合いじゃ」
「付き合い始めた日とか、初めてデートした日とか…」
「それがデートしたことはないんよ」
「え?そうなん?」
「一度夏休みに誘ったことはあるんじゃけど、塾でダメで、一度ダメって言われたらなんかもう誘いにくくなっちゃってね」
「よー覚えとるじゃん。記憶力だけは凄いね」
「記憶力だけって…」
「ごめんごめん、言葉の綾よ。じゃ、2学期のクラスマッチの打ち上げで、竹吉先生に無理矢理写真撮られたのも覚えとる?」
「勿論。チョー恥ずかしかったけぇね」
「そっか…。そんな思い出を共有出来るようになったらええのにね」
「…でも今は、大村の彼女なんじゃけぇ、余計なことしちゃダメじゃろ」
「上井君らしいね、そういうところ」
「そうかな…」
「自分を殺せるって言うか、殺すが大袈裟だったら自ら引き下がるというか」
「本人は分かってないけど…」
「だからこそ、良いところなんだよ。上井君は今、好きな女の子はおらんの?」
「好きな子は、もう作らないことにした」
「え?」
ここまで話したところで、徳山行きの列車が来たので2人で乗り込んだ。
「上井君、さっきの話の続きじゃけど…なんで?」
「俺なんかが女の子を好きになっても、絶対に上手くいかないから…」
「それはやっぱり、チカちゃんにフラレたり、サオちゃんにフラレたりしたからなの?」
「まあ正直に言えばそうだよね。誰かを好きになって傷付くのは、もう嫌なんだ」
「17歳でそんな心境になっちゃダメでしょ。これから沢山恋をして、色々な経験をしていかなきゃいけないのに…って、親みたいなこと言ってるね、アタシは」
「恋ね…。奇跡的に俺の事を好きだって言ってくれるような女子がいたら、その子を好きになるかもしれないかな?」
「受け身じゃねぇ。部活の時みたいに、恋愛にも元気に明るく立ち向かってみればいいのに」
「部活で明るくしとるのは、みんなの為だから…。恋愛は自分だけの話じゃん。まあ同期の男子で、俺1人だけが恋愛に無縁なのは寂しいけど」
「そうなん?他の5人は…村山君も含めて、何かしら色恋沙汰があるんだ?あ、村山君は船木さんかな」
「村山は、船木さんとは別れちゃったみたいじゃけどね。でも彼女がいたことには変わりないし」
「上井君だって、好きな子は作らないって言っとるけど、本当は彼女さん、ほしいよね?」
「……そりゃあ、ね」
「でもこれまでの傷口が大きいかぁ…。こればかりは時間薬しかないのかな…。来年アタシが帰ってくるまでに、時間薬でチカちゃんとサオちゃんに受けた傷を治しておいてね」
「〆切が決まっとる時間薬かぁ。果たして期待に応えられるかな」
「遠い時間差のある場所から、祈ってあげるよ」
「頼むよ。こればかりは神様、仏様、弓子様、だね」
「神や仏に並んじゃったわ。来年の帰国を楽しみにしとるけぇね」
「なんとか頑張るよ。いい報告出来るようにね」
こんなに松下と話したのも久しぶり…というか、初めてかもしれない。
なんとか打楽器の今後をしっかりと守り、自分自身の恋愛の古傷も治しておきたい、そう思わざるを得なかったが…。
最後に俺が先に玖波駅で降りる時、まだ会おうと思えば10日ほど猶予はあるが、ケジメとして松下と握手を交わした。
「元気に行って来てね」
「上井君こそ、元気出してね」
「じゃあ…」
ドアが閉まり、列車が大竹駅へ向かって走り出すのを、俺はホームで見送った。
(ふう、文化祭も終わったし、今日は久々に7時からプロレス見れるかな?)
だが上井に与えられた安息時間は少なかった。
<次回へ続く>
※今回2人の会話で登場している山神恵子さんについて、スピンオフ形式の短編小説を書いております(全9話)。
https://kakuyomu.jp/works/16816700427924413134
よろしければご一読下さいませm(_ _)m
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