文化祭

第10話 -総文前日-

「えー、皆さん!GWのあと、まだ先だ~と安心していたら、もう来ちゃいましたよ、総文の日が!」


 今日は6月6日(土)、明日が全国高等学校文化祭吹奏楽の部・広島県予選本番だ。


 シューマン作曲の「序曲サーカス」などという壮大な曲をやることになり、この直前2週間は文化祭に向けての生徒会の会議もあったのだが、俺は逆に生徒会を欠席して、部活に出続けた。


 まだ参加してくれている3年生からの陰口を恐れていた面がゼロとは言えないが…。


 陰口よりも、バリトンサックスに6小節もソロがあるのが理由としては大きかった。


 合奏の日はもちろん、パート練習、個人練習の時もひたすらメトロノームの速さを変えてソロ部分の練習を繰り返していた。


 正直言えば中間テスト後のたった2週間でこの曲を仕上げるのは無謀だとも思ったが、福崎先生は「去年諦めたこの曲、今年なら形になりそうな気がするんじゃ」と言って、挑戦することになった経緯があるので、先生の期待に応えたいという思いがあった。





 …数日前の練習日…


「ふぅー、唇がどうにかなりそうだ…」


 と個人練習の時に呟いたら、若本が楽譜を覗きに来た。


「先輩、バリサクソロ6小節の部分、見せてくださいよ~」


「え?色々書きこんじゃってグチャグチャで恥ずかしいんじゃけど」


「いいじゃないですか~。もし先輩が総文の日にダウンしたら、アタシがバリサク吹きますからっ!」


「はい、そこのキミ。人の不幸を願わない!」


「エヘヘッ。だってバリサクのソロなんて滅多にないじゃないですか~。アタシも吹いてみたいな~って…」


 と言って若本は、俺が座ったままなのにグイと体を俺と譜面台の間に割り込ませてきて、楽譜を見ていた。


「ちょっ、顔が近い…」


 と言ったが、若本は気にもせず、真剣にソロ部分の譜面を見ていた。

 俺は身動きも取れず、そのままの体勢でいたが、年下の女の子の顔面がすぐ近くにあるというだけで顔が真っ赤になり、照れてしまっていた。


「ふーん…。長い上に、ずーっと16連符なんですね…。これ、嫌だー。先輩、総文の日はダウンしても、必ず出てきてくださいね!」


 と言って、やっと俺から離れてくれたが、女の子らしい香りに異様に緊張してしまった。若本が無防備なのは、お兄さんがいて、男に対する免疫が付いているからなんだろうな。


 こっちは1人っ子で女性が苦手だというのに…。なんで今日は他のサックスのメンバーは来ないんだろう?


「そう言えば若本さん、江田島の合宿はどうじゃった?無事だった?」


「そうだ先輩、聞いてくださいよー。アタシ、同じクラスの友達の告白の手伝いさせられたんですよぉ」


「手伝い?」


「はい。アタシは5組なんですけど、友達は6組に好きな男の子がいるとか言って、でも自分からは呼び出せないから、アタシに呼びに行ってとか言ってくるんです」


「それで…友情に厚い若本さんはもちろん?」


「はい、仕方なく呼び出しに行きましたよ。その後どうなったか知らないですけど、友達は合宿中ずっと溶けそうな顔してたんで、成功したんじゃないですかね」


「そっかー。若本さん自身は何も起きなかったの?」


「アタシは1日目の夜がそれで、2日目の夜は同室の女子とトランプやって過ごしてました。結局、ラブラブイベントとは無縁でした…」


「ま、まぁいいじゃん!この先、素敵な男子が現れるかもしれないしさ」


「だったらいいんですけどね~。はぁ…」


「出河はどうなったんだろう、知らない?」


「うーん、クラスが違うから分かんないです」


「じゃあ、出河の出席待ちか~」


「そういえば…」


「ん?なに?」


「上井先輩には彼女はいらっしゃるんですか?」


「かっ、彼女?」


「はい。間違えないでくださいね、彼氏じゃないですよ、カ・ノ・ジョ」


「どう思う?」


「……上井先輩、大変失礼ながら…いらっしゃらないかと…」


「じゃろ?そう見えるじゃろ?俺はモテない星人1号じゃけぇ」


「失礼なこと言ってすいません。でも、怒らないんですか?それになんですか、それ」


「同期の男子は6人おるんじゃけど、みんな去年から今年にかけて、一度は彼女がいたり、告白されたりっていうイベントに遭遇しとるんよ。俺はその中で唯一そういうイベントに見離された男じゃけぇね。だから1号なんよ。第2号、絶賛募集中!」


「上井先輩、悲しすぎます…」


「じゃけぇ、俺はもう恋愛とかは諦めとる。この顔でモテル訳ないし。吹奏楽と、生徒会をちょっとだけ頑張れれば、それでええんよ」


 結局この日は、サックスの他のメンバーが来なくて、ずっと若本と喋っていた…。





 …ミーティング…


「では、前にも言いましたが、明日は高校に一旦集合します。8時半集合です。出番が遅いので、朝1回通してから、トラックに楽器を積み込みます。会場は安佐南区民文センターというところで、2年生、3年の先輩はアンコンの会場と言えばすぐ分かるかな?と思います。とりあえずトラックに積み込んだら、トラック移動チームと、先生の車で移動するチームの2つを作って、残りはみんな仲良くJRで移動としますけど、トラックに乗ってやるぜ!先生の車でもいいわよ♪っていう立候補、いませんか?」


 と、車移動の立候補を募ったら、1年の男子がほぼ全員手を挙げてくれた。それだけで8人。2年生は要らないほどだった。


「はい、ありがとう。1年の男子諸君の男気に感謝します。トラックは2列座席があるので、トラックに4人、福崎先生の車に4人と分けたいと思います。その辺りはお任せするんで、1年の男子で話し合って決めて下さい。あ、今すぐじゃなくていいよ。それで本番は今のところ午後2時予定てす。ウチらの後は、2校しかないです。終わって片付けてトラックに積んだら、もう結果発表されてると思います。まあ全国推薦は難しいかもしれないけど、優秀校には入れるよう、全力を尽くしましょう!」


 はい!と威勢のいい声が上がった。


「以上ですが、不明な点はありますか?」


 はい、と1人手を挙げた部員がいた。まだ顔と名前が一致していないので、1年生女子かな。


「すいません、フルートの桧山と言いますが、JR移動の時の切符代はどうなるんですか?」


「あ、大事な部分だね。ありがとう。これは会計の村山君、よろしくです」


「え、突然俺?」


「当り前じゃ!財布を握っとるんは村山じゃろ?」


「ったくもう…。突然振るなっつーのに…。えっ、えーっとですね。切符代は宮島口から古市橋往復分を、部費から出しますが、明日はすいません、一旦自腹でお願いします…。来週、ちゃんと払いますんで」


「だそうですが、桧山さん、これで良かったですか?」


「あっ、はい!ありがとうございます」


「はい、では他に何か質問とかありますか?」


 はい、とまた手が上がった。あれ?野口さんじゃないか…。後で個人的に聞きに来ればいいのに、なんだ?


「上井君、明日は革靴?普段のシューズ?」


「おっ、またいい所突いてくれてサンキューです…。皆さん、革靴持ってますか?」


 えーっ、どうだろう?とザワザワし始めた。


「基本中の基本、言うのを忘れてました。ごめんなさい。明日みたいなコンテスト系とか、ちゃんとした舞台に上がって演奏する時は、革靴を履きます。この先でいうと、夏のコンクール、秋のまつり、冬のアンコン、春の定演、といったステージですね。なので、革靴は必須なので、用意しておいて下さい。もし持ってなかったら、夏までに自分の足に合う革靴を買って、明日はお父さんかお母さんの革靴を借りて下さい。もっと早くお伝えするべきでした、すいません」


 何故か冷や汗が出てきた。こんな肝心なことを言ってなかったとしたら、他にも何か言い忘れてるようなことがあるんじゃないか…?

 音楽室内もザワザワしている。

 何かあったような気がしてならないが…。


「もし!何か聞きたいけど具体的によー分からんとか、家に帰った後に思い出した!とかあったら、黒板に俺の家の電話番号書きますんで、メモって下さい。で、何かあれば俺の家に電話下さい。24時間対応ではありませんが、極力俺が出るようにしておきます」


 そういって、俺は自宅の電話番号を黒板に書いた。主に1年生がメモっているようだ。


「はい、良いですか?ではとりあえず今日のミーティング、終わります。明日は8時半に音楽室集合、忘れないで下さいね!では、お疲れさまでした!」


 お疲れさまでした~と、部員が帰っていく。それをフゥーと一息入れつつ見送る、これがすっかり定番の流れになっていた。


 そして誰もいなくなった後、自分自身の反省を行う。


 今日のミーティングは良かったか、今日の言動で誰か傷付けたりしてはいないか…。


 今日は特に明日が総文ということで、俺が部長になってから初めてのコンテストのため、ミーティングも舞い上がってしまった部分がある。


 今も何か言い忘れたことがあるんじゃないかと思えてならない…。


 とは言っても何時までも1人で音楽室にいる訳にはいかない。


「帰るか…」


 と誰に聞かせるわけでもなく呟き、音楽室を出て鍵を締めようとしたら、カッターシャツの裾を引っ張られた。


(この方法で俺を呼ぶのは…)


「野口さん?」


「あ、分かった?」


「どしたん、もしかして俺を待っとったん?」


「…うん」


「結構待ったじゃろ?」


「ちょっと…ね」


「ごめんね、待ってくれてるなんて知らんかったけぇ、遅くなって…」


「ほら、上井君は優しいんだから」


「へ?」


「アタシが予告もしないで勝手に待ってただけなんじゃけぇ、上井君は謝る必要なんてないんよ」


「いや、でもさ…」


「良いんだよ、そんなに背負わなくて。ね、随分お話もしてなかったしさ、少しお話してもいい?」


「うん。いいよ」


 そう言って、定番の屋上へ続く階段に座ったが、隠れる必要もないので踊り場までは上がらず、途中の段で座った。


「上井君…。さっきはキツイ聞き方してごめんね」


「え?」


「革靴のこと…」


「あぁ、あれは聞いてもらって助かったよ。逆に感謝だよ」


「…ねぇ上井君、部長になって、良かったと思う?」


 俺はちょっと答えに迷ってから、こう言った。


「…本音は…やっぱり辛いよ。一応解決したけど陰口言われたり、もしかしたらまだ俺の生徒会兼務を良く思ってない部員もおるかもしれんし。それになんでも責任被らなきゃいけないし」


「でもさ、みんなの前では明るいよね。辛いのを見せたのって、その陰口について喋った時だけじゃないかな」


「だって公約が、明るく楽しい部活作りだからね。そう言って部長になったんじゃもん、前に立つ時は常に明るくしてないと」


「でも、何か隠してる悩みがあるでしょ」


「なっ、ないよ!」


「あるんだね、やっぱり。上井君は嘘を付けんけぇ、顔を見りゃあすぐ分かる」


 女子って鋭いな…。


「アタシがその悩みを聴いて、力になって上げれるかな?」


「うーん…。ごめんね、変な言い方じゃけど、どうにもならん事が1つと、俺の取り越し苦労で済めばいいな、ってのが1つあるんよ」


「ふーん…。どうにもならんって、上井君が悩んでもどうにもならん、ってこと?」


「そう。まだ誰にも…先生には言ったけど、部員には言ってないから、野口さんも誰にも言わないでね」


「う、うん、分かったよ」


「松下さんが文化祭を最後に退部して、留学するんよ」


「えっ、えーっ!?ユンちゃんが?」


 野口さんは物凄く驚いていた。そりゃそうだろう、俺自身、いまだに信じられないから。


「そしたら、打楽器、どうなっちゃうの?」


「そこなんよ…。どうにもならんってのがね」


「そ、そうだね…」


「それが一つ目で、もう一つは松下さんが退部したら、また連鎖反応で退部者が出るんじゃないかと思って…。これが二つ目」


「…結構、深刻じゃん。ユンちゃんが抜けたら、残りの1年生って…」


「うん…。初心者と、管楽器希望で溢れたメンバーばっかり。打楽器希望で入ってきた1年生って、おらんのよ。じゃけぇ、要の松下さんが抜けたら五月雨式に1年が退部しないかが心配で…」


「だよね。3年の先輩もどれだけ残ってもらってもコンクールまでじゃろうしね」


「かと言って吹奏楽部のために松下さんに留学やめろなんて言えないし。なんてタイミングだ!って感じかな…」


「それが一番、今の上井君の悩み?」


「そうだね…」


「あ、他にもあるんでしょ?」


「へ?いやっ、ないよ、ないない…」


「ね、アタシは上井君の味方のつもりだから。隠さないで教えてよ。力になれるならなりたいし」


「…うーん、考え過ぎだとは思うんだけどね。総文が終わったら一気に文化祭に突っ走ることになるじゃん。自分自身、生徒会の仕事、クラスの出し物、吹奏楽部と、3つも掛け持ち出来るのかなっていう不安と、それでまた部活に出る時間が減ったら文句言われないかなっていう不安と…」


「上井君、元気出しなよ!」


 野口さんは俺の背中を、パーンと軽く叩いた。


「野口さん…」


「そんな不安な気持ち抱えてたら、いくら明るく楽しい部活だって言って、前に立つ時は明るくいようとしても、絶対に無理が出るよ。クラスの出し物と吹奏楽部が被るのは、2年と3年は仕方ないじゃん。生徒会だって、まだ幹部じゃないんじゃけぇ、抜けれる日もあるじゃろ?」


「まあ、多分ね」


「上井君は生徒会で何の仕事をやりよるん?」


「俺は風紀委員。だから、文化祭だと見回りの当番表作成かな…。でもまあ3年の委員長がおるけぇ、頼れるといえば頼れるけどね」


「じゃあ頼っちゃえ!アタシはカラ元気な上井君じゃなくて、心から楽しそうな上井君の笑顔が好きだよ。6月になったんじゃけぇ、上井君が好きな女子の体操服でも眺めて、元気出しんさいや!」


「なんか今の野口さんの言葉のアチコチに、引っ掛かりを感じるんじゃけど…」


「…とにかくさ、明日の総文は、楽しむ感覚で舞台に立とうよ。どうせ賞なんて当たらない、当たって砕けろ!くらいでいいじゃん。上位8校なんて、どーせいつもの高校に決まってる出来レースみたいなもんじゃない。上井君のバリサクのソロだって、俺のバリサクを聴け!ぐらいに堂々と吹けばいいよ」


「なーんか野口さんにそう言われたら、元気出てきたよ。ありがとう」


「…残っとって良かった。上井君、明日は元気な顔で集合だよ!」


「うん。本当にありがとね」


「じゃ、バイバイ」


「うん、バイバイ」


 野口さんは手を振って、階段をピョンと飛び降り、下駄箱へと向かった。


(野口さんみたいな女の子が彼女だったらなぁ…)


<次回へ続く>

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