第4話 -悩む日々-

「松下…さん?」


 俺のことを下駄箱で待っていたのは、松下弓子だった。


「1人?」


「うん、アタシだけ。村山君とサオちゃんは先に帰ったし。というか、帰ってもらったし。でも部長になると帰りがどうしても遅くなるんじゃね」


 1人で音楽室で悶々と悩んでいたとは言えなかった。


「まあ後始末とかね。色々と…でも珍しいじゃん。松下さんが俺に相談があるなんて」


「でしょ?ま、こんな話はまず部長に話さんといけんと思ってね。帰りながら話そうよ」


「どんな話か分からんけど…うん、分かったよ」


 とりあえず靴を履き替え、外へ出た。


 しばらくは部長に慣れたかとか、生徒会活動はどうだとか、聞かれるばかりだったが、一通り終わった後はちょっとの沈黙が訪れた。


「で、俺への相談って…?」


「…アタシ、6月の文化祭が終わったら、退部したいんだ」


「退部?えっ、なんで…」


 俺は驚くしかなく、次の言葉が出てこなかった。


「驚くよね。退部だなんて」


「うっ、うん…。何か部活内で嫌なことでもあった?もしあったんなら、教えてよ」


「ううん、嫌なことは全然ないよ。むしろ上井君が部長になってからの今の吹奏楽部の方が、去年よりも雰囲気がいいし、退部しなきゃいけないのは残念なんだ」


「じゃっ、じゃあなんで、退部しなきゃいけないの?」


「…実はね、アメリカに7月から1年間留学することが決まったんだ」


「りゅ、留学…。1年間!アメリカ?」


 その言葉を聞き、瞬間的に俺は色んなことが脳内を駆け巡った。


 打楽器唯一の2年生、松下弓子が留学のためとはいえ退部するというのは、痛い。

 残るは大半が初心者か他のパートからあぶれた1年生6名と、その初心者の指導のためにしばらくだけ残ると言ってくれた3年生2名になってしまう。

 人数だけで言えば、何とかなる数だが、実に不安定な状態となる。


「ごめんね、今の上井君の頭の中は、アタシが抜けた後の打楽器をどうするかで、一気に一杯になっちゃったでしょ?」


「まっ、まぁ…」


「その辺りは、ちゃんと整理しておくわ。いつまでも3年生には頼れんけぇ、あと2ヶ月で1年生の中からパートリーダーを任せられるような上手い子を育てて、上井君が安心できるようにするからさ」


「うん…」


「…やっぱりショックだよね。ごめん、本当に。でも留学は前々からのアタシの夢だったし、チャンスがあるからには挑戦してみたいんだ」


「…本当に1年もおらんようになるん?」


「そうなの。だから1年後に帰ってきたら、上井君の後輩になるんよ」


「そうなんじゃ…」


 そこまで決意を固めているのを、打楽器が不安だから辞めてくれとはとても言えない。他人の人生に口を挟んでしまうことにもなる。


「分かったよ。元気で行ってきてね」


「認めてくれたん?ありがとう…」


「福崎先生や、打楽器のみんなには、いつ頃言う予定?それとも、もう言ってある?」


「まだ。上井君が初めて。上井君にOKもらったら、福崎先生に話して、打楽器のメンバーには…3年の先輩に先に言って、1年の子達にはギリギリに言おうかなと思ってるんだけど…でも迷い中」


「そうなんじゃね。その辺りは、松下さんが決めることを、俺がこうしろ、ああしろって言うのも失礼じゃろうけぇ、お任せするよ」


「それと、打楽器以外にも心残りが1つあるんよね」


「何がまだ引っ掛かってるの?」


「上井君とサオちゃんを仲直りさせて上げたかったなってこと」


「…あっ、ああ、伊野さんと、ね…」


 俺は神戸さんがまさかの副部長になったこともあり、事務的な会話はするようになったが、まだ親しく話せている訳ではない。普段使いの言葉と敬語が混ざった、変な日本語状態だ。

 ましてや伊野さんとは一言も話せていない。会計担当役員になったとはいえ、部費等の会計面で話をするのは専ら村山相手だった。


「アタシ最初は、去年の夏までいい感じだった2人が喋らんようになったけぇ、上井君が告白した後に喧嘩でもしたんかな?と思っとったんよ。でもサオちゃんから聞いたら、予想と違ってた」


「なんか言ってた?俺のこと…」


「…去年、上井君が告白したじゃろ?その時に上井君のことを嫌いって訳じゃないけど、サオちゃんがフッた側だから、上井君のことをちゃんと見ることも、話し掛けることも出来ないって」


 この前野口さんから聞いた話と似てはいる。


「上井君もサオちゃんも、照れ屋で恥ずかしがり屋でしょ。だから、サオちゃんの中の上井君に対する罪悪感ってのかな、そういうのが無くならない限りは会話まで出来るようになるのは難しいのかな…って思ったんだよね」


「幼馴染がそう分析するなら、そうなんだろうね」


 松下&伊野というのは、家もすぐ近くで、物心付いた頃からの幼馴染み、一心同体みたいなものでもある。だから、話せるようになるには時間が掛かるという松下の判断は間違いないだろう。


「来年、アタシが帰ってくるまでに仲直りしててよね」


「そんなこと言っても…。多分お互いの性格を考えると、無理だと思うよ」


「じゃあ一生、サオちゃんと喋らないまま?」


「そんなつもりじゃないけど…」


 俺は何せ怖いのだ。

 仮に俺から伊野さんに声を掛けたとして、無視されたり、近寄らないでくれと言われやしないか…。


 結構歩くペースが速い松下さんと歩いていると、もう宮島口駅に着いた。


「俺が待たせたせいで、遅くなったじゃろ。たこ焼きでも食べる?」


「たこ焼きより、もみじ饅頭がいいな。もしかして上井君の奢り?」


「うん。もちろん」


「じゃ遠慮なく、もみじ饅頭を3個…。こし餡でね」


「はいはい」


 俺は駅横のもみじ饅頭屋さんへ寄り、こし餡のもみじ饅頭を3つと、自分用にクリームもみじを3つ買った。


「わぁ、出来立てだから温かいね」


「そうやね」


「これで上井君の横にいるのがアタシじゃなくて、彼女とかならもっとええんじゃろうけど」


「…彼女だとか、恋愛だとか、俺にはもう縁がないけぇ、松下さんがそう言ってくれるだけで十分だよ」


「何を人生諦めたようなことを言いよるんね。上井君こそ、恋愛で辛い思いをしてきたんじゃけぇ、次のチャンスこそは絶対にモノにしてよ」


「どうだろうね…」


「アタシだって、中3の時、上井君に5日間だけ片思いしたことがあるんよ」


 俺は思わず食べていたクリームもみじが喉に詰まった。


「ゲホッ、なっ、何その話?」


「ごめん、驚いた?」


「驚くよ!初耳中の初耳じゃもん」


「そうじゃろ。誰にも…サオちゃんにすら言ったことがないもん」


「で、5日間って何?そんなに早く次に好きな男子でも出来たん?」


「違うよ。中3の林間学校の時、アタシの靴がせせらぎに流されてちゃって、裸足にならなきゃいけない時があったじゃない?その時、女の子を裸足にさせる訳にはいかんって、上井君がアタシに靴を貸してくれて、上井君が裸足で一日過ごしたじゃない」


「そうだね、そんなこともあったね」


「その時、アタシはなんて優しいんだろう…って、上井君に一目惚れしたんよ」


「何それ!マジで?」


「マジよ。でも次の週のことじゃけど覚えとる?チカちゃんが、上井君の横や向かい側にいたいからって、アタシに机の場所を交換してって言ってきたのよ」


「…お、覚えとるよ…」


 俺はその時の神戸さんの行動で、両思い間違いなしと思いつつも、オクテで勇気が出なかったのを思い出していた。


「それで、そこまでするなんて、チカちゃんも上井君のことが好きなんだ…って思って、アタシは身を引いたの」


「そうなんじゃ…。全然知らんかった…。だから、金土日月火…で5日間かぁ」


「2人の女の子の心を掴んじゃって、このこの~」


「…でも結果は無残だったじゃん、ご存知の通り」


「そうよね。2月以降、上井君がクラスでは授業時間以外、ずっと死んでたのを思い出すわ」


「そんな時に助けてくれたら良かったのに」


「心では応援してたわよ」


「心じゃなくて、あの、チョコをくれるとか…」


「あー、そこまでは考えてなかったなぁ。5日で諦めたから、その頃には上井君のことは特に何とも思ってなかったけぇ…」


「なんだなんだ、今になって古傷が蒸し返されちゃうよ。もうやめよう、この話」


「そうしよっか。でもね、上井君は自分で思い込むほど、モテてない訳じゃないと、アタシは思うよ」


「そんなことないよ。2か月前のバレンタインなんて、サックスパート女子一同からの義理チョコ1個と、母親からの1個の計2個だけじゃもん」


「バレンタインをモテるかモテないかの尺度にしちゃダメだよ。上井君がチカちゃんに告白したのはいつ?」


「まっ、まあ、夏休み直前じゃけど…。誘導尋問に引っかかって…」


「でしょ?その半年前のバレンタインにチカちゃんからチョコもらってる?」


「いや?全く…」


「だから、同期生や今入ってきた1年生の子達から、意外に上井君はモテてるかもしれないよってことよ」


「そう言われると自信が出るような気がせんでもないけど、やっぱりときめくような事はないもんね。今は毎日で精一杯だよ」


「でも、その精一杯の毎日を頑張って過ごしてたら、きっと良いことが待ってると思うよ。何処かで誰かが見ててくれるよ。とりあえず明日の生徒総会、頑張ってね。応援しとるけぇ」


「うん、ありがとう。明日さえ過ぎれば…」


「ん?明日さえ過ぎればというと…?」


「あっ、あんまり深い意味はないけどね。吹奏楽部の活動に専念できるかなと思って」


 俺の本音は、明日の生徒総会さえ終われば、3年生から陰口を言われなくなるだろう…だったが、それを公言するわけにはいかない。


「あ、岩国行きが来たよ。乗ろうよ」


「え、俺まだもみじ饅頭を食べ終わってないんじゃけど」


「これを逃したら次は大野浦止まりじゃけぇ、車内で食べんさいや。乗ろうよ」


 半ば強引に松下さんに引っ張られるようにして、岩国行きに乗ったが、新たな悩みも生まれつつも少し心を癒せた帰宅時間となった。


(明日の生徒総会さえ乗り切れば…)


 上井が思うようになれば良いのだが…


<次回へ続く>

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