第6章 3学期'87-高1-

第1話 -50週ぶりの会話-

 俺、上井純一は冬休み明けの昭和62年、高1の3学期始業式の日、クラスの終礼後に末永先生を呼び止めた。


「先生、ちょっといいですか?」


「ん?上井君がアタシを呼び止めるなんて、珍しいね。どうしたん?ここで話せる内容かな?それとも美術準備室の方がいい?」


「美術準備室の方がいいです」


「じゃあ一緒に行こうか。もしかしたら、ちょっと深刻な話かな?」


「そうですね…」


 その間に俺は、ちょっと神戸千賀子の方を見てみたが、大村と一緒に部活に向かう準備をしていて、全く俺のことは意識してないようだった。


 アンサンブルコンテストの後に、キスしたところを見られたなんて、全く気付いてないのだろう。


 ただ去年は来ていた神戸からの年賀状は、今年は来なかったし、俺も出さなかった。


 去年は、頑張って一緒に高校に行こうね、と書かれた年賀状が来たのを思い出す。

 1年でこんなに、互いの環境が変わるんだ、と実感していた。


「さて、上井君の話を聞こうかしら」


 美術準備室に着いて、末永先生は席に座ると、何となく俺が言いたいことは分かっているような表情で、俺を見た。


「先生、百人一首大会ですが…」


「やっぱりメンバーから抜けたい、かな?」


 お見通しだ、流石末永先生だ…。


「そうです。お見通しでしたか?」


「まあね。始業式から上井君は複雑な表情してるな、とは思ってたのよ。冬休み中に何かあったに違いない、と思ってね」


「先生、よく見てますね…」


「で、何があったのかな?」


 俺は年末のアンサンブルコンテストの後に見た光景を話し、全然関係ない女子ならともかく、これまで散々苦しめられてきた神戸千賀子と大村の2人のキスだけは見たくなかった、せめて誰もいない所でやれと言いたい等々、溜まっていた思いの丈を先生にぶつけた。


「今の話、事実だったら上井君には辛すぎるね…。百人一首のチームから抜けたいって気持ちも分かるよ。うーん…。でも、本当にそんな赤信号待ちでキスなんてするかな?」


「絶対してました!2人で同時に顔を右向いて、左向いて…」


「他に人はいなかった?」


「…その辺りはあまりのショックで覚えていません…」


「そうなんだね。うーん、どうしようか…。もし事実なら、上井君が百人一首チームから抜けるのも仕方ないね。もしかしたら冬休みの宿題としての百人一首も、気持ちが乗らなかったんじゃない?」


「はい…。休み明けのテストがあるから仕方なく最低限覚えましたけど…」


「分かったよ。じゃあ事実確認しよう!」


「えっ?」


「上井君は、奥の資材庫の陰に隠れてて。神戸さんはもう音楽室かな?放送で呼び出すから」


「いっ、いや…、そこまでは…」


 俺のセリフを遮るように、末永先生は校内放送マイクを使って、呼び出しをかけた。


『1年7組の神戸千賀子さん、1年7組の神戸千賀子さん、美術準備室まで来て下さい。繰り返します…』


 高校は各教科ごとの準備室があり、そこから校内放送できるように、簡易な設備が設けられている。そのマイクを使ったのだ。


「せ、先生!」


「さ、上井君は奥に隠れて。神戸さんが来たら、色々聞いてみるから」


「でも…」


「来ちゃうよ~。会いたくないんでしょ?早く隠れて!」


「はっ、はい」


 俺は奥の資材庫の陰に隠れた。


(先生、行動力あり過ぎだってば…)


 しばらくすると、ノックする音が聞こえ、本当に神戸千賀子がやって来た。校内放送はちゃんと校舎内全部に聞こえてるんだなと、妙な関心をしてしまった。


「失礼します」


 俺のいる位置からは、殆ど神戸千賀子の姿は確認できない。ということは、神戸からも俺が隠れていることは分からないだろう。

 先生と神戸千賀子の間でどんな言葉のやり取りが行われるか、しっかり確認しないと…。


「ごめんね、神戸さん。もう部活始めてた?」


「いえ、まだ楽器も出してなかったので大丈夫です」


 どうせ大村と喋りながら、ゆっくり歩いてたんだろ。


「ところで、百人一首はどう?頑張ってる?」


「はい、宿題もあったし、テストもあるし、何より月末には大会がありますから…。毎日頑張って覚えてます!」


 元気いいなぁ。公私共に充実してるんだろうな。


「その百人一首なんじゃけど…。もし上井君が出れなかったら、誰か他に良さそうな、というか一緒にやりたいって人、クラスにいる?」


「えっ?上井君が出れないって…何かあったんですか?クラスマッチの怪我の影響ですか?」


 クラスマッチの時の心配をしてくれるのは、ありがとね。でもさ、人前で俺の気も知らずイチャイチャしててよく言うよ。


「うーん、怪我は大丈夫なんじゃけどね。せっかく神戸さんと一緒のチームになってもらって、アタシはお節介おばさんみたいじゃったけど仲直りしてほしい、と思ってたんよね。じゃけどね、やっぱり辞退したいって言ってきたんよ」


 うわっ、先生はストレートだなぁ。


「えっ、そんな…アタシもこれを機に上井君とせめて話せるようになりたいって思ってたのに…」


「神戸さん、何か思い当たる節はある?」


「……特に無いです」


 何言ってんだよ、大アリだろ?俺が見た光景を喋ってやろうか?


「特になし、かぁ。ちなみにだけど、大村君とは上手くいってるの?」


「あっ、はい」


「まあ貴女のことだから、清い高校生らしいお付き合いをしてるとは思うけど、一つ聞いてもいいかな?」


「な、なんでしょう?」


「どのくらいまで、関係は進んでる?」


「えっ…」


 先生もドが何個も付くストレートな聞き方だなぁ。女同士ってのもあるのかな。


「まあ例えばさ、今は古い言い方かもしれないけど、恋のABCとかあるじゃない?それに例えることって、出来る?」


「ABCですか…」


 どうせCまで行ってるんだろ?白状しちゃえ!


「……」


「答えたくなかったら、答えないでもいいよ。プライベートな話だからね。でもさ、話を元に…」


 と先生が言い掛けたところで…


「アタシと大村君は、まだAもしてないです…」


 しばらく美術準備室には静かな時間が流れた。俺もまさか?と思い、思考停止に陥った。


「そっ、そうなんだね…。ごめんね、無理やり言わせちゃったみたいで」


「いえ…。もしかしたら上井君が辞退するって言いだしたのは、その辺りが理由ですか?」


「まあね。正直に言うと、去年の暮れに吹奏楽部のアンサンブルコンテストがあったんだってね。その帰り道で上井君が、神戸さんと大村君が1つのマフラーを2人で巻いてる上に、赤信号待ちをしてる時にキスしてる場面を見たって言って、俺にはもう耐えられないから百人一首メンバーから外してくれって言ってきたのよ」


「あっ、あの時…」


 神戸はアンサンブルコンテストからの帰り道を思い出していた。


「確かに、1つのマフラーを一緒に巻いていたのは認めます。でも、赤信号待ちでキスなんてしてません。大村君がしたいと言っても、拒否します」


「そうなんだ?で、実際お付き合いして半年ほどでしょ?」


「…はい」


「キスはまだなの?」


「はい。私の心のどこかで、キスとかそれ以上ってのは、まだ大村君とは早いと思ってます。相手が大村君じゃなくても…。お互い高校生ですし」


「でも大村君が求めてきたりしない?」


「それは…あります。でも、まだ早いって断ってるんです」


「じゃあ上井君がショックを受けた赤信号事件って、なんだろうね?」


「多分なんですけど、信号待ちしてる時に、アタシが左を向いた時、たまたま彼が右を向いたタイミングが合ったので、顔が近づいた瞬間はあったんです。その時、上井君が後ろから見てたなら、角度によってはキスしてるように見えたかもしれません。でも、キス自体許してないのに、そんな多くの人に見られる危険性がある所でキスするなんて、絶対にあり得ませんし、仮に強引にキスして来たら別れます」


「神戸さんはそれぐらい強い覚悟を、男女交際については持ってるんだね。その言葉、アタシは信じるよ。じゃあ神戸さんをわざわざ呼び出したお詫びに、サプライズっていうほどでもないかもしれないけど…。上井君、出ておいで」


「え?上井君、何処かにいるんですか?」


 俺は先生に呼び出されたので、観念して資材庫から、先生と神戸千賀子がいる前に姿を現した。


「あっ…上井君!…」


「どうも…」


 去年の1月30日にフラれて以来、いや、フラれた日は喋っていないから、実際喋ったのは彼女の誕生日、1月24日以来、約50週間ぶりに神戸千賀子と直接言葉を交わした。


「上井君、どうかな?百人一首大会、やっぱり辞退する?それとも、頑張ってくれる?」


 先生は答えを俺に委ねた。


「…この状態で、やっぱり辞退するって…言えないですよ。頑張ります」


「ありがとう、上井君!神戸さんもありがとう、答えにくいことばっかり聞いちゃって、悪かったね」


「いえ、アタシのフラフラした行動が上井君を傷付けちゃってるんです。気を付けます。ごめんね、上井君」


「あっ、ああ…いいよ、もう」


 俺は勘違いも含めて恥ずかしくなり、俯きながらぶっきら棒に答えた。


「ねえねえ、2人は直接話したのって、いつ以来?」


 と先生が、芸能リポーターみたいに聞いてくる。思わず俺と神戸千賀子は目を合わせた。


「あ、アタシは…分かんないです。もしかしたら高校に入ってから、初めてかも」


「ですね。俺、去年の今頃フラれてから、ずっと喋らないように避けてましたから…」


「おお、凄い!じゃあ今日やっと戦争が終わったんじゃない?これからはさ、友達として話しなよ。同じクラスで同じ部活なんだもの。まあ無理して話せとまではいわないけど、無理して無視する必要もないでしょ。ね、上井君」


 末永先生には敵わないな…。


「はい、分かりました」


「じゃあ、早速一緒に音楽室へ行ってみれば?」


「いや、俺、何もかも教室に置きっぱなしですから、一度取りに戻らないと…」


「そうか、そうだったね。でもまあ百人一首、頑張るんだよ、力を合わせて」


「はい」


 俺と神戸は揃って美術準備室を出た。


「じゃあ、俺、後から音楽室に行くから…」


「うん。先に音楽室に行ってるね」


 俺は教室に荷物を取りに行きながら、色々なことを考えた。

 直接話したのは本当に約1年ぶりだ。この1年、速かったなぁ。


 キスはしたこともないと言ってたけど、本当なのか?でも先生に宣言したくらいだから本当なんだろうなぁ…。かといって半年もベタベタと付き合って、キスしてないのも不自然だしなぁ…。


 って、俺自身、女性運、恋愛運に見離されてるから、カップルになるために何すればいいとか、カップルになったらどういう順番で親しくなっていけばいいとか、別世界の出来事なんだよなぁ。


 伊野さんは相変わらず俺を無視し続けてるし。


 と思いつつ音楽室へ向かっていたら、後ろからジャケットの裾を引っ張られた。


(このパターンは…)


「野口さん?」


「うん、正解!」


「もしかして、俺が通りかかるのを待ってたとか?」


「よ~分かるね!ピンポーン」


「ということは、何かあるんじゃね」


「うん。他人に聞かれるのもちょっと…じゃけぇ、例の階段に行かない?」


「そうしようか」


 俺は野口さんと、音楽室近くの屋上へ続く階段に向かった。

 幸い今日も誰もいなかったので、踊り場に座って話を続けた。


「まず上井君に報告ね。サオちゃんに、なんとかさりげなく上井君に対する気持ちを聞くことが出来たよ」


「伊野さんが?えっ、俺をどう思ってるかなんて、野口さんに話してくれたん?伊野さんと野口さんの仲が悪くなったとかは…」


「ないよ、そんなの。聞いたのは、アンコンでクラの出番が終わった後。サオちゃんを廊下にちょっと…って連れ出して、『この後、サオちゃんには夏の嫌なことを思い出すかもしれんけど、上井君達がサックス五重奏で出てくるよ。上井君のこと、嫌いだったら、その時だけ会場の外に出る?』っていう、強引な聞き方したの」


「本人的にはちょっと辛め成分が多いけど…。でもステージに立った時、フルートとクラのメンバーはみんないたのを、確認したんよ」


「あっ、サオちゃんが鑑賞してるのは見えたんだ?じゃあ話が早いよ。サオちゃん的には、『優しい上井君がせっかく勇気を振り絞って告白してくれたのに、アタシは男女交際が怖くてフッちゃった。だから上井君と喋れなくなっちゃった。神戸さんと同じになっちゃった』だって」


「…うーん、嫌われては、いないみたいだね?」


「嫌いどころか、ごめんなさいって気持ちが大きいみたい。そのせいで逆に喋れないみたいだよ」


「でも俺から喋りかけるのは…」


「もうちょっと様子見ようってところかな。サオちゃんはデリケートじゃけぇ、今すぐ上井君が話しかけたりしたら、アタシが嗾けたような感じになるでしょ?それこそアタシとサオちゃんの仲が悪くなっちゃうかも…だからさ」


「そうだね。ちょっと様子見ることにするよ。で、前に野口さんさ、意味深なこと言ってたじゃん。俺は一応スッキリしたけぇ、今度は野口さんの意味深な言葉を解決してあげなくちゃ。悩みがあったんじゃろ?」


「…うん」


「どんな悩み?勉強の悩みは俺には解決出来んけぇ、他の悩み限定で」


「…あのね、また須藤先輩が、告白してきたの…」


「なっ…えぇっ?」


 <次回へ続く>

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