第18話 -フッた側の心理って-

 期末テスト期間中だったが、俺はアンサンブルコンテストに向けてバリトンサックスパートの練習に必死だった。


 期末テストが終わったら、しばらくクラスマッチの準備のために生徒会活動に束縛されるから、というのもある。


 今日もそのつもりで昼練に向かったら、まだあまり部員は来てなかったが、1人俺が来たことを見つけ、視線を送って来る女子がいた。


(ん?神戸…さん?)


 そういえば昨日、末永先生は俺を百人一首大会のクラスメンバー3人目に選抜した後、既にメンバーになっていた笹木さんと神戸さんに、後から伝えておくと言っていた。


 きっと今日午前中のどこかで、俺が百人一首の3人目になったことを、末永先生に教えられたのだろう。


 だからいつもは大村と一緒に昼練に来るのに、敢えて早く音楽室に来て、俺が来るのを待って、俺が来たら何か言いたかったんじゃないか?


 …と思ったらしばらくその場から動けなくなり、お互いに目を合わせていた。


 互いに何かを言いたい雰囲気になったが、そこへ大村がやって来たので、俺は神戸千賀子を見つめることが出来なくなり、視線を外して楽器倉庫へと向かった。


 バリトンサックスのケースを引っ張り出しながら、俺は色々と考えていた。


 ほんの数秒だったが、久しぶりに神戸千賀子と目を合わせた時間は、とても長い時間のように感じた。


(神戸さんは、何か俺に対して言いたいことがあったのかな。いや、あったに違いない。俺ももしかしたら、何か一言言いたかったのかもしれない。「百人一首、よろしくね」かな?それとも…)


 しばらく楽器倉庫の中で考えていたら、


「上井君~、邪魔なんだけど~」


 という声が聞こえた。前田先輩だった。


 楽器倉庫は狭いので、3人も入ったら満員だ。


「すいません、何かボーッとしちゃって」


「大丈夫?風邪とか気を付けてね。アンコンは1人でも欠けたら出れんようになるけぇね」


 前田先輩には、体調が悪いのかと勘違いされてしまったが、やっぱりクールに見えて優しい先輩だ。

 バリサクのケースを持って前田先輩とすれ違う時、狭い倉庫なので、前田先輩の体とどうしてもぶつかってしまう。

 俺はなるべく気を付けたつもりだが、つい腕が前田先輩の胸に当たってしまった。


「あっ、上井君~。アタシの胸に上井君の腕が当たったんじゃけど~わざと?」


「えっ、いやっ、そんな訳、ないですって」


 俺は一瞬で顔が真っ赤になり、言い訳にシドロモドロになってしまった。

 前田先輩はニコッとしながら、冗談よ、とだけ言い、自分のテナーサックスのケースを取り出そうと奥に入ったが、俺は照れて真っ赤になったまま、必死に外へ出た。


(女の人の胸って、柔らかいんだなぁ…)


 一瞬腕が当たっただけなのに、心臓がドキドキしていた。

 バリトンサックスをケースから出す手が、まだ緊張と興奮で震えている。


「上井君、何か様子がおかしいけど、どしたん?」


 今度は沖村先輩から声を掛けられた。


「あっ、いや、大丈夫です。ちょっと動揺する出来事がありましたけど」


「ん?何か変じゃね。風邪引いとるん?顔が赤いけど」


 そこへ前田先輩もテナーサックスのケースを持って倉庫から出てきた。


「あ、上井君ってね、エッチなんだよ~」


「あー、上井君、前田さんに何したのぉ?まさかスカート捲ったとかしてないでしょうね?」


「先輩2人掛かりで虐めないで下さいよ~。俺は無実です」


 女子の先輩2人は笑いながら、サックスのパート練習の準備を始めた。


 早く味方が欲しい!伊東~、来てくれ~。…アイツは昼練には来ないか。誰か~。


 と思いつつバリトンサックスの準備をしていたら、伊野沙織が音楽室にやって来た。


 コンクール以来、俺は話すどころか、それこそ目も合わせてくれず、完全無視されている。


 コンクールから、どれだけ経過したんだ?3ヵ月も過ぎたというのに…。


 今日もちょっと俺は視線を向けたが、完全無視、誰もいない素振りでそのままクラリネットの準備に向かった。


(…もしかしたら、俺が神戸さんに対してしてきたことって、こういうことなのか…)


 俺は急に神戸さんに対して、申し訳ない気持ちになってきた。


 @@@@@@@@@@@@@@@


「どしたん、久しぶりにアタシと話したくなった?」


 その日の放課後、俺は野口さんにちょっと相談があるといって、昼練の時に頼んで、渡り廊下で待ち合わせていた。


「うん、色々あったけぇね。報告も兼ねて」


「そっか。そんな時にアタシを思い出してくれて、ありがと。でもさ、ちょっと渡り廊下は寒くない?例の階段へ行こうよ」


 音楽室のすぐ近くにある屋上へ続く階段を、俺たちは『例の階段』と呼んでいた。


「そうだね、風が冷たいね。階段へ移動しようか」


 階段に、他には誰もいないことを確認してから、俺と野口さんは踊り場付近で腰を下ろした。


「あ、直接言えてなかったけぇ、言っとくね。生徒会役員就任、おめでとう」


「あっ、ありがとう…なのかな?」


「だって生徒会だよ?役員だよ?凄いことには違いないじゃない。そんな一生懸命頑張ってる上井君をワザと無視する陰険な先輩なんてほっといて、頑張ってね」


「うん、今は一応大丈夫だよ」


「生徒会ではどんなことをするん?」


「えっとね、期末の後のクラスマッチの仕切りが、新1年役員のデビューになるんじゃけど、1年生は2年生のお手伝いって形で、クラスマッチの組み立てを覚えてほしいって言われたけぇ、そんなに仕事はないみたいなんよ」


「そうなんじゃ。クラスマッチって、生徒会が主催?」


「どうやらそうみたいだよ」


「ふーん…。今はよくても、この先が辛いかもね」


「まあ、来年になれば部活も先輩らは大半いなくなると思うし、1年生が入って来たら、またガラッとムードも変わるじゃろ」


「そうじゃね。そうなればええよね…」


 ん?何か野口さんにもあったのかな…。だが敢えて俺は、この時は聞かなかった。何かあれば、また聞こうと思っていた。


「でね、野口さんに相談っていうのが、クラリネットで伊野さんは元気なのかなってこと」


「伊野さん…って、サオちゃん?どしたんね、未練があるん?」


「いや、未練はないんじゃけど、コンクール以来、サッパリ話せてないし、話すどころか目線も合わないし。もちろん朝も帰りも同じ列車になることはないし。告白は失敗した、それはいいけど、友達でいたいって伊野さんは言ったはずなんだよね…。でも結局、全く俺のことなんか知りませーんって態度になってる。そんな女心がわからないのと、クラで練習しとる時は普通なのかなって思って…」


「うん、クラでパー練しとる時は、全然変わんないよ。普通に話してるし」


「そうなんじゃね。じゃ、まだ良かった…」


「良くないよ」


「えっ?」


「良くないよ、上井君…。上井君って、いっつもそうじゃん。辛いこと、全部自分で背負って、相手が普通ならいいやって。サオちゃんとまた話したいんでしょ?友達としてって言われたのに、ガン無視されてるのが辛いんでしょ?」


「…うん」


「じゃあアタシが懸け橋になってあげるよ。サオちゃんを説得してみるから」


「あの、あまり無理せんでも…」


「いや、せっかく上井君がアタシを頼ってくれたんじゃけぇ、報いてあげなくっちゃ。ただ、復活保証は出来んけど」


「そりゃそうだよ。野口さんが伊野さんに、何で上井と話さないの?って聞いて、野口さんと伊野さんの関係が悪くなってもらっちゃ、それは俺の望むことじゃないけぇ」


「分かったよ、上井君。何時になるかは分かんないけど、さり気なく聞き出せるように頑張るから」


「ありがとう、野口さん」


「ううん、久しぶりに上井君と話せたけぇ、忘れられてないんじゃ、って嬉しかった」


「忘れるわけないってば」


「じゃ、この件が解決したら…アタシの悩みもたまに聞いてね」


「あっ、ああ、もちろん…」


 今ふと漏らした一言が、さっき一瞬見せた、愁いを纏った表情に繋がるのか?


「じゃ、立場上、アタシが先に戻るね。またね、上井君」


「うん、気を付けて戻ってね」


 野口さんは下駄箱へと向かいながら、後ろ向きで手を振ってくれた。


 いつか伊野さんと喋れる日は来るのだろうか…


<次回へ続く>

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