第10話 ー体育祭当日7・閉会ー
文化祭やコンクールの時もだったが、行事を一つ終える度に、様々な経験を半ば強制的に積まされ、否応無しに俺は大人へと近付いているのかな…と、思わなくもない。
しかし今日の体育祭も、横田さんと森本さんという中学時代の後輩が見学に来てくれたはいいが、神戸と何やら揉めていたとか、来春この高校に入ってバリサクを吹きたいと宣戦布告してきた、初対面ながらズケズケとものを言う女子の後輩、野口さんとの和解、フォークダンスでの思わぬ展開…。
むしろ自分が1年生の何の競技に出たやら?な状態だった。正直、疲れた。
そんな中、やっと閉会式を迎え、俺は今日3回目のバリトンサックスの準備に取り掛かっていた。他の部員も疲れが見える中、各々楽器を準備し始めている。
グランドにいる生徒も、終わった…という安堵感に包まれているようだ。
「上井君!」
「ひゃっ!誰ですか!」
「何敬語使ってんのー、アタシだよ」
恐る恐る振り向いたら、野口さんだった。
「野口さんかぁ、驚くじゃん」
「いや〜、さっき沢山の美人のお姉様とダンスしてたから嫉妬しちゃってさ、アハハッ」
「な、何、見てたの?」
「なかなかフォークダンスが始まらんけぇ、何しよるんねと思っとったら、上井君や他の男子が体育の先生に引っ張られて、フォークダンスやらされるのが見えたけぇ、そりゃどうなるやら興味津々になるじゃん」
「恥ずかしい〜。そんなの、野口さんの記憶から消去してよ」
「ダメ」
「え?なんで?」
「…だって…なんか…上井君が年上の女の人に可愛いとか言われてたり、マトモに踊れないからって凄い体を密着させて手取り足取り教えてもらってたり…悔しいんだもん」
「悔しいって…どうして?」
「なーんてね!ちょっとはビックリした?」
冗談かよ!
(本当は…冗談なんかじゃないけどね)
「ん?今、何かボソッと呟かんかった?」
「え?なっ、なんにも?」
野口真由美の揺れる心だった…。
「はい、吹奏楽部の皆さん、定位置で準備してくださーい」
須藤先輩が相変わらず空気を読まずに集合の号令をかけている。
(もうっ!だからあの人、嫌い!)
俺は野口さんの不機嫌さが理解できなかった。このほんの数分で、喜怒哀楽のすべてを俺にぶつけたような気がする。
ともかく閉会式さえ終われば、今日という日からは解放されるんだ。
開会式に比べて演奏する曲は段違いに少ないし、早く終わりたい…。
@@@@@@@@@@@@@@@@@
「前田先輩、クリップありがとうございました!ちゃんとお返しいたします」
バリサクを片付けながら、近くでテナーサックスを片付けていた前田先輩に、クリップと共に声を掛けた。
「えっ?クリップ?」
「はい、今朝お借りしたものです」
「あっ、ああ、あのクリップね。いいよ、上げる。上井君に」
「え?いいんですか?」
「いいよ。っていうか、アタシ、今朝クリップを上井君に貸したことすら忘れてたよ」
だがそういう前田先輩は、いつもと違ってちょっと照れたような表情をしていた。
「でも、クリップの挟む部分には、小さいけど可愛いイラストが描いてあるし…」
多分前田先輩が描いたんだろうけど、ニコニコマークが描かれていた。
「それも含めて、上井君に上げる」
「いいんですか?」
「本人が良いって言ってるでしょ。上げる」
何故か前田先輩は照れて、とっととテナーサックスをケースに仕舞って、音楽室へと向かってしまった。
(もしかしたら…。やっぱりブルマの内ポケットに入っていたクリップだから、今更返されても困るのかな…)
まあいいや、と思って、そのクリップを俺のバリサクのケースの中に仕舞った。
そして疲れた体で音楽室へ向かったが、男子は割と早く着替え終わって、お先に~と帰っていたが、女子は着替えるのに順番を待っていた。
やはり女子は制服を脱ぐだけで済む朝と違って、体操服から制服に戻る時は大変なのだろう。女子更衣室となっている楽器収納庫からは、制汗剤の匂いが溢れているし。
俺はありがたいことに男として世の中に生を受けたので、さっさと着替えて、お先でーすと言って帰ろうとしたが、そんな俺のカッターシャツを引っ張る女子がいた。
「…野口さん?」
「ごめん。帰りたいと思うけど…」
と言われたので、とりあえず屋上に続く階段へ座って、話を聞くことにした。
ちなみに俺はもう制服に着替えたが、野口さんはまだ体操服姿のままだ。
なので20日前のような失敗を起こさないよう、ブルマやシャツの背中に透けるブラのラインはなるべく意識しないようにしていた。
「あのさ、上井君…。チカのことなんじゃけど…」
「あっ、何かと思ったら…」
「まだ上井君、チカのこと、許せない?」
「えっ、どうして…?」
「実はさ、大村君からも聞かされるかもしれんけど、今朝上井君とチカの後輩の女の子が見学に来て、大変だったんだって?」
「…そのこと?」
「チカね、後輩の子達から、何で上井先輩…というか、上井君をフッたりしたんですか?って、凄い責められたみたいなの。それで元気がなくてね。閉会式の前に聞いたんよ。なんで元気がないん?って。そしたらね、『アタシが上井君とお話しできる関係に戻っていれば、よかったかもね』って、力なく呟くように言ったの」
「……」
「それってどういうこと?って聞いたら、午前中に、後輩の子に色々聞かれて、3学期の受験直前にフルなんて変ですとか、上井君に憧れてた女子の後輩が早くその話を知ってたら、バレンタインとか卒業式で、上井君にチョコを上げたり、ボタンをもらいに行ったりしたのに、って言われたんだって」
「…前からなんとなくさ、俺は中学の吹奏楽部の後輩にモテてたとかいう都市伝説を聞かされちゃ、そんなことあり得ないって否定してたんだけど、、否定出来ない状態だったってことに繋がるんだね、それって。でも俺は中学の時、憧れられてたとは微塵も思わんかったけど」
「うーん…。でもね、チカはね、上井君と付き合ったために、喋ってくれなくなった後輩がいたらしくて、そのうち1人が今日来てた女の子らしいの」
「えっ…」
もしかして横田さんか?俺に対しても、最後堂々と告白予告のようなことを言ってたしな…。森本さんはちょっとおとなしいけど、やっぱり神戸千賀子とは距離を置いていたのかな。
「初めて知ったでしょ?実はチカは去年、上井君が彼氏だった時、意外に辛い思いをしてるんだよ」
「そ、そんな…。今言われても…」
「…ま、そうだよね。その時はそんなこと言っても上井君が悩んじゃうから言わなかった…って、チカは言ってたけどさ」
「……」
「勿論、だからって、上井君をフッた後のチカの動きってのは、酷すぎると思うし、元カレに対して傷を付けすぎてると思うよ、アタシも。でも…上井君の知らない所で、チカも結構苦しんでたんだってことを、上井君にどうしても伝えたくて」
「…もっと俺が、積極的に声掛けたりすれば良かったんだよ…」
「…分かる、分かるよ、上井君の気持ち」
「…なのに、付き合いだした途端に、普通の会話すら声を掛けにくくなってさ。一緒に帰ろうって申し込むのに、わざわざ後輩の男子に呼び出してもらったほどだったんだ。情けないじゃろ?」
「上井君…。でもそれだけ、チカのことを意識してたってことだよね?」
「当たり前じゃん!人生で初めての彼女だよ。好きで好きで…。やっと思いが通じ合ったのに、俺はオクテの照れ屋で、全然彼女をリードしてあげられなかった。それなのに半年もよく俺の彼女でいてくれた、今はそう思ってるよ。だから、本当は友達として喋れたら、どんなに気が楽か…」
「上井君がチカを避けちゃう壁って、今は何?」
「…正直、分かんない。単なる意地なのかな。この前、大村とも江田島の合宿以来に会話してさ、わだかまりが取れたんだ」
「だったらさ…」
「それが出来なくて、苦しんでるんだ、俺はっ…」
俺は思わず両手をグッと握り締め、零れそうな涙をカッターシャツの袖で拭いていた。
「上井君…」
「最近は、神戸さんからの視線も感じてるよ、確かに…。だけど、だけどさ、今年の2月、6月に身が千切れるほどの体験をした時の俺の魂が、俺にブレーキを掛けてくるんだ。そう簡単に友達として仲直りできるのか?って」
「……」
「だからその体験…フラれた傷を治そうと足掻いてるけど、伊野さんにはフラれちゃったし、後輩が俺のことをどうこう言ってても、今すぐって話じゃないし。辛いよ、正直言って…」
「…でも、上井君ってやっぱり優しいし、偉いと思うよ」
「なんで?いつまで経ってもフラれた傷を引っ張って、色んな人に迷惑掛けてるのに」
「決してチカの悪口を言わないじゃん。俺が悪い、俺が悪かったって言って」
「え…」
「サオちゃんの件にしてもそう。サオちゃんのことを絶対に悪く言わないじゃん。上井君は、自分がフラれても、フッた相手のことを絶対に悪く言わない、優しさがあるんだよ」
「でも、心の中とか、村山とかには…」
「外に出さなきゃ、言ってないのと同じじゃん。村山君に言ったことだって、相当前でしょ?中学からの親友だもん、フラれたのを愚痴ったっていいじゃない」
「……」
「自分の心の中では、どれだけでも、あの神戸って女は!って思ったっていいじゃない。サオちゃんだって、さんざん気があるような素振りして、いざ告白したらごめんなさいかよ!ってさ、いくら思ったっていいじゃん」
「……」
「でもね、上井君は他の男子と違って、やっと思いを伝えたのにフラれてしまっても、周りの人に、決してフラれた相手のことを悪く言わない…。ま、ちょっと言い方を変えれば、心を許す親友にだけ悔しさを吐き出して、最小限に留めてる。人間ってさ、最後は優しさ、思いやり、相手への気持ち…。心が強い人が一番なんだよ」
「俺、心なんて強くないよ…」
「強いよ!たった数ヶ月しか上井君とお付き合いのないアタシが言っても信じてくれないかも…だけど、心が強いから、フラれた元カノや、間違いなく上手くいくと思ってた告白が失敗した相手と同じ部活にいても、部活中は全然変わらないじゃん。明るく楽しい上井君じゃん。…ちょっとこの20日間ほどは、アタシも加害者だったけぇ、流石の上井君も落ち込ませちゃった…って、ごめんねって思ってたけど」
「いや、それだってさ、俺がせっかく野口さんに話を聞いてもらってるのに、スケベな事考えたからで…。俺が悪いんだよ」
「ほら、そう言うでしょ?こっ、こんなことアタシが言うのは筋違いかもしれないけど、高校生の男の子が、女の子の下着とか裸に興味を持つなんて、当たり前じゃない。上井君はむしろ健全だよ。あの時だって、アタシがなんで照れてるの?ってしつこく聞いたけぇ、仕方なく、ピンクのブラが透けてるって言ってくれたんでしょ?それは体操服になる日だって知ってるのに、ピンクの下着を着けてったアタシだって共犯者みたいなもんだもん」
そこまで話したところで、水が入った。
「吹奏楽部の女子で、まだ着替えてない子おらん?制服とカバンが残っとるんじゃけど」
と叫ぶ、須藤部長の声だった。
「またあの人って…。本当にデリカシーがないよね」
「え?」
「そう言われてアタシでーす、なんて言えないじゃん。鈍いんだから」
「じゃあ、俺が付いてって上げようか?ちょっと話してたんで…って」
「…いいよ、アタシ1人で。あの人はもう過去の人じゃけぇ」
「大丈夫?」
「…うんっ!」
野口さんは満面の笑みで返してくれた。まるで無理やりにでも俺を元気にさせようとするかのように。
「じゃ、アタシ音楽室で着替えてから帰るね。ごめんね、長いこと引き留めて」
「ううん、俺こそありがとう。励ましてくれて」
「じゃあまた来週ね。バイバーイ」
野口さんは俺に手を振って、音楽室の方へと走って行った。
「さて…。俺も帰るか…。今日は1人だなぁ…。村山も帰っちゃったし」
俺は下駄箱に向かった。
その時、一段下の階段で、神戸千賀子が2人の会話を聞きながら声を殺して泣いていたことなど露も知らずに。
<次回へ続く>
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