第5話 ー体育祭当日2・後輩登場ー

 下駄箱からグランドへ向かう階段を登っている時、背後から聞こえた声は、一体誰なんだ?


「上井先輩!お久しぶりです!でももう、アタシ達の事なんて覚えてないですか?」


 そこには2人の女子が立っていた。

 覚えてないどころか、わざわざ体育祭を見に来てくれたのか?という感慨に浸ってしまった。


「おはよう!横田さんと森本さん」


「わぁ、良かった!先輩、アタシ達の名前、覚えててくれたんですね、嬉しい〜」


 俺の中学時代の一学年下で、現在中3の後輩、楽器が変わってなければフルートの横田美紀さんと、打楽器の森本恵子さんの2人だ。

 2人でどうやら、西廿日高校の体育祭の見学に来たようだが、森本さんはそう言えば恥ずかしがり屋だったな、等と、色々思い出して来た。なので今も、話しているのは殆ど横田さんばかりだった。


「そんな卒業してたった半年で、名前を忘れるわけないよ。それより今日は、ウチの体育祭の見学?それともお兄さんかお姉さんがいるとか?」


「いえ、アタシも恵子ちゃんも、下はいますけど、上はいないので、見学です」


「そうなんじゃね。もしかしたら来年、ウチの高校、受ける予定だったりする?」


「エヘヘ、今のアタシの頭だとちょっと大変なんですけど、そのつもりです」


「おっ、待ってるよ!実はフルートも打楽器も、若い力が不足しとるんよ。横田さんと森本さんが入ってくれたら、即戦力だよ!」


「そうなんですか?」


「そうなんよ。フルートは1年生がおらんし、打楽器も1年生が1人じゃけぇね…」


「へぇ…。沢山の先輩方がおられるみたいですけど、パートで考えると人手不足もあったりするんですね。よーし、アタシ頑張って西高に入って、フルートやりたいです!」


「是非是非!待っとるよ〜。森本さんも、ね」


「あっ、は、はい!頑張ります…」


 懐かしい緒方中学校の後輩と話をしていたら、他にも聞きたいことがあったが、


「上井君〜。何しとんね、チューニングするよ〜」


「すいません、今行きまーす」


「スイマセン先輩、アタシ達が引き止めちゃったから…」


 横田さんが申し訳無さそうにしていたので、


「気にしないでいいよ。横田さんが怒られる訳じゃないけぇね。意外と吹奏楽部って体育祭で出番があるから、ゆっくり楽しんでいってね」


「はい!ありがとうございます!」


「じゃ、また後でね」


 俺は久々に先輩気分になり、憂鬱だった気分が少し軽くなった。


 本当なら緒方中学校吹奏楽部OBに、後輩が来たよ〜と言いたかったが、よく考えたら俺が喋れない人間しかいなかった。


(ま、いっか…)


 神戸千賀子は多分、俺とは無関係に横田さんを見付けて、話し掛けたりするじゃろう…。


「上井君、何かしとったん?遅かったね」


 前田先輩から声を掛けられた。


「はい、すいません。実は中学時代の後輩が見学に来てて、つい懐かしいね〜って話し込んじゃいました」


「へぇ~っ、それなら懐かしいもんね。因みに…女の子でしょ?」


「うっ、なんで分かるんですか?」


「だって、さっき音楽室でみた、廃人みたいな顔と違って、満面の笑顔じゃもん。いくら後輩でも、男子の後輩じゃ、そこまで上井君の表情は激変せんでしょ」


「流石、前田先輩…」


「ウフフ。さ、チューニングだよ」


 音を合わせてから、入場行進の曲の譜面に切り替える。

 中学の時は「ワシントン・ポスト」の繰り返しだったが、高校ではマーチだけ集めた一冊の楽譜集があり、その中から先生の気分次第で、何を演奏するか分からないので、どの曲も演奏出来るように…というのが、西廿日高校吹奏楽部での9月の練習だった。


 ただ入場行進の際の曲は、「雷神」と決められていた。

 これは創立1回目の体育祭からの伝統らしい。

 噂では初代校長が「雷神」を気に入り、毎年入場行進では「雷神」を演奏してくれと、福崎先生に頼んだ…という話も囁かれている。


 入場行進が始まる前に、ちょっと周囲を見渡したら、横田さんと森本さんが2人揃って、吹奏楽部のテントの近くに立っていた。


 他にも、中学生?と思しき女の子の集団が、何組か吹奏楽部のテントの近くに集まっていた。


(ひょっとしたら、他の中学校からも体育祭見学を兼ねて吹奏楽部見学に来てる子達なのかなぁ…)


 ちなみに中学生っぽく見えるのは女の子ばかりで、中学生っぽい男子はいなかった。高校の体育祭を見学に来るなんて、確かに去年の今頃の俺は考えもしなかったし、去年の今頃付き合っていた神戸からも誘われたりはしなかった。


 第一、西廿日高校へ行こうとは、去年の今頃は思っていなかった。


 去年の今頃、進学を希望していたのは、偏差値的には西廿日高校のワンランク上の、廿日高校だった。


 それが西廿日高校になったのは、神戸の影響もあるが、村山の影響もある。

 更に言えば中学の竹吉先生が、西廿日高校は新設校じゃけぇ、吹奏楽部の楽器も新しくて、バリトンサックスなんて80万円もするセルマー社(※1)の一級品が入っとるんじゃ、と半ば西廿日高校を受けるように誘導した影響も大きい。


 結果的に西廿日高校に入学して、半年ほど経過しているのだが、高校自体にはそんなに不満を感じることもない。

 吹奏楽部で抱えている悩みにしても、こんなことはどの高校に行こうが多かれ少なかれ発生するものだろうし。


 想定外だったのは、元カノ・神戸千賀子と同じクラスになったことだった。

 今も俺からは決して話し掛けないという決意を守っているが、先日大村と和解し、今でも神戸が俺と付き合っていた時の話を大村にする、というのを聞いてからは、少しずつ俺の決意も揺らぎつつあるのは否定できなかった。


 等と、横田さん達が見学に来てくれた影響で、色々と本番前に脳内が過去に遡っていたら、いきなり打楽器によるリード部分が始まった。


「上井君、ボーッとしよったじゃろ?アタシの目は誤魔化せんよ?」


 前田先輩に突っ込まれた。


「あっ、はい、スイマセン…」


「今日来てくれた後輩ちゃんって、そんなに可愛いのかな?」


「あっ、いえっ、その…」


「アハハッ、上井君って隠し事出来ないよね。顔が真っ赤よ~」


「マジですか?」


 思わず顔に手を当ててしまった。


「さあ、本番行くわよ。『雷神』のページにしてある?」


「うわっ、風邪で捲れて『星条旗よ永遠なれ』になってました。ヤバッ」


「んもー。アタシのクリップ貸してあげるから、ちゃんと演奏する曲のページに挟んで留めときんさいね」


 といって前田先輩は、なんとブルマの内側へ手を突っ込むと、ちょっと大きめのゼムクリップを取り出し、俺に貸してくれた。


「あっ、ありがとうございます…」


「これで上井君に貸し一つね」


 というより、ブルマの内側に躊躇いもなく手を突っ込んだ前田先輩の行動に、俺は驚いていた。


(ということは、ブルマの内側には、小さなポケットでもあるのか?ポケットがあるとして、前田先輩はそこにクリップをいつも入れているのか?普段の体育で邪魔じゃないのか?)


「雷神」が始まったというのに、俺の頭の中は妄想に支配されてしまった。所詮高校生と言っても16歳男子なんて、こんなもんである。


 ポワーンとなった頭で「雷神」を吹き始めたが、妄想に支配されているからか、せっかくバリトンサックスに与えられている唯一の主旋律で、音を外してしまった。

 幸い屋外なので誰も気付いてないのが良かったが…。


 生徒が入場し終わり、クラスごとに隊列を組んだ後は、校歌や国家を演奏し、しばらくは偉い人の挨拶を聴き続けて、最後に俺達は「ウィリアム・テル序曲」を演奏し、生徒が退場することになっていた。

 もっとも退場時は各学年のクラスごとのシートへ生徒が一斉に駆けていくので、「ウィリアム・テル序曲」も最後まで演奏することはないらしい。


 一通り開会式が終わり、俺達の楽器も一旦は休憩ということになった。


 中学校の時は生徒退場前にラジオ体操をやることになっていて、吹奏楽部だけ別に確保されたスペースで体操していたのを思い出したが、高校では特にラジオ体操はやらないようだ。


 小物楽器は自席で一旦仕舞うようだが、バリサクはそうはいかないので、ブルーシートの上でケースに仕舞い、次の出番、1年生のプロムナードまで休ませる。


「上井先輩、カッコ良かったです!」


「えっ?俺が?」


 中学の後輩、横田さんと森本さんが、バリサクを片付けている俺に話し掛けてくれた。


「マーチも、中学みたいに『ワシントンポスト』だけじゃなくて、さすが高校って違うな~って思いましたよ!」


 横田さんの目を見ると、キラキラ輝いている。


(俺も1年前は、輝いた眼をしてたのかな…)


「でもね、バリサクには滅多にない、肝心な主旋律で間違えたんよ」


「そうなんですか?分かんなかったです」


「なら良かった。まあ横田さんと森本さんがおったんは、打楽器の近くじゃったもんね。そんなに俺のミスは分かんないよね?」


「そうかも…です。恵子ちゃんはやっぱり西高の打楽器って新しい~って感動してましたよ」


「まあ、俺らで4期生じゃけぇね。基本的に新しい楽器が多いよ」


「あー、アタシ来年、先輩と一緒に吹けるかな…。吹きたいな…」


「大丈夫だよ。まだ入試まで半年もあるんじゃけぇ。森本さんもね」


「あっ、はい!ありがとうございます!頑張ります!」


「でも先輩、西高って女子のブルマが変わった色してるんですね。ちょっとビックリしました。まさか女子はバレー部強制って訳じゃないですよね?」


 やはりウチの高校の女子のブルマの色は、黒や紺じゃないのが珍しいんだろうな…。


「そんな、バレー部強制なわけないって」


「ですよね?吹奏楽部の先輩の皆さんも、同じ色ですもんね」


 俺自身、逆にブルマはウチのエンジ色の方が普通というように目が慣れてしまっていたが、やっぱり中学時代の黒や紺色の方が普通だろう。


「まあ男子の短パンも同じ色じゃけぇね。どうもスクールカラーらしいんよ」


「ふーん、そうなんですね。ところで先輩、神戸先輩とは続いてるんですか?」


 遂にその質問が来た。後輩から高校生活とか吹奏楽部についてとか、何を聞かれても大丈夫だったが、元カノについては聞いてほしくなかった…。


「こっ、神戸…さん?そういえば同じ高校だったね、俺」


「先輩、何言ってるんですか?」


「ほっ、ほら、その人なら、あ、あそこに座っとるけぇ、聞いてみたら?」


「先輩、なんか怪しい~。凄い困ってる。やっぱり続いてるんでしょう?まあいいや、神戸先輩に聞いてみますね」


 と言い、横田さんと森本さんは、本当にクラリネットを片付けているテント下の神戸の所へと向かっていった。


(ウワッ、本当に聞きに行った!どうする、俺?)


「神戸センパーイ!」


「え?あっ、美紀ちゃん!森本さんも?懐かしいね!」


「お久しぶりでーす」


 俺はとりあえず逃げよう、そうしよう。


 <次回へ続く>


※1 セルマー社とはフランスに本社がある、サックス製造メーカーの世界的トップブランドです。

 ちなみに現在のバリトンサックスについては、リンク先をご覧ください。

 https://www.nonaka.com/selmer/instruments/saxophone/baritone/sa80_s2/

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