第36話 -コンクール後-

 コンクールが終わった後のバスの車内は、疲労感が漂っていた。


「みんな、今日はお疲れ様。結果は残念だったが、全力を尽くしてくれたと、先生は思っとる。今日の経験を無駄にしないように、また次の目標に向けて頑張っていこうな!」


 はい!


 福崎先生がバスガイドのマイクを使い、今日1日を労ってくれた。

 その後に須藤部長がひょっとしたら喋るんじゃないか?と思ったが、それはなかった。


「じゃ、西廿日高校まで参りまーす」


 バスの運転手さんがそう言い、バスは動き始めた。


 また帰りの車中は、朝と同じ席に座るように言われたため、必然的に帰りも野口さんの隣ということになった。


「上井君、帰り道もよろしくね」


 満面の笑顔で、俺の隣に座ってくれる野口さんが、天使に見えた。


「…うん、バス酔いしたら助けてね」


「バス酔い?上井君、車に弱かったっけ?」


「一応アメリカンジョークのつもりだったんじゃけどね…」


「なんか、元気がないね、上井君」


 ここで野口さんは小声になった。


「サオちゃんに告白、出来た?それとも、タイミングが取れなかった?」


 俺は一瞬、どう答えようか迷ったが、これまで野口さんに助けてもらったことを考えると、正直に言うしかなかった。


「…フラれたんだ」


 野口さんは一瞬固まった後、手で口を押えて


「えーっ!」


 と言った。というよりは、叫びたかったのを無理やり我慢したのかもしれない。


「フラレたの?なんで?どうして?あんなに仲良く話せてて、包丁の傷を舐めてくれたり、いい雰囲気だったのに!どうしても男子を選ぶとしたら上井君、って照れながら言ってたのに…」


 ふと見たら、野口さんまで涙を浮かべていた。


「まあ、今回は残念ながら、ということだよね…」


「今回はって…。上井君、辛い思いしかしてないじゃん!」


「俺は友達で、尊敬する存在だから、彼氏には出来ないし、伊野さんが彼女になるなんて出来ない…んだって」


「なんか…それでいいの?上井君は。やっとチカの傷から脱出して、ようやく好きな女の子が出来たのに、こんな呆気なくフラレて終わりだなんて…。アタシ、高校に着いたらサオちゃんに考え直しなって、言って上げるよ?上井君が彼氏なら、自慢の彼氏になるよ?って」


「やめてくれよ、そんなの。そんなこと、せんでもええよ」


「なんで?」


「終わった片思いを蒸し返しても、余計に関係が悪化するばかりだから」


「…でも、でも…」


「野口さんと伊野さんの関係までおかしくなってしまうけぇ…。そんなのは、俺が望まんから」


「…上井君…」


 しばらく野口さんは、言いたいことを頭の中でまとめているのか、無口になってしまった。


「…独り言を言うね」


「ん?うん…」


「誰に対しても優しくて、決して自分が悪くないのに、全部自分で責任を背負い込む男の子がいるの」


「……」


「何が優しいって、自分はフラれてしまったのに、その相手の友達関係にまで気を使って…」


「……」


「でもその男の子は、一人だけ、その優しさをもってしても、許せない女の子がいるんだって」


「……」


「でもその女の子は、別の男の子に夢中で、だからこそその男の子はその女の子のことを許せない」


「……」


「でもやっぱり許せない女の子に対しても、心の何処かでは優しさが滲んでるの」


「…。?」


「この先、変な男とは付き合わないでほしいんだって。それをその女の子に伝えたらね、泣くほど喜んでたんだ」


「!!!」


「だからね、最後に勝つのは、心の優しい男の子だって、アタシは思ってるよ」


 野口さんはずっと暗くなりつつある窓の外を眺めながら、俺のほうは決して向かずに、喋り続けた。


「野口さん…」


「ん?なに?」


「ありがとう」


「んーと、アタシは一人でブツブツと喋ってただけだけど、何か聞こえたかな?」


「当たり前じゃん。聞こえるよ」


 俺はそう言って、人差し指を野口さんの右頬にツンと刺した。


「あーっ、痛い!痛かったー!」


「え?全然力なんか入れてないよ?」


「ううん、上井君の心から溢れた沢山の思いが、その指に込められとった。じゃけぇ、痛かったんよ…」


「そっか。ごめんね」


「ううん。上井君も何かあったら、独り言喋ってみて?」


「俺?そうじゃねぇ…」


 俺はしばらく考えた。高校に着くまでは、もうそんなに時間はない。だからあまり頭の中を整理できないまま、前を向いて喋り始めた。


「変わった女の子がおるんよ。嫌いな人に告白されたけぇ、断るために一瞬だけある男子に彼氏のフリをしてくれって言うんよね」


「…アタシ?」


「最初は不思議な女の子じゃなあって思っとったし、嫌いな人からの告白を断った時点で、その男子はお役御免だと思っとったみたいなんよ。だけど節目節目で、その男子の悩みとか心配事があると気に掛けてくれるようになって」


「……」


「最後はその男子の片思いの応援までしてくれてさ。でもその男子はオクテなのも響いて、友達のままでいたいっていう片思いの相手に対して告白して、失恋して逃げ出したんよ」


「……」


「ほいじゃけど、最後までその女の子は、そのつまらんオクテな男子の味方になってくれて、聞きとうもない話も熱心に聞いてくれてさ。優しい男の子が最後には勝つって言って、励ましてくれるんじゃ。その男子は、もう女の子を好きになったりするのは辛すぎるから止めようって決めてたんじゃけど、もう少し頑張ろうかな、って思ったみたいなんよ」


 ここまで話したら、野口さんは下を向いて必死に涙を拭っていた。


「じゃけぇ、その男子と、ずっと友達でおってやってほしいんよね、その女の子には」


 野口さんは泣きながら、ウン、ウンと頷いてくれた。


「まもなく西廿日高校に到着いたします。忘れ物のないように、気を付けて下さいね」


 とバスの運転手さんがマイクで話した。


 帰りの車内は朝と同じく、寝てしまった部員だらけで、俺と野口さんくらいしか話している人間はいなかったが、運転手さんのマイクで、えっ?もう高校?と目覚める部員が続出していた。


 俺は右手を野口さんに差し出した。


「え?」


「独り言終わり!バスも高校に着いたし。なんか聞こえたと思うけど…。その男子の本心じゃけぇ、またその男子のこと、見守ってやってね」


「うん、うん!もちろんよ」


 野口さんも右手を差し出してくれ、握手が成立した。


「じゃ、今日の話はここまでで…。また、2学期からもよろしくね」


「こちらこそ。…頑張れ、上井君!」


 野口さんは朝にも見せてくれた、両手で応援するポーズを見せてくれた。違ったのは、笑顔の中にちょっと涙が混ざっていたことだった。


「皆さんお疲れのところ悪いけど、楽器だけは音楽室まで運んで下さーい」


 須藤部長が、バスから降りる部員に、そう声を掛けていた。


(最後は村山か、失恋報告は…)


 俺はいつにも増して重たく感じるバリトンサックスのケースを運びながら、そう思った。


<次回へ続く>

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