第29話 -合宿24・閉会式-
「では、皆さんお集まりですので、昭和61年度吹奏楽部夏季合宿閉会式を始めたいと思います」
須藤先輩が部長として、話し始めた。ザワザワしていた音楽室内も静かになった。
「まずは福崎先生、一言お願いします」
「はい。えーっと、まずはみんな、3泊4日、お疲れ様でした。始まる前は長いと思ってただろうけど、終わってみたらあっという間だったんじゃないかな?と思います。コンクール本番までは2週間となりましたが、今回の合宿で得られた知識とか、曲の感覚を、明日からのお盆休みで忘れないようにしてもらって、次の練習日から、大いに発揮してください。部長、練習再開日はいつだ?」
「はい、3日間のお盆休み後なので、8月16日土曜日の朝9時からです」
「じゃ、3日間でゆっくり体を休めて英気を養って、後半の練習を頑張っていきましょう!俺からは以上です」
先生はそう言い、一歩下がられた。
「では俺からは…とにかく3泊4日、お疲れさまでした。毎晩よく眠れた人、眠れなかった人といると思いますが、今夜からはゆっくり自宅で寝て下さい」
(大イビキ大魔王カルテットの1人じゃろ、須藤部長は…。俺は眠れんかったぞ!)
と俺は内心ブーイングを飛ばしていたが、他のみんなはとにかく長くなりがちな須藤先輩の話がいつまで続くのか、ややウンザリ気味な表情を浮かべていた。
「えー、とにかく俺としては無事に3泊4日終了したと思ってますが、皆さん、家に帰るまでが合宿だと思って、気を付けて帰って下さい。では閉会式を終わらせたいと思いますが、何かご意見のある方、いますか?」
みんな早く帰りたいので、誰も挙手したりしないのが可笑しい。
「…無いようですね。では、合宿を解散します!お疲れさまでした!」
やっと解放された感が音楽室に漂い、パートによっては16日の練習再開後のことを打ち合わせているパートもあった。
俺のサックスはどうだろうと、沖村先輩や前田先輩の方を見たが、特に何もないようだったので、帰れそうだ。
「村山~」
合宿帰りも来た時の4人で帰ろうと、伊野さんとも話をしていたので、まず村山を呼んだ。
「おうっ。帰りじゃろ?俺の母さんが迎えに来てくれるんよ」
「えっ?」
「で、神戸には悪いけど、来た時の4人を乗せて帰ることにしたけぇ、乗ってってくれや」
「そ、そうなん?」
「村山君のお母さん、わざわざ高校まで来てくれるの?」
伊野さんが聞いていた。
「うん。ドアツードアよ」
「でも…。アタシもだけど、上井君も、玖波駅に自転車置いてない?」
「そうそう。じゃけぇ、家までは行かんでもええよ。玖波駅で降ろしてもらえたら助かる、俺と伊野さんは」
「ほうか。じゃ松下さんは…」
「アタシは自宅までが助かるわぁ」
「よし、分かったよ。玖波駅経由、松下家経由、村山家行きじゃ。母さんには2時半位に高校に来てくれって言うとるけぇ、下駄箱でちょっと待っとってや」
村山はそう言って、先んじて下駄箱に走って行った。
音楽室には大村と神戸がいたが、大村が一言だけ「お先に」と言って、2人揃って出て行った。
俺は野口さんがどうなったか気にしていたが、既に音楽室に姿は無かった。
先に帰ったんだろうが、心にモヤモヤが残る。
村山が出ていき、女子2人と俺1人という環境になると、どうしても俺に対して質問が集中する。
「上井君、合宿中に色々あったみたいね」
松下さんから聞かれた。伊野さんとはB班で一緒だったので、意外と話す機会があったが、松下さんとは殆ど話していないので、又聞きでちゃんと伝わっていないネタもあるかもしれない。
「いや、確かに色々あったよ。トドメが今日起きたけどね」
「トドメ?なに、トドメって」
「あっ、ユンちゃんには言ってなかったんだけど…。上井君、ユンちゃんに言ってもいい?」
「ま、まあ、いいよ」
伊野さんは俺のことを気遣って黙ってくれていたのだ。なんと優しい女の子なんだろう…。俺の中で、伊野さんへの好意がまた更に上がった。
「野口さんがね、上井君と結構仲良く話する間柄だなって思ってたんだけど、ちょっとした事で昼ご飯の後、物凄い剣幕で上井君を怒ってたの」
「ちょっとした事?でも野口さんには、大事な事だったんじゃないの?」
「うん、アタシも最初は、ちょっと野口さんが可哀想かなと思ったんだけど、何もそんなに上井君を責めなくても…って途中から思ったよ」
「一体なに?それって」
俺は松下さんへ詳しく説明した。
「明日、市内に買い物に行くけぇ、一緒に行かん?って言われてたんよ。用事もないと思ってOKしたんじゃけど、よく考えたら明日から親の実家へ行くことになってたのを思い出してさ…。それで今朝、謝ったんだけど、すっかり怒りモードにスイッチ入っちゃって…」
俺は若干冷や汗をかきながら、これまでの話と整合性を保たせるように、松下さんへ説明した。
「ふーん…。上井君にしちゃ、イージーミスだね」
「え?」
「予定?スケジュール?上井君ってそんなのをちゃんと管理してる方だと思ってたからさ」
ちょっと痛い所を突かれた。確かに普段の俺は、手帳とかに書かないでいいことまで書くほど、スケジュール欄を埋める人間だ。
「た、確かに。ちょっと女の子に誘われたからって、予定を確認しないで返事しちゃったかもしれない…」
「上井君、サオちゃんのこと、狙ってるんでしょ?」
「はいっ?」
伊野さんがちょっと離れていたタイミングで、突然松下さんがこう言ってきた。
松下さんまで明らかにしていたっけ?もはや俺は誰にカミングアウトしたか、覚えきれていなくなっている。
「じゃあ、ちょっと親しいからって、安易に野口さんの誘いに乗るのはどうかと思うわ」
「ごもっともで…」
暑くて出る汗と、緊張してかく汗のダブル攻撃を受けている状態だ。
元々は野口さんと俺がカップルに間違われては、俺が伊野さんに辿り着けないという、野口さんの発想で始まった偽喧嘩なのに、俺ばかり責められている。
野口さんといえば、閉会式後、とっとと帰っていた。
(なんか、理不尽な気がするんじゃけど…)
そこへ村山が、お母さんの運転する車が到着したからと呼びに来てくれ、やっと妙な緊張状態から解放された。
「遅くなってごめんなさいね。まあ上井君、お久しぶり」
「ご無沙汰してます、お母さん」
「健一、上井君と女の子も2人乗せるんでしょ?」
「うん、中学校が一緒じゃった子」
「すいません、松下と言います。よろしくお願いします」
「あ、私は伊野沙織と言います。すいません、よろしくお願いします」
「あらら、わざわざごめんなさいね、挨拶させちゃって。健一、なんていい女の子なの。これからも健一をよろしくお願いしますね」
「こちらこそ」
女子2人が同時に村山のお母さんに返事をしているのが、ちょっと面白かった。
「俺は前に座るけぇ、後ろに3人座ってもらえば大丈夫じゃろ。荷物はトランクに入れたよね?」
「入れたよ〜」
「じゃ、アタシが一番右に座るね。玖波駅組はどうする?上井君、両手に華状態にする?」
松下さんが茶化しながら聞いてきたが、出来れば俺は左端が良かった。
実は村山のお母さんの運転は結構荒いので、真ん中にいると酔いそうだったからだ。
「いや、女の子2人固まりなよ。俺は端っこでいいよ」
と遠慮気味に言ってみたが、松下さんはふーん、と意味ありげな微笑みを浮かべ、俺の肩を軽く叩いてから、後部座席の右側に座った。
「じゃ、アタシは真ん中ね」
伊野さんは後部座席の真ん中に座り、その後俺が後部座席の左側に、若干狭さを感じつつ乗り込んだ…。
狭いということは、それだけ伊野さんと体が密着するということだ。
「健一、最初は上井君の家?」
「あ、最初は玖波駅に行ってよ。玖波に自転車置きっぱなしの2人がおるけぇ」
「はいはい、玖波駅ね」
そう言って車はスタートした。
列車では走らない、裏道的な道路から大竹へと向かう。
「そういえば女性陣って、夜とか何しよったん?」
村山がそう2人の女子に声を掛けたのだが、返事がなかった。
「え?もう寝てしもうたん?」
「もしかしたらそうかもな」
俺もちょっと2人の女子を覗いてみたら、既にスヤスヤと眠りに落ちていた。
「早っ!車に乗ってから何分よ?よっぽど疲れとったんかのぉ」
「そうかもしれんね」
「そういう上井はどうやった?」
「まあ毎晩、君の大イビキに悩まされたよ、ワッハッハ」
「イビキはしょうがないじゃろ!かきたくてかいとる訳じゃないし。あっでも2日目は女バレとのトーク会に行ったけぇ、迷惑かけとらんじゃろ?」
「その日だけね、その日だけ」
「強調すんな!」
その時、車は右にカーブした。
眠りに落ちていた伊野さんの顔が、俺の左肩に乗っかる。
だが伊野さんは、囁くようにう~ん…と言っただけで、そのまま眠り続けた。
(ひょっとしたら玖波駅に着くまで、このまま?)
更に言えば、ただでさえ密着気味だった伊野さんの体が、より一層俺側に傾き、俺り体の右側は炎上状態だ。
(逆に早く、玖波駅に着いてくれ~)
こうなったら俺も寝るしかない。瞼を閉じて、寝ようと試みた。
…寝れるわけがない。
何せ体の右側が燃えているのだ。
(女の子の体って、柔らかいんだなぁ…)
特にスカート越しに感じる太腿の柔らかさと来たら、理性というスイッチを解放したらどうなってしまうやら…だった。
伊野さんはテニス部だったはずなので、太腿はもっと鍛えた感じが残っているかと思っていたが、引退して1年も経つと元に戻る…というか、普通になるんだなと、変な感慨を抱いていた。
俺は燃える右側の体を鎮めようと、車窓に見える宮島と瀬戸内海の景色を眺めていた…。
「上井、上井、玖波に着いたぞ!」
「へっ?もう玖波?」
「おうよ。気付いたら後ろ3人みんな寝とるんじゃけぇ。伊野さんも玖波に着いたよ!」
俺は寝れない寝れないと言いつつ、いつの間にか10分ほど寝ていたみたいだ。
伊野さんは結局ずーっと眠っていたみたいで、今高校を出たばっかりじゃなかった?とか言っている。その口ぶりから、車が発信するや否や瞬殺されたのだろう。
「すいません、お母さん、ありがとうございました!」
「上井君まで寝るとは、寝不足だったんじゃね。家でもう一度、よく寝んさいね」
「はい、すいません」
伊野さんも挨拶して、車外へと降りた。
「じゃ、また次の部活で…」
「おう。土曜日にまたな」
と村山と会話後、松下さんが意味ありげに
「上井君、サオちゃんをよろしくね」
とウインクしてきた。
俺がキョドっている内に、車は出発していった。
「上井君…」
「えっ?」
「アタシ、いつ頃から寝てた?」
「あっ、そうだね、結構早かったよ」
「じゃ、上井君に迷惑掛けたよね?だってアタシが目が覚めた時、アタシ、上井君の肩に頭を乗せてたから…」
伊野さんは顔から火が出そうな感じでそう言った。
「いや、カーブでさ、体が動くじゃん?そのせいだから、気にしなくていいよ!」
「もしかして、アタシの汗とかで上井君の服を汚してたら、洗濯するから、言ってね」
「まーったくそんな心配は要らないよ!気にしないでね」
「本当に?ありがとう。上井君って、やっぱり優しいね」
「そんなこと、ないよ…」
「だから、野口さんに怒られたのも、きっと野口さんはすぐ落ち着くよ」
「ああ、あれね…」
「上井君、野口さんのこと、好きなんでしょ?」
えーっ?!なんだって?
「いやっ、俺が今好きなのは、野口さんじゃなく…」
野口さん、伊野さんとより近付くための偽喧嘩を実行したら、逆効果になりそうですよ?
「え?上井君の好きな女の子って、野口さんじゃないの?」
<次回へ続く>
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