第28話 -合宿23・最終日の波乱2-

『校内合宿をしている各部へ連絡します。食事の準備が…』


 この合宿中、4回目となる昼食案内が校内に流れた。実際は夕飯も同じセリフだから、7回目か?8回目か?


 とにかく俺が所属するB班にとっては、最後の割当仕事の案内であると同時に、合宿でのバリトンサックスの練習が終わる合図でもある。


 あまりにバリトンサックスの練習、コンクール曲の練習以外の出来事が多すぎ、長いようなあっという間のような合宿だった。


「じゃ、最後の昼ご飯は、B班か?準備よろしく頼むな」


 福崎先生がそう言って下さり、前田先輩は俺に行くよ、と声を掛けてくれ、他のパートのB班メンバーもスロープへと移動し始めた。


 勿論その中に、伊野さんもいる。


(野口さんは今朝の話を、どう具体的にやるつもりなんだろ?)


 音楽室を出る直前に、野口さんの方を見たが、残念ながら譜面を読み込んでいて、目は合わなかった。


「最後のご飯はなんだろうね?」


 前田先輩が両手を伸ばしながら、のんびりと歩きつつ言う。


「包丁ものじゃなきゃ良いですけど」


「ウフフッ、上井君、この先の人生で包丁握れないんじゃない?」


 伊野さんが後ろから声を掛けてくれた。


「いや、大丈夫!…だと思うんだけど…」


「ウワイモ、これからの世の中、料理くらい出来なきゃモテないぞ」


「イモは余計じゃっつーの」


「アハハッ、山中君と上井君のこのやり取り聞くと、安心するな」


「多分、どっちかが引退するまで続くけぇ、安心しんさい、伊野さん」


「そんな長いこと続けるんかい!」


「アタシは最高であと1年しか聞けないんだぁ。年だわ」


「前田先輩が年だなんて言わないで下さいよ。たった1つ上なだけじゃないですか。なんでしたっけ、1歳上の奥さんはガラスの靴を持って探せとか…」


「シンデレラ?」


「違うかぁ…」


「上井君、それは『姉さん女房は金のわらじを履いてでも探せ』だよ」


 さり気なくフルートの藤田先輩が教えてくれた。


「ありがとうございます、先輩。でも吹奏楽部の2年生の女子の先輩は、みんな彼氏いそうだしな〜」


「そう?そんな風に見える?」


 藤田先輩が、満更でもない表情をみせた。


「先輩、上井は誰にでもおんなじ事を言ってますから、気を付けて下さいね」


「えっ、そうなの?」


「そんなことないてすよ!山中は良い所で邪魔するんじゃけぇ…」


 とB班メンバーも3回目とあって、気楽に喋りながらスロープにある各部毎に分かれて置いてあるメニューを見ると、ご飯、麻婆豆腐、わかめスープ、杏仁豆腐と中華風なメニューだった。


「これがラストか〜。包丁は要らんけど、腰をヤリそうな重たそうなのばっかり」


 と俺が言うと、山中は


「台車で運ぼうや」


 と提案してくれた。


 今まで重たいメニューは、男子2人がかり、女子なら3人がかりで運んでいたので、山中の台車提案は目からウロコだった。


「ホンマじゃ。なんで最後の最後で気が付くんじゃろ」


 このメニューから、杏仁豆腐だけは女子が運んでくれ、その他のメニューと器は台車に乗せ、俺と山中でゆっくりと運んだ。


 大体体勢が整った所で、早目に練習を終えた他の部員もやって来たので、順番に並んでもらってセルフ方式でメニューを持って行ってもらうことにし、B班は廊下で休憩することになった。


 そこに野口さんがやって来た。


(もしかしたら、今からもう芝居を始めるのか?)


 と身構えたが、俺にメモを渡して、無言で3年1組へと入っていった。


「なんか、今の野口さん、怖かったな…。上井、なんかやらかしたんか?」


 山中がそう呟いた。


「いや?身に覚えはないけど…」


 もう芝居自体は始まっているのか?

 渡されたメモをそっと見たら


『食後の片付けの時に仕掛けるね』


 とだけ書いてあった。


 芝居だと分かっていても、思わず背筋がゾッとした。


 ハートマークとかビックリマークとか、何の装飾もない文字だけのメモ。


 それが特に女子からのメモだと、芝居のプロローグだとしても怖さを感じる。


「メモに、なんて書いてあったんや?」


「えっ、あぁ、昼ご飯後に話がある…って」


 山中にメモの中身まで聞かれると思っていなかったので、ちょっと動揺したが、大筋で嘘は付いてない筈だ。


「上井君、野口さんと仲良さそうだったのに、何かやらかしやちゃったの?」


 伊野さんが口を挟んでくれた。

 これは逆に、ちょっと助かるかもしれない。


「うーん、今朝ちょっとね…。でも嫌われるようなことだったかな」


「上井君、女心って複雑じゃけぇ、もし野口さんとお話するなら、気を付けてね」


「うん、ありがとう」


 そこで前田先輩が、一通り部員が食べる準備が整ったのを見て、


「ウチらも食べようや。まあ最後まで色々あるようじゃけど」


「ははっ、すいませーん、センパイ」


 @@@@@@@@@@@@@@@@@@@


「皆さん、ほぼ食べ終わりましたかね?じゃあこの後について、説明します」


 須藤先輩が前に出て話し始めた。


「まずは4日間使ったこの3年1組の食堂部屋ですが、元通りにします。それは食事の後片付けをするB班以外の男子でお願いします。あと寝室に使った部屋の片付けですね。布団を、食事が届くスロープの隅っこにまとめて置きますので、自分の使った布団と枕を持って来てください。忘れ物の無いように寝室部屋を点検した後、机は男子も女子も戻さないでいいそうです」


 ここで、やった、ラッキーという声が上がった。多分、お盆以降に合宿をする部活もあるからだろう。


「で、最後は音楽室に集合して、閉会式を行ってから、解散します。以上です。では閉会式の目安は2時でお願いします」


 その言葉を皮切りに、みんな一斉に動き始めた。


 俺は前田先輩の指示の下、食事の片付けをし、その後は寝室を片付けないといけないのだが、廊下で野口さんからのアクションを待った。


「上井、寝室の片付けに戻らんのか?」


「あっ、ああ、ちょっとしたら行くよ」


「そうだ、お前野口さんに呼ばれてるんだっけ?まあ、無事を祈って、先に行っとくよ」


 山中がそう言って、先に寝室へ行った。


「おぉ…」


 今朝の野口さんの話では、俺と伊野さんが会話している所に、野口さんが乱入してくるようなことを言っていたが、伊野さんもB班の仕事が終わったので、寝室に戻ろうとし始めていた。


(えっ、どうすればええんよ…)


 とオロオロしていたら、野口さんが慌てて登場し、俺にウインクしてから口ゲンカを仕掛けてきた。


「ねぇ、今朝の話ってなんなん?上井君、ちゃんと説明してよ!」


 演技だと分かっていても、迫力がある。


「えっ、今朝の話って言っても…」


 俺はどう展開させればいいか分からなくなっていた。アドリブ力が求められるとは思わなかったからだ。


「だって、明日、アタシの買い物に付き合ってくれるのを、用事があるから止めたなんて、ちょっと酷くない?」


 結構、怒気を孕んだ声質なので、何も知らずに聞いたら、まあまあ…と仲裁に入ろうとするかもしれない。

 寝室に戻ろうとしていた伊野さんも、立ち止まって不安そうに俺たちのことを見ている。

 その点だけは第一の目的達成だ。須藤先輩は、寝室の片付けに行ったようでいなかった。これも良かった。


 野口さんは、明日俺と買い物に行く予定にしてたのを、今朝俺が勝手にキャンセルしたって設定にしたんだな。


「いや、だから今朝、謝ったじゃん」


「謝って済む問題じゃないよ。上井君とはいいお友達だと思ってたけど、しばらく距離を置かせてもらうわ」


「野口さん、何も買い物に一緒に行けなくなっただけでそこまで…」


「じゃ、またね」


 と言って、野口さんはその場から小走りで立ち去った。


 俺は鬼気迫る野口さんの演技に圧倒され、本気ではないことを願うほど、廊下で立ち尽くしてしまった。


 奇しくもその場にいたのは、俺と野口さん以外には、伊野さんだけだった。


 しばらく俺は呆然としていたが、伊野さんが心配して声を掛けてくれた。


「上井君…。大丈夫?」


「あっ、伊野さん…。ゴメンね、変な場面を見せちゃって。野口さんも、誰もいない所で俺に怒ってくれればいいのにね、ハハッ…」


「野口さんがあんなに怒ってるの、初めて見たから、アタシも固まっちゃって…。何があったの?」


「明日さ、広島市内に買い物に行くけぇ、一緒に行かん?って言われてね。断わる理由もないし、まあ多分大丈夫だよって答えてたんだけど、よく考えたら明日から親の実家に帰省するのをコロッと忘れててね…」


 明日買い物に行くという設定を用意した野口さんに合わせ、俺もそれなりの言い訳を用意した。


「わぁ…。大切な帰省をウッカリ忘れてた上井君も悪いかもしれないけど、でもだからって、野口さんもあそこまで上井君のことを怒鳴り散らすのはどうかと思うな…」


「相変わらず女の子の気持ちが分からない男だよね、俺って。だからあんなに怒られたり、フラレるんだよね」


「ううん、そんなこと、ないよ。上井君、優しいもん。きっと今朝?野口さんに行けなくなったって言った時も、伊東君みたいな感じじゃなくて、本当にゴメンねって気持ちで、野口さんに謝ったと思うんだ。でも野口さんには通じなかったのね…」


「通じない時点で、もう俺の負けだよ。後は野口さんの怒りが冷めるのを待つしかないかな。それとも、もう友人関係にも戻れないのかな」


「寂しいね。せっかく神戸さんのことを忘れるくらいに、野口さんは上井君と親しくしてくれてたのに」


「まあ、起きちゃったことはもうどうしようもないから…。合宿から帰る時は、他の2人には内緒にしといてね。俺と伊野さんだけの秘密ってことにして」


「…うん」


「じゃ、伊野さんも帰りの準備、しなきゃいけないでしょ?俺も何も片付けてないから…」


「そうだね。上井君、元気出してね。後で音楽室で、またね」


 伊野さんが女子階へ向かった数秒後に、俺も男子階へ向かった。


 いくら演技とはいえ、やっぱり女の子に文句を言われるのは辛い。野口さんに怒られている内に、本当に嫌われたんじゃないかと思うほどだった。伊野さんにも本当は嘘を付く形になってしまっているのが心苦しかった。

 ちょっと意気消沈しながら寝室に戻ったら、俺の使っていた布団が既に片付けられていた。


(あれ?俺の布団は?)


 寝室も、既に殆どの男子が音楽室へ向かってしまったのか、荷物もあまりなかった。


「あ、上井、戻って来たか。野口さん、なんか怒ってたんか?」


 山中が荷物を取りに戻ってきた。残っていた荷物の一つは、山中の荷物だったのか。


「山中、もしかして俺の布団、片付けてくれたとか…?」


「お前の布団?ああ、1人分も2人分も大して差がないけぇ、お前が野口さんに何か言われとる間に運んでやったよ」


「うわ、暑いのに悪かったな、山中」


「これぐらい大したことないよ。その代わり、音楽室に俺の荷物持っててくれりゃあ、それでええよ」


「それぐらい、勿論やらせてもらうよ。助かったよ」


 俺は自分の荷物を片付けると、山中の荷物と合わせて持った。


「上井は、野口さんの触れちゃいけないナニに触れてしもうたんや?」


 音楽室へ向かいつつ、山中が聞いてきた。山中も純粋に、俺と野口さんとの間でトラブルが起きたと思っている。嘘を付く形になってしまい、内心申し訳ない…と思いつつ、伊野さんに話した内容と相違しないよう、


「明日、野口さんと広島市内に買い物に行く約束しとったんよ。それを俺の都合でキャンセルしたもんじゃけぇ、お怒りなんよね」


「それはお前が誘ったんか?野口さんに誘われたんか?」


「俺が誘うわけないよ。ご存知の通り、伊野さんのことを狙っとる身じゃもん」


「じゃ、野口さんからか。うーん、キャンセルしたのは、お前の都合?」


「ああ。親の実家に明日から出かける予定にしとったのを忘れとってさ」


「なるほど…ね」


 山中が意味ありげに言葉を発したので、何か矛盾か辻褄の合わないことでも言ってしまったかと、緊張したが…


「最初から、一緒に行くなんて選択肢、選ばんにゃあ良かったのにな」


「断るってこと?」


「そうよ。上井は優しいけぇ、女の子に買い物付き合って、って言われたら、無理してでも付き合おうとするタイプ。でもその時点で上井は伊野さんに片思い中なんじゃけぇ、心を鬼にして断るべきだったな」


 山中が一生懸命に俺に説教してくれることに感謝しつつ、事が肥大化しているような気がしてならなかった。


 …よく考えたら、最初に野口さんと接点を持った時も、須藤先輩からの告白を断るための偽物彼氏の役を引き受けることが発端だった。


 今回の騒ぎも、伊野さんにカップルだと思われている可能性を排除するための嘘のケンカだ。


 冷静に考えてみて、こんな形でばかり野口さんと繋がっているのは、本当のトラブルだと思って懸命に解決方法を考えてくれる友に対して、迷惑で失礼な話じゃないか?


 そんなモヤモヤした思いが芽生えつつ、俺と山中は音楽室へと到着した。


 やっぱり一番遅く、前方に座る羽目になったが、野口さんを念のために見てみると、神戸と並んで座っていて、全く俺や山中のことなど眼中にないようだった。


(逆にこの偽冷戦を利用して、彼女とは本当に距離を置いた方が良いかもしれないな…)


 そんな心理状態の中で、合宿の閉会式が始まった。


 <次回へ続く>


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