第9話 -合宿4・深夜の攻防-

 大上が何気なく言った言葉に、俺は衝撃を受けた。


「不満?例えば?」


「んー、あまり上手くは言えんのじゃが、個人個人は面白い奴、上手い先輩、楽しい先輩がおると思うんよ。じゃけど、リーダーが上手く部を把握しとらんというか、2年の先輩達の横の繋がりが見えん。この部をどうしたいとか、そういう熱意だよな。だからなんかまとまりがない。その辺りを部長がまとめなきゃいけないのに、2年生は部長と女子の間に壁がある。そう思わん?」


 その辺りは俺もまさしく感じていた部分だったので、よく分かる、と答えた。大上は続けた。


「例えば今度のコンクールにしても、現実は厳しいのかもしれんけどさ、ゴールド金賞目指そうとか、広島県大会突破とか、嘘でもええから何かスローガン掲げて、部長は俺達の戦意をアップさせにゃあ。だけど現状維持に必死で、金賞どころか、銅賞に落ちないようにしたいっていう消極的な部分が見えるんよ、俺には」


「なるほどね…」


「だから何度かコンクール向けの会議があったけどさ、一応金賞目指しましょうとは言ってるけど、全然本気さが伝わらんというか。だから先生も、俺から見ると今一つ指導に覇気がないんだよな。部員から熱気を感じないからだよ。そんな時に、大村が夜にやらかしたじゃろ。こんなんじゃ、ダメだよ」


 大上と歩きながら、こんなに大上が部の現状に危機感を持っているのは初めて聞いたので、俺も真剣に部活の今後を考えてしまった。


「…うーん、俺も現状で満足しとったのかもしれん。サックスのメンバーは個性的で面白いし、合奏もまあまあまとまっとるし。でも一致団結、もっと上を目指そう!っていうのは、ないよね」


「じゃろ?だから俺はもう今年は諦めて、俺らが2年生になったら、部の体質を変えたいと思っとるよ」


「というと?部長立候補?」


「…となると、俺の悪い癖でさ、中学の時に部長をやらされて、散々な目に遇ったけぇ、それはちょっと…になっちゃうんよな」


「ああ、言ってたね、前に。俺も同じく、中学で部長やっとるけぇ、高校ではもうやりたくないんよね」


「となると、だれが部長向きか?ってことだよな。一応男子で選ぶとしたら、俺と上井を除くと、山中、村山、伊東、大村となる…。どう?」


「その中からだと山中しかおらんじゃろ。他の3人には悪いけど」


「じゃろ?じゃけぇ俺は山中が部長になるように、少しずつ工作していくけぇ、上井も協力してくれ」


「分かった!俺も部長になるのはNGじゃけど、バックアップはするし」


「よし、じゃあ『山中を部長にする会』、今夜スタートな」


「OK!」


 俺と大上がゆっくりと歩きながら合宿初日にこんな話をしているとは、誰も思わないだろう。


 やっと体育館の地下にあるシャワー室に辿り着いたが、出入り口は男女共通になっていた。屋内で、男女別々になるようだ。


 俺と大上が到着したら、女子が数名出てきた。その中に前田先輩がいた。


「あっ、前田先輩!」


「上井君、お先に~」


「あの、合奏の前の意味深な言葉、教えてくださいよ!」


「え?ダメだよ、こんな所じゃ」


「えーっ、なんかお預け喰ってる犬みたいな気持ちなんですけど」


「じゃあ、お手!」


「へっ?お、お手くらいならいつでもしますけど…」


「冗談よ。そんなに聞きたいの?大した話じゃないのに…」


「聞きたいです。聞かなきゃ今夜眠れないです!」


「ふふっ、じゃあさ、シャワーが終わったら女子の部屋に来る?女子は人数が多いから、1年と2年で別れてるんだよ」


「いっ、いやぁ…。俺がそんな禁断の領域に足を踏み入れたら、鼻血を出して出血多量で死にます」


「アハハッ!上井君は面白いよね~。それなら、ここで待ってるわ」


「えっ、いいんですか?」


「うん。混雑した時のために、待合室みたいなのもあるのよ。そこで漫画読んでるから」


「すいません、時間取らせちゃって。すぐ上がりますから」


「いいよ、ゆっくりで」


「ありがとうございます!」


 俺はシャワールームに入り、海パンを持ってくるのを忘れたので、生まれたままの姿で冷水の洗礼を浴びた。


 俺と前田先輩が話してる間、先に大上はシャワールームに入っていったが、全然声が聞こえない。


「大上~、おる?」


「お、上井か。わりぃな、先に浴びてるよ」


「いいんだよ。でも冷てーっとか聞こえんかったけぇ、どこに行ったんかなと思って」


「いや、俺が想定してた冷たさよりはマシだった、だから大丈夫だった、それだけ」


「そうか?でもこれはやっぱ厳しいな~」


「それはそうと、上井は先輩受けがええのぉ」


「え?そうかなぁ…」


「前田先輩って確かに綺麗な先輩じゃけど、なんとなく怖い存在なんよ、俺らにしたら。なのにさっきもなんだか楽しそうに会話しとったし」


「そりゃあ同じサックスだしね」


「須藤先輩と一番話しとるのも上井じゃろ」


「そうかね?」


「俺はさっき言ったように、部の運営に不満があるけぇ、殆ど話さんし。他の1年生も、男女問わず話しとるのは殆ど見ないし」


「須藤先輩は、2年の女子の先輩もじゃろ」


「まあそうじゃけど。あとウチのパートリーダーが、上井君って面白くていい子って言ってたぞ」


「高橋先輩が?」


「そうそう」


「いつ接点があったっけ…?」


「ま、それぐらいお前は、上からの評判がええってことよ」


「うーん…」


「俺、さすがに冷えてきたけぇ、先に上がらしてもらうわ」


「ああ。俺は頭を洗ったら上がるよ。遅いと思ったら、先に部屋戻っててもええよ」


「言われなくても戻るよ。お前、前田先輩に何か聞かにゃあいかんのじゃろ?」


「ああ、そうだった」


「忘れやすいな、お前も…。じゃ、お先に」


 大上は脱衣所へと上がっていった。今はシャワールーム内は、俺1人という状態だ。


(上からの評判がいい?全然意識せんかったけどな…)


 最後に頭を洗い、全身を拭いてから脱衣所に上がると、既に大上の姿はなかった。先に部屋へ戻ったようだ。

 俺は急いで服を着て、待合室へと走った。


「前田先輩!前田…せ…ん…」


 前田先輩は、椅子に座って漫画を読みながら寝てしまったようだった。

 Tシャツに短パン、完全に乾ききってないロングストレートの髪の毛と、色気満載のうたた寝姿だった。


 手には伊東が触れたくてたまらなかったであろう、シャワーの時に着たと思われるスクール水着と、さっきまで着ていたTシャツ、ブラジャー、パンツがまとまって入っているビニール袋があった。


 その下にバスタオルが落ちていたので、先輩は多分バスタオルで衣類の入ったビニール袋を隠していたのに、寝てしまってバスタオルが落ちたのだろう。


 こんな時はどうしたもんか?




 …やはり悲しい男の性が、理性を打ち負かしてしまう。


 ビニール袋をジロジロと見てしまった。


(やっぱり前田先輩、下着は白なんじゃなぁ。でも単なる白同士じゃなくて、柄を見ると上下でセットになってるみたいだ。その点はオシャレなのかな~)


 ちなみに今着ているTシャツから薄っすら透けているブラジャーも、白だ。パンツのの柄は、勿論分からないが。

 前田先輩は外見からして、紫とか深紅の下着でも着てそうだと思ったが、大間違いだった。

 人間、見た目で下着を判断してはならないということを、俺は学んだ。レベルが1つ上がった。


 とはいえ、いつまでもこの状況は良くない。ゆっくりと肩を叩き、「前田センパーイ」と起こしにかかった。


 何回か肩を揺らしている内に、脱いだ衣類が入ったビニール袋が前田先輩の手から落ちたが、それで前田先輩は目が覚めたようだ。


「あっ!アタシ、寝てた?寝てたね?わわ、ちょっと油断してたな…。あ、ちょっと上井君、上を向いててくれるかな?」


「はい、分かりました」


 多分、脱いだ衣類の入ったビニール袋をバスタオルで包んでいるのだろう。俺は内心で、先ほどはありがとうございましたと合掌しておいた。


「はい、いいよ。冷水シャワーでも、時間が経つと体がホワーンとしてくるもんだね。完全に寝てたわ、アタシ」


「すいません、気持ちよさそうに寝てらっしゃるところを…」


「上井君、念のため聞くけど、ビニール袋の中身とか、見てないよね?知らないよね?」


「へっ?ビニール袋?何かヤバいものでも入ってるんですか?ダメですよ、先輩…」


「見てないみたいだね、良かった~」


 スイマセン、先輩。ガン見しております…。


「ところで先輩が焦らしてた例の話なんですが…」


「あ、指の怪我だよね。本当に大した話でもないのに大きくしちゃってごめんね」


「いつの間に先輩の知るところになったんですか?」


「あのさ、上井君は、伊野さんのことが好きでしょ?あるいは、その逆なのかな?」


「へえっ?」


 俺は思わず変な声が出てしまった。


「結論はそこなんだけどね。冷奴を2人で作ってたでしょ?アタシはカレーライスを配膳してたんだけど、包丁を指で切ったなんて、ちょっと間違えたら大惨事じゃない?今回は偶々、出血が少なくて済んだけど」


「そ、そうですね」


「そんな怪我したら、冷奴の2人だけじゃなくて、カレー作ってるアタシ達の方まで知らせて、良い対処法とか治療とかするんだけど、アタシ達が全然知らない間に2人だけで何もなかったかのようにしたでしょ?」


「…は、はい」


「もしかしたら、指を切っちゃった上井君に対して、他の人に知られたら大変だから、伊野さんはアタシが助けてあげなきゃ!って思って、血を拭いたり、絆創膏で止血したりしたのかな?と思ったの」


「…なるほど…。でもそれに気付いたのはいつですか?」


「食堂の後片付けが終わって、撤収、B班解散ってなった時」


「え?あの時、そんな俺と伊野さんが怪しいなんて先輩に気づかれる余地ってありましたっけ?」


「他の人ならともかく、上井君は同じサックスだから気になるじゃん。で、ゆっくりと上井君の様子を確認しながら部屋に戻ろうとしてたら、伊野さんが上井君に絆創膏をもう2枚上げる、って声が聞こえてきてね…」


「…す、凄いです、先輩…。地獄耳…」


「ん?地獄耳だって?ま、いいわ、その通りだから。でね、絆創膏ってなんのこと?って思ったのと、カレーのメンバーがほぼ見えなくなった時点で伊野さんが上井君を捕まえてたのと…」


「恐れ入りました、ハハァーッ」


「てなわけ。絆創膏なら、そんなに深い傷ではないけど、多分包丁で上井君が指を切ったんだなって思ったのよ」


「前田先輩、凄いです。十津川警部みたいです」


「ははっ、そんな大した推理でもないよ。合奏の前に言った、『しいて言えば女の勘』って意味、なんとなく分かった?」


「分かりすぎました」


「で、今は2人はどんな関係なの?」


「今は、まだ俺が片思いしてるだけです。伊野さんの気持ちは分かりません。単なる男友達としてしか見てないかもしれませんし、もしかしてもしかしたら、彼氏候補に考えてくれてないかなという淡い希望もありますけど」


「あの時の様子なら、十分イケると思うけどなぁ。上井君はもしかして、恋愛に臆病になってる?神戸さんの件で」


「はい。心のどこかで、『どうせ俺なんか…』って思ってるんです」


「マイナス思考かぁ。何とかしてあげたいな、アタシとしては」


「ありがとうございます。でも、前田先輩とこうやって1vs1で話させてもらえるのも、結構俺の女性不信解消に繋がってるんです」


「女性不信ね…。まあ前に上井君から聞いた話をアタシに置き換えてみたら、アタシは男性不信になるよ、間違いなく。だから焦らなくてもいいから、確実に前へ進めたらいいよね」


「そうですね」


「じゃそろそろ、部屋に戻ろうか?お互いにまだ帰ってこないとか言って、騒がれてるかもしれないし」


「そうですね」


 前田先輩が立ち上がった。やっぱり女性ならではの素敵な香りがした。


「途中まで一緒に行こうか?」


「はい、ぜひお願いします」


 月明かりが綺麗だ。こんな日の夜、流れ星でも見えたら最高なのにな。


「上井君はもう高校生活には慣れた?」


「そうですね、部活主体なもんでクラスには逆に知り合いが少ないんですけど」


「部活に打ち込めばそうなるよ。アタシもそうだから」


「先輩もですか?」


「うん。逆に沖村さんはクラスにも力を入れてるから、時々遅刻しとるじゃろ?だからね、最初はサックスのパートリーダーは、アタシがなる予定だったんだよ」


「えーっ、そうだったんですか?」


「でもパートリーダー案を作って須藤君が福崎先生に見せたら、サックスのパートリーダーはアルトの方がいいってなって、沖村さんに変わったの」


「へぇ…。先輩はそれを受け入れられたんですね」


「まあ元々、リーダーとかって苦手だから。その件については何とも思ってないよ。クラスでも何かあればリーダーを決めるでしょ?アレが苦手で、アタシは部活が忙しいんで…ってクラスからはちょっと距離を置いてるの」


「そうなんですね」


「ただ、筋が曲がったこととか、ルールを守らないのって、嫌い」


「そしたら今夜の合奏に例の2人が遅刻したのって…」


「頭に来たよ。上井君も因縁があるけぇ、頭に来んかった?」


「はい、そりゃあもう…」


「ありゃ、もう男子階に着いちゃったね。まあ、アタシは上井君を応援しとるから。頑張るんだよ」


「ありがとうございます!頑張ります!」


「じゃ、お休みね。バイバーイ」


 前田先輩は手を振って、もう一つ上の女子階へ上がっていった。


 こんなに前田先輩と話したなんて知ったら、伊東が爆発するかもしれないな。


 でもアレで本当に彼氏がいないのかなぁ。信じられないや。


 <次回へ続く>

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