夏季合宿編
第5話 -合宿開始-
昭和61年8月9日(土)、遂に吹奏楽部の合宿初日を迎えた。
個人的には、この日のプロレス中継が見れないことが不満だったが、仕方ない。
朝はほぼいつもと同じような感じで、9時集合になっていたが、違っていたのは3泊4日分の大荷物を抱えてきたことだ。
俺は村山に連絡し、松下、伊野と合わせて計4名で一緒に行くことにし、宮島口駅からタクシーで西廿日高校へ行こうと提案した。
運よくみんなの賛同が得られ、初日は同じ列車に乗るようにし、宮島口駅からタクシーで高校まで登校した。
「こんな荷物持って高校まで歩けないわ。上井君、ナイス提案だよ」
「本当に。上井君がタクシーでみんなで行けば割り勘してもちょっとで済むから、って言ってくれたからよね」
松下、伊野の女子2名に提案を褒められ、尚且つ俺は後部座席で伊野さんの隣に座ったもんだから、既にテンションが上がっていた。
ちなみに村山は体が大きいので、助手席に座っていた。
3泊4日ののみんなの大荷物はは、トランクに積まれている。
「最近、西廿日高校で合宿続きみたいじゃねぇ」
と、タクシーの運転手さんが声を掛けてくれた。
「あ、そうみたいですね」
「昨日も疲れ切ったバスケ部の生徒を、逆に高校から駅へと運んだんよ、ワシ」
「そうなんですか」
運転手さんとの会話は俺が引き受けていた。
「君らは男女一緒じゃが、何部かいの?」
「吹奏楽部です」
「おぉ、吹奏楽かぁ。ワシの娘も昔やっとったよ」
「そうなんですね。楽器は何を?」
「横笛だったよ。正式にはなんて言うんかの?」
「フルートって言います」
「おう、それよ、それ。ワシも一回見に行ったんじゃが、娘なのに別人に見えたのを覚えとるよ。みんなも合宿頑張って、大会でいい結果出しんさい」
「はい、ありがとうございます!」
「はい、西廿日高に着いたよ…。830円じゃけぇ、1人200円でええよ」
「えぇー、そんなの、いいんですか?」
俺も含め、みんな一斉に驚いた。
「ああ。君らはええ生徒さんじゃ。西廿日高の生徒さんを乗せると、たまに腹が立つような連中もおるんじゃが、今朝は君らみたいに爽やかな生徒さんを乗せられて、ワシも嬉しかったから、ほんのちょっとじゃがサービスな」
「ほ、本当にいいんですか?」
「ええんよ。本人がええって言いよるんじゃけぇ。ワッハッハ」
俺ら4人は口々にありがとうございましたと言いながら200円支払って、荷物をトランクから取り出した。
最後に軽くクラクションを鳴らして、タクシーは次の場所へと向かって行ったが、俺たちもタクシーが見えなくなるまで、手を振ってお辞儀した。
「あー、なんか合宿が終わったような感じになっちゃった」
と俺が言うと、
「やっぱお前はああいう場面で誰とでも上手く話せるよのぉ…。俺には無理じゃ」
と村山が返した。
「まあまあ、でも上井君の話術で200円で済んだんじゃけぇ、ありがたいよね」
松下がそう言ってくれるのが嬉しかった。伊野さんは同意同意とばかりにウンウンと頷いていた。
「さて音楽室に上がりますか~」
俺はこの合宿中で、伊野さんとの距離を縮めるのが目標だった。コンクールに向けて団結を図り、演奏のスキルアップを目指すのが本来の合宿だが、俺はこの前初めて伊野さんから声を掛けてくれたような関係のスキルアップが目的だった。
演奏技術?
3日4日で今更どうこうなるもんでもないって…。
音楽室に入ると、少しずつみんな集まり始めているところだった。
俺は前田先輩のアドバイスもあったので、一応海パンも1枚持ってきたが、シャワーの時に使うかどうかはまだ分からない。
「学校に来ただけで疲れたけぇ、今日は練習休んでもええ?」
いきなり伊東が開会式前にネタを投下してきた。
「それなら俺もだって」
「アタシも~」
伊東に釣られて、次々とみんなが休むと言い出した。
予想通り早く来て、ホワイトボードに今日の日程と食事担当の班分けを書いていた須藤先輩が、慌てて俺らの方を向き、いやいや、練習しなくちゃ!と声を上げたので、みんなは笑っていた。
(誰も本気で休むつもりなんてないのになぁ)
9時になり、まだ全員は揃ってなかったが、福崎先生も登場され、合宿開始となった。
「えー、みなさんおはようございます。今日から3泊4日、寝食を共に過ごして、部内の団結力を高め、来るコンクールでは少しでも上の賞を狙えるように頑張りましょう」
福崎先生の言葉から始まり、須藤部長も一言言ってから、続けて班分けのくじ引きが行われた。
食事担当の班を4つ作って、朝、昼、夜と順番に回していくようだ。
(伊野さんと同じ班になりますように…)
朝タクシーで来た4人組が近くに固まって座っていたので、クジを取ったらなんて書いてあった?ってすぐ聞けるのがいい。
多分須藤部長が1人で作られたのだろう、部員数分の小さな紙が折られて、箱に入っている。
俺は…Bと書いてあった。
「村山は?」
「俺はD?」
「松下さんは?」
「アタシはA」
「綺麗に別れとるね~」
と言いつつ、俺はこの流れだと伊野さんがCのような気がしてきた。
「伊野さんは?」
「えっとね、アタシはBだわ」
「あっ、一緒だ!」
「え?上井君と一緒?わあ、よろしくね!」
俺は何回心の中でガッツポーズを披露しただろうか。
ちなみにB班は、1日目の夕飯、3日目の朝、最終日の昼と3回食事当番が回ってくる。
(神様、ありがとうございます!)
くじ引きの箱はどんどんと回っていった。大体1班8~9名になるはずだが、須藤部長がA~D班のメンバーをホワイトボードで書いていく。
B班の他のメンバーは、殆ど2年生の女子の先輩で、1年生は俺と伊野さんと山中の3名だった。
2年の女子の先輩も、ありがたいことに前田先輩が入っていて、他の女子の先輩も話しやすそうな先輩ばかりだ。
くじ運の悪い俺だが、今回はクジの神様に感謝だ。
ちなみに大村と神戸は別々の班になったようだ。ホワイトボードを見ると、大村がAで、神戸がDになっていた。
「食事班分けで漏れてる方、おられませんよね?では一応各班への連絡事項としては、食事時間の30分前に練習を抜けて、食堂…3年1組が指定されていますが、机を並べたり、食事を並べたりといった準備をお願いします。1番目は早速今日の昼、A班にお願いします。A班は11時30分に、いつも楽器を出し入れしているスロープに集まって下さい。そこに業者さんが、同時に合宿している他の部の食事も併せて持ってこられます。吹奏楽部の分はどれか確認して、運んで下さい」
まだまだ須藤部長の説明は続いたが、みんな飽きてきていた。
(野口さんも言ってたよな…理屈っぽいって)
先生も呆れたのか、
「部長、シャワーとか布団とか明日の朝の説明は、今じゃなくてもいいじゃろ。とりあえず男子と女子の部屋に荷物を持って行って、一休憩したらまた集まって音出しするように!目安は…部長が喋り過ぎたから、30分押しで10時半集合!」
須藤部長のくどくて長い説明に、途中から先生が乱入して、パッと終わった。
みんな苦笑いしながら、先生に心の中で感謝していた。
みんな荷物を持って指定された教室へと移動し始めたら、先生が須藤先輩に、お前の話は長い…と説教しているのが聞こえ、思わず笑ってしまった。
女子は2年2組と3組、男子は1年3組が指定された部屋だった。
移動中に、俺の脇腹を突いてくる奴がいた。
「やめてくれ、誰?」
と振り向いたら、野口さんだった。てっきり山中か村山辺りかと思っていたのでビックリしつつ、乱暴な言葉を使ってゴメンと謝った。
「いいよ、誰か見えてなかったんでしょ?」
「うん。前しか見とらんけぇね」
「笑っていいのかしら」
「ええよ、笑いたい時には笑わなきゃ」
「とりあえず、B班でサオちゃんと一緒になったね。おめでとう」
「ありがとう。野口さんは?」
「何か起きそうなDだよ」
「Dって誰がいたっけ…」
「上井君の敵」
「あ、兵庫県の県庁所在地?」
「プッ、なんて言い方するの~。笑っちゃうよ」
「だから笑いたい時は笑わなきゃ、ね。他には?」
「須藤先輩じゃない、もう1人のチューバの先輩と、伊東君と、ホルンの先輩と…覚えきってないや」
「でもDは1回少なくて済むし、いいよね」
「逆にBは、3回もチャンスがあるじゃーん。コノコノ」
と、また野口さんは俺の脇を突いてきた。
「だからそこ弱いんだってば…」
このやり取りを、遅れて後ろから歩いてきた須藤先輩が見て、やっぱり俺と野口さんはいいカップルだな…と認めていた。あっさり野口さんを諦め、上井に譲った俺はいいやつ、と自画自賛しているのだ。
それが後々に混乱を招くのだが…。
<次回へ続く>
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます