第29話 -彼氏役-

 翌日、俺はいつも朝練に行く時に乗る列車よりも更に1本早い列車で登校した。

 1本早いだけで、車内の風景が全然違う。


 宮島口で下車後、高校に向かう時も、何となく気忙しく早足気味になっていた。


 そしていよいよ音楽室に到着すると、既に野口さんは来ていて、俺に気付くと軽く手を振ってくれた。

 俺もちょっとだけ振り返し、音楽室に入って見ると、チューバを吹いている須藤先輩が音楽室の隅にいた。


 他にも何人か部員が来ていて楽器を鳴らしているので、野口さんとは普通に話しても大丈夫そうだ。


「おはよ、上井君」


「野口さん、おはよう。段取り的なのは、何かある?」


「うん。夕べ寝る前に考えとったんじゃけどね、アタシが渡り廊下に須藤先輩を呼び出して、告白は嬉しかったけど彼女にはなれません、って言うの。そしたら須藤先輩が、なんでや!とか言ってくると思うから、そこへ実は俺が彼氏なんです~って、上井君が顔を出してくれればいいの」


「なるほどね…。もしかしたらアドリブ力も必要かもね」


「うん…。もし付き合ってる証拠を見せろとか言われたら、手を繋いだり、腕組んでもいい?」


「えぇっ、そんなことになるかな?」


「万が一の時に、だよ。恋人として振る舞わなきゃ…いけないじゃん。ね、お願い」


「うっ、うん。緊張してきたぁ」


「うふっ。じゃ、取り掛かるね。上井君はちょっと後から出てきてね」


「了解」


 野口さんはクラリネットを机に置くと、須藤先輩の所へトコトコっと走っていき、聞こえはしないが何かを話しかけている。

 すると須藤先輩がチューバを置いて、音楽室の外へ出ていく野口さんの後を、敢えてなのか、ゆっくりと追っていた。


 俺は30秒数えてから、2人を追いかけることにした。


 …こういう時の30秒は長い。27、28、29、30…。


 よし、外へ出てみよう。


 音楽室の外へ出ると、すぐそばにある渡り廊下に2人がいるのを見付けた。


 柱に隠れ、話を聞く。


『…なので、須藤先輩には返事が遅くなっちゃって本当に申し訳なかったです。でもそういう理由なので、許してください』


 野口さんの声が聞こえた。これはもう付き合えないという返事をしてしまった後だな?須藤先輩はどう返してくるかな?


『迷わせちゃって悪かったね。でもまさか上井君と付き合ってたとは気付かなかった…。不覚だ…』


 野口さん、もう俺の名前まで出しちゃったんだ!でも、思ったよりも須藤先輩は取り乱してないな…。


『先輩なら、アタシなんかより、もっと釣り合う女の子がいいと思いますし、先輩のことを好きっていう女の子も絶対いますよ』


『フラれちゃったけど、慰めてくれてありがとう。もう一度確認だけど、本気で上井君のことが好きなんだね?』


『本当です。こんなことで嘘はつきませんよ。もしなんなら、上井君呼びましょうか?』


『いや、いいよ。俺の目の前で仲良くされたら、俺、立ち直れなくなるから。早く切り替えて、新しい恋を探すとするか…。とにかく、返事くれてありがとう。その分、上井君と仲良くしてね』


 須藤先輩はそう言うと、音楽室に戻っていった。俺は慌てて更に柱の陰に隠れた。


 ガチャンという音楽室のドアが閉まる音がしてから、野口さんは俺の所へ来てくれた。


「上井君…」


「野口さん、お疲れさま。結構速いペースで一気に付き合えないって、話したんだね。俺、出番なかったね」


「うん。でもね、でも…。怖かった、アタシ…」


 野口さんはそう言うと、涙を浮かべながら不意に俺の肩に頭を載せてきた。


「えっ…」


「須藤先輩って体が大きいし…。どんな反応するか分かんなかったから…」


 俺はこんなことに慣れていない。逆に俺の鼓動が凄まじいスピードで加速していく。

 神戸と付き合っていた時ですら、こんなことはなかったし。

 どうすればいいんだ、こんな時は?


 …よく分かんないので、とりあえず野口さんの背中をトントンと軽く叩いてみた。


「ありがと、上井君…。男の子だから、大きいね、手が…安心する…」


 俺は悲しい男の性で、野口さんの背中を軽くトントンと叩きながら、たまにブラジャーと思われる部分に手が触れてしまう度に、心臓が飛び出るほどドキッとしてしまう。

 その時は何とかして違う場所を摩るようにしていた。


 そんな様子を音楽室内から見て、やっぱりか…と須藤先輩は納得し、上井なら仕方ないかと、心の中で白旗を上げていた。


「…ところで須藤先輩、意外にあっさりとしてたね。なんでだろ?」


 少し落ち着いた野口さんが、俺の肩から顔を離して言った。


「多分ね、多分なんじゃけど…。先輩も恋愛に不慣れなんじゃないかな」


「ギクッ」


「なんで上井君がギクッてなるのよ」


「い、いや、俺も不慣れじゃけぇ…」


「でも一応中3の時は彼女がいたじゃん。その後の展開は別として」


「…あれで付き合ったと言ってもいいのかなぁ」


「どうして?」


「手も繋いだことないし…いや、フォークダンスで一度繋いだか。それとデートにも行ってないし、腕を組むなんて…いや、クリスマス会で担任の先生に乗せられて5秒ほど組んだな」


 俺は神戸との日々を思い出しながら言った。


「付き合ってるじゃん。それ以外に、一緒に登下校したり、手紙のやり取りしたりしたんでしょ?」


「まあ、ほんの少しだけね」


「立派な元カノじゃない。だから今、大村君と付き合い出して怒ってるんでしょ?」


「そっ、そうなるよねぇ、ハハハ…」


 俺は力のない愛想笑いしか出来なかった。


 対する野口さんは、さっきの須藤先輩とのやり取りとか、さりげなく俺の肩に自然に顔を預けてくるのを見ると、かなり恋愛には長けているんじゃないか?と思った。


「でもまあ、とりあえず俺の役目は終わったね。後はお互いに好きな人を探す、と…」


「まだ、終わってないよ、上井君」


「へ?」


 驚いた俺は素っ頓狂な声を上げてしまった。


「アタシ、上井君の心の傷を治してあげてないもん。心の傷が治るまで、仲よくしよ?」


 その言葉に、俺はドキッとした。


 確かに、神戸に付けられた傷はまだ完治には程遠い。


 だが野口さんには黙っていたが、伊野沙織さんのことを好きになりかけている俺としては、傷は1/3くらいは治ったといえるかもしれないのだ。


 会話の流れもあったが、伊野さんのことを好きになりかけてると野口さんに言い損ねたのは、俺にとって今後どんな影響をもたらすだろうか…。


 <次回へ続く>

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