第21話 -深まる溝-

「上井君、上井君、ちょっと…」


 末永先生が朝礼後、俺を廊下に呼び出した。


「あっ、はい。なんですか、先生…」


 先生は教室のドアを閉めてから、俺に話し掛けた。


「上井君、何があったん?顔付が尋常じゃないよ」


 大村と神戸が教室に戻ってきて、明らかな嘘を付いて何事もなかったかのようにしようとしていることにプツンと切れた状態の俺の表情を、先生は素早く察知したのだろう。


「先生には分かっちゃいますか。色々あり過ぎなんですが、ちょっと今ここでは言えないです」


 俺も怒りを殺して、先生に答えた。


「今すぐには言えないかぁ…。じゃあ、土曜日なのに悪いけど、4時間目が終わったら美術準備室にお出でよ。ゆっくり話を聞いてあげるから」


「分かりました。ありがとうございます。部活前に寄ります」


 姉御肌的な先生だと思っていたが、遂に俺が相談することになったか…。


 その後の4時間を何とか過ごし、俺は初めて美術準備室を訪ねた。


「失礼します!」


 ドアをノックする。

 高校では、美術、音楽、書道の三教科から一つ選択し、芸術の時間として授業を受けるのだが、俺は音楽を選択していたので、美術には全く縁が無かった。

 担任の先生が美術教師ではあるが、入学してからこのフロアに足を踏み入れるのは初めてだった。


「おお上井君、待っとったよ~。さあ、中へ入って」


「お邪魔しまーす」


「まあ、座ってよ。いきなり聞くのもなんだけど、今朝の怒髪天に満ちた表情は、何が原因だったん?」


 末永先生はNHKの教育テレビで放送している美術番組を録画したものを、ビデオで観ていた。


「先生には、俺がどんな顔に見えたんですか?」


「そうね…。とにかくやり場のない怒りを抱えてる感じだったかな。一瞬で表情が変わったでしょ。だからアタシもアレ?って気が付いたんだけど…。何に対して瞬間湯沸かし器が発動したのかな?ひょっとしてアタシのクラス運営のことかしら?」


「まっ、まさか!そんなんだったら、昼休みにここへは来ませんよ」


「だよね、良かった。と、半分冗談だったけど、本当のところは何に対して怒ってるの?」


 末永先生は、努めて俺をリラックスさせようとしながら、俺から話を聞き出そうとしていた。


「あの…たぶん先生もお気付きではないかな…と思うんですが、大村と神戸…さんについてです」


「やっぱりか。あの2人が遅刻して入ってきた時から怒ってたもんね。でも、上井君があんなに激怒する顔は本当に初めて見たけど、今まであの2人と何かあったの?何もなきゃ、あんなに怒らないよね?」


 先生はお腹が空くでしょと言って、秘密のチョコレートを俺にくれながら、俺の怒りの背景を聞いてきた。


「うーん…。せっかくの機会なので、詳しく話しますね。実は俺、中3の時、神戸…さんと同じクラスで同じ吹奏楽部だったんです。それで去年の今頃は俺が片思いしてたんですけど、夏休み前に付き合うことが出来たんです」


「ほうほう。それで?」


「それが、2月の私立の受験直前にフラれちゃって、フラれただけじゃなく、バレンタインの前日には、次の男に告白する場面まで見ちゃったんです」


「うわっ、それはキツイわね…」


「この高校を選んだのも、神戸…さんと付き合ってる時に、一緒の高校に行こうねって言って選んだんです。でもそう決めた後にフラレたんです。同じ吹奏楽部にいたから、高校でも吹奏楽部で一緒になるだろうし、それは仕方ないけど、絶対に喋らなきゃいいや、程度に思ってたんです」


「うんうん。上井君くらいの年だと、フラれた相手とは二度と喋らない、そう思うだろうね」


「それが入学式の日、クラスまで同じだっていうのが分かって、俺、登校拒否しようかと思うほどでしたよ」


「そうだったんだ。とりあえず我慢して登校してくれてありがとう。いきなり新入生が登校拒否になったら、アタシもショックだし」


「6組の親友のお陰です。村山っていうんですけど、アイツがいなかったら、立ち直れなかったと思います」


「友達の存在は大切だもんね。でも立ち直ったのに、また何かあったの?」


「冬にフラれてもう半年経ちましたし、俺の次の彼氏とはもう別れたと聞いて…。一生喋らないとか言わずに、そろそろそんな子供みたいな考えは捨てて、同じクラス、同じ部活にいるんだから、友達として神戸…さんと話とか出来るようになればいいのかな、と思ってたんです。でも今朝の、あの2人の遅刻が…」


 ここで俺は今朝見た大村が嘘を付いている光景を思い出し、またイライラしてしまった。


「今朝の遅刻かぁ。それに原因があるんだね」


「そうです。大村は神戸…さんの楽器を治してたとか言ってましたけど、アレは大嘘ですから」


「え?本当?」


「間違いありません。だって大村は俺が誘って吹奏楽部に入った、まだ初心者レベルの人間ですよ。同じ中学からずっと神戸さんがクラリネットを吹いてるのを見てきた俺にしてみれば、嘘付くなよ!って思いです。大村にクラリネットを治すチカラなんてありませんから」


「確かに…。大村君は中学時代は陸上部だった…って、中学校からの申し送りには書いてあったわね」


「俺の推測ですけど、あの2人、江田島の合宿で大村から告白してるんです。で、合宿から1週間経ったから、答えがほしいとか大村が迫ったんじゃないでしょうか。吹奏楽の朝練の後、そのやり取りしてて、遅刻したんです、きっと」


 俺は内に秘めていた推理をやっと披露でき、少しは気が晴れた。


「大村君か…。確かに、神戸さんに言い寄ってるって気はしてたのよ、アタシも」


「先生、分かるんですか?」


「だって朝の会と掃除と学活くらいしか、みんなとは一緒の時間がないでしょ?その分、みんなの状態とか、全神経を集中させてチェックしてるんだよ。だから、上井君の突然の般若の形相への変化とかすぐ分かるし、他でも大抵アタシの予感は当たるの」


「凄いな、先生は」


「凄いでしょ。って自慢してる場合じゃないよね。となると、上井君をフッて付き合った次の彼氏がいたのに、もう別れて、新しい次の次の彼氏を作ってるって、上井君には見えるわけだ」


「そうです。こんな尻軽女、俺の目の前から消えてほしいくらいです」


「まあさすがに、自分の担任してる生徒に消えろとはアタシも言えないけど…ツラいよね。自分の元恋人が、次々新しい相手と付き合うってのは。それで上井君には、そんな怒りや傷を癒せるような好きな女の子くらいはいるの?」


「…いるようないないような…。でも好きになりかけの女の子はいます」


「だったらその子と付き合って、見返せたらいいよね。何か接点はあるの?」


「はい。同じ中学出身で、同じ駅を使ってて、同じ吹奏楽部です」


「それは付き合う条件にピッタリじゃん!応援してるわ。頑張れ、上井君!でも付き合えたとしても、節度は守ってね」


「当たり前ですよ!むしろそれは、アイツらに言って下さい。絶対大村が迫って、いけないことしますよ」


「まあまあ。その辺りは保健の授業とか、性教育の時間も2学期にあったりするから。彼らだってその辺りは守るでしょ」


 末永先生は苦笑いしながら言った。


「そうならいいけど…。あーあ、俺、大村を吹奏楽部に誘ったりしなきゃよかったなぁ」


「上井君が誘ったんだね」


「そうです。今の須藤部長に、男子を増やしたいからって頼まれて…」


「だから、伊東、上井、大村っていう、出席番号2番3番4番が吹奏楽部に入ったんだね。最初、不思議だったのよ。なんでこんな連番でブラスに入るんだろうって」


「まあ入ってくれたのは嬉しかったんですけど、そのせいでこんな嫌な目に遭うとは思いもしませんでした」


 俺は深いため息をついた。


「そうだね。でも人生なんて、一寸先は分からないものだよ。良いことが待ってるか、悪いことが待ってるかなんて、全部事前に分かっちゃったら逆につまらないじゃない?今回上井君は、思わぬツライ目に遭っちゃったけど、この先必ずいいことが待ってる。だってそうじゃないと、不公平だもの。ね、元気を出して、せめてクラスでは、怒りの表情を堪えてね」


「分かりました。先生に色々話を聞いてもらって、少しは落ち着けました。何とかいいことが起きるよう、頑張ります!」


「応援してるからね、上井君!」


 俺は礼を言って、美術準備室を出た。


 末永先生とこんなに喋ったのは初めてだったけど、本当に生徒みんなのことを観察してるんだなぁ。


 でも先生もこれまでに、ツライこととか味わってきてるんだろうな。


 だから一寸先は分からないとか、きっといいことがあるとか、不公平だなんて俺に言えるんだろうな。


 そのいいことが、伊野沙織さんと付き合える…だったら、最高なんだけどな…。


 と考えながらクラスに戻ったら、既に誰もおらず、みんな帰ったか部活に行ったようだ。

 音楽室からは楽器の音も聞こえてくる。


(急いで部活に行かなきゃ!)


 俺は弁当を急いで食べて、音楽室へ向かった。


(ん?アレは…)


 音楽室は、屋上への入り口と近い場所にある。


 その屋上は普段はカギが掛けられているが、そのせいで逆に屋上に通じる階段は密室のような感じになっている。


 その密室状態の階段に、やっぱりいた。


 大村と神戸だ。


 <次回へ続く>

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