救える者は
「そういえば、あれから何か変化ありました?」
「変化?」
「学校とか部活とか。なんか対策するって先生が言ってたじゃないですか。私が入院してる間に、何か変化があったかなって」
「……」
入院という言葉を聞いた途端に、先輩の表情が曇ってしまった。
怪我に関するキーワードに反応して罪悪感が顔を出してしまったのだろう。
発言には気を付けなければ、また重い空気の漂う登下校に戻ってしまいそうだ。
「……っ」
先輩は小さく息を吐くと、凛とした表情を取り戻して私に話を聞かせてくれた。
「今は先生たちの間で改善策を詰めている段階みたい。校外にある施設を借りるか、もしくはネットフェンスを導入するか……。多分、ネットフェンスになると思うけど」
「なるほど。でも、それだと練習の準備と後片付けが大変そうですよね」
校庭は野球部の為だけにあるわけではない。
野球部の活動には有用なネットフェンスも、他の人間からすれば邪魔なだけだ。
導入するとなれば、移動式になるだろう。
それに、打球が生徒に当たらないようにするためのネットフェンスだ。
その高さも数もかなりの物になるに違いない。
準備と後片付けだけでも、かなりの重労働だろう。
「校外の施設を借りたとしても、結局は移動時間が増えるわ。だから、どちらにせよある程度の手間は仕方ないと納得するしかないのよ。事故が起こることに比べたら……」
先輩の視線が地面へと落ちる。
誰だって他人の片目を奪う可能性のある打球なんて打ちたくはないだろう。
今の先輩の様子を見たら猶更だ。
事故よりも後に先輩と知り合った私は、明るい表情を見たことがない。
「対策がされるまでは野球部はノックと試合は禁止。男子も女子もね。キャッチボールも禁止するという案も出てたみたいだけど、結局は棄却されたみたい」
「キャッチボールまで禁止されてたら、もう走り込みくらいしか練習できなくないですか?」
「そんなことないわ。ベースランニングに羽打ち、それにノックも手投げなら許されてる。制限されているという事実は変わらないけれどね」
「早く対策されるといいですね。先輩も中学最後の大会が夏に控えてるわけですし」
「部活はもう退部したわ」
「……えっ?」
聞き間違いだと思った。
しかし先輩の表情は、それが真実であると語っていた。
「で、でも、先輩って確かエースだったんですよね?」
入学して間もない頃、集会で女子野球部が表彰されていたことがある。
そこで代表として賞状を受け取っていたのが先輩だったはずだ。
それに、野球部に入部した同級生たちがその上手さを話していたのを聞いた覚えもある。
「関係ないわ、私の実力なんて。ただ辞めるべきだって思ったから辞めただけ。それに、その方がこうやって里中さんに……」
「私に……?」
「……いいえ、なんでもないわ」
贖罪ができる。
そう言おうとしたのだろう。
「……あの、そんなに気にしすぎないでいいと思いますよ? 誰も先輩に責任があるなんて思ってないですし、もちろん私だってそうです。恨んだりとかはまったくないです。だから、その、気に病まずにって感じで……」
あんまり責任を感じられてもこっちが気まずいから止めてください。
そう正直に言えたらなんて楽だったか。
「……無理よ、そんなの」
涙を滲ませながら吐き出したその言葉は、先輩をとても小さく見せた。
「そ、そうですよね……」
もしも逆の立場だったとしたら、私も先輩と同じことになっただろう。
人ひとりの片目を奪ってしまったら。
もしもそれが不慮の事故だったとしても。
誰もが責任がないと慰め、咎めなかったとしても。
きっと、自分を責めることを止められない。
「……」
先輩はきっと一生救われない。
だって、救えるはずの私がこんななのだから。
目の前で苦しんでいる先輩に対して何も言えない私が、よりにもよって唯一先輩を許せる人間なのだから。
その後、先輩を慰めるだけのコミュ力はおろか、明るい会話も演出できない私にできることは何もなく。
一言の会話もなく私たちは校門まで歩いて、教室の前で別れた。
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