鏡のマモノ
その廃墟には「ヒトが消える」噂がありました。
釣鐘型の御屋敷は見る影もなく、隙間風や虫の侵入を許すあり様でした。屋根は崩れ落ち、風をよく防いだでしょう壁は塩でベタベタとし、枯れた植物が生き物の指か何かのように這っていました。
廊下は古くなってギシギシ音を立てますし、土と海水とで汚れておりました。――――もっともこれは、空に住まう生物種の目線でございます。
廃墟は、元は豪商の家でした。
何代前かの主人が乱心して亡くなって以来、不吉だと放っておかれた建物でした。
遡れば「
当時語り伝えられた内容はこうでございます。
『廃墟に住み着いたマモノは鏡の姿をしており、はじめは会話ができた。しかし話し込む内に様子が変わり、狂暴化したためやむなく戦った』
少なくとも、当時はそう信じられておりました。
勇士の一人である狩人の矢が、鏡面と、そこに写っていたくせ毛の女を射たのが決着、と。以降、近辺での行方不明者はぱたりといなくなり、鏡に食われる者はいなくなった嗚呼めでたいと。
では本番です。
とてもひどい事実を、お話しましょう。
『イヌダシオンの技術者たち』より抜粋。
『ミセスメアリの姿鏡、もしくは、テヤと呼ばれたかった
*
「来たね、ハイシアを殺した奴の同胞……だっけ? どんなのかと思っていたけれど、案外ふつうだ。そうして、表向きしか私は知らないんだけどサ」
ギィンと、矢は鏡面に辿り着く前に弾かれました。
見えない壁があるようだと
いつの間にか、その姿は紅いドレスと黒髪に彩られた婦人へと変わっていました。混乱し「幻覚か」「あるいは被害者の姿を真似ているのか」と詰問する勇士に、
手に持つ扇子を手のひらに打ち付けて、口調は凛と気高い冬の花のように。
「アナタたち、賢い生き物と喧伝するのなら、せめてもう少し理性と知性を前に出しては如何かしら? 古典の話がしたいわけではないけれど……せめて対話の姿勢くらい見せていただきたいものね」
返事は、勇士の仲間の剣でした。
また寸でで防がれた剣を悔し気に見る彼らへ、カメリヤは冷たく「そう」と呟きました。くるり、と鏡面が変わります。
現れたのは、軽薄そうな皮ズボンの男でした。腰から下げた金貨袋がじゃりじゃりと音を立てる錯覚を覚えそうなほど、精巧なヒトの姿でした。
「あんなァ、別に難しいことァ言ってネーハズだぜ? 自分たちがァドンクラァイ命を踏み潰してて、精霊サマの言葉ムシして、宝石……ア゛ァ゛もう! 考えるだに最ッ悪な
男は段々激しくなる攻撃を、腕を組んだまま悲しそうに見て言いました。
「話す気が微塵もネーってカンジなら……アー、オレサマ、アンマシ好きくネー姿になっちゃうんダケド」
「だまれ化け物! 本性を現わせ!!!」
鏡のマモノはやはり悲しそうに「そっか」と呟きました。
廃墟の様子が一変します。
赤黒い染みと幾筋もの――――まるでヒトが逃げまどいながら殺されたかのような痕が、壁と床を覆います。脈打つそれらを「本性」と笑う勇士へ、鏡のマモノはやはり悲しそうに俯きました。
男の姿はいつしか霞と消えて、そばかすとくせ毛が特徴的なメイド服の女が鏡には映っていました。強く震える手は、暗い色のロングスカートに深い皺を刻んでいました。
「やっと正体を現したな! マモノめ!」
「ちがうよ」
「この血染みが証明しているわ。行方不明のモノたちはお前が殺したのね」
「ちがうよ」
「ハッ、返す言葉もないと見える」
聞くつもりのない言葉は尽くせない、と、鏡は口には出せません。
”少し特別な力”は使えても、やはりマモノはただの鏡なのです。悪意には悪意を、攻撃には攻撃を――――対話に対話を返せるのは、相手がそうと望んだ時だけでした。
勇士たちが鏡のマモノをマモノとしてしか見ないのならば、鏡はそうなるよりほかにないのです。血染みは鏡がかつて押し付けられた
勇士たちがモノ扱いした使用人も、翼人ではない種族も、まじない師もみんな、
フラクロウの勇士たちには、分かりませんでした。
「…………ごめんね、ハイシア、イヌダシオン」
そう呟いたのが、鏡の理性のしまいでした。
かくして、激闘の末に鏡のマモノはうち滅ぼされたのでした。
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