フラクロウ王国成立後
Z 紅いしっぽのプレッカート
「アアスフィアみたいな、おっきな口が欲しかったわ」
気がつくと
「そうかい? おレの口も体もおおきすぎて、誰にもふレやしないぜ? けさハイシアと戦ってなきゃ、おマエのことも食っテるさ」
「いいの。わたし、誰も触んなくって、誰も見てこないのが理想だから」
「変わっテんなぁ。生物っテ、見テほしい見テほしいっていうもんな……ああ、矛盾か?」
「そうね。見てほしいと見てほしくないって、潮の満ち引きみたい」
人魚族は美しさが全てだ。
「かわいそう」
「そレはハイシアが? そレとも別な子のこと?」
「ミルキのことよ。前までのわたしなら怒ったのだろうけれど『かわいそう』としか思わなかったわ。かわいそうなミルキ『あなたの美しさが欲しくたって持てなかった人たちもいるんですからね!』って。とびきり可哀想。あの子がわたしになって逃げだしたって、三分で誰かのお腹の中よ」
人魚族は美しさがすべてだった。
”リプル”は体育座りをして、手近な貝殻を沖へ放り投げようとする。低い放物線を描いた貝はカチリと音を立てて、砂の上で一回跳ねてくるくる回った。”リプル”の飛ばしたかった距離のほんの10分の1にも届かない、足元の貝。
「見てほしいは本能よ。美しく、かわいく、庇護欲を満たせないと生きられない。くさった本能」
じ、と貝殻から視線を凪いだ大海原へ移して”リプル”は呟く。
「本能はしょーがネェなぁ。オレは暴れんのが本能だ」
「そうよ。人魚族はずっと美しさを求めていた。強くなるより、か弱くあることを強いられて滅んだの」
「リプルはどうして、こう何度もオレの所にくるんだい? 怖いだろう」
「ええ。楽しくないのがいいの。嫌、嫌だ。嫌なの。すごく、すごく嫌。アタシ、わ、わたし、いや。すごく嫌。何より嫌なのは楽しいことにしらけてることよ。あた、わたしね、楽しく笑ってる輪に入れない。こわくって、ぞわぞわして、どうしてもむりなの。こわい。どうしても、おなかがギュッとして、どうしても―――」
「リプル」
目を優しく塞がれる。アアスフィアではない。アアスフィアの声よりこの声は深い。アアスフィアに、誰かを慰める本能はない。誰かを慮る心はない。だから、楽なのだ。だから違う。これは、この声はよく知っている。海の声だ。
アアスフィアと唯一戦えるひと。リプルが憐れむひと。
リプルを守っている
そうだ、大丈夫だ。ここは、あの水底ではない。
*
純真であれ。
幼気であれ。
美しくあれ。
プレッカートの育った淡水人魚族は、高い山の奥にある小さな湖に暮らしていた。翼人ですらなかなかたどり着けない秘境の湖だったから、生存競争はあってないようなもの。人魚たちの姿はどんどん華やかで鮮やかで美しいものに変わっていった。
物心ついたとき、プレッカートは幾重にも海藻を重ねたふかふかの布団に座っていた。誰より鮮やかな紅い髪と紅いしっぽを持っていたから、誰もがプレッカートを大切にした。
「髪をといてさしあげます」
「ああ! わたしにやらせなさいよ」
「外に出たい? 外なんて碌なものではありませんわ」
「その白い玉肌に傷でもついたら大問題です!」
つやつやの青い石でできた櫛。真珠の首飾り。桜貝の衣服。すべてがプレッカートを飾るために存在した。誰もがプレッカートをお世話したがり、いつでもこんもりとゆりかごの周りには人魚の団子ができていた。
一つ、不思議なことがあった。
プレッカートに「そのままではいけない」「勉強をするべきだ」と叫ぶ人魚が、時々現れることだ。勉強を勧めた人魚たちは、プレッカートの周りにいるほかの人魚に連れていかれて、二度と姿を見なかった。
興味がわいてお世話係に「べんきょうとはなぁに?」と聞くとお世話係は青くなって身を震わせた。両手の爪を頬に突き立てて「なんと恐ろしい!」と叫んだ。
「ああ、お嬢様。そんなこと二度と言わないでくださいませ」
「勉強などと恐ろしい。
はじめは『そういうものか』と納得した。
けれど、年齢を重ねるにつれて、段々とお世話係が減るにつれて、興味は恐怖へと変わっていった。
「ねぇ、真っ赤ってどうなの。派手すぎじゃない?」
「こらっ、そんなことを言うものじゃないだろう。失礼だ」
「……でも、確かに。そろそろ控えめなのが欲しいかも」
美しくあれ。
では、自分の前に一番美しかった子は、どうなったのだろう?
疑問を持ったころには、お世話係は一人になっていた。その一人ですら中々ゆりかごに近寄りもしなくなったから、かつて美しく整えられていたプレッカートの容姿はコケや泥に塗れて汚らしかった。
一人、必死になって抜け出した。
もしかしたら騒ぎになるかしら、と考えたのは最初だけだ。誰もがプレッカートをちらりと見ては嫌そうな顔をして、何事か囁いて
「わたしも、持ってたわ。それ」
このあたりでは滅多に採れない丈夫で美しい石で作られた髪飾り。
プレッカートは黒く丸いつやつやとした玉の髪飾りを持っていた。それと意匠の異なるピンク色の玉がはめ込まれた髪飾りを無残な亡骸は持っていた。無残な亡骸はそれでも、生きていたころはさぞ美しかったのだろうと溜息をこぼすほど目鼻立ちが整っていた。
プレッカートはぞっとして、自分が何を言いたいのかも分からないまま泳いだ。遠くへ泳いで、いつの間にかゆりかごの側まで戻ってきていた。
そこには、知らない赤子がいた。
「見て、この黒くてつやつやとした髪。とっても美しいわ」
「本当だ。赤色よりずっといい。淑やかで清潔で美しいね」
「ずっと赤って派手だと思ってたのよね」
知らない赤子が、プレッカートの持ち物だったものと、たくさんの人魚に囲まれていた。呼吸が浅くなって、すべての音がぼんやりと遠のいて、それでもプレッカートは「あの」と話しかけた。
せめて、これからどうすればいいのかを聞きたかった。
「うわ、汚っ。あっち行けよ」
どうやって移動したのかは、覚えていない。
ただ、気が付いたら高い山が目のまえにあって、確かそこが「罪人魚の山」と呼ばれていることだけ知っていた。山とは名ばかりの崖にしがみついて登った。それしかやることがなかった。
登りながら思いついて「どなたか、勉強を教えて」と声を上げた。
ガラガラに乾いた声では誰の答えも帰らなかった。泣きながら崖に突っ伏して笑った。声も出さずに笑った。すべてがどうでもよかった。指に血がにじんだ。
――叫び声が聞こえた。大きな影が上を通り過ぎて『動いてはいけない』と何故だか直感した。血の匂いがした。上からぼたぼたと亡骸の破片が落ちてきた。あまりに重くて耐え切れずに指が離れた。汚い海藻のようにゆらゆら落ちて、さかさまになった視界に血染めの街が見えた。
水中に血が揺らめく。
遊びで空中へ飛ばされた子が、自慢のヒレも、鱗も、肉すらもずたずたになって落ちてくる。遊びだから、死んだらおしまい。尻に花火を入れられて、ばらばら、上から血が降って来る。破裂する。鳥たちの笑い声が聞こえて、肉が降る。
岸辺の枝に突き刺さる。血がぽたぽたと、うめき声と一緒に波紋を作る。逃げ場のない湖はあっという間に血のにおいしかしなくなった。プレッカートは動かなかった。動いたら死ぬと直感していた。目立つなと自分に言い聞かせて、見つかるなと天に祈った。落ちてきた同族の肉に埋もれて、倒れたプレッカートは見つからない。
遠く、新しい『一番きれいな子』になった赤子が、空中に放り投げられる様を見た。毬遊びみたいに空中をぶよぶよになりながら突かれ回して飛ばされて、全身ずたずたになって落ちてきた。
それをずっと見ているうちに光が落ちてきて、プレッカートは海蝕洞まで吹き飛ばされた。周りにはたくさん、同族の遺体があったはずなのに、吹き飛ばされた時に剥がれたみたいだった。衝撃で、脆い海蝕洞は崩れていて、プレッカートは体が小さいお陰で助かった。岩にたくさん引っ掻かれながら、上手く動かない体で頑張って藻掻いて藻掻いて、出口が見えた。
―――でも、声が聞こえた。
ひそひそ、くすくす。嫌な声。
『きっと今に、生き残りが出てくるぞ』って声。分からなくて、分からなくて、集落を遊び壊した奴らが憎いのか、ほっとしてしまった自分が憎いのか、そう思わざるを得ないほどプレッカートを追い詰めたものが疎ましいのか、分からなかった。
分からないから、声が出ないまま笑った。
おかしくて笑った。
悲しくて笑った。
苦しくて仕方がないから笑った。
笑って、笑って、笑っていた。気が付いたら海蝕洞ではない場所にいた。岸辺に座って遠くを見ていたら、知らない女の人がプレッカートに話しかけた。どうでもいいから生返事をした。生返事をしていたら、どこかも知らない地上の集落に迎え入れられていた。
そうしてプレッカートは、リプルになったのだ。
だから、プレッカートはいつも恐れの側にいる。
一息に自分を殺せる相手の側にいれば、美しさに意味はない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます