Z ドラコニウスの弦楽器 後編

 兄はあふれるほどの才能で、ヒトビトの役に立ちました。

 欠片でも、弟が奪ったものを返そうとしました。眠り続ける弟の面倒を見ながら、兄は毎日忙しく働きました。荒地で野菜を育てて、他の人に分け与えました。ヒトも獣も区別なく、病気や怪我を癒しました。不眠薬や胃薬や消毒液の作り方は、他のヒトにも教えました。「使い物にならない」と捨てられた家畜の面倒を見ました。


 兄は、家に麻の紐を引いていました。

 要件があるときは、紐を引くと自分から出ていくと言いました。約束を守らず家に入ろうとするひとを、兄は許しませんでした。

 気難しい奴だと噂されました。

 兄は天才だったので、色々な人が知恵を借りに来ました。きれいな水も、飢えない暮らしも、災いの被害を小さくする方法も、兄が助言しました。暮らしは少しずつ楽になっていきました。

 助けられない人はもちろんいました。どれほど力を尽くしても、兄は一個人でしかありません。着くまでに力尽きた人や、約束を守らない人までは守れません。


「あなただったら助けられたんじゃないの!?」


 猛獣に襲われた娘を見つけた時、姉は彼を責めました。雨で少しだけ見つけるのが遅れたために、妹は血泥に沈んでいたのです。「すまない」とフードを下げる兄を、娘はひどく責めました。涙を散らし、拳を胴を叩きながら「助けられたはずなのに」と「手を抜いたんじゃないのか」と責めました。

 疑心はささやかに、人から人へ伝播します。


 ヒトビトは、なんでもできる彼を恐れていました。

 ヒトビトは、彼がなんでもできすぎる秘訣を探していました。


 兄の手から零れ落ちる命を見た時、ヒトビトは彼を「化け物」とさげすみました。炎のように、悪意のように、人のうわさは広がります。ヒトビトは何でもできる兄が妬ましかったのです。『万能の人格者』が恐ろしくて、苦しくて、生き物だとは信じられませんでした。


「どうか欠点があってくれ」

「才能をかき消すほどのものがあってくれ」


 他人より積んだ努力が多かっただけの兄に、ヒトビトはそう願いました。

 兄に「王女付きの家庭教師」の話が持ち上がった時、一番喜んだのは、近隣の村人たちでした。


「アイツの力の源を調べてやろう」

「あの家には不老不死の秘密があるに違いない!」

「いやいや、土を金に変える方法かもしれないぞ」

「なんにせよ、この機会を逃す手はない!」


 兄が留守にしている間、村人たちは家をあさりました。侵入者を阻む罠に手痛い目にあいながら「これだけ厳重に隠しているのなら、相当な宝に違いない」と目を合わせました。

 けれど、いつまで経っても見つかるのは本と薬草と生活用品だけです。苛立って薬草をむしり、生活用品を蹴飛ばす村人たちは、とうとう、一番厳重に隠されている部屋を見つけてしまいました。

 村人は弟を見つけてしまいました。


「これはなんだ?」

「二人に分身できるのか?」

「でも眠っているぞ」

「目が覚めたら危ないだろう」

「でも手足がないぞ」

「やはりアイツは化け物だ」

「もしかしたら、新しく自分を作っているのではないか?」


 村人は、兄弟を化け物として告発しました。

 折り悪く、町は精霊の怒りに触れて、大きな災いに見舞われていました。善性あるヒトビトが反対しても、もう半分は聞きません。とてもお腹が空いていました。辛い生活が耐えられませんでした。


───優れたものを捧げよう。

───珍しいものを捧げよう。

───あしきものを駆逐せよ。


 名を上げられた供物の中に、兄弟はいました。白毛の虎、拳大の紅い宝石、言葉を理解する動物、浜に流れ着いた鋭いナイフ、ひとりでに歌う竪琴、ヒトを映さない鏡、無限に糸を吐き出す糸巻き、どんな色でも生み出す瓶、箱庭を綴じた本。

 不思議なものも、美しいものも山ほどに。嫌われものも山ほどに。

 黒くて硬い檻の中、鎖で手足を縛り付け、猛火の中にくべました。


 灰は荒地に撒かれました。荒地は豊かになりました。立派な木が一本立って、恵の野菜も山ほどに。けれど、空は曇っています。誰も、供養もお礼もしようとはしません。


「災いははらわれた!」


 ヒトビトは喜びました。


「なんてことをしたのだろう」


 善なるヒトビトは嘆きました。


 木は切り倒されました。一流の職人が楽器にしてからも不思議な現象を起こしました。荒地だった土地も、不思議なことが起こる土地でした。

 楽器は、どんな初心者でも熟練者でも素晴らしい曲を奏でられるものでした。

 けれど、敗北感に膝を折るヒトがいました。記憶全てを失うヒトがいました。性格が変わって勉学に集中する者が現れれば、享楽的になる者もいました。国と被害者は楽器を壊そうと立ち上がりました。でも、誰も楽器を壊せずに、みんな跡形なく消えました。


 噂が立ちました。


「生涯一番の演奏をしたら、記憶を失うらしい」

「あの兄弟の恨みじゃないか」

「きっと災いは収まっていなかったのだ」

「───いいえ。例え無残に殺されたとしても、先生がこのようなことをするものですか」


 後に賢王女と讃えられるソフィア・ベルが立ち上がりました。

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