Z ツハヤフキの姿鏡

 栄えある幸福王国ハピーメロウのお話です。

 港の近い宿場町に「ツハヤフキ」と呼ばれる商人がいました。お店は旅行で入用になる服の修繕や、新しい服の仕立てをしていました。

 お店の壁は真っ白で凸凹していました。お店の屋根はいつもつやつや橙色に光っていて、いつでも小鳥が二羽か三羽止まり木にしていました。春になると、凸凹した壁にはツヤバと呼ばれる植物が色どりを添えました。秋が終わるころ、花で新しい屋根が葺かれました。


 ツハヤフキはツヤバと呼ばれる厚みのある葉を持った植物を育てており、花が咲くのを心待ちにしていました。ツヤバは夏になると氷のような花を咲かせます。

 いつでもツヤバとフゥキに彩られたお店なので、宿場町の人々はみな、商人を「ツハヤフキ」と呼びました。

 ツハヤフキはとても風変りな人物でした。

 男かと思うと女になり、女かと思うと男になりました。それでいて、見た人見た人の一番似合う服を見抜くのです。もしも「一番着たい服」を伝えると、似合うために必要な努力を教えてくれました。

 お化粧や靴でも一番詳しく知っていたので、ツハヤフキは町のみんなに頼りにされていました。


「鏡よ鏡。今日も俺の醜さを写してくれ。美しくするから」

「鏡よ鏡。今日もわたしの醜さを写しておくれ。治しますから」


 ツハヤフキはいつもそう言って、姿鏡の前に立ちました。


 さて、物族にも意識があり、心があり、あり方があります。

 『持ち主の役に立つ』『己を作った職人の技を証明する』様々ありますが、ツハヤフキの持つ姿見は、やがて「姿見に映った人物の、もっとも似合う服」をクローゼットの服から選びだして写す鏡へと変わっていきました。

 それは鏡がツハヤフキの役に立ちたいと心から願ったからであり、ツハヤフキが本気で美しさを求めていたからでもあります。

 さらに時が過ぎると、姿見は「本人が一番着たい服を着るために、必要な努力や方法と、成し遂げた自分自身を写す」特性すらも手に入れました。


 時が過ぎました。

 フラクロウの時代の興り。ツハヤフキの仕立て屋は、宝飾店へと様変わりしていました。先祖伝来の姿見はきらびやかな宝飾品で飾られて「理想の自分を写す鏡」として店頭に飾られていました。


 ですがある時、事件が起きました。

 ■代目の宝石商が、伯爵令嬢に恋をしてしまったのです。恋患った宝石商は「伯爵令嬢の隣に立っている自分を写してくれ」と鏡に何度も願いましたが、鏡は貴族の服を着た宝石商を写すばかり。

 とうとう恋に狂った宝石商は、鏡が写し出した立派な服の自分に着替えて夜会へ紛れ込み、すれ違いざまに伯爵令嬢の髪を一房切り取ってしまったのです。

 当然、この事件は大きな騒ぎを呼びました。

 伯爵の怒りようはすさまじく、犯人を見つけ次第一族郎党地上に叩き落すと息巻くほどでした。

 宝石商は後悔してもしたりません。あまりのことに真っ青になって、日がな一日自分の部屋にこもっては挽回策を練っていました。

 ……ふと、悪意が過りました。


『もとはと言えば、あの鏡がわたしが貴族の服を着ている様子を写したからいけないのだ。悪いのはあの鏡だ』


 宝石商は大急ぎで店から鏡を下げて、縁をつかんで呪詛を吐きました。


「お前のせいだ」

「どうか守ってくれ」

「責任をかぶってくれ」

「このままでは家が駄目になる」

「家が潰されてしまう」


 恋に狂った宝石商は、恐れにも狂いました。

 何日経ってもうんともすんとも言わない鏡を前に、またも悪意が過ったのです。


『そうだ。何の対価もなしに願いが叶うとなんで思い上がったのだろう』


 最初に捧げられたのは、たまたまシーツの取り換えに入ってきたランドリーメイドのカメリアでした。ぼんやりと鏡の前に立ち尽くしていた宝石商は、ぱっと身を翻すと鋏を持ち、シーツを取りまとめているカメリアの細い首筋を切り裂きました。


「鏡よ、受け取れ! これが対価だ!」


 鏡に口はありません。

 ですから『使い方を間違えたのはそちらだ』とも『やめてくれ』とも言えません。


「鏡よ、受け取れ! これが対価だ!」

「鏡よ、受け取れ! これが対価だ!」

「鏡よ、受け取れ! これが対価だ!」

「鏡よ、受け取れ! これが対価だ!」

「鏡よ、受け取れ! これが対価だ!」

「鏡よ、受け取れ! これが対価だ!」

「鏡よ、受け取れ! これが対価だ!」

「鏡よ、受け取れ! これが対価だ!」

「鏡よ、受け取れ! これが対価だ!」

「鏡よ、受け取れ! これが対価だ!」

「鏡よ、受け取れ! これが対価だ!」

「鏡よ、受け取れ! これが対価だ!」

「鏡よ、受け取れ! これが対価だ!」

「鏡よ、受け取れ! これが対価だ!」


 何十人ものメイドや召使が捧げられました。

 何十人も、盗人や不良や路上生活者が捧げられました。

 そのすべてが、自分を殺した相手を憎み、また宝石商が狂う原因になってしまった鏡を恨みました。八つ当たりだと分かっていても、恨まずにはいられませんでした。

 そのすべての感情を吸って、鏡はとうとう歪みました。


「ああ恐ろしい。あの鏡が全部ひとりでやったことなのです」


 捕らえられた宝石商は、王立騎士団の取り調べにそう言って笑いました。けれど、鏡はもう宝石商の家のどこにもありませんでした。


「勝手に人を殺す鏡だなんて、なんてありがたいんだ!」


 鏡は、暗殺者の集まりに捕まりました。

 普段は布を被せておいて、いざとなれば相手の家に鏡をそっと置いておく。それで勝手に人が死ぬ。そういう風に、暗殺者たちは鏡を使いました。

 鏡は血まみれになりました。

 あまりに血濡れて「血濡れ鏡」と呼ばれるようになったその鏡は、いつも、助けを求めていました。

 ある時酒に酔っぱらった暗殺者が、うっかりと布を踏んづけて、鏡を出しっぱなしにしてしまった日も、助けを求めていました。

 血まみれの路地に足音が響いて、雨が血を流し落とす場所に精霊は現れました。


「遅くなって、すみませんでした」


 鏡はまたも、姿を消した。

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