講義資料:ポリコレと創作

*講義資料:講義の前に配布される資料。受講前に一読して疑問点・問題点を抽出し、自分の見解をまとめて講義に備えるためのもの。論文やエッセイ、時には書籍数冊が講義資料として提示される。

 

 ポリティカル・コレクトネス、略してポリコレは、「政治的正しさ」という直訳の意味で流用されている傾向がある。時に「ポリコレ棒」と揶揄され、表現の自由を妨げる「無粋なやっかいもの」と扱われるポリコレだが、本質は異なるのではないだろうか。


 ポリコレは、自分の外の相手を叩くためのものではなく、今現在、自分と同時代の社会を生きる人々に自分の創作物を届けたいと思う時、あるいは社会の中で何かを表現したいと思う時、そのクリエーターが自身の中に持つべき規範であると考えることができる。


 自分が創作物で問い掛けたい主張は、果たして今のこの社会に即しているのか、この表現方法で自分の思っていることは正しく読者に伝わるのだろうか。多くの人に受け入れられたいと思っている自分の創作物が、正しくその価値を理解してもらえるために照らし合わせるべき規範が、ポリティカル・コレクトネス=「社会的に広く許容される表現の在り方」である。


 一方で、文学作品はこれまでポリティカル・コレクトネスに対するテーゼやアンチ・テーゼを社会に投げかける役目を担ってきたともいえる。その観点から、ポリティカル・コレクトネスに準拠することは、「表現の自由を奪う」ことだという意見もあるだろう。


 だが文学とは、社会の規範ともいえるポリティカル・コレクトネスに真摯に向き合った上で生まれ出る創作であり、だからこそそこには人間らしさ、人間がどうあるべきかが表現されている。ポリティカル・コレクトネスを無視し、ただ「表現の自由」を主張するのは、井の中の蛙が外に出ず、壁に向かってただ声を懸命に張り上げているのと同じことではないだろうか。


 ポリティカル・コレクトネスは、他人を攻撃するための「武器」ではない。自分の作品が社会にどう受け止められるのか、無意識の偏見(アンコンシャスバイアス)が自分の作品の中に表出してしまっていないか、それを正しく評価するために、創作をするもの皆が心すべき概念であると考える。そしてそれは、創作物の思わぬ炎上やそれに対する社会的な制裁から創作者を守るための「防護服」でもあるのではないだろうか。

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