…っと!基調講演、遅ればせながら!
一応近況ノートで読んでたのですよっ!紹介記事も早速読んでみました。
なるほど確かに、おっさんずらぶは現状の社会とちょっとゆるふわなファンタジー的社会とコメディがうまく混ざってましたね。
BLではやっぱり、「男同士はタブー」という大きな壁自体が見どころの一つでもあって、でもそれを「ホモ『なんか』じゃない!」は今やったらだめですよね。。。
作品の中の登場人物本人が、そういう無意識の偏見を持っているキャラ、ってのは避けられないと思うんですが、作者本人としては、自覚的でありたい…。
でも結局、ポリコレにしろ他の社会問題にしろ、根底にあるのって「差別された、すごい我慢させられた」側の人と、無自覚にそれをしてきた人。それをすり合わせようとして「これからは我慢せず皆快適に!」ってなるけど、でもそこで何か摩擦が起きちゃう。前者の被害者意識と、後者の加害者意識が釣り合ってないから。何か通じてないなーって前者がもう一歩踏み込んだ話をすると、後者が「なに、何かヤな感じ!そっちこそ押しつけないでよ!」でどんどん論点がずれていく…みたいな。
でも本当、ここ最近急激にこういう世界的な流れがあると思うので、世界全体で底上げされていくでしょうね。「黒犬と山猫」にも多分に「ホモ『なんか』」的風潮が漂ってはいるのでビクビクしてもいますが(これは2014年の話ですからという逃げ口上は準備している笑)、それであっても作者が自覚的でありたいというのはすごくそう思いました。
…というわけで、先生ありがとうございましたー!!
作者からの返信
コメントと、そして☆をありがとうございます!
BLのマンガなんかですと作家さんたちは勉強しているのか、数年前からすごくポリコレに配慮しているのが見て取れるんですよね。作家さん達、二丁目にもガンガン取材に繰り出していますし。
BLマンガを好む腐男子やゲイの方が増えているのは、マンガ作家さんたちのそういった努力の表れなのかもです。歩み寄ろう、理解しよう、という。
小説書きは何故か来ないんですよね。なんでだろう、と思っていたのですが、絵に表せないファンタジーの方に小説の方は偏りつつあるのかな?という気もします。
現実的には、ポリコレにしろマイノリティの権利にしろ、マジョリティ側の「押し付けないでよ!」という感情がいちばん厄介なんですよね、ほんと。
マイノリティ側に被害者意識もなく、押し付けているつもりもなく、こういう自分達も世の中におりますことですしぃ今後ともお見知りおきください、言うただけでも「なんか自分の知らないイキモノが出てきた!意見を押し付けられた!自分の世界が侵害される!」ってなるんですかね。分かるような分からんような。
マイノリティとして精神疾患の患者さんもまた、同じような無意識の偏見からどうしても抜け出せなくて、社会全体が精神病院にすべてを押し付けていると言った面もあります。
性自認にしろ疾患にしろ、こういった「自分の認識外の存在を排除する」という強烈な感情は本能に近いところにあるのか、人類がこの感情を克服するのは難しいことなのかな、と仕事の関係上考えたりすることがあります。
コロナ差別なんてのも直近でありましたしね。
そんな私の人生の疑問を「千鳥」シリーズにはおすそ分けしており、幕末明治維新期を舞台にしたのはそこに理由があったりし、かつ、この「夏期セミナー」も、「千鳥」執筆のためのモノだったりします(゚ω゚)
読んでいただいてありがとうございました!
七崎良輔さんはBL漫画読んで知ってました!
俺はホモなんかじゃない! お前がお前だから好きなんだ!
いやこれね、私がBLにハマったきっかけの絶愛がこんな感じだったんで、でも当時は実際にゲイの方が傷つくとかまでは全然考えてなくて。ただただグォーと興奮してたなあと我が身を振り返り反省です。
私、子どもというか人間て、色々な事を知って、色々な立場の人間がいる事を知らなければ、簡単に偏見にまみれた人間になれると思っていて
私自身もやっぱり何かしらの偏見や自分の物差しで判断しちゃうことあるし
でも多分、教育していけば変わってくんだろうなというのは感じていて
例えば私の時代って、男子がスカートめくりとかカンチョウとか普通に女の子にやってたんですよ。
うちの娘小学生なんで、ついその頃の感覚でそうゆう嫌なことする男子いない?と聞いたら
え?スカートめくる男の子なんていないよ?そんな事する人昔いたの?信じられない!と言われて
多分金メダル噛んだ問題もですけど、あれくらいの世代の人達って、全く男の子は!みたいな感じで色々許されちゃってた男達なんじゃないかなと、勝手に思ったりするんですよね。
て、話がずれてしまいましたが、その、葛西様の言う、価値観のアップデートというのは、カクヨムで作品を書く上でももちろん
普通に生きていても、必要なことだなって、常々思ったりします。
長々とうまく気持ちが纏められずすいません💦
とにかくとっても考えさせられるお話しでした!
作者からの返信
コメントありがとうございます。
そういえば尾崎南先生の絶愛はそんな感じでしたね!(゚ω゚) ←リアルタイムではなく単行本で読んだ勢
今と昔と、社会の状況はかなり変わっているので、単純に過去に感じた感想を、それダメなやつ!とは責められませんよね。というか、当時はそれが"常識"だったので。そう云った意味で、価値観のアップデートが、時々必要になるのかな、と思います。
そしてそうそう、スカートめくりも!男の子が好きな女の子のスカートをめくりたがるなんて可愛いモノでしょ、なんていう擁護も、今では通用しませんよね。
色んな事がそうやって少しずつでも変わっていったらいいな、と思います。
で、紹介した記事の中で、BL作家さんの中にはポリコレとか意識していないのに、時代の先を行く解釈や解決方法を作品で実現していく人がいる、ということが書いてあったかと思うのです。
正直、私はこの部分を読んで、安藤様の作品をすぐに思い浮かべました。いや、ポリコレを意識していないという否定的な部分ではなく、意識していてもしていなくても、他人の心の動きや社会での在り方を深く読み込んで、結果としてポリコレの最適解を作品にする、という、それがまさしく安藤様の作品だなあ、と。
ですので、安藤様にコメントを頂いて、すごく嬉しかったのです。いつも嬉しいですけど、特別に!
もうちょっとポリコレについて踏み込まなければならないところ、ぜんぶ紹介記事に任せてしまって中途半端なエッセイになってしまいましたが、最後まで読んで頂き、ありがとうございました!
編集済
この感覚! 私が常に抱いていたものです。必ずBL作品の主人公は異性愛者で、「俺はホモじゃないけど、お前だから好きになった」というセリフがほぼ必ずありますよね。直接的なセリフはなくても、それを匂わせる表現や展開も数多あります。
ゲイとしては、「それってどうなの?」と思わずにはいられないですね。BLは好きですが、そのセリフが出た瞬間、いつも少々萎える気持ちがあります。最近ハマったあるBL映画では、ゲイの主要キャラはいるものの、彼が好きになるのは異性愛者で結局、「俺は女の子が好きだけど、君は特別に好きになった」というセリフを吐くんですよね。他にもレズビアンカップルがいたり、ゲイバーの世界が描かれたりしているだけに、この展開が本当に残念で。
まず、リアルな同性愛者たちの世界で、異性愛者と純愛に陥るなんてことはほぼ皆無です。なくはないですが。でも、そんなほとんどないような事象を取り扱うことで、二人の恋人の「特別感」を演出しようとする所に違和感を感じます。「そこ、別に同性愛者、もしくは両性愛者でもよくね?」と思ってしまうんですよね。
BLといえば男同士の恋愛を美しく描くもの。その世界観は大好きです。だからこそ、もっとリアルなゲイたちの恋愛を美しく描いてもいいじゃないか。そう思うのですが、そういう作品は残念ながら少ない。(私が知らないだけかも汗)腐女子の需要に合っていないのか、どうしてなのか、よく考えるんですが。
せっかく男と男の恋模様を描くのだから、もっとリアルな男と男の関係を追求した作品もあって欲しいし、そういう作品がもっと評価される世の中であってほしいです。私はそういう作品を創りたいと思い、カクヨムを始めたので、一際そう思います。
作者からの返信
はじめまして。コメントをお寄せいただき、ありがとうございます。
ひろたけ様の作品を、駆け足気味ではありますが一読させていただきました。ご自身がエッセイでおっしゃっていたように、リアルな感情の動きや出来事を描写しながら、BL作品のような"美しさ"を失わないように注意深くセンテンスを重ねていった工程が感じられました。素敵な作品だと思います。
ひろたけ様がおっしゃるように、BL小説とゲイ文学の埋まらない溝というのは確かに存在していると思います。
その根幹に、なぜBLを好む女性が一定数存在するのか、という未だ答えが明確でない大きな問題が横たわっているかと思います。社会学的な観点から解き明かそうとした試みはいくつもありますが、BLを好む女性が世界中に、また歴史を遡って江戸時代に存在することまで考え合わせると、社会学では解決できない問題かと思います。
生物学者でもある私は、性対象(何が自分の性的な刺激となるか)を決定する認知のメカニズムに、人間という種に共通した揺らぎがあるのではないかと、とこれは単なる私見に過ぎませんが。
話が横にそれましたが、BLは、なぜそれが求められるのかという理由の根幹が、作者にも読者にも分からない、unidentifiedな創作物といえるのではないでしょうか。
一方で、ゲイ文学では、作者がなぜその作品を書くのか、その目的や表現したいことが非常にクリアであると私には思えるのです。
この違いこそが、BL小説とゲイ文学の埋まらない溝ではないかと私は考えます。
BL作品を嗜好する界隈では、よく「BLはファンタジーだから」という言葉が聞かれます。
リアルさの追求よりもunidentifiedな状態を楽しむ、昨今のBLにはその傾向がより顕著であるように私には思えます。その代表的なものがオメガバースの世界観ですね。私はあれをまったく受け付けないのですが。
unidentifiedであるから、そこにソープオペラ的な、というかハーレクインロマン的な妄想が制限されることなく、自由な創作が行える、その様な利点もBL作品には有るかと思います。
さて、私自身がBL小説とゲイ文学の埋まらない溝についてどのように考えているのかといいますと、実は ひろたけ様と同様に、BL小説にもっとリアルに足を付けた作品があればいいのに!という考えでおります。
そして、カクヨムのBL作家の方達にもそのような考え方を持っている方は少なくないという手応えです。ただ、私自身BL作家ですので、この評価には偏りがあることは否めません。創作に当たって二丁目に通ってみたりもしてみたんですけど、所詮"お客様"ですよね。
もし ひろたけ様が世直しとはいかないまでも、ご自身の思うことを多くの人に、特にBL作家の方に伝えたいと思われるようでしたら、是非、作家の作品へ直接コメントを寄せられてみてはいかがでしょうか。
カクヨムの良い所は、作者同士が交流して、自分の作家性を切磋琢磨できるところにあるかと思います。読者の方からいただく感想は「面白かったです」「楽しい作品でした」といただけたらそれで御の字です。
自分も作品を創作する作者同士だからこその意見の交換は、互いの認識に少なからず影響を与えるものと思います。
ここで私から ひろたけ様に作品をご紹介させていただきたいのです。私が交流しているBL作家さんの作品なのですが、
安藤唯 様の作品で「望郷」https://kakuyomu.jp/works/16816700426288165311 という作品です。
私としてはこちらの作品が「BL小説とゲイ文学の埋まらない溝」に架ける橋の可能性を含んでいるように思えます。溝は埋まらなくても橋は架けることができるかと思います。
「BL小説とゲイ文学」が同じモノになるのを目指すのか、異なった創作ジャンルとして分離しつつも互いを認め合って共生を目指すのか、一筋縄ではいかない問題かと思います。ですが、せっかく作者同士がこのように交流できるカクヨムで皆様、作品を書かれているので、そう云った交流も活発になればいいな、と思っております。
……といいつつ、私はBLもゲイも外して、ただの「文芸」「小説」だけでいいじゃん、なんて大ざっぱな事を思っています。
返事が異様に長くなってしまい、申し訳ありません。
また何かご感想やコメントなどありましたら、私の近況ノートの方にでも(どれでも構いません)書いていただければお答えいたします。
読んで頂いてありがとうございました!